「鉛筆書きのラブレター」

風見鶏

鉛筆書きのラブレター



 読書感想文なんて誰が考えたのだろう。

 本を読むことはそりゃ大好きだ。でも、その感想を原稿用紙に書き出すなんて、ぼくにできるわけがない。だってもう1時間も白紙のままだ。原稿用紙に規則正しく並んだ四〇〇字分のマス目がぼくを見上げている。さあ、ここに字を埋めてくれと、両手をあげて求めている。

 そんなに期待した顔で見られてもだめなのだ。そりゃぼくだって、君たちのために字を書いてあげたいさ。でも何も言葉が出てこないんだ。仕方ないだろう。

 手に持った鉛筆は動かない。まるで十トンもあるようだ。ただの2Bの鉛筆なのに。六角形で緑色の、削りたての鉛筆。それまで憎々しく思えてくる。

 鉛筆の頭を口に運んで、がじがじと噛む。木の香りがした。おいしくない。でもこのもどかしい気持ちの発散にはなるかも。

「おいおい! 噛むのはやめてくれよ! 痛いんだぞ!」

 ヒョロヒョロとした声が聞こえて、ぼくはびっくりした。肩が跳ね上がったくらいだ。だって頭をぐるぐると振って周りを探しても、放課後の教室にはぼくしかいない。

「だ、だれだ!」

「うはは、ここだ。ここだって。そっちじゃないって。あっちも違う! だからここだってば!」

 そしてぼくは気付いた。その声が、ぼくの右手から聞こえてくることに。

「鉛筆しかないのに……」

「そう、オレは鉛筆さ! お前があまりに情けないから、助けてやろうと思ってな!」

 本当に鉛筆が喋るものだろうか。聞いたこともない。ぼくは鉛筆を口元に持っていった。

「いてててて! なんで噛むんだよ! ばかやろう! このチビ太!」

「喋ってる……しかもぼくのあだ名を知っている……」

「そりゃそうさ! お前の筆箱の中でずっと聞いてたからな」

 そこまで言われると、信じるしかない。

「でもちょっと待って。筆箱の中で聞いてたってことは、ぼくの独り言も」

「もちろん聞いてるさ! チビ太が同じクラスの菜々子ちゃんが好きだってこともな!」

 ぼくは両手で鉛筆を握りしめ、真っ二つにしようとした。

「いててててて! 折れる! 体が半分になる! やめて!」

「その秘密を知られたからには生かしてはおけないんだ」

「ごめんなさい! 許して! ほら、手伝う! 読書感想文を手伝うから!」

 ぼくは思わず手を離した。鉛筆をじっと睨んで、問い詰める。

「……そんなことできるの?」

「ああ、もちろん」

 鉛筆は息も絶え絶えに頷いた、ように思えた。

「オレは鉛筆。書くことは大の得意なのさ」

 なるほど、説得力がある。

「じゃあ、もしこの読書感想文が書けたら、君の命は助けてやろう」

「世界一スリリングな読書感想文だな……でも任せろ、20分で終わらせてやるぜ!」

 そんなにうまくいくわけがないとは思ったけれど、鉛筆は自信満々だ。だからぼくは言われるがままに、白紙の原稿用紙に向かい合った。

「いいかチビ太。まずは読んだ本の内容を思い出すんだ」

「ふむ」

「どんな人がいて、どんな場所で、どんな物語だった? それから、チビ太はどんなことを考えた?」

「えっと」

「おっと、良い子ちゃんに考えるなよ。テストじゃあるまいし、答えなんてないんだ。チビ太の感じたことが正解なのさ」

「それっぽいことを言う鉛筆だなあ……」

「鉛筆ってのはそういうもんさ。さ、あとは気の向くままに書くだけだ。やれ!」

 と、威勢良く言われたけれど、それで書けるわけがなかった。

「何から書けばいいのか分からないよ」

 鉛筆はぼくを見上げ、やれやれと首を振った、ように見えた。

「考えるな、書くんだ。書けば後から考えが付いてくるもんさ」

「すごい精神論じゃない? 無茶だよ」

「ったく、最近の小学生はすぐに諦めるんだから」

 鉛筆はブツブツと言う。

「わかった。じゃあこうしてやろう。お前が考えたことを、オレが書き出してやる」

「え、そんなことできるの?」

「当たり前だろ。鉛筆だぜ?」

「ぼくの知ってる鉛筆とは違う機能だよそれ」

