百合なんて滅べばいい 後編


 しばらく灯南ひなみの顔が見れなかった。


 それどころか以前のように振る舞えない。彼女の言葉にいちいち反応して一喜一憂している顔なんて、見せられないから。


 クラスメイトは不審がってたけど、灯南ひなみは詮索せずにいてくれた。

 ただ黙って、いつも通りでいてくれる。


 やっぱり灯南ひなみは誠実な子だ。

 そんな子の隣に私みたいな汚い人間がいていいのだろうか。


 百合なんて滅べと、あれだけ同性愛を嫌悪しておいて、私がなるなんて。


 自覚を得た日から、元親友の声が頭から離れない。


『ごめん、本当はずっと隠してくつもりだったけど』


 あの時は我ながら攻撃的になっていたと思う。私の事情を知っていた彼女に気持ちをぶつけられたことが心底ショックだったから。


 だから言ってしまったのだ。


 せめて隠していてくれればと。

 誤魔化して、秘めていてくれれば良かったのにと。


 私が傷つきたくなくて、私の安らぎを奪われたくなくて、そう願った。


 そんな暴虐に彼女は泣きそうな顔でほほ笑んだのだ。


『無理だよ。ずっと隠し続けるなんて。気持ちを呑み込んで呼吸する痛みなんて、宇月ちゃんには分かんないよね』


(そうだよ。あの時は何も理解できてなかった)


『いいよ。そのうち分かるだろうから』


(うん、そうだね)


『いつか思い知って、その時に苦しんで』


(もうすでに死んじゃいたくなるくらい苦しいよ)


 まんまと思い知らされた。


 こんな感情と心中しろだなんてむごすぎる。


 あの子はどれだけの間、気持ちを隠していてくれたんだろう。どれだけ嘘を吐かせたんだろう。どれだけ、傷つけていたんだろう。


 告げるべきじゃないと、そうやって気持ちを永遠に隠し続けなきゃならないなんて、こんなの拷問も同じだ。


 私の対面で文化祭の資料にホッチキス留めをしている灯南ひなみの顔を盗み見る。


 お願いしたわけでもないのに、彼女は私の仕事を手伝ってくれている。夕暮れ差し込む教室に二人きり。改めてそう認識して、顔がカッと熱を持つのを感じた。


 同時に罪悪感がせり上がってくる。


 灯南ひなみは人との接触を嫌う。本質的にインドア派なうえに、一人でいるほうが楽しそうだ。私とはどこまでも正反対な彼女。


 私と友達になってくれたのだって私がしつこく付きまとったからだ。そうでなければ、きっと卒業までまともに会話することもなかっただろう。


 そんな灯南ひなみに好意を告げても、彼女を傷つけてしまうだけだ。それだけは絶対に嫌だ。傷つきたくなくて人をないがしろにした自分がさらに人を傷つけるなんて、許されない。許しちゃいけない。


宇月うつき、こっち終わった。どこに持ってけばいい?」


「それなら、生徒会室横に準備室が」


「ちょっと宇月うつきっ。なんで泣いてるんだよ」


「え……?」


 言われて目じりを指でなぞる。確かに濡れている。そう自覚した瞬間、いっきに視界が歪んだ。

 熱いものが勝手にあふれてきて止まらない。


宇月うつき? 何かあったか? 最近ずっと思いつめて見えるけど」


「なっ、なんでもない。大丈夫」


「何でもないわけないだろ」


 逃げようと立ち上がった私の腕を灯南ひなみが掴む。


「はなしてっ!」


 語気を荒げて振り払う。その向こうに見えた傷ついたような表情に、いっきに後悔が押し寄せる。


 違う。傷つけたかったわけじゃないのに。

 なんで上手くできないの?


