異世界で幸福な結末を探しています。

赤城童子

第1話 ここはどこですか?

 人生、予測のつかない事が多すぎる。


 ゴルフのスイングと一緒で真っ直ぐ打っているつもりなのに、右に逸れたり、左に逸れたり。

 その度に、隣でほっかむりのおばちゃんが『ファー!』と大声で叫ぶ。


 隣に住んでいた女の子が十年後、街一番の美人になっていた。

 ある晴れた日、一つ上の先輩と仲良く手を繋ぎながら街を出て行った。

 思春期にありがちな虚栄心を捨てていれば、今頃、俺と手を繋いでいたのだろうか?


 中学校の非常ベルをふざけて押したら、斜め後ろの教材資料室から半裸の男性数学教師と女性英語教師が飛び出してきた。

 顔を真っ赤にして俺を説教する前にパンツを履いてくれ。


 会社の裏手へゴミ捨てに行ったら、さめざめと泣いている上司を見つけた。

 デスクに戻って来た上司が、缶コーヒーを黙って差し出してきた。

 いったいナニがあったのか?


 飲み屋で仲良くなったお姉さんが、実はお兄さんだった。

 きゃしゃな見た目のクセに腕力が強くて振りほどけない。

 ゴリゴリしたブツを押し付けるな。


 とかくこの世は曲がり角の先に何があるか分からない。

 今、俺が直面している現実は、想定外の際たるものであった。


 




 メイジの高らかに掲げた杖が眩しく輝く。

 杖から溢れ出した魔力が、炎の波へと姿を変え、押し寄せる魔物の集団を飲み込む。

 強大なる力の行使に迷いは無く、背を伸ばし辺りを睥睨する眼差しは自信に満ち溢れている。

 その傍らでは、鈍色の鎧に身を包んだ戦士達が、大規模殲滅魔法の第一波が魔物を蹂躙するのを静かに見守っている。

 後方の支援部隊からの補助魔法が幾重にも身体を包み込むや否や、鞘から剣を抜き放ち、雄叫びを上げながら、嬉々として生き残った魔物目がけて駆け出して行く。


 あれは、日本から来た転生者達。

 ゲームシステムのスキルを駆使し、魔物を薙ぎ払い、鬼神のごとき戦果を挙げている。

 まあいいさ、アイツらはアイツら、俺はオレ。






「カズヤ、私達も行くわよ」


 エルフのソフィが、腰まで届く金髪を風に揺らしながら、弓を握りしめてゆっくり立ち上がる。


「了解」


「お待ちください、盟主様。これをお使いください」


 一歩踏み出そうとした俺を止めたのは、お色気受け付け嬢のサナエさん。


「これは?」


「ファンネルでございます」


「・・・」


「どうぞ」


「そういう事はっきり言っちゃって良いのか?不安音流とか飛翔式外部ユニットとか言葉をぼかさないとダメじゃないのか?」


「盟主様、こんな素人小説、誰も読んでなんかいませんよ。コンプライアンスとか著作権とかどうでも良いじゃありませんか」


「そういうメタ視っていうか、自虐的っていうか、ヤケクソみたいな発言はどうなのか・・・って、ハリボテじゃねーか!」


「かっこいいじゃありませんか、オホホホ」


「あれ?ここに置いてあった俺の盾は?」


「こちらにございます」


「こ、これは!」


「サナエが徹夜して完成させました。盟主様ならば使いこなせましょう」


「恐ろしいまでの再現性だ。これさえあれば十年は戦える・・・って、俺の推しキャラじゃねーか!アニメの美少女をモンスターに見せつけてどーするよ!これじゃイタ盾じゃねーか!なんの効果があるんだよ!敵の生命力でも吸収すんのか!っていうか、こんなの構えたら俺の精神力のほうがゴリゴリ削れるって!俺の盾に勝手にペイントするんじゃねーよ!ふう・・・、もういいよ。アリス、俺の兜を取ってくれ」


「はい」


「不思議なくらいピッタリだ。癒される・・・って、パンツじゃねーか!下着かぶってどーすんだよ!ちょっとホカホカしてるし!」


「それアリスのパンツ。カズヤの戦闘力が百倍になるってサナエが言ってた」


「ヘンなこと教えんなよ!こんなのかぶってるヤツが戦場にいたら、そりゃ逃げるよ、近づかねーよ!ハア、ハア、ハア・・・」


「カズヤ・・・、えっと・・・」


 ソフィが遠慮がちにブツを差し出してくる。


「ソフィまで・・・、この大根でどーしろって?このダイコンソードで何を斬れば良いの?」


「その・・・、私もなんかやらなくちゃいけないかなあって・・・」


 くっ、ちょっと後悔してるところが可愛いじゃないか。


「そっか、仲間外れみたいで寂しくなっちゃったんだ。みんなとまざりたかったんだね。でも無理にボケないでいいんだよ。ソフィはそういうキャラじゃないんだから。さて、もういいか?みんな出すモノは出したか?それじゃ、行くぞ!」


