第9話 解き放たれた悪魔

 木村の目が覚めた。


「どこだ……? ここは。」


 驚きの声を上げて、周囲を見回す。

 が、周囲は森が広がるばかりだ。現在地を示すようなものは何も無い。


「おい、誰か……、水島! 返事しろ、水島ァァ!」


 叫び声を張り上げるが、返事は無い。


「くそ。一体何だってんだ。ここどこだよ。何で山の中なんだよ……」


 苛立った声で呟いても、何の反応も帰ってこない。


「今、何時だよ、メシどうすれば良いんだよ。」


 上を仰ぎ見るが、空は見えない。背の高い木々の枝葉が生い茂っており、木漏れ日が眩しいだけだ。


 途方に暮れた様子で、木村は当ても無くトボトボと歩き出す。


「腹減ったって。メシどうするんだよ……。水島ァ……、水島ァァァァァ!」


 何だかんだ言っても、水島がいないと、食事すら満足にできないことに今更気付いたようだ。


 あても無く、食料を探す知恵も無く、ただ彷徨い歩く木村。

 日が沈み、辺りが闇に包まれても、寝る場所も無い。

 いや、ヒグマなのだからそこらで寝れば良いのだが。木村は自分がまだ人間のつもりでいるのだ。テントも何もなしで野宿をするつもりは無さそうである。

 その割には四足歩行なのだが、そこらは自覚がないのだろうか。


「畜生……。許さねえ……。あいつら、絶対許さねえ……」


 ひたすら恨み言を漏らしながら歩く木村。そんな木村の視界が急に開けた。

 森の端を越え、人の町へと入ったのである。


「町だ! 町だァァァァォォォォ!」


 空に向かって咆哮する木村。夜のU張にクマの雄叫びが響き渡る。


「な、何、今の?」

「あっちだ!」


 クマの吠え声を聞いて、近くの市民が騒ぎ出した。

 男たちが懐中電灯を手に、声の方を照らす。


「クマだ! クマが出たぞ!」

「なんだって!? こんな所にヒグマが出るワケって、いいたあああああ!」

「下がれ、下がれ! 女子供は家の中に入ってろ!」

「男女差別する気?」

「ゴチャゴチャ言ってる場合かよ! 危ないから引っ込んでろって!」


 市民たちは大パニックだ。


「おい、ここは何所だ?」


 木村が市民たちにむかって大声を上げた


「町に出てくるな! クマは山に帰れ!」

「帰れ! 帰れ!」


 だが、市民たちは、クマの質問に答えるつもりは無さそうだ。


「ここは何所だって訊いているんだよ!」


 木村は前足をバンバンと打ち鳴らしながら怒鳴り散らす。


「こっち来るな!」

「山に帰れ!」


 そして、市民たちは自動車のクラクションを鳴らして対抗する。


「質問に答えろや! ブッ殺すぞ!」


 キレた木村が市民たちに向かって突進していく。

 木村は行動がヒグマと化してきている。


 クルマや家の中に逃げ込んでいく市民たち。

 だが、一人の女性が転倒し、道路に取り残されている。


「バカにしやがって…… 許さねえェェェ!」

「た、助けてエェェェ!」

「ここは何所だって聞いてるんだよ!」

「ぱ、パンツあげますから……、命だけは……!」


 気が動転しすぎたのか、何故かパンツを脱いで木村に差し出す女性。


「そんな臭えパンツなんて要らねえよ!」


 吐き捨てるように言って女性を蹴飛ばす木村。それはそれで酷い奴だ。


「で、何所だよここは!」

「U張市です……」

「なんだ、U張か。ってU張ィィ?」


 素っ頓狂な声を上げる木村。


「U張ってどういうことだよ! フザケんなよ? 俺はS幌にいたんだ。なんで目が覚めたらU張なんだよ。オカシイだろうが!」


 そんなことをこの女性が知るわけがない。

 木村の八つ当たりを受けて、震えあがるだけだ。


「くっそぉ、S幌はどっちだよ!」

「あ、あっちです……」

「なんまらムカつく…… 水島ァ、ふざけやがって。絶対ブッ殺してやる!」


 怯える女性を後に、木村は道道三号線を西へと向かう。

 道道三号線はKY町、U仁町、長N町を通り、K広島市を経由し、S幌市に至る。のだが、その距離は四十キロほどある。


 まあ、夜通し歩けば朝には着くだろうが、U張で騒ぎを起こしたのだ。道警も何らかの動きを見せるだろう。


 とおもったら、木村は途中の山の中で眠りだした。

 眠くなって理性が薄くなるとクマ化が進行するのだろうか。

 藪の中に入って行き、丸くなって寝ている。



「園長! どういうことですか。ヒグマを檻から放ってしまうなんて、危険すぎますよ!」

 水島が珍しく慌てている。

 早めの夏休みが明けて出勤したら、木村ヒグマがいなくなっていたのだ。驚きもするだろう。


「しかしだな、野生動物を捕まえて見世物にするなというのは、それなりに社会的支持を受ける主張だからな。無視することも難しいですよ。」

「あのクマが街中を歩いていたら、そして人を傷つけでもしたら殺処分ですよ。それを避けるために動物園で保護していると言えば良いだけじゃないですか。」


「もう解放されたんだ。今更そんなことを言うな。」

「で、何所に放ったんですか?」

「U張の山奥だそうだ。」

「U張? また何でそんな微妙なところに? S床に連れて行けば良いじゃないですか。」

「そんなことを私に言わんでくれ。」


 園長は困り果てたような表情で首を横に振る。


 確かに水島の言い分も理解ができるのだが、何故こいつはそんなに必死なのだろう?

 ああそうか、木村が檻から出たら、最初に狙われる可能性が高いのだ。木村は田村の名前も居場所も知らないが、水島のことは知っているからな。


「クソッ。早く何とかしないと……」

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