「オレは最新型なんだ」

「すごい、文房具屋で65円だったのに」

「自分の値段を知ると悲しくなるわ……とにかく、オレを原稿用紙の上に置くんだ」

 ぼくは言われた通りにした。1マス目に鉛筆の先を当てる。

「こら、違う違う。行の最初は1マス空けるもんだろ。書くのは2マス目からだ」

「あ、そっか」

 改めて2マス目に鉛筆の先を置く。

「それで?」

「まずはチビ太が読んだ本の紹介からいこう。ほら、なんて本を読んだか思い浮かべるんだ。そしたらオレが勝手に動くから」

 そんなまさか、と思いながら、ぼくが読んだ本について考えた。すると不思議なことが起こった。鉛筆が動いて、マス目に字を書いていく。さらさらと、呆気ないくらいに。3行くらい書いて、鉛筆は止まった。

「すごいよ鉛筆! 本当に書けるなんて!」

「当たり前だろ、鉛筆なんだから。さ、続きもいくぞ」

 鉛筆が書いてくれると思うと、それだけで気が楽になった。ぼくはこんなことを書こうと思うだけで良いのだ。ぼくの鉛筆は、まるで掃除中のホウキみたいに軽々と動いた。ぼくの字がどんどんと並んでいく。文字が増えるたびに、書きたいことも増えていった。

「鉛筆、もっと早く動いてよ! もどかしいなあ」

「無茶言うなよ! 鉛筆にだって限界はあるんだぜ」

 そして、ついに原稿用紙の最後の行まで書き終えたのだ。時計を見ると、本当に20分しか経っていなかった。

「すごいや、本当に終わったよ!」

「な、できるって言ったろ!」

「ありがとう鉛筆! これで家に帰れる!」

「代わりと言っちゃあれなんだけど、お願いがあるんだ」

 真剣な声で鉛筆が言う。ぼくは声を潜めた。

「ど、どうしたの」

「先っぽ、尖らせてくれるか。丸まっちゃってどうもいけねえ」

 ぼくは笑った。鉛筆のお願いは、やっぱり鉛筆らしいものだった。帰ったらしっかり削ることを約束して、荷物を片付けた。それから読書感想文を教卓に置いて、鉛筆を握って帰った。鉛筆との会話は楽しかった。最近は消しゴムと仲が悪いのが悩みらしい。


 予想もしなかったことが起きた。下駄箱で先生に会った時、職員室まで呼び出されたのだ。うちのクラスはおばちゃん先生で、いつも金切り声で怒るんだ。怒られるたびにぼくは背筋がぞわぞわする。

 ただでさえ職員室なんて怖くて入りたくない。先生ばっかりいて、机がぎゅうぎゅう並んでいて、居心地が悪い。だからできるだけ体を小さくして、誰にも見つからないようにしておばちゃん先生の後ろを歩いた。

 おばちゃん先生は机にたどり着くと、椅子に座ってぼくに向き直った。不思議だったのは、いつになくニコニコしていることだった。おばちゃん先生がこんな笑顔を向けるのは、テストで満点を取った時の吉川くんくらいだろう。

 おばちゃん先生は机の上から原稿用紙を取り上げた。それは昨日、ぼくが書いたものだった。

「佐藤くん、今回の読書感想文だけど」

 そう言われて、ぼくはすぐに謝ろうと思った。すみませんでした、自分じゃ書けなくて、鉛筆に書いてもらったんです。でも声は出なかった。怖かったのだ。でも謝る必要はなかった。

「すっごく良かったわ。上手に書けたわね。佐藤くん、君には文才があるかもしれないわよ」

 おばちゃん先生に褒められたのは初めてだった。それどころか、学校で褒められたこと自体、初めてかもしれない。教室まで帰ってきても、ぼくは怒られずに済んで良かったとしか思わなかった。褒められて嬉しいなんてこれっぽちも思えない。だって、書いたのは鉛筆なんだ。

 朝にはホームルームという時間がある。先生がみんなの出席を確認したり、今日の連絡をしたり、朝の読書をしたりするのだ。

 おばちゃん先生は教壇に立って、読書感想文の話をした。みんな書き方がわかっていないと、いつもの仏頂面で話した。それから途端にシバ犬みたいな笑顔になって、「佐藤くんの読書感想文はとても良かったわ。後ろの掲示板に貼っておきます。みんなも読んで参考にしましょう」と言った。

 掲示板? 冗談じゃない!