 体の中の魔力を回転させる。

 筋力、強度、敏捷性、反応速度、身体機能を魔力で強化する。

 アドレナリンが溢れ出し口の中に苦みが走る。

 右手の人差し指と薬指に限界まで魔力を流し込む。

 心臓の鼓動が俺を急き立てる。

 もうだめだ、抑えきれ無い・・・。


「今必殺の!可干渉性光学波、眼からビーム!」


「キラッ☆」


 右目の前に置かれたチョキから光が溢れる。


「うおおおっ!目がっ、目がああああああっ!」


「さ、行きましょうか」


「ねえ、ソフィ、うちって準備が長いよね」


「仕方ないわよ、カズヤの趣味だから」


「こういうのお約束って言うんだって」















≪西暦、2014年1月23日、普通の片田舎、普通の家、普通の部屋≫


「あと、ちょっと~、がんばです~」


「あと、三ミリ」


「ラスト、ラッシュで~」


 リーダーの掛け声を合図に総攻撃が行われる。

 各自の持つ魔法や近接スキルがレイドボスに当たり、派手な閃光エフェクトが発生する。

 程なくして、レイドと呼ばれるモンスターが赤い光をまき散らしながら消えていく。

 それと同時に、レイド討伐による戦利品が、ゲームシステムによって、各パーティメンバーに自動配分される。

 現物ドロップはなかったが、レア度の高い素材がいくつか手に入った。

 まあ、こんなもんかな。

一息つくと、パソコン画面を眺めながら、すっかり冷めてしまった手元のインスタ ントコーヒーに手を伸ばし、ズルズルと音を立てて飲み込む。


「乙でした~」


「またよろ~」


「主催、アリでした~」


 それぞれお別れの挨拶をチャットに残して、野良パーティが解散する。

 これは、「アリオスクロニクル」と呼ばれるオンラインネットゲーム。

 数あるネットゲームの中では歴史も古く、正式サービスから十年も経っているが、いまだに人気ランキングの上位にある。


 俺はオープンベータから参加しているので、アリオスの稼働年月イコール俺のプレイ歴でもあり、ゲーム内では古参と呼ばれる位置にいる。

 だが、昼は普通に仕事をして、夜の一、二時間、遊んでいるだけなので、『廃』と呼ばれる程のプレイヤーではない。


 それでもプレイ歴だけは長いので、作成できるキャラクター枠七人すべて、レベルはカンストの九十九または、それに近いレベルになっている。

 以前はシステム上、クランと呼ばれる集団を自分で作って運営したが、訳あって解散し、現在はソロ、又は野良パーティに参加して気ままに遊んでいる。


 さて、次はどうしようかな。

 窓の隙間から忍び込む真冬の冷気に抵抗し、もっさりとした寒冷地仕様のはんてんの襟元を手繰り寄せて考える。

 レベルはカンストでも、魔法の熟練度アップだとか、やることはいろいろある。 

 キャラクター選択画面に戻って、メイジでも育ててやるかな、などと考えていると、何か地鳴りのような音が聞こえてきた。

 それに続いて振動、地震か?と思い部屋の蛍光灯を見つめる。

 この場合、即座に逃げるか、机の下に潜り込むのが正しい対応なのだろうが、一般的な日本人の悪いクセで、どの程度の揺れなのか様子を見てしまう。


「結構、揺れるなあ」


 しかしながら、揺れはとまらず、さらにひどくなり、地中から響いてくるような音も大きくなっていく。

 のんびり眺めている場合じゃない、これはヤバい、今更ながら、逃げなくてはと思うが、ひどい縦揺れで立つこともできない。

 目の前のPC画面の中からは、キャラクター選択中の七人のキャラがじっと俺を見つめて、何か言いたそうにしている。


 あれ?おかしい。


 立てない程の揺れなのに、PCディスプレイ、すぐそばの本棚、天井の蛍光灯がまったく揺れていない。

 それなのに、耳を塞ぎたくなるほどの地鳴りは、さらに大きな轟音となって鳴り響き、体を揺さぶる振動はますます激しくなっていく。

 耐え切れずに椅子から転げ落ち、世界は暗転した。








 ≪何処か知らない場所≫


 樹が生い茂る深い山の中をあても無く歩いていた。

 口の中は乾き、額から落ちた汗が目に染みる。

 酷い頭痛でフラフラして倒れそうだ。

 足とサンダルの間に分け入って来た落ち葉と小石が肌を刺す。

 いつから歩いているんだろう。

