盲いた女-1/4

 探せど探せど辿り着けぬし見つけられぬ地がある。彼の地では剣と魔法が力を持ち、旧き神が未だ権勢を振るうという。夢見る者の内にあるのか、はたまた星間宇宙を越えた先にあるのか。誰も行けぬが確かにある、その世界の名をイリシアという。

 このイリシアの地の中心には<混迷の都>とも呼ばれるパンネイル=フスという都市がある。世界有数の都市であるからして、商家の数も多い。そしてこの都のある商家に、メナリアという名の女がいた。


 彼女は一人娘であるだけでなく、親が歳を重ねてから生まれた子ということもあり大層大事に育てられていた。俗に言う箱入り娘、というやつである。生まれてから目に入れても痛くない、蝶よ花よと愛でられて育てられていた彼女だが自身の境遇というやつに不満を感じていた。

 幼い頃は不満なんぞこれっぽっちも感じていなかったのだが、物心が付いてから少しずつ成長するにしたがって不満が大きくなっていく。大きく育ち、人との付き合いが増えていく中でメナリアは己が不自由であると感じるようになっていったのだ。


 具体的にいえば外出の自由というものが制限されていた。メナリアの両親は娘可愛さのあまり、彼女を一人で出かけさせるということはなく親のどちらかが、あるいは召使を必ず付けさせるのだ。商家といえどこのように召使を付けられるのは裕福な商家だけである。

 メナリアの知己の多くは商家の生まれだったが、召使を付けるほど裕福な者は少なかった。それに付けられるといっても常に付けているわけではないし、そんな友人達を見ていると彼女は親の鎖を感じてしまうのだ。


 好きなように出かける事もできない彼女の楽しみはといえば物語を楽しむことである。家が裕福なこと、両親がメナリアを溺愛していることもあり彼女は様々な巻物を手に入れて楽しんだ。物語には様々な類型の物があるが、殊更に彼女が気に入っていたのは恋物語である。

 メナリアは生まれてから一四年、後二年から三年もすれば婿養子を取ることになる。そして婿となる許婚も既にいた。息子のいない商家に生まれてしまったからには、それが運命だと諦めている所はあるが巻物で読んだような身を焦がす恋をしてみたいと願ってしまう。


 その日もメナリアは自室の窓辺に座りお気に入りの恋物語を読み耽り、区切りの良い所まで読んだところで大きな溜息を吐き出した。


「私もこの娘のように焦がれてみたい……けれど、素敵な殿方と出会える事などありはしないわ」


 窓の外の庭、その向こうの通りを見た。往来には多くの人が出歩いており、美男子の姿もちらほらとあって思わず目を奪われる。

 あのような殿方に声をかけては貰えないだろうか。いやいっそのこと、さっき読んだ物語の主人公みたいに自分から行動してみようかしら、何てことを考えはしたものの行動には移せずまたもや溜息を吐いた。そして浮かぶのは許婚のオクトンの顔だ。


 オクトンはそれなりに大きな商家の次男で、これといった特徴のない男である。大胆さとは無縁な男で礼儀正しく嘘を嫌う。商売を広げるには向いていないだろうが、かといって潰す心配もないので親が許婚に選んだのだ。

 彼はメナリアに会うために度々家に訪れて、彼女の気を引くために手土産を必ず持ってくる。茶を飲みながら話もするので、逢引はしたことがないがどんな男なのかメナリアは知っているつもりだった。


 決して悪い男ではないと思っている。親が言っているように実直な人物であり、五つも下のメナリアに対して礼を失することもない。そう、悪い男では無いし夫として迎えるのならまたとない男なのであろう。

 けれども恋人としては不適格だとメナリアは思うのだ。真面目なのは美点なのだが、その真面目さゆえに気の利いた洒落というものが非常に苦手で、刺激を欲するメナリアからすればつまらない男だった。


「悪い人でないのは知っているのだけれど……どうにも、もっと、こうね……」


 オクトンの事を思い出しつつ、欲する物を言葉にできないもどかしさに憂いながら通りを眺めた。運命の人が、この退屈を取り払ってくれる美丈夫が現れはしないだろうか。


 そんなメナリアの目に一人の男の姿が止まった。余裕があまりないと見え、着ている服の仕立ては良くない。されど身長は一九〇近くあり体格が良い、短く刈り揃えられた赤髪と整った目鼻立ちは爽やかさを感じさせる。

 そして何よりメナリアの目を引いたのは、彼の長く尖った耳だった。これは森に住まうエルフ族の特徴であり、異国情緒を覚えさせる。世界有数の大都市パンネイル=フスにはドワーフやケンタウルスといった亜人も多く住まうが、エルフは少なかった。自然を愛するエルフは都市を嫌う傾向にあり、都で目にすることは珍しい。


 メナリアは彼から目を離す事が出来なかった。どこに向かっているのか、のんびりとした足取りで往来を行く彼の姿を追い続ける。もちろんエルフの彼はメナリアに見られていることなど気づいておらず、声をかけるはずもない。

 彼の姿が人ごみに紛れそうになった時、メナリアは知らぬ間に立ち上がり窓外に向けて手を伸ばしていた。エルフの姿が見えなくなり、メナリアははっと我に返り胸の熱さと高鳴る鼓動を耳にする。しばし左の胸を押さえながら俯いていたが、意を決すると家から飛び出した。


 もちろん親や召使、店の手代も彼女を止めようとしたが火を灯してしまった彼女の勢いを止めることは適わない。メナリアの耳に静止の言葉は入らず、彼女はただひたすら真っ直ぐに赤髪のエルフを追うのだった。

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