 ぼくは立ち上がって、そんな恥ずかしいこと、やめてください! ……と言えたら、どれほど良かっただろう。みんなからの視線がぼくに集まっている。ぼくは机に落書きした仮面ライダーの顔を必死に見つめて、気づかないふりをした。仮面ライダーはいつだって弱い人を助けてくれるのだ。ぼくのことも助けて欲しかった。

 ホームルームの時間さえ終わってしまえば、それでおしまいだと思っていた。掲示板に貼られたって、わざわざ読書感想文を読む人なんていないはずだ。

 ところが、最近の小学生はみんな暇なんだ。きっとそうに違いない。休み時間のたびに、掲示板には人だかりができた。それからいろんな人がぼくのところにやって来て、「おばちゃん先生が褒めるなんて、チビ太すげえな!」と言った。

 その度にぼくは「いえ、これを書いたのはぼくではなくて、ぼくの鉛筆で」と解説しようとするのだけれど、誰も話を聞いてくれないのだった。

 放課後になって、ぼくはさっさと帰ろうとランドセルに教科書を詰めていた。学校生活で初めてこんなに目立って、いろんな人に話しかけられて、すっかり疲れていた。

「ねえ、チビ太くん。ちょっと良い?」

「足利さん、どうしたの」

 ぼくの声は上ずっていた。足利さんはクラスで一番可愛い女の子だった。その後ろには井上さんと松田さんがいる。女子はいつもチームで動くのだから、不思議だ。足利さんはもじもじとして、顔も赤い。女子に話しかけられることなんて滅多にない僕も、もちろんもじもじとしている。

「読んだよ、チビ太くん。作文、上手だね」

「あ、ありがとう」

「それでね、あの、お願いがあるの」

 足利さんは手に持っていた便箋をぼくに差し出した。ピンク色の可愛い花柄だ。そこには丸っこい文字が並んでいた。

「手紙を書いたんだけど、上手に書けなくて、あの、良かったら直してくれない?」

 やだよ、そんなの、と言いたかった。でも足利さんは断られるとは思ってもいない顔でぼくを見ているし、後ろの二人はぼくをじっと睨んでいる。女子の結束は固いし、ぼくの地位は低い。ぼくは頷くしかなかった。

「良かったあ」

 と明るい声で、足利さんがぼくに便箋を押しつけた。

 ぼくはそれを仕方なく読む。読書は好きだけれど、クラスの女の子の手紙を読むのは初めてだった。読み進めるうちに、それがただの手紙じゃないことに気づいた。

「……足利さん、重永くんのこと、好きなんだね」

「え、う、うん」

 頰を赤くして、足利さんが視線を下げた。

 まさか女子のラブレターを読むことになるとは思わなかった。ぼくは男子として認識されていないのかもしれない。

「それで、どうかな。直してくれる?」

「え、いや、大丈夫だと思うよ」

 言うと、後ろの二人がじろっとぼくを睨んだ。

「……ちょ、ちょっと直すね」

 無言の圧力に負けて、ぼくは筆箱から鉛筆を取り出した。

「話は聞いたぜチビ太! ラブレターの書き直しなんて、大仕事じゃねえか! パッとやっちまおうぜ」

 そこでぼくは背中にブワッと汗をかいた。しまった。喋る鉛筆は普通じゃないのだ。他人に見られてしまった。

「……あん? なに焦ってんだよ。大丈夫だって、お前以外には声が聞こえないんだからよ! あ、でもオレに話しかけるなよ? お前の声は周りに聞こえるんだから、鉛筆しか話し相手のいない可哀想な奴になっちゃうぜ! あっはっはっ」

「…………」

 愉快そうに笑う鉛筆の先を、ぼくは紙に押し付けた。

「いてててて! 折れる! 先っぽが! 折れる! 分かったって! 書く! 書くから! ゆるして!」

 そっと力を抜く。それから、読書感想文の時みたいに、自分の書きたいことを思い浮かべた。鉛筆はするすると動いた。

「かーっ、全く甘ったるい文章だねえ。少女漫画から丸写しでもしたんだろ、これ。小学生の男にはわかんねえって、脳みそ軽いんだから。ここもくどいから消しとこ。んで、もっと分かりやすく、シンプルにしてっと」