 どうしてこんな所にいるんだろう。

 急斜面を登ろうとして手に掛けた枝が折れ、滑り落ちて強かに腰を打った。

 そのまま仰向けに寝転がり、ボンヤリと空を眺めた。

 喉が渇いた。

 飲みかけのコーヒーが机の上にあったっけ。

 不意に自分の部屋が頭の中に浮かんだ。

 自分の部屋にいたはずだ。

 何でこんな事が分からなかったんだろう。

 背の高い木の間から、陽の光がまばらに差し込んでくるだけの薄暗い山の中。

 どうやってこんな山奥まで来たんだろう。

 現実感が薄く、他人事のように感じる。

 俺、部屋の中で何をやっていたんだっけかなあ。

 思い出そうとするが、夢の様にとらえどころが無く、頭痛に邪魔され集中できない。

 このまま目を閉じて眠ってしまいたい。

 さすがにそれはマズイと思って起き上がろうとしたが、後頭部を殴りつけるような痛みに頭が揺れてまた倒れた。

 そうだ、揺れていた。

 激しく揺れていたのを思い出した。

 地震があった。

 なんとか上体を起こし地べたに座ったまま額に手をあてて考えた。

 ひどい揺れで椅子から転げ落ちたんだっけ。

 だけど、それがどうしてこんな場所に?

 頭を上げても周りに見えるのは野放図に広がった茂みと、無規則に立ち並んだ樹木。

 田舎町だったけれど、こんな山奥じゃなかった。

 それとも、家や道路が跡形も無くなって地形が変わってしまう程の大地震?

 建造物の残骸も何も無い。

 それ程の自然災害に遭い、何で俺は生きているのか?

 家の中にいた父と母、妹は何処に?

 何故、俺だけが山の中に放り出されているのか?

 急に、ひとりぼっちなんだと気付いて心細くなった。

 探さなくちゃ。

 とにかく立ち上がって山を降りよう。

 みんな何処に行ってしまったんだろう?


 まったく見覚えの無い深い山の中。

 体を動かすと、部屋着に張り付いていた土や落ち葉がばさばさ落ちてくる。

 学生時代から着古した学校指定のジャージ。

 その上にはモコモコのはんてん。

 足には、部屋履きのサンダル。

 改めて、そのまんまだなあと思った。

 家の二階、俺の隣の部屋には妹、一階には父と母がいたはずなのに。

 立ち上がろうとすると積もり続けた深い落ち葉の中に足が沈み込んでいった。

 冗談なら笑えないから、もう終わりにして欲しい。

 木の影から大笑いしながら出て来て欲しい。

 切実にそう思った。


 本当に、どうなっているんだろう?

 何もかも、解らないことだらけで考えがまとまらない。

 すぐ傍の木に手を添えて寄り掛かり、未だ頭痛の治まらない頭を抱えて、呆然と立ち尽くす。


「---------」


 どこからか人の声が聞こえた。

 迷子の子供が親を見つけたように、心の中に安心感が広がった。

 何が起こったのか知っているかもしれない。

 知っていなくたって良い。

 とにかく会って話がしたい。

 声がした方に向かって足を踏み出す。

 サンダルと足裏の間に土が割り込む。

 湿った落ち葉で足が滑り、山の斜面から滑り落ちそうになりながらも足を動かした。


「---------」


 様子がおかしい。

 女の子が泣き叫ぶような悲鳴だ。

 男の怒鳴り声のようなものも聞こえてくる。

 さっきまでの高揚感が一息に冷めた。

 妙な胸騒ぎを感じて足を止める。

 頭の中で鳴り響く警報が今までの安心感を塗りつぶした。

 しばらくじっとして耳を澄ませ様子を伺う。

 山の斜面の上の方から藪を掻き分ける音や、踏みつけられた木の枝が折れる音が聞こえる。

 足音と言い争う声が大きくなってきた。

 こっちに近づいてくる。

 とっさに近くの茂みの影に身を隠し、息を潜める。


 中学生か高校生?十五、十六歳くらいの女の子が、木の枝にぶつかり、よろめきながら山の斜面を駆け下りてくる。

 その後ろから、刃物を携えた三人の男が現れた。

 木の根に足を取られた女の子が、落ち葉をまき散らしながら前のめりに倒れる。

 追いついた男の一人が、女の子の髪の毛を鷲掴みにして強引に立たせた。

 男の手を振り払おうと、女の子が身をよじり、泣き叫んでいる。

 女の子の叫び声が山の中に響き渡る。


 何が起こっているんだ?

