戦線へ馳せる、或るアンドロイドの履歴。
緯糸ひつじ
戦線へ馳せる、或るアンドロイドの履歴。
■1■
現代の戦場には、高価な
つまり『歩兵』という言葉も、生身の人間が担う職務を表すものではない。『歩兵』とは、自律的に戦闘するアンドロイド『
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軍靴の足音を鳴らしながら、幾千の俺らが列を成し、戦線へと向かう。
シンプルな球体間接人形のように、無駄がない無機的なフォルムをしている。ボディは渋い迷彩柄で塗装されているが、今は粉塵と泥にまみれている。
俺らは短機関銃を構え、ぞろぞろと自律戦車の列に随伴する。
航空機群が上空を埋め、自走砲が一斉砲撃の音を轟かせる。
連邦陸軍は、既に帝国軍の第一線に衝突し、突破口を拓いているはずだ。
連邦にとって、今回の作戦は特別である。
連邦陸軍史上、空前の兵力を投入している。
自律戦闘する歩兵や戦車、航空機が群れをなし、帝国軍との100キロメートルに亘る前線を、一気に押し込む。物量にモノを言わせて蹂躙していく縱深攻撃だ。
混乱を極めた敵砲から出鱈目に、銃弾が雨のように注がれる。その中を僕らは駆け抜けている。不意に、前方の歩兵が凶弾に倒れた。
しかし、あくまでも歩兵は消耗品である。衛生兵など存在せず、野垂れる彼等を打ち捨て、踏み越えていく。
■3■
俺は、改めて右腕の文字を読む。迷彩柄でマッドな質感の右腕には『Combat Alone Complex』の文字が刻まれている。
我らが連邦陸軍が開発した、戦闘の中に一人も人間を介さない、最新の戦闘システムの名だ。
帝国軍の捨て身の反撃で、周りの歩兵が減ってきたならば、前線への突破力が喪われる前に、
たとえば、上空から降り注ぐ、幾つもの漆黒の
戦場に落とされたそれは、粉塵を撒き散らしながら粗暴な着地をする。
しかし、これは
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俺は、地雷によって左脚の足首を喪い、胸部のボディは銃弾で穴だらけに、右腕のモーターも銚子が悪くなってきた。
《センサーがやられてるのか。明らかに損傷が酷い。『屑鉄拾い』がもうすぐ来る。大事な
野垂れた歩兵は、『屑鉄拾い』と呼ばれた後方支援部隊により回収され、兵站基地で整備され、輸送され、戦場に補給される。もちろん其等も、
《回収は、困る》
俺は呟く。整備されたら、困るのだ。
━━上層部に俺自身の異常を気付かれるから。
左脚を引きずりながら、声を掛けて来た歩兵を追い、肩を掴む。振り返る顔は凹凸だけの、のっぺらぼうだ。
《何だ?》
その面に俺は、渾身の力を込めた拳を叩き込んだ。
唐突な攻撃に、受け身も出来ずに奴は倒れた。
人間だったら仲間を殴るなんて困惑するだろうし、人間に寄せたアンドロイドだって同じような反応をする。幾らかは冷淡だけれども。
《何をする……》
倒れた歩兵に覆い被さる様に、乗り掛かる。そして、短機関銃を胸の装甲に押し当て、連射した。
安価な歩兵なだけあって、心臓部は容易く貫けた。
■5■
一部が破壊されても動作が出来る、冗長性を持つ機体だが、メイン電源を破壊すれば、自ずと事切れる。
《左足、貰っていくからな》
機能停止した歩兵から、左脚を膝下から外す。各パーツはワンタッチで外すことが可能で、消耗した部品は戦場でも容易に交換できる。
━━仲間を解体してまで、生き抜こうする奴は、俺しか居ないけれど。
手に取った鈍く輝いた脚は、軍人の編み上げ長靴のようだ。故障した部位を膝から外す。奪った脚をカチッとなるまで嵌める。新しいユニットの接続により、再起動を行う。
━━ここで、野垂れる訳には行かない。
先程から、数百万体の歩兵の中で、俺だけ不合理な行動を示し、異常に命に執着しているのは、訳がある。
ある研究員の人格が、
彼の記憶、意思、魂が、この
■6■
軍用アンドロイドに人格転写。何が起こるだろうか。
別に、本人そのものが歩兵へ転送される訳ではないのだが、何故か人々は嫌悪感を顕にする。
非論理的ではある。だが人々は、知らぬところで、他人が痛い目にあっているのだって我慢できない。人間に備わった強烈な共感力が産み出す、偽の苦痛の力は凄まじい。
俺だって、人格転写なんて正気の沙汰ではない、と思っている。
━━しかし、俺にはやる必要があった。生身の頃の俺にとっては。