 ぼくの考えたことを、鉛筆が代弁してくれる。ぼくは声に出せないので、それがちょっとありがたい。

 文字を消したり、余白に書き足したりして、ざっと読み返した。ぼくとしては満足のできる仕上がりだった。それを足利さんに渡した。

「チビ太くん、ありがとう!」

 満足してくれたらしい足利さんと背後の二人は席に戻って行った。あのまま採用されるのかはわからないけれど、やることはやったのだ。あとは知らない。ぼくはぐったりした。

「恋ってのは良いねえ。オレも若いころは熱い恋をしたもんさ」

「鉛筆が何と恋をするのさ」

「決まってんだろ、セクシーな赤色鉛筆ちゃんさ」

「そ、そっか」

 ぼくも菜々子ちゃんにラブレターでも書いてみようか……と考えて、首を振った。ぼくはチビ太だ。クラスで一番チビな男子だ。ラブレターを送ったところで、後ろの掲示板に貼られるのが精々さ。

 次の日の放課後、また足利さんに話しかけられた。すごく機嫌が良さそうだ。

「あのね、重永くんと付き合うことになったの! チビ太くんのおかげ!」

 それは、重永くんも前から足利さんのことが好きだったからであって、ぼくは何もしてないよ、と言いたかった。しかし足利さんはぼくの返事など御構い無しで、「ありがとう」と言い残して走り去った。教室の外には重永くんがいて、二人で仲良く帰るらしい。

 顔に影がかかった。視線を向けると、目の前に井上さんと松田さんが立っていた。昨日、足利さんの背後にいた時とは大違いの愛想の良さでこう言った。

「チビ太くん、お願いがあるんだけど」

 その先は聞かなくても分かった。二人とも、手に便箋を持っていたからだ。ぼくは諦めて、筆箱を取り出した。

「や、大人気だな、チビ太! うはは」

 それから度々、同じことを頼まれるようになった。女子の間では情報が共有されているらしい。ぼくに手紙の文章を直してもらうと、恋が成功するというジンクスが流行ったのだ。おかげで、ぼくは毎日、誰かしらの手紙を書き直すことになった。

 おばちゃん先生はいろんな作文のコンクールを勧めてくる。おばちゃん先生の押しは強くて、断ることができなかった。その度に教室に残って、鉛筆と話し合いながら書いた。おばちゃん先生はいつも褒めてくれた。

 でも、ぼくが嬉しかったのは、ラブレターを書き直してお礼を言われたことでも、おばちゃん先生に褒められたことでもない。

「佐藤くん、作文すっごく上手だよね。書き方のコツとか、教えてくれない?」

 あの菜々子ちゃんが、ぼくにそう話しかけてくれたのだ!

 菜々子ちゃんは美少女とは言えない。でも笑うとすごく可愛いし、ぼくにも優しくしてくれるし、それに長い髪が陽射しできらきらと輝いていて、とにかく魅力的なのだ。

 だから菜々子ちゃんにそんなことを言われたときは心が舞い上がった。菜々子ちゃんに褒められただけでこんなに顔が熱くなるんだって、ぼくは初めて知った。

 でも作文の書き方にコツなんてない。だって、書きたいことを考えれば、鉛筆が上手く書いてくれるのだ。だから、教えられることはなかった。

「えっと、あの、ありがとう、でも教えられることがなくて、教えたくないとかじゃなくて、教え方がああ何言ってるんだろうごめん!」

 思わず早口になってしまった。おまけに何を言いたいのか自分でも分からない。

「大丈夫だよ佐藤くん。落ち着いて、ね?」

 菜々子ちゃんはそんなぼくに笑顔を向けて、優しく言ってくれた。

「佐藤くん、いつも難しそうな本読んでるよね。やっぱり、本を読んだら作文も上手になるのかな」

「う、うん。それはあるかも。それに面白いし……」

「そうなんだ。どんな本がおすすめ?」

 背中に汗をびっしょりかいて、心臓はばくばくしていた。でも、菜々子ちゃんと話す時間はすごく楽しかった。

 放課後、おばちゃん先生から勧められたコンクールの作文を書きながら、ぼくは鉛筆と話していた。自慢じゃないけど、ぼくには一緒に帰る友達もいないのだ。

「あの菜々子ちゃんに作文のコツを教えてくれって言われたんだよ。それにおすすめの本を貸す約束までしたんだ」

「ひゅー! チビ太も成長したもんだ! ま、オレのおかげだけどな!」

「分かってるよ。鉛筆が書いてくれるおかげだもん。鉛筆さえいればなんだって書けるさ」

「その通り! じゃあ、ささっとこいつも書いて家に帰ろうぜ! ゲームの続きが待ってるしな!」

 よし、とぼくは気合を入れて、どう書こうかを考えた。菜々子ちゃんに褒めらレたので、やる気は満々だ。それに、鉛筆がうまく書いてくれると思うだけで、頭の中は書きたいことでいっぱいになる。鉛筆は勝手に動き出して、原稿用紙のマス目に文字を並べていく。ほら、あっという間に完成だ。