 これはどういう事だ?


 全員外国人だ、女の子は淡い金髪、こういうのをブロンドっていうのだろうか?

 男の髪の毛はこげ茶くらい、頬がこけていて無精ひげの長いやつが、顎から耳のあたりまでつながっている。

 服装も女の子は地味な色合いのスカートとシャツ。

 男の方は、リアル系ファンタジーのレザーアーマーにそっくりな物を着ている。

 そして男達は、刃物で武装している。


 互いに何事か叫んでいるが、何を言っているのか解らない。

 英語とは違うし、独語でも仏語でもないような気がする。


 二人の男が女の子の両腕を掴み抱え上げる。

 残った一人に髪の毛を掴まれたまま、元来た山頂のほうへ引き摺られていく。

 悲鳴をあげ、足や腕を必死にばたつかせて抵抗するが効果はない。


 尚も激しく抵抗し続けている女の子に業を煮やしたのか、男の一人が頭の上から強く叩きつける。

 体を支える力を失った女の子は、腕を掴む男の手から人形のようにぶら下がっていた。

 全てを諦めたかのような暗い目をしていた。


 体が動いていた。

 藪から飛び出し、女の子を掴んでいる男に向かって体当たりをしていた。

 俺と女の子と男達、もつれ合い、絡まるように山の斜面を転がり落ちて行く。

 飛び出した岩や木にぶつかって意識が飛びそうになるのを必死にこらえていた。


 何でこんな事してんだろう?

 男達は屈強で刃物も携えている。

 刃物って言葉は適切じゃないな。

 台所で使う包丁や果物ナイフを思い浮かべてしまう。

 人を殺す事を目的に作られた武器。

 節くれだった手が握りしめているのは剣だ。

 俺は丸腰で武道の心得も無いし、喧嘩番長でも無い。

 勝ち目なんか有りはしない。


 普通に進学して、普通に就職した。

 賭け事に嵌るでもなく、酒浸りになるでもなく、そこそこに働いて家に帰る毎日。

 テレビを見ながら晩飯を食べ、ほんの少しの余暇を楽しむ毎日だった。

 変わらぬ日常に不満は無かった。


 身を挺して厄介ごとに飛び込むだなんて、そんな正義感が俺の何処にあったのか?

 自分と長い事付き合ってきたが、さっぱり気づかなかったよ。

 ホントに手におえないヤツだ。

 止める間も無かったもんな。

 無鉄砲にも程がある。

 この後どうするつもりなんだよ?

 まさか何も考えて無かったなんて言わないだろうな?

 何とか言ったらどうなんだ?

 この脊髄反射野郎。


 体中に広がっていく痛みを感じながら、そう思っていた。

 感覚が麻痺してしまったのか、現実逃避なのか、冷静に自己分析していた。

 これが走馬灯なのか?

