第4話 動物園に行くべや
H海道大学。
獣医学部で有名なこの大学には、野生のエゾヒグマが出没する。……わけがない。エゾヒグマが出没する大学になんて恐ろしくて誰も行きたくないだろう。
たまにキタキツネを見かけることはあるが、さすがにエゾヒグマがキャンパス内をうろついていることは無い。
だが、今日、現れた。道熊能が。
あれが野生なのかは知らないが、ぬいぐるみなどではない紛れもなく正真正銘生身のエゾヒグマだ。当然、飼い主などいない。
「あの、すんません。ヒグマの生態に詳しい先生を教えて頂けますか?」
守衛のおっちゃんに尋ねる道熊能。なんかもう、緊張感とか台無しである。
「え? なに? 熊なのにヒグマのこと知りたいの?」
守衛のおっちゃんが胡乱げに疑問を口にする。
「知りたいんだよ! 何をどれだけ食ってるのかとか、縄張りとか、色々と。」
「すみませんが、事務局行って聞いてください。どこの教授が何を研究しているかは分かりかねます。」
おっちゃんはそう言って、クマを通してしまう。
止めろよ。入れるなよ。守衛の仕事しろよ!
周囲の学生たちが小声でそんなツッコミを入れているが、おっちゃんは気にもしていないようだ。
だが、事務局の警備員は仕事をした。
「ちょっと君、学生? そんな恰好で入られちゃ困るよ。」
「いえ、学生じゃないんですけど。」
人間だったころの田村はれっきとした社会人だ。尚、専門卒である。受験生当時、北大に合格できる見込みは全くなかった……
「え? 身分証出してもらえる? 何しに来たの。」
警備の人は、あからさまに道熊能を怪しんでいる。大学の事務局なのだから、基本的には真面目な用件がある者しか来ない。酔っぱらいや変質者ならば追い返すのが警備員の仕事だ。
そして、道熊能はどこからどう見てもマトモな人間には見えない。人間ではないのだから当たり前なのだが。
「あの、身分証とか無いです。クマの生活について詳しい先生とお話をしたくて……」
「クマの生活?」
「エサとかどうやって採っているのかとか……」
「そういうのは動物園に行って聞いてもらえますか? クマとかキツネとか詳しい飼育さんいるでしょ?」
ある意味真っ当な意見である。
ゾウさんやキリンさん、クマさんなどが、どんなものをどれだけ食べるのかなんて質問は、定番とも言えるよくある質問だ。
「ああ、なるほど。確かにそうだな。」
道熊能もそれに納得がいったようで、○山へと向かう。大学前の五丁目通を南下し、北一条通で西に折れる。そのまま真っ直ぐ行けば○山方面だ。ただし、動物園に行くには、どこかで折れて南一条通に出る必要がある。
道熊能は混雑した通りでの右左折を嫌い、環状通まで来てしまう。仕方なしに環状通で左折する。
南一条通りまで来れば、○山動物園はもう目の前である。
だが、ここまで来て道熊能の前に複数の警察車両が立ち塞がる。
「そこの熊、止まりなさい!」
マイクで叫ぶ警察官。何か色々と間違っている気がするが、気にしないようにしよう。
「道を開けろ! 邪魔をするな! 俺は動物園に用があるんだ!」
「クマが動物園に一体何の用があるんだ?」
「飼育員さんに話を聞きたいんだ。」
素直に喋る道熊能。まあ、隠すようなことでもないし、恥ずかしがるような内容でもない。小心者の田村としては、警察に聞かれたら普通に答えるのだろう。
「貴様! 飼育員を殺して仲間を町に放つ気だな! そうはさせんぞ!」
しかし、警察官は信じていない。だが、何故この警察官はクマと普通に会話できていることに疑問を持たないのだろうか。本当に普通の熊なら人間の言葉を喋ることは無いし、本当に人間ならば飼育員を殺して猛獣を街中に放つようなこともするまい。
「な! 一体何を言っているんだ! 俺はそんなことしない!」
そして、道熊能は狼狽えて、慌てて否定する。しかし、それこそ相手の思う壺だろう。
「今、動揺したな? そしてムキになって否定するところが怪しい!」
まるで女子中学生のような言い分だ。
しかし、道熊能はもう相手にするのも面倒なようで、警察を無視してパトカーを回り込んで動物園へと向かって行く。
拳銃を構えている警察官もいるが、許可なく警察官が鳥獣に向けて発砲するのは違法である。
