我に故郷なし-2/4
ブレトは仮面をつけなかった、ニグラの用意した仮面の中に好みの意匠が無かったこともあるし、理由をつけるのが難しいというのが大きい。代わりにどうしたのかといえば、首より上を目の部分を除いて包帯で覆った。
他の種族よりも長く伸びた耳を押さえ付けることになるのは窮屈だったが、もし顔を見られたら無用な混乱を招くのは目に見えている。また顔だけでなく、念のため手と腕も包帯を巻くことにした。手指の特徴で見抜かれるかもしれないと考えてのことだった。
包帯の理由を尋ねられたら、火事になった家に取り残された子供を助けだした際に負ったもの、という嘘の物語も用意しておく。こう言えば聞かされたほうは追求しづらいだろうと思われた。
ブレトの変装が出来上がり、三人は<クレアイリスの森>へと向かう。先頭を歩くニグラは気楽なもので、軽快な調子の鼻歌なんぞ歌っていたが、カブリは気を張って仕方が無かった。
伝説に謳われる竜退治に赴くからというのもそうだが、友のブレトの事が気になるのである。故郷を追放されるとはどのようなものか、そこに帰るのはどんな気持ちになるのだろうか。自分から故郷を自ら飛び出したカブリは彼の心情を想像するのは難しい、推し量ろうとしても包帯で隠されてしまい表情は読めなかった。
<クレアイリスの森>は豊かな森だった。一歩足を踏み入れれば、熟した甘い果実に咲き誇る花の香り、青さ感じる葉や枯れ落ちて醸された枝木の匂いで満ちている。またそれだけではなく、何か霊感に訴えかけてくるものがあった。
カブリはこの正体を探ろうと歩きながらもしきりに周囲を見渡した。頭上からは鳥の囀りが聞こえ、木々の向こうから獣の嘶きが、足元は鼠などの小さな獣が走る感触がある。これらは森ならば珍しいものではなく、霊感を刺激するものの正体ではない。
果たしてはこれは何だろうか、害意は感じないものの危険なものか安全なものか。それを見定めたいのだが手がかりが無い、ついうーんと声が出る。
「精霊ですよ、この森は昔から精霊が多いんです」
ぽつりとブレトが呟いた、その声は包帯のせいでくぐもって聞こえる。
「なるほど精霊かつまりお化けか……この森、本当に大丈夫か?」
急にカブリの動きがぎこちなくなり目も泳ぎだす。
戦士として生まれ戦士として育てられた男にだって怖いものがある。それは目に見えず、触れられないが確かに存在するもの、つまりお化け。
目に見えないものは触れない、触れないということは剣で切れない。つまり倒せないということ、万に一つでも勝ち目があれば恐れるに足りないが、それが皆無であるものは何よりも恐ろしかった。
厳密に言えば精霊とお化けは同列に語れるものではない。だが、見えず触れれずというだけでカブリにとって精霊とお化けは全く同じものなのである。それが辺りにいる、しかも数が多いとなれば今にも逃げ出したくなるほど。しかし逃げてしまえば竜には会えない、友やニグラに格好悪いところは見せたくない。カブリは冷える背筋を、まだ見ぬ竜を想像する胸の熱で温めようと奮闘していた。
「良いですかカブリ、精霊というものもあなた達と同じように私の仔。見えなくても触れなくても生きているものなのですよ、お化け等という曖昧模糊としてものではありません。ですから安心して良いのですよ」
不安がるカブリを安心させようとしているのだろう、講釈を垂れるニグラの口調は柔らかく穏やかなものだったが、それでカブリの不安が消えるわけではない。
そもそもお化けだから怖いのではない、剣が通用しないことが恐ろしいのである。ニグラの言葉ではこのカブリの不安を払拭してくれるものではなかった。
「概ねニグラさんの言うとおりですよ。精霊だって死ぬときは死にます」
カブリを安心させるためブレトが補足する。けれどもカブリは半信半疑だった。