 ラブレターを直して欲しいと言う人は後を絶たなかった。ぼくも最近は手慣れてきて、どう書けば良いかがすぐにわかる。最初は人の恋の代筆だなんてと思っていたけれど、開き直ったのだ。ぼくがどう書いたって、うまくいくときはうまくいくし、ダメなときはダメなのだ。

 ある日の昼休みに、吉川くんに声をかけられた。

「あの、佐藤くん。君はその、ラブレターを添削してくれるんだよね?」

「ええと、てんさくってなに?」

「添削というのは、つまり文章を削ったり、書き直したりすることだよ」

 なるほど、ぼくがしていたことは添削というらしい。ぼくが頷くと、吉川くんは辺りをきょろきょろと見た。給食の時間はとっくに終わっていて、教室に残っている人は少なかった。貴重な遊び時間なので、グラウンドでドッジボールをしたり、図書室に行ったり、みんな忙しいのだった。

 こっちに注目している人がいないのが分かると、吉川くんは便箋を机の上にそっと置いた。それが何なのか、すぐに分かった。

「僕のも添削してくれないかな。こういうのを書くのは初めてだから、うまく出来なくて」

 あの吉川くんが! という気持ちになった。

「もちろん、良いよ」

「ありがとう、佐藤くん。それじゃ、よろしく」

 吉川くんはそわそわと落ち着かない様子で、教室を出て行った。

 ぼくは早速、便箋を開いた。他人のラブレターを添削すると、いつも相手の気持ちを覗き見するような、ちょっと悪いことをしている気分になる。

 吉川くんの手紙を読み進めるうちに、ぼくは重大なことに気づいてしまった。今までは女子のラブレターの添削だけだった。だから相手は男子に向けてだ。けれど吉川くんの恋する相手は、女子だった。しかも、菜々子ちゃんに向けてだったのだ。

 ぼくは筆箱から鉛筆を取り出し、教室を飛び出してトイレの個室に駆け込んだ。

「鉛筆! どうしよう鉛筆! 菜々子ちゃんへのラブレターだ!」

「よし、オレに良い考えがある。破ってトイレに流そう!」

「発想がひどすぎるよ!」

 でも出来ることならそうしたかった。でも出来るわけがない。手紙には、吉川くんの思いが綴ってあった。文章はあまり上手ではないけれど、丁寧に気持ちを伝えようと書いたことが分かった。

「これを添削するなんて、ぼくには出来ない……」

「どうしてだよ。いつもバシバシ書き直してるだろ」

「だって、ぼくも菜々子ちゃんが好きなんだ。吉川くんの気持ちがよく分かる。この手紙に書いてある文章を消すだなんて、そんなことはできない」

「恋ってのは面倒だねえ」

「鉛筆は気楽で羨ましいよ」

 吉川くんの手紙を見つめる。書かれた文章を何度も読み返す。それは途中で急に終わっている。ここまでしか書けなかったのだろう。2枚目は白紙だった。

「ぼくはどうしたら良いんだろう」

「だから、やることはいつもと一緒だろ。書きたいように思えよ! そしたらオレが書いてやるから!」

「で、でも、それでもし菜々子ちゃんが吉川くんと付き合うことになったら……」

「そん時はそん時さ!」

 そんなに簡単に言い切れたら、どれほど良かったか。

 ぼくは想像してみた。菜々子ちゃんの隣に、吉川くんが立っている。二人は仲良く手を繋いで下校するんだ。二人とも成績が良いから、一緒に図書室で勉強したりするのかもしれない。それを想像すると、胸がぎゅっと圧迫されて、息が苦しくなった。そんな光景、ぼくは見たくなかった。