気付いた時には、もう俺は歩兵の機体だった。人格転写装置の中だとすぐ理解できた。ガラスの向こうには、白衣を着た生身の俺。頭部にぞろぞろと計器類を付けて、イスに座っている。研究室に一人と一体。妙な緊張感が漂っていた。
生身の俺は、連邦の軍事研究施設で、歩兵開発に従事している。
生身の俺は、焦燥感を滲ませていた。慌てた様子で計器を外し、人格転写の研究室から、逃げ出していく。
━━待て。逃げんじゃねぇ。糞、手間取らせやがって。
明らかに敵意を剥き出した怒声が、廊下に響いた。
そうか、思い出した。俺は上層部に有用性を提示できなくなっていたんだ。上層部に俺は消される。あるいは良くても連邦に死ぬまで拘束だ。
━━それは、駄目だ。
逃走への衝動が、一気に体を突き動かした。
歩兵の僕は、駆動音を鳴らしながら、人格転写装置から、落ち着きなく飛び出した。真白で清潔な床に、脚を滑らす。脊柱から伸びるコードを、外すのにも苦労した。
無機質な機体に感覚が慣れない。
机に無造作に置かれたペンダントを見る。真鍮製の螺旋を模したデザイン。慌てて掴み取り、それに誓う。
━━絶対に戻る。
俺は覚えている。この歩兵の機体に、俺が転写された理由を。
約束したのだ、必ず戻ると。
■7■
転写前の、生身の人間の時の記憶を手繰る。
━━分かるよな。
刺客が、耳元でそう呟いた。
彼のコート、不自然に手を覆う袖口から拳銃がちらりと覗かせ、俺の脇腹に押し当てた。
帝国、一都市のショッピングモール、人々で賑わう休日のこと。朗らかな風景の中、二人の空間のみ緊張感が淀む。
噴水の前、彼女との待ち合わせに少し早く到着したら、こんな様だ。
人型ロボット開発の第一人者である俺は、連邦の大事な
タイミング悪く、待ち合わせ場所に彼女が現れた。遠くから、僕と刺客の姿を見つけ、退っ引きならない状態だともう気付いている。
刺客に促されて俺は歩き始める。もう、彼女とは会えない。荷造りも、心の準備も出来ないままに。手元に有るのは、彼女から昔に貰ったペンダントだけ。
道を曲がる直前、彼女に向けて、サムズアップする。マヌけなメッセージだとは思う。でも、一番、二人の間で伝わるメッセージだった。彼女はピンと来たようで、表情を曇らせた。
「
一緒に観た古典映画の台詞を呟きながら、刺客に従い人混みに紛れた。
最後に観た彼女の顔は哀しみに満ちていた。
■8■
連邦では開発競争が待っていた。一度逃げ出した身である。有用性に疑いが掛かれば、そのまま、帝国の間者としての疑いも掛かる、微妙な立場だった。
そして、呆気なく競争に敗北。
一生、再会できないと悟った俺は、逃走を画策した。問題だらけだった。俺自身は監視下に置かれ、敵国である帝国との戦争は悪化、国交も断絶、連絡手段は皆無。そして国境は、イコールすべて戦場である。
━━ならば、戦場を駆け抜けてやろう。
彼女は、今も待っているし、そしてこの先ずっと待ち続けるだろう。何も知らず、ただ待つ人生を選ぶことが、明瞭に想像できた。それは残酷だ。
だから、伝えなければ。
━━もう待つ必要はない。もう俺は居ないから。
俺は戻る。別れを伝えるが為に。
戦場に行けるのは、
そうして、歩兵の俺が誕生した。生身の俺が、研究室から廊下に抜け出すと、数人の男━━公安警察だ━━に追われていく。生身の俺を囮にして、歩兵の俺は反対方向へ飛び出す。
乾いた発砲音。
ロビーから、生身の俺の呻きと、数発の発砲音が響く。
歩兵の俺は後ろを振り返らない。ロビーを背にして疾走し、躊躇なく窓から跳び出した。
首には、思い出のペンダントを掛けて。
■9■
そして、百万体の同じ機体の中に並び、軍靴を響かせている。
歩兵の基本仕様に従い、
もうすぐだと、胸が高鳴った。
戦乱のどさくさに紛れて、帝国へ抜けられる。
彼女との再会を果せる。
快晴の荒野を前進する。敵は撤退し始め、静かな行軍が続く。歩兵同士の会話は、余程の緊急事態か、損傷の確認ぐらいでしか有り得ない。行軍中は単調な足音と風の吹く音しか聞こえない。
隣に、歩兵が来た。
《なあ》
びくりとする。歩兵にしては馴れ馴れしい。
《こんな顔、見たことないか?》
訝しげにゆっくり顔を横に向けると、そこには、馴染み深い俺の顔があった。愕然として思考が追い付かない。
■10■
ぐにゃりと俺の顔が変わり、いつもの歩兵ののっぺらぼうな面が現れる。
《驚いたかな?》
顔の変貌。これは研究施設で見たことある。ボディを自由自在に変形できる技術だ。