「死ぬってそりゃあどういう風にだ? そもそもお化けだろうに殺せるのか?」
「さぁ? 殺せるかどうかは知りませんよ、やった事がありませんし誰かに殺された所を見たこともありません。けれど言えるのは私達と同じく寿命があって、それが尽きると煙のように薄くなって消えるのですよ」
カブリは自身を知性ある都会人だと嘯くが、その実、学の無い事を自覚している。その足りないと知っている頭でブレトの言うことを想像してはみたものの、カブリは精霊が見えない。その見えないものが煙のように消えると言われたところで、精霊についての知見が深まるわけではなかった。
「いやさっぱりわからんぞ、もっと分かるように説明せんか。お前等二人はそのお化けが見えているようだから分かるのかもしれんが、俺は影も見えんのだ。その見えない俺にでもわかるように説明して欲しいもんだ」
「仕方ありませんねぇ……」
ブレトは溜息を吐いて例え話を交えながら説明を続けたが、カブリはそれでも理解しなかった。けれどもブレトはそこで諦めることなく、様々に言葉を変えてみたがやっぱりカブリはそれを理解できないのである。
ニグラはそんな二人を微笑ましく見守りながら先を歩き、そうこうしている内に開けた場所に出た。エルフの里に着いたのだ。
既に連絡でもしていたのだろうか、里の中心の広場には老若問わず三〇人前後の男たちが集まっていた。彼等の着ている服は染色されていなかったし、革を身に付けている者もいなかった。そして当然というべきか、美男ぞろいである。
建物はどれも木造で石を使ったものは一つもない、また基礎を作らずほとんどが掘っ立て小屋である。中には樹上に木材を組み上げて作ったものもあった。それらの家、明り取りのために開けられた窓から幼い、といっても一〇〇年は生きているだろう子供らが顔を隠しながら一行を覗いていた。
広場に集まっている男達の顔は一様に険しい、歓迎されていないのはすぐに分かった。カブリにとってエルフ族とはブレトの事であり、彼以外のエルフ族を知らない。もっと社交的な一族だと信じていたのでこれには少しばかり面食らった。
エルフ族とはこういうものなのか、カブリはそっとブレトに耳打ちする。ブレトは緩んだ包帯を締めながら、そうだ、と頷いた。
「あらあら皆さん勢揃いで歓迎していただき恐悦至極。この間お話しておりました怪物退治の精鋭を連れて参りましたよ」
ニグラは里のエルフ達に笑顔を向けながら両手を広げ、カブリとブレトの肩を掴むと前に出るよう促してくる。既に話をつけていたのは初耳だったが、ここで物怖じしている所を見せるわけにもいかない。
最低限の礼は見せるべきだろうと、二人は背筋を伸ばして軽く頭を下げた。里のエルフ達は眉を寄せ、つま先から頭のてっぺんまで根目回す。品定めされている、カブリもブレトもそう思った。
「あー……魔法使い殿、精鋭を連れてきてくれた事はありがとう。けれどその二人は信用できるのか? 一人は見るからに野蛮で品性や知性といったものを感じない、それにもう一人はなんですか。全身を包帯でぐるぐる巻いて、そんな怪しいのを怪物退治の精鋭だと言われても信じられないね」
エルフ一団の中から、まだ若い見た目の年齢で言うならカブリとさして変わらぬ青年が歩み出て、カブリとブレトを交互に指差した。
言い方にも棘があって、追い返そうと考えている事がすぐに分かった。
「包帯のほうはごめんなさいね。彼、子供を助けに火事に飛び込んだ事があって火傷を負っているのですよ。それは無事に治ったんですけれども、傷跡があまりにも醜くて人目にさらすわけにはいかないと、こうして隠しているのです」
ニグラは顔色一つ変えないし眉も動かさない、ニコニコと微笑みながらさらりと返す。
