第10話 一路、S幌へ

「水島ァァ……、許さねえぞ……。待ってろよ、ブッ殺してやる……。あンの糞野郎もハラワタ引きずり出して食い殺してやる……」


 木村は涎を垂らし、怒りの罵言と恨みの呪詛を吐きつつ、道道三号線をS幌へと向かって歩いていた。

 その姿は、まるで全国の犬に宿敵と認定された狂った巨熊のようだ。


 目を覚まし、歩きだしてから一時間もせずに、木村の行く先から二十台以上の警察車両がやってきた。

 道行く車からヒグマ出没の通報を受けて、警察が出動したのだろう。



「そこのクマ、止まりなさい!」


 木村の前、五十メートルほどのところでパトカーを停め、スピーカーから警察官が呼びかける。

 だが、木村は、クマは歩みを止めない。


「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」


 恐ろしい剣幕の言葉に驚いたのか、木村は後ろ足で立ち上がり、周囲を見回す。

 その視線の先では、パトカーから下りたハンターが、木村に向けてライフルを構えている。


「待てー! 待てえええええ! 俺は何もしてない、まだ誰も殺してないぞ!」


 狼狽え、取り乱し、騒ぐ木村。

 そして、警察の空砲が響く。


「ぎゃああああああああ! 助けてくれええええ!」


 木村は警察に背を向けて逃げ出し、来た道を引き返していく。

 そのまま道道三号線を進めば、ほどなくU張の市街地になる。


「追いかけろ! このまま道なりに進まれたらマズイぞ!」


 サイレンを鳴らし、パトカーが大挙して木村を追いかけていく。


「止まれ! 止まりなさい!」

「止まらないと撃つぞ!」


 追走劇はそう長くは続かない。

 時速五十キロものスピード走ることのできるヒグマの走力は生身の人間には脅威だが、舗装路を走る自動車に敵いはしない。

 一分もせずに数台のパトカーに追い越され、木村は足を止める。


「やめろ! やめろおおおお!」


 木村はブフォ、ブフォ、と鼻息荒く興奮した様子だ。

 パトカーや警察官を見回しながら、前足で地面をバンバンと叩き続けている。


「くそぉ、何で、何でだ! 俺はS幌に行くんだ! ○山に行くんだ!」

「○山? 何をしに行くんだ? 動物園の檻の中で芸でもするのか?」

「何で檻の中に入んなきゃならねえんだよ! 俺を檻に入れやがった水島の奴をブッ殺してやるんだよ! あの野郎、絶対ゆる……さね……」


 銃口を向けられて怯む木村。


「誰を殺すって?」

「じょ、冗談だよ。冗談に決まってるだろ? な? 撃つなよ?」


 木村は後ずさりながら言う。


「山に帰れ。二度と人の前に出てくるな。」

「ちょっと待ってくれ、俺はにんげ」

「早くしろ。撃ち殺すぞ!」

「だから、俺はクマじゃねえ! 人間だって」

「山に帰れ!」


 警察もハンターも、クマの言い分など聞く耳を持たない。というか、こいつらはクマが言葉を喋っていることに疑問を持たないのだろうか。


「待ってくれ!」

「ダメだ、待たねえ! 今すぐ山に帰れ!」


 警察の怒鳴り声と共に、空砲がさらに山林に響き渡る。


「助けてくれよ……」

「だから、山に帰れば見逃してやると言ってるだろうが!」

「二度と人里に降りてくるな。」


 警察官たちに睨まれて、木村はすごすごと森の中に入っていく。



「くそっ! あいつら、人に銃向けやがって……!」


 木村は八つ当たりで木を叩きまくる。

 ヒグマの鋭い爪は、木の皮を容易に裂き、幹が面白いくらいに抉れていく。


「はははっ! ふははっはあははははは! うっしゃああああああ!」


 木村は高笑いを上げたかと思ったら、木に体当たりをする。

 めきめきと音を立てて倒れていく栗の木。


「水島ァァ……、首洗って待っていやがれェェ……」


 あれだけ必死に謝っておいて、このクマはまだ諦めていないようだ。

 殺意を新たに、木村は森の中を北西へと向かって行く。そのまま進んでいけば、KY町の市街地に出るだろう。


 だが、谷間を走る川沿いに西に進路を変えて、道道七四九号線を越えていくとU張川へと行きついた。

 そしてU張川をさらに下っていくとE別市でEC狩川に合流する。


「ここまでこれば大丈夫か……?」


 どこまで行こうとも、通報されれば警察は駆けつけてくるだろうが、木村はそんな事にも気付かないほどアホなのだろうか。

 あるいは、精神がクマの肉体に侵されているのだろうか。


 真相は、神のみぞ知る、と言うところだろう。



 川から上がり体を震わせて水を落すと、木村は道路をS幌方面へと向かっていく。


 ……当然のように、一瞬にして通報されまくった

 一一〇番センターの回線が埋まってしまうほどだ。

 ヒグマが市街地に出没したら通報するのは間違ってはいないのだが、何十人もの目撃者が次から次へと通報しまくっていればセンターとしても困ってしまうだろう。

 実際、緊急事態なのだから、控えろなんて言う訳にもいかずに、一件一件対応しなければならない。一一〇番センターの受付というのも難儀な職業である。


 ともあれ、渦中のヒグマ、木村はS幌を目指して国道十二号線を走る。

 悲鳴も怒号もサイレンも無視して走り。



 木村は大型トラックに跳ねられた。

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