 それでも腕の中に抱えた女の子は離さなかった。


 気が付くと、幸いにも低木の茂みをクッション代わりにして止まっていた。

 俺の近くの男はまだ立ち上がれないらしく、体を丸めたまま低く呻いている。

 全身に走る痛みを堪えて、必死に体を起こす。

 いまのうちにと女の子を揺り起こし、声をかける。

 意識はあるようだが、転がり落ちた痛みと衝撃でフラフラしている。

 立ち上がりかけて崩れ落ちる。

 そうこうしているうちに、後ろから声が聞こえた。

 声のする方を振り返ると、刃物をきつく握りしめた男が、俺に向かって何か喚いている。


「それホンモノ?」


 何もかもが突然すぎて、思考が停止してしまっていたのだろう。

 そんなとぼけた言葉が口から出てくるのを、まるで他人事のようにぼんやりと聞いていた。

 木の間から、わずかに差し込む光を反射して黒光りするソレが振り上げられる。

 何か喋っている男の顔の口元、目元のシワがやけにはっきり見える。


「ナニ言ってるのか、わかんねえんだよな」


 ああ、最後ってこんなふうになるんだな。

 女の子を腕の中に抱え込む。


「助けてあげられなくて、ごめん」


 意味が通じたとは思えないが、腕の中の女の子も強く抱き着いてきた。

 女の子を覆うように体の内側に入れて、強く抱きしめた。

 コマ送りのように、所々が鮮明に見える世界の中で、完全に頭の中が真っ白になり、感情が停止し、恐怖も後悔も感じる事は無かった。

 どうせなら、さっさと終わらせて欲しい。

 本当にそう思っていた。

 止まったような時間の中、突然、横の茂みから黒い物体が飛び出して男を押し倒していた。

 犬だった。

 それもでかい犬、動物園で見たライオンやトラよりもっとでかい。

 いや、違う、でかいオオカミだった。

 図鑑や映画の中でしか見たことがないが、オオカミだ。

 食い千切られた男の喉から血が溢れ出す。

 手足が痙攣して不規則に跳ねる。

 男が動かなくなると、追いついてきた残りの二人に襲いかかっていった。

 茂みの向こう側から、何かが折れる音や悲鳴が聞こえてきたが、それも一瞬のことですぐに静かになった。

 男達を始末したオオカミがのっそりと茂みを押し分けてこちらに帰ってきた。

 一難去って、また一難

 助かったと思ったのに、これで終わりだ。

 俺は、動くことさえできずに、女の子をかばうように抱きしめることしかできなかった。

 もう完全にあきらめて、ぎゅっと目をつぶっていたが、顔に何かベッタリしたモノを感じた。

 不思議に思って目を開けると、オオカミが俺の顔をベロベロと舐めまわしていた。

 唖然とし、されるがままに身を任せていた。

 やがて気が済んだのか、少し後ろに下がって『伏せ』の態勢でこちらをじっと見ている。


「そうか、お前、助けてくれたんだな」


 なんとなく、そう思った。

 それに、なんだか見覚えのあるような気がする。

 そんなことあるわけないのに。

 すっかり気が抜けた俺は、そこで意識を手放した。


「----------」


 誰かに揺り起こされた。

 目を開けると、金髪の女の子が俺を見ながら何か喋っている。

 誰だろう?

 俺の部屋の中で何やってんだ?

 あれ?ここ何処だ?

 体を起こそうとして手を床に付いたら、土の中に沈み込んだ。

 頭がふらふらして意識がはっきりしない。

 上体を起こして胡坐をかき、額に手をあてて目を閉じる。

 少しずつ思い出してきた。

 男達と女の子、それからオオカミ。

 そういえば、知らない山の中で死にそうになっていたんだっけか。


「----------」


 女の子が俺に話しかけている。


「ごめん、言葉がわからないんだ。えーと、どうしたらいいのかな・・・、俺はサナダカズヤ」


 自分のことを指さしながら「カズヤ」と言ってみる。

 何度も指さしながら「カズヤ、カズヤ、カズヤ」と繰り返した。


「わかるかな?」


「カズーヤー」


 女の子が俺を指さして言ってきた。

 通じたみたいだ。

 でも、ちょっと違う。


「カズヤ、カズヤ」


 再度、繰り返してみる。


「カズヤ」


 だいぶ発音が近くなってきた。


「君の名前は?」


 今度は女の子を指さして聞いてみる。


「アリス」


 女の子が自分を指さして言った。

 これだけの会話が成立しただけで凄く嬉しい。

 そうか、アリスって名前なんだな。

 でも、これからどうしよう。

 周りをキョロキョロと見ると、さっきのオオカミがまだいた。

 犬のお座りみたいにちょこんと座って尻尾を振っている。

 大きくて、しっかり獣なのに妙に可愛い。

 けど、どっかで見たような気がするんだよなあ。

 すぐそこまで出てきているんだけど、頭の出口に引っかかっているようで、すごくもどかしい。


「とにかく、この山を下りて、だれか助けてもらえるひとを探してみよう」


 女の子はきょとんとしている。

 そうだよね、わかんないよね。


「えーと」


 俺を指さす、アリスを指さす、山の下の方を指さす。

 立ち上がって足踏みをして、もう一回繰り返してみる。

 アリスが手を繋いできた。

 わかったのかわからないのか、いまいち判然としないけど、とりあえず山の麓を目指して歩き出す。

 アリスは大人しく俺に付いてきた。

 同行者が一人増えただけで、安心して落ち着いて考えられるようになった。

 言葉もろくに通じない年下の女の子に俺の方が頼ってる気がする。

 ちょっと情けない。

 当たり前のように、でかいオオカミも付いてきた。

 とにかく大きい。

 大人一人くらいなら余裕で乗れそう。

 アリスは普通に受け入れているようだが、不思議に思わないのだろうか?