「正義感に溢れた人らしいね、まぁ包帯は勘弁してやるけど喋れるんだろうね? 言葉が通じないような者は信用できないからな。それと魔法使い殿、野蛮な方に何も言っていないのかな? ここはエルフの里だ、どうしてそんな大きな剣を腰に佩かせている。革の鞘はまぁ良いとして、納まっているのは鉄だろう? そんなもの持ち込ませるな」
若者のこの言葉に、カブリは口角が釣りあがるのを感じた。見た目だけで知性に欠けると言われた事も腹立たしかったが、それ以上に愛剣を、そんなもの呼ばわりされた事が我慢できない。
一言言い返してやる、それか一発ぶん殴ってやろうか。どちらにしようか、考えていると自然と拳を握り締めていた。その拳を、ブレトがそれとなく小突く。
止めてくれるなと、カブリはブレトを睨み付けた。ブレトは静かに首を振る、落ち着き払った彼の様子にカブリは少しだけ熱が冷めた。ここで怒れば相手の言い分を認める事になってしまう、歯を食いしばらせて怒りを堪える。
「彼の剣をそんなものと仰りますけど、この剣は素晴らしいものですよ。一振りすれば氷雪が奔る魔剣です、竜退治には相応しい一品でしょう。そんな魔力を秘めた剣、鉄で出来ていると思いますか?」
エルフの若者はニグラのこれに言い返そうとしたが、それより早く年嵩のエルフが彼を諌めた。
「ケタイ、それ以上は止めなさい。そもそも我等が頼んだ事じゃないか、お前だって承知していただろう。一応はお客様なのだ、まずは歓迎してあげようじゃあないか。旅をしてきてお疲れのはずだから、食事を振舞うのが礼儀というものだよ」
「ですが長老、幾らなんでも信用できませんよ。あの女の魔力は素晴らしいものがありましたが、連れて来られた方はどうですか。包帯の方も顔が見えないとはいえあの体つき、まだ若いです。せいぜい生きて三〇そこら、私の半分も生きてはいない。それで何が修められるというのです? 武力においても我等長命エルフに勝る種族はいないのですよ」
どうして馬鹿にされたのか、この言葉でカブリは合点がいった。
長く生きていればそれだけ多く経験する、長く生きるエルフ族はそれだけ多くの経験を積んでいる。だから長く生きている自分たちの方が強いのだ、ケタイはそう言っている訳だ。
カブリからしてみればおかしくって仕方がない。故郷のダンロンでは年長の戦士相手にも土を付けていたカブリからしてみれば、ケタイの理論は珍妙なもの。思わず笑いそうになってしまう。
表情を浮かべたつもりは無かったが、そんな雰囲気は出してしまったらしい。ケタイはカブリを睨み付けると、なにがおかしい、と詰め寄ってきた。
「こいつはすまんな、俺はカブリといって生まれながらの戦士である。俺は確かに三〇にもみたない、貴様等からすれば赤子以下かもしれんな。しかし武力は年齢だけで決まるものでない事を知っている。だからついおかしくなってしまったのだ」
ばれてしまっては隠したって仕方がない、ここは余裕も見せてやろうと胸を張って笑ってみせた。
ケタイからすれば面白くない、鼻息荒く、さらにカブリににじり寄る。目を血走らせるほどではなかったが、見開かれた目からは怒りがひしひしと伝わってきた。
一触即発。カブリに手を出す気はないが、ケタイはどうだろうか。一言言えば今にも殴りかかってきそうな気配がある、面白そうだから一発挑発してやろうか。
そうしたところでカブリの肩をブレトが掴んで下がらせて、ケタイも他の若人に羽交い絞めにされて二人は無理やり離された。
「エルフっていうのはこういうものなんですよ。彼は素直な方で、他の者も内心では同じ事を思ってます。そんなものです」
ブレトがそっと耳打ちする。
本当にそうなのだろうか、カブリはエルフ達の目に気を付けながら彼等を見渡した。誰も彼もケタイに視線を向けていない、一様にカブリに向いていた上にそこには非難の色がある。仕掛けてきたのはケタイの方だというのに、悪者扱いされるのは気分が悪い。