 灯南ひなみが払われた手を握り締めて視線を落とした。


「……宇月うつきも、僕のこと嫌いになった?」


「違う! 嫌いなんて、なるわけ……」


 言葉が詰まってそれ以上出てこなかった。拭っても、拭っても、涙腺がぶっ壊れたみたいに涙が止まらない。


「そうじゃ、なくて。……好きに……なっちゃったの……」


 涙と一緒に自制心まで流れ出たみたいだ。私はいつの間にか床に膝をついて、想いをぶちまけていた。


「ごめ、なさっ」


宇月うつき……?」


「わた、し、性欲とか、向けられるの……くっ、怖く、て。だから、人間嫌いな、ひなみに、ぅっ、近づいたのに」


 懺悔ざんげのように俯いて唇を噛む。そんなんじゃ止まらないって分かってるのに。


「好きになっちゃ、て。……自分の嫌なもの、痛いのに、灯南ひなみにも、押し付けちゃうっ」


 たどたどしい言葉。言えば言うほど自分がみじめになってくる。

 灯南ひなみからすれば急に泣き出して意味不明なことを言い始める女なんて怖いだけだろう。


 けれど灯南ひなみは否定を口にせず、じっと私を見下ろしているようだった。これまでの私の態度から何か察するところがあったのか、片膝をついて私の頭をそっと撫でる。


「……別に想いが全部、肉体関係に繋がるわけじゃないだろ。思いの到達点ってそこだけじゃないだろうし」


「でも……わたし」


「仮に人を愛した結果に相手の全部を欲しくなっても、それとこれとはたぶん別の話だ」


 灯南ひなみがくれる言葉が私の醜くこり固まった理屈を解きほぐしていく。


「けど……」


 自分のかたくなな部分がそれを拒んでいた。


 灯南ひなみの優しさにあっさり降伏してしまうには、私の傷は深すぎた。

 頷こうとするたび胸の奥がじくじく痛んで動きを阻止する。この気持ちを受け入れてしまったら、今まで散々傷ついてきた自分を裏切るようで、傷つけてきた人たちを無意味にするようで、後ろめたい。


宇月うつき、こっち見て」


 降り注ぐ声に応えられない。なのに灯南ひなみは何も言わずに待っていてくれる。


 『待っていて』なんて、今度こそ言ってないはずなのに。


 私の頬に手が添えられる。気持ちは揺れ動いたままだけど無視し続けるのも限界だ。

 顔を上げるとなぜか視界が狭まって、私の五感のぜんぶが、灯南ひなみで埋め尽くされた。


 彼女の唇がそっとわたしに触れる。


 唇に初めて感じた自分以外の感触は、電撃みたいに全身を巡って私の背中を粟立たせた。


 甘い痺れが一呼吸のうちに私の心臓を七周半して焼き尽くす。予熱に喉が火傷を負ったように干上がってしまった。

 いっきに涙が引っ込む。息を吐くたびに胸がきゅうっと締め付けられる。なのにその感覚がまったく不快じゃなくてどんな顔をすればいいか分からなくなった。


「──なっ、なにっ? 慰めの、つもりなら」


「僕はそういうのしない。知ってるだろ」


「だったらなんで」


 恥ずかしさのまま問うと、灯南ひなみは手で自分の口元を覆って目をそらす。


「……僕にも分かんない。ただ、お前の好意を……嬉しいって思えたから。それがなんだか嬉しくて。宇月うつきに何かを返してあげたくなった、だけ。たぶん」


「たぶんって……」


「呆れないでよ。僕にだって分からないんだ」


 赤くなった顔を誤魔化すみたいにぼりぼり頭を掻いて、灯南ひなみは嘆息した。それから私の腕をとって立たせてくれる。


「僕に触れられて、宇月うつきは痛かった?」


 首を横に振る。思ったほどの痛みはない。キスなんて嫌悪していた行為のはずなのに。

 私の意地はあっさり溶けて、灯南ひなみを受け入れていた。


「僕も、嫌じゃなかった。他の人だったら血の海作るレベルで暴れ出すだろうに」


「急に怖っ」


「でも宇月うつきだから」


 冗談めかした口調が真剣の色を帯びる。


「性別とか信条とか関係なく、宇月うつきだからなんだ。宇月うつきだから僕の心は受け入れられる」


 目が合う。睨みつけるような、けれど真剣に見守るような瞳。思えば最初から私は、この目が好きだった気がする。


「この気持ちが宇月うつきのくれるものに応えるものなのか、僕にはまだ分からない。分からないから、正体を知りたいんだと思う」


 触れあった手を、お互いおっかなびっくりに握り返す。

 まだ怖い。受け入れるのも、認めるのも。怖くて体の芯から震えがくる。


 けれど向き合いたいと思う。逃げたくない。別に名前を付けてカテゴライズして、結論を出した気になって目を逸らしたくない。


 指先で触れ合って、互いに見つめ合う。


 この暖かな気持ちをありふれた感情に落とし込んであげたい。特別な単語で誤魔化すのは違う気がするから。


 だから、幾度も願った言葉を、今度は違う意味で繰り返す。



 百合なんて滅べばいい。



          了

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頭いってる短編集 まじりモコ @maziri-moco

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