 山道らしきものを見つけたので、道に沿って山を下りていく。

 植生は針葉樹が主なようだ。

 カラマツだろうか、アオダモに似た花も見える。

 花弁の形はヤマブキに似ているんだけど色が白い花を咲かせた低木もある。

 手に取ってじっと見ていると、アリスが不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。

 生えている植物で何処にいるのか解るかもしれない。

 そう思って見ていたんだけれども、そもそも、木の名前や花の名前に興味をもって調べたことなどないので、あまり意味はなかった。


 しばらくすると開けた場所に出て、麓を見渡すことができた。

 すぐ下に幅が三十メートルほどの川が見える。

 川に沿うようにして道らしきものも見えた。

 アスファルトも敷かれていない只の道だが、人の手によって作られた跡がはっきりと視て取れる。

 この道を進めばいつか人のいる場所に辿り着けると安堵した。

 川に下り、流れの緩やかな場所で、汗と泥にまみれた顔を洗う。

 手で掬った川の水を浴びるように飲んだ。

 飲めるかどうかなど迷わなかった。


「ああ・・・」


 思わず声に出た。

 ひと心地ついて落ち着いたら、改めて大丈夫かなと思ったが、水は澄んで程よく冷たい。

 もうどうでも良くなって、満足するまで両手で掬い上げて飲み続けた。

 同じ様に手で掬って水を飲んでいたアリスをなんとなしに眺める。

 ふと目が合うと、微笑んで恥ずかしそうに顔を逸らした。


 可愛い!


 山の中ではそんな余裕無かったが、よくよく見るとかなりの美人さんだ。

 軽くウエーブのかかった金色の髪の毛が、背中に広がり陽の光を受けて波打っている。

 外人っていうよりは、北欧系っていうんだろうか?

 白い肌に深い青色の瞳がよく似合う。

 ネットの画像サイトあたりなら、『北欧系美少女キター!』とかいって、お祭りになりそうだ。

 水に濡れたスカートの裾を絞りながら、オオカミに何か話しかけている。

 あんな山の中で男達に追われて、いったい何があったんだろう?

 これからどうしたら良いんだろう?

 溜息をついて周囲を見渡す。

 山と川と草原、舗装されていない道路。

 何かが分かりそうな建物や標識は見えない。

 誰かを見つけて携帯電話を貸して貰おうと思ったけれど、同時にたぶんダメだろうなとも思っていた。

 ああ・・・、ここは何処なんだろう?


 川沿いの岩に座って考え込んでいたら、道の向こうから何かがやってくるのが見えた。

 馬だ、いや馬車だ、五台くらい続いている。

 どうしよう?

 川岸にある岩陰に隠れて、そっと様子を伺う。

 馬の手綱を握る御者、幌馬車の中からは子供の笑い声が聞こえてくる。

 さっきと違って、嫌な感じはしない。

 迷いに迷ったが、腹を括った。

 このまま、何のあても無く放浪するワケにもいかないだろう。


 アリスに、身振り手振りで、俺ひとりだけで出て行くから、隠れていてほしいと言う。

 分かってくれたみたいで、ウンウンと首を縦に振り、少し離れた岩場の影に身を伏せてくれた。

 アリスと一緒にオオカミも身を伏せた。

 こいつ、なんでこんなに利口なの?


 道の真ん中に立ち、敵意が無いことを示すために、両腕を大きく上げて横に振る。


「すみませーん、助けてくださーい!」


 気が付いたらしく馬車が止まり、五人の男が前に出てきた。

 警戒しているようで、なかなか近づいてこない。

 武装しておらず、敵意がないことを示す為に腕を横に伸ばし手を広げた。


「道に迷って困っています。どなたか言葉の分かる人はいませんか!」


 相変わらず近づいてこないが、何か相談しているようだ。

 すると、ひとりが馬車の隊列の後ろの方へ走って行き、新しい男を連れて来た。

 新しく増えた男がこちらにゆっくり近づいてきた。


「武器は持っていません。助けて下さい」


 驚かせないように静かに語りかけた。

 男が俺の目の前で立ち止まる。


「あんた、日本人だろ?大丈夫だ、もう大丈夫だからな」


 久しぶりに聞く日本語に、安心感がどっと押し寄せて、地面にへたり込んだ。

 まさか、日本語が聞けるとは思ってもいなかった。


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