今までブレト以外のエルフ族を知らなかった。ブレトは気の置けない友人で、エルフ族も気の良い連中なのだろう。漠然とそう思っていたカブリだが、その認識が間違っていた事を実感すると何だか悲しくなってくる。友の仲間がこんな連中なのだと思いたくなかったのだ。
「あらあら御免なさいね、長旅の後のもので彼もお腹を空腹なのですよ。ほら、どうしたってお腹が空いているとつい苛立ってしまうものでしょう。特に若いなら尚更の事、二人の鋭気を養わせるためにもご馳走を用意してくださらないかしら? 彼らに竜について話して欲しいですし、食べながらの方が話し易い事もありますし。ねぇ長老さん?」
剣呑な空気が漂う中、ニグラが手を鳴らしながら最も置いて豊かな顎鬚を蓄えた老エルフへと目を向けた。互いに相手の事を良くは思っていない、だからといって喧嘩をしたいわけでもない。
「確かに魔女殿の言う事には理がありますな。ここは人里から離れておりますし、やって来るだけで腹が減りましょう。竜と相対していただくわけですからな、もてなしの準備はさせて頂いております。お三方の口に合いますか分かりませんが、歓談の時間をもつとしましょうか。ほら、ケタイも下がって準備なさい」
当然というべきか、長老の言葉には従わざるを得ないと見える。カブリを睨み続けていたケタイだったが、言われて渋々と引き下がり他の男たちと共に方々に散っていった。後に残ったのは長老だけ。
その長老に案内されて広場の真ん中に連れてこられると、そこにはもてなしの準備がされていた。丸太を切って作った長机の上には果物が盛られた葉の皿があり、その机を囲むようにこれもまた丸太で作られた椅子が並べられている。
促され三人はそこに座ったがカブリは落ち着かずに、あっちにこっちにと首を回す。ブレトは故郷なのだから落ち着いて当然と思いきや、彼もまた何かを探しているかのように視線を彷徨わせていた。
「どうしたブレト、お前が出てから何か様変わりしているのか?」
他の誰にも聞こえぬよう、カブリはそっと耳打ちする。ブレトは違うと首を振る。
「何でもありませんよ、久しぶりですからね。つい見てしまうだけです」
そう答えるが明らかに何かを探している、カブリはそれを問いたかったのだが下手な事を聞いて正体が発覚するのを恐れて聞けずにいた。
そこにケタイが素焼きの甕を持ってやってきた、彼の担ぐ甕の中からは芳しい酒精の香りがする。その匂いから果実を発行させて作った酒だという事がすぐに分かった。
カブリは果実酒を好まないが、街の酒場で供されるものよりも香りが良いのでつい鼻がひくつく。ブレトも慣れ親しんだ故郷で作られた酒の香に視線は甕へと向く。
「さっきは悪かったな、女達が作った酒だ。遠慮せずに飲んでくれ」
言いながらケタイは柄杓で素焼きの杯に酒を注ぐと差し出した。それを受け取りまずは香りを嗅ぐ、果実の香りは鼻を抜けて脳髄まで貫くようだった。試しに一口飲んでみれば果物の甘さが口に広がり、その後で酒精が下を撫でてゆく。
文句なしの美味にカブリだけでなくブレトも早速飲み干すと二杯目を所望した。二人を良く思ってはいないケタイだが、里で作られた酒を褒められて悪い気はしない。快く二人に酒を注いだ。
「このように美味い果実酒は滅多にお目にかかれん。エルフの酒というのは斯様に美味いものだったとは、作ったものを目にしたいもんだ」
カブリというのは単純な男である、さっきまでエルフ族に対し悪印象を抱いていたが、美味い酒を造るというだけで良い印象を持ち始めていた。作ったものに会いたい、というのも直に賞賛の言葉を送りたいだけなのだが、何故かケタイは眉を潜めた。
「女が欲しいのか?」
ケタイの言葉にはまたも棘が生えている。どうにも会話がかみ合っていないようで、カブリはすぐに返せなかった。そこにブレトが後ろから耳打ちする。
「エルフの女は美女ぞろいという事、忘れないで下さい」
この言葉ではっと気付いた。