液体金属製ボディの最新鋭プロトタイプ。
《見いつけた》
首元をガシリと掴まれる。俺ら
《糞、手間取らせやがって》
脳内に響く癖のある声に、聞き覚えがあった。
━━待て。逃げんじゃねぇ。糞、手間取らせやがって。
また、ぐにゃりと面が変わり、悪魔の様な笑みを張り付けた男の顔が現れた。つまり中身は、公安警察官であり、生身の俺を撃ち抜いたであろう男。
その人格を
■11■
首元を掴まれ、力のままに放られた。
《転写装置に残ったログで、お前の記憶を見させてもらった》
前進する歩兵達の足下に転がり、土にまみれる。
《逃げた経緯は分かった。何ともロマンチックで良いじゃないか。協力したいとも思ったさ。ただ問題は━━》
公安警察の歩兵は、こめかみを人差し指で、トントンと叩く。
《その
地面から面を上げると、蹴り飛ばされた。
《百万体から、妙に整備を避ける機体を探し出すのは、流石に骨が折れた。三日掛かったぜ》
よろけながら立ち上がる。奴の右腕が、奇怪で鈍重そうな銃器に形を変える。それを見せびらかす様に振った。
《これ、使いたかったんだぜ》
躊躇無い発砲。
━━炸裂。
隣の歩兵の上半身が吹っ飛んだ。
《これも、最新技術だ》
更に数発。
俺は身を屈め、兵列に紛れる。炸裂音と共に、歩兵の体が、ポップコーンのように次々と吹っ飛んでいく。
隊列を無視して走り、もう一度振り返ると、奴は姿を消していた。
しくじった。何でも化けられる最新鋭歩兵から、目を離してしまった。
《想う気持ちが、仇となったな》
気づいたときには奴が、歩兵の背を踏みつけ、ギリギリとボディを軋ませていた。
首元のペンダントを引きちぎり、それを眺める。
《こんなのが無ければ、逃げ切れたかもな》
一発。ペンダントが消し飛ぶ。二人を繋ぐ唯一の証が跡形もなく消えた。
《どうだ、怖いか》
更に一発。下半身が潰れる。
《道半ばで野垂れるのは、苦痛か》
更に一発。右肩が抉れる。
嬉々とした表情で、痛めつけている。機械には有り得ない、人間特有の残忍さを奴は湛えていた。
■12■
公安警察の歩兵は、追い詰める事で快楽を得るという不合理な感情を、剥き出しにする。
《いいね、最高。本当は、あのお気に入り映画のように溶鉱炉に溶かしてやりたいけど、残念、ここは戦場だ。ここで
そこまで記憶を調べる必要も無い癖に。グリグリと銃口を頭に押し付ける。歩兵は沈黙したままだ。
《何か言えよ》
眉間に皺を寄せる。
《おい》
異変に気が付いた様だ。
《おい、お前は誰だ》
恐る恐る、脊柱の識別番号を読む。
《糞、手間取らせやがって!》
計四発。憎悪を吐き棄てるように、歩兵の頭部を微塵に撃ち抜いた。
俺は歩兵に紛れ、様子を伺っていた。咄嗟にペンダントを他の歩兵に掛けたのが幸いし、奴は引っ掛かってくれた。
仕方なかった。策がなかった。そう、自分を落ち着かせる。機体の俺は、彼女と繋がる唯一の証までも利用しなければ、生き残れないのか。これから進む途を憂う。
《聞こえてるんだろ!》
歩兵B-1000は、怒りを湛えて吠えた。
俺は、歩兵達の行軍の列に紛れ、動揺が露見しないよう気配を殺す。
《ここで、姿を消してみろ。必ずお前の彼女の元に刺客が行く。お前の行方を聞き出す為に、拷問するんだ。延々と。もしお前が、志半ばで戦場に朽ちたら、どうする?》
《「知らない、知らない」と彼女は言うが、拷問は吐くまで止められない》
《真実は宙に浮き、不条理は続く》
《まさに狂ってるよな》
《お前が狂ってるからだよ》
公安警察の歩兵が、嘲笑を込めて言い放つ。
狂っている。百万体の
何処で狂ったんだろう。何故か、奴の言葉が引っ掛かる。
戦場を駆ける間に破損した訳でも、
白衣を纏う、馴染み深い男の顔が浮かぶ。
━━
本当に彼女を想うなら、ここで降伏するべきなのか。その考えが
何故って、理由は決まっている。
━━彼女に会いたいから。戻ると約束したから。
誰が?
誰が会いたいんだ?
生身の俺、本当の俺は、とっくに死んじまってるのに。
この
━━ただの、欠陥品なんじゃないのか。
一歩一歩進む毎に、自分の足許が崩れていく様な感覚に陥る。それでも、俺の脚が停まることはなかった。
■End■
戦線へ馳せる、或るアンドロイドの履歴。 緯糸ひつじ @wool-5kw
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