猛獣や凶悪犯が相手でも、現場の判断で発砲することは、原則として認められていない。本当に自分や市民の生命を守るための最終手段として実行しても、始末書ものだ。
単に通り過ぎるだけの熊に向かって発砲するのは許される行為ではない。それは、道熊能に理性が有るからではない。
まず、基本的にニューナンブごときでは、至近距離で脳天に命中させなければヒグマを絶命させることはできない。四十四口径のマグナム弾ですら、ヒグマの動きを止めることはできないと言われている。
下手に攻撃して怒らせて暴れられては、被害が拡大する恐れがある。ヒグマは臆病だからすぐに逃げる、と言われていたりもするが、それも怪しい。
獣と言うのは、走って逃げられない程度のダメージを与えれば、死に物狂いで暴れるものなのだ。それでもクマは山に逃げるなんて、そんな莫迦な話は無い。
苦し紛れに近くの民家や学校などに押し入られでもしたら、それこそ大惨事になりかねない。
街中に出てきたクマの処理というのはとても大変なのだ。
恐らく、そういったことは知っているのだろう。壮年の警察官が、発砲を制止していた。
「クマの生活に詳しい人の話を聞きたいんだ!」
動物園に着いた道熊能は入場受付で係員に食って掛かる。とはいっても、物理的に齧り付いているわけではない。
「あ、あの、入園は高校生以上は一人六百円になります。」
突然の熊の来訪に驚きながらも、係員はお金を要求する。
「金なんか持ってねえよ! 一円も無えよ!」
興奮して前足で地面を叩き、牙を剝きだして吼えかかる。
「お一人様六百円なので……」
道熊能にビビりながらも、係員は無賃を理由に道熊能を拒絶する。
「入場料が必要なのは人間だけだべや! クマにも金掛かるなんて書いて無いべ!」
遂に道熊能は自分がクマであると認めたようだ。係員は道熊能の屁理屈に狼狽えている。
鼻息荒く、道熊能は入り口ゲートに向かう。平日ということもあって、入り口近辺の人は疎らだ。特に邪魔されること無く、道熊能は動物園への侵入を果たした。
「動物園なんて何年ぶりだろう。小学生のとき以来か……」
呟きながらヒグマの檻を探す道熊能。猿山やゴリラ、ゾウやキリンを過ぎて、ようやく見つけた道熊能は檻に向かって駆け出した。
それに驚き慌てたのは檻の中の熊だ。突然、見知らぬクマが駆け寄って来れば警戒するのは当然で、檻越しに道熊能に牙を剝き吼えかかる。
「違うべ! 敵じゃないって!」
慌てて道熊能は止まって地に伏せる。そして、そのまま匍匐前進で檻の横へと回り込んでいった。
騒ぎに驚いた飼育員や職員たちが飼育館から飛び出して来て、そこに蹲るヒグマに驚き、慌てて出てきた扉に戻っていく。
「なんだあれは?」
「どうやって檻を出たんだ?」
「いや、あれはうちの子じゃない。見たことが無い顔をしていたぞ!」
「じゃあ、どこから?」
「まさか野生のクマが来たのか? そんなこと聞いたこと無いぞ。」
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
職員たちが口々に言っている間に、道熊能が扉から顔をのぞかせた。
「ぎゃあああああああ!」
「助けてくれええええええ!」
「落ち着け! 餌だ! 餌で釣るんだ! その間に救援を呼ぶぞ!」
慌てふためく職員を飼育員が宥める。
「いや、ちょっと、お話を……」
あまりのパニックぶりに逆に道熊能が戸惑っているようだ。
「リンゴ食うか? 柿もあるぞ?」
言いながら、飼育員はバケツに入った果物を、道熊能の前にぶちまける。
「何すんだよ! 食べ物を粗末にすんなよ!」
道熊能は、地面に落ちた果物を口にする気はないようで、踏み潰さないように避けながら飼育員に向かって行く。
「来るな! こっち来るなああああああ!」
「話聞けよ!」
逃げ惑う飼育員に道熊能は吼えかかる。
道熊能が部屋の奥まで来たことで、職員や飼育員は部屋を半周して、外へと逃げて行った。
それを追おうともしたが、背後にあるクマ用のエサも気になるようだ。逡巡したあと、餌に向かって行った。
数時間後、猟銃と麻酔銃を持ったチームが突入してきたとき、道熊能は満腹でお昼寝していた。
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