女が出て来ないのは何故だろうと気になっていたのだが、そういうことなのだ。エルフ族は自らの美貌を自覚しており、狼藉を働かせないために女子供隠している。
美しいといわれるエルフ女性を目に出来ないのは残念だったが、カブリとて下手な事を言って彼等を刺激したいわけではない。
「まさか、俺達は竜の首を獲りに来たのだ。欲しいのはそいつだけで女などに興味ない」
「そうかい、それなら良いけどな。君はカブリといったな、魔法使いの名は既に聞いているからいいんだが、そっちの包帯のは何という名前なんだ。さっきから俺達に向けて一言も口を利かないじゃないか、理由があるのか」
「あー……それはな……」
ブレトが喋らないのは声で正体を知られないためなのだが、これを聞かれたときの打ち合わせはしていなかった。ブレト本人に助けを求めて視線を送るカブリだったが、ブレトは任せますよ、と視線を逸らす。
「火事で焼かれたと言ったろう。その時に喉もやられてしまってな、声が上手く出せんようになってしまったのよ。名前はブレトといってな、包帯で分からんが歳は俺とさして変わらん弓の名手よ」
「ほぅ……ブレトという名前なのか……」
ケタイの視線がブレトへと向く、包帯に隠された内側を透かして見ようという目だった。
これはしまったとカブリの背中に汗が出る、ブレトの名は知られていて当然。名前が出れば気になってしまうのは当たり前の事だった。
「変わった名前ではないはずだが、例えば……あぁ、そうだ。エルフの言葉で特別な意味があったりするのだろうか?」
「そういうわけじゃない、ジロジロと眺めてしまってすまなかった。ほんの少し前まで、同じ名前の男がこの里にいた。とんでもない罰当たりな男と同じ名だったんで、つい気になってしまった。っと失礼、酒と果物以外にも用意させてもらっている。すぐに取って来よう」
どうやら正体は見破られなかったらしい、ケタイは肩から力を抜いたようで立ち上がるとどこかへと行ってしまった。代わりに一人の男がやって来る、彼の手には葉の皿がありその上には焼いた肉を切り分けられたものが載っている。
もてなしの準備は本当にされていたようで、次から次へと料理が運ばれてくる。肉も多様で、猪に鳥に川魚とあった。木の実や根菜を煮込んだスープもやって来て、王宮の食卓ではないかと見紛うほどであった。
それらの配膳が終わると長老の簡単な挨拶があり、宴席が始まった。酒精の助けがあれば会話は弾むのが普通だが、どうにも会話は進まない。カブリは竜の話をしたいのだがそこまで話を持っていけない。
一人ではどうにもならぬと、カブリはブレトそしてニグラの助力を求めた。しかしニグラは微笑みを崩さぬまま酒を飲み、ブレトは時折食べ物をつまみながらもやはり何かを探すように周囲の家々へと視線を向けている。
こいつは埒が明かない、カブリが途方に暮れると共に会話が止んだ。無言の間が生まれ、誰も彼もが物音を立てないようにと動きを止めてしまった。
その静寂を破ったのは長老である。
「さて、そろそろ本題に入ると致しましょうか。竜の話です」
カブリもブレトも手に持っていたままだった杯を静かに地面に置いた。ここに来たのはそのためなのである。
「あれがここにきたのはちょうど三ヶ月ほど前のこと、ここよりさらに森の奥深くに小さな泉があるのですが、そこに前触れも無く降り立ってきたのです。あまり使う事のない泉ですが、無ければ困る。そこで我々の中から一〇の手練を選抜し送ったのですが、帰って来たのは一人だけでした」
ここでエルフ達は皆一様に俯いた、中には啜り泣きを始めたものもいる。失われた勇気ある者達の事を思い出しているのだろう。
「そこで困っていた所にそちらの魔法使い殿が現れて、勇士を連れてきてくれると仰ってくださいました。ただやって来たのは二人だけ、実の所不安はいなめません」