「……よし、書こう」

「お? 覚悟を決めたのか」

 ぼくは洋式便器の蓋を閉めて、その上に座った。目の前のドアに便箋を押し付けるようにして、鉛筆をぎゅっと握った。そして祈るように、書きたいことを考えた。

「おいおい、そんなこと書くのかよ! 吉川のヤロウ、嫌われちゃうぜ? あ、待てよ、そういう作戦か! チビ太もワルだねえ!」

「うるさい。早く書けよ鉛筆」

 手がするりと動いた。吉川くんの書いた文章に横線を引いて消していく。上の余白に、新しく文章を書いていく。鉛筆はいつものように動く。だけど書くのは、我ながらひどい文章だ。吉川くんの思いを書き換えていく。分かりづらくて、下手くそで、とても恋なんて伝わらない文章だ。なんてひどいラブレターだろう。

 一枚目をそんな風に書き終えて、鉛筆は動きを止めた。

「……良いのかな、これ」

 鉛筆から返事はなかった。

「おい、鉛筆?」

 鉛筆はうんともすんとも言わない。いつものように六角形で、削られて前よりもずっと短くなってしまった鉛筆は、他人行儀な顔で握られている。

「どうしちゃったんだよ、鉛筆。何か言えよ!」

 声を荒げて、それから、ぼくは自分を鼻で笑った。鉛筆と便箋を、膝の上で握りしめた。

 鉛筆が喋るわけないじゃないか。鉛筆は鉛筆だ。鉛筆の話すことなんて、ぼくの妄想なんだから。

 5時間目の算数の授業は、どんなことをしたのか覚えていない。今やってる国語の授業だって、まったく頭に入ってこない。ずっと添削した吉川くんの手紙と、話さなくなった鉛筆のことを考えている。

 これで良いんだろうか。良いはずだ。じゃあなんてこんなにモヤモヤするんだろう。

 ぼくは机の上に、吉川くんの手紙を広げた。吉川くんの文章に横線が引かれて、打ち消されて、ぼくの下手くそな文章が書かれている。

 それを読み直して、ああ、そうか、と思った。

 ぼくは最初から間違えていたんだ。

 ラブレターは、読書感想文じゃない。大人が読むコンクールの作文じゃない。自分の思いを相手に伝えるための、素直な手紙なんだ。だから、他人のぼくが偉そうに添削なんてするべきじゃなかったんだ。こんなに簡単に、鉛筆で打ち消して良いものじゃないんだ。

 ぼくはそんなことにも気づかないで、良い気になってしまっていた。途端に、吉川くんに申し訳なくなった。

 白紙の便箋に、ぼくは鉛筆で宛名を書く。菜々子ちゃんへ。それから……。

「おい鉛筆、頼むよ」

 小声で話しかける。けれど、鉛筆は何も言わない。

 ぼくは書きたいことを思い浮かべた。菜々子ちゃんへの気持ちだ。書きたいことはたくさん出てきた。でも鉛筆がいないんだ。一人で書けるだろうか。わからない。

 喋る鉛筆はぼくの妄想だ。でも、ぼくが書くことを手助けしてくれる、大事なやつだった。先生やコンクールの審査をする人が気にいるように書くためには、いつも役に立ってくれた。

 でも、菜々子ちゃんへの手紙はそんなに賢く書けない。気に入ってもらえるようになんて、冷静ではいられない。

 ぼくは初めて、ぼくの気持ちをそのまま伝えたいと思った。だから鉛筆は黙ってしまったのだろう。これは鉛筆じゃなくて、ぼくが書かないといけないことだから。

 鉛筆を持つ手が震えた。怖くてたまらなかった。今までは全部、鉛筆が責任を持っていた。書いたのは鉛筆だからと言い訳ができた。でもこれは、ぼくが書いて、ぼくが責任を取るのだ。でも、それで良いんだと思った。

 ゆっくりと、力を込めて、文字を描いた。それはいくつも連なって、ひとつの文章になった。文章が並んで2つの行ができるころには、手は自然と動き出していた。ぼくは初めて、鉛筆に頼らずに書くことができたんだ。書き上げた手紙の最後に、ぼくは吉川くんの名前を書いた。