「それに付きましてはご安心くださいな、私が連れて来たこの二人。巨人や幽霊、化生退治の精鋭で御座いますわ。二人で一〇〇の働きをいたしましょう」
長老はニグラの言葉を訝しんだが、とりあえず追求する事はしなかった。余裕を見せるためだろうか、ニグラは手にしていた杯を一息に呑んでみせる。
「そういえばお話しておりませんでしたが、その竜を退治した際には褒美をいただけるのでしょうね?」
三日月形をしているニグラの瞳が妖しく光る、長老は素早く瞳を伏せはしたが避けては通れぬ話でもあった。
「その時は相応のものを用意させてもらおう、例えば――」
「二人は何か欲しいものがあるかしら? 何でも言ってみれば良いのではなくって」
長老の言葉を遮りニグラは二人に話を向けた。
ブレトは何か思うところがあるのか視線を宙へと向けるが、カブリは乗り気ではない。今こうしているように歓待を受けただけで充分だったし、あえていうなら少しばかりの路銀を貰えればそれで良かった。
竜を倒せばその骸は宝の山となる、加えて名声も得られる。あえてエルフ達から貰おうという気は無く、特に要らない、そう答えようとした所でブレトがカブリの肩を掴んだ。
「女が欲しい、と伝えてくれませんか。エルフの女を嫁に迎えたい、と」
思わずカブリの目が丸くなる。相棒ブレトは今の今まで女っ気というものを出した事がない。以前、ある女から惚れられてしまった事件があったがその時などは必死になって逃げ回っていた事もある。
そんな男が、女が欲しいと言い出した。驚くほかない、しかし考えてみれば当然の話かもしれない。カブリは相性さえ良ければ種族の違いなど気にしないのだが、この友は同じエルフ族の女が良いのかもしれないのだ。
ならば無碍にする理由もない、喋れぬ友の言葉を代弁してやろう。
「女をくれ、エルフ族の女は見目麗しいと聞く。ぜひとも妻として迎えたい、ただまぁ男と女には相性というものがあるからな。妻になる者はこちらで選ばせて欲しい」
これで良いかとカブリはブレトに目配せを送る。包帯で隠しているため表情は読めなかったが、ブレトは満足しているようで静かに頷いたのであった。
しかし里のエルフ達、素直に首を縦には振れない。少し協議させて欲しい、と長老が言うとエルフ達は輪になって集まって内緒話を始めた。
結論はすぐに出ず、また熱が入っていた。三人に聞こえないように小声で議論を交わしていたが、たまに感情のこもった怒号が飛ぶ。酒を飲み、肉を食らいながら彼らの結論が出るのを待った。
しばらく経って結論が出ると、長老がやって来てカブリの前に立つ。
「条件が一つあるがよろしいかな?」
「ほう、条件とはなんだ?」
「エルフは長命だ、男のほうが先に死ぬ。その時、残された妻となる女はこの里に返して欲しい」
「なんだそんな事か、構いはせぬ。種族関係なく夫に先立たれた妻というものは何かと困るものだ。帰れる場所があるのなら、妻の行く末を気にすることなく先立てるというものよ」
胸を撫で下ろしたのは長老だけではない、他のエルフも同様だった。何が理由かは知らないが、可能な限り里の外に女を出したくないとみえる。
もっとも、彼らは知らないが妻を欲しいというのもエルフの男。実際に妻となった女がこの里に帰ってくることは有り得ないだろう。
しかしカブリが気になるのはブレトの事だった。
恥ずかしげも無く自身が童貞である事をのたまい、かつて一度も色香に迷わなかったこの男がどうして妻が欲しいと言い出したのか。考えて考えて、思い出した事が一つある。
ブレトは以前、里に残した幼馴染の事が気になるといっていた。なるほど、そういう事かと合点したカブリはブレトに笑いかける。しかし相棒は目をあわそうとせず、そっぽを向いてしまうのだった。
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