 放課後になって、吉川くんに便箋を渡した。

「あの、吉川くん、ごめん。手紙、読めないくらい汚しちゃって……これ、新しく書いたやつなんだ。参考になるか分からないけど」

 吉川くんはそれを受け取って、ぼくにお礼を言った。

「参考にして書いてみるよ。書けたら菜々子ちゃんの下駄箱に入れようと思うんだ。直接渡すのは、恥ずかしいから」

「そっか、頑張って」

 なんとかそれだけを言って、ぼくはランドセルを背負って、走って帰った。

 これで良かったのだ。なにしろ吉川くんはクラスで一番勉強ができて、真面目で、ぼくのことをチビ太と呼ばない良い人なのだ。菜々子ちゃんとお似合いだ。ぼくよりも吉川くんの名前が書いてあるラブレターの方が、菜々子ちゃんも喜ぶに違いない。


 こんなに憂鬱な日があるとは思わなかった。運動会の組体操の練習がある日だって、もう少し元気だったくらいだ。何度も休もうと思った。けれど都合よく体調が悪くなることもなくて、ぼくはできるだけゆっくり歩いて登校した。

 下駄箱にはたくさんのクラスメイトがいて、すごく賑やかだ。上履きに履き替えながら、菜々子ちゃんの下駄箱を見る。靴はもう履き替えられていて、だからもちろん、吉川くんが入れたはずの手紙はなかった。

 もう手紙を読んだだろうか。もしかしたらすぐに返事をしたかもしれない。ああ、教室に行きたくない。

 ゆっくり階段を上がって、ゆっくり教室にたどり着いて、ぼくは自分の席に着いた。まだ1日が始まったばかりなのに、体が重い。つい菜々子ちゃんを目で探してしまう。教室の端っこで、友達と話している。菜々子ちゃんと目が合って、ぼくは慌てて目をそらした。それから机に突っ伏して、時間が過ぎるのを待った。

 給食には大好きなわかめご飯が出た。でも食べるのに苦労した。胸が詰まって、お腹がすかなかったんだ。吉川くんの手紙がどうなったのかが気になって、ぼくは落ち着かない。

 昼休みになると、吉川くんがぼくのところにやってきた。

「佐藤くん、ちょっと一緒に来てくれるかな」

「え、ど、どうして?」

「あとで話すから」

 言われて、ぼくは訳もわからず吉川くんについて行った。吉川くんは、ぼくよりも落ち着かない様子だった。まだ菜々子ちゃんから返事をもらっていないのだろう。

 吉川くんと一緒に、屋上に続く階段の踊り場にやって来た。ここはいつも人気がなくて、告白するのに良い場所なのだ。女子のラブレターにはいつもこの場所が書かれていた。

「あの、吉川くん。菜々子ちゃんをここに呼び出したの?」

 吉川くんはうなずいた。

「昼休みにここでって書いたから、もうすぐ来ると思う」

「それなら、なんでぼくを連れてきたの。ぼくはいない方が……」

「佐藤くん、君も菜々子ちゃんのことが好きなんだろう?」

 ぼくは息が出来なくなった。

「君がくれた手紙を読んで、すぐに分かったんだ。参考になんて出来なかった。だって、君の気持ちが書いてあったから。だから、僕もちゃんと自分の言葉で書くことにしたんだ」

 しまった、と思った。ぼくが吉川くんの手紙に共感したように、吉川くんもぼくの気持ちが分かるんだ。だって、二人とも菜々子ちゃんが好きなのだから。

「それから、菜々子ちゃんの下駄箱には二通入れたんだ。僕の手紙と、君の手紙を」

 驚きすぎて、喉から声が出なかった。口だけがぱくぱくと動いた。何度も息を吸って、口を動かして、ようやくかすれた声が出た。

「え、でも、だって、あれ、名前」

 うまく言葉が並ばない。けれど吉川くんは何のことか理解してくれた。

「君の手紙にも、この場所に来てくださいって書いておいたよ。それから、僕の名前は消しゴムで消して、君の名前を書いておいたんだ。つまり、添削ってわけだね。鉛筆で書いていてくれて良かった」

 ははっ、と笑われた。いや、笑い事じゃない。君はいったいなんてことを……!

 ああ、どうしよう。どうしてこんなことになったんだろう。ぼくには告白する勇気なんてなかったのに。

 吉川くんは頰を染めて、覚悟を決めた顔をしている。ぼくは頭の中が真っ白で、なにも考えられない。なにも言葉に出来ない。どうしたら良いのかもさっぱりわからない。

 助けて鉛筆! ぼくの気持ちを書いてくれ!

 その時、階段の下から足音が聞こえた。菜々子ちゃんが来たに違いなかった。







 おしまい


 

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