巨人殺し再び-前編

 どこまでも続く砂塵の上、果て無き地平を越えた向こうにあるものか。荒れ狂う波濤を乗り越え、日が沈むその下にあるものか。

 駱駝に乗れば辿り着けるのか、帆船に乗れば辿り着けるのか。一体どこにあるものか、何を使えば行けるのか。夢には見るが辿り着けぬ、誰かが見た幻なのだろうか。

 しかしそれは現実にある地、剣と魔法の力が満ちる幻想大地。名をイリシアというその地の北方には<凍てつくノートラ>と呼ばれる地域がある、夏であろうと肌寒く、冬ともなれば柔らかな雪と厚い氷に覆われる一帯だ。


 作物を育てるには難儀する<凍てつくノートラ>だが、人というのは逞しい。麦や芋すら育てられぬ地ではあるが、角の生えた四足獣や海獣を狩って暮らす人々がいる。カンソン=ヴァドもそんな人々の住まう村だった。

 イリシアの地の村にある家といえば、石で作るのが基本である。だが平坦な<凍てつくノートラ>には石を切り出せる山が無い、けれども巨木の生える森が大きく広がっていた。

 ノートラの民はこの豊かな森林の木々を用いて家を建てるだけでなく、冬の寒さをしのぐ為の燃料とした。またこれらの木々は夏の終わりに多くの木の実を落とし、獣が取れないときの貴重な恵みともなる。


 カンソン=ヴァドも<凍てつくノートラ>にある他の村と同様に、建物は全て木で作られて、食事といえば生の肉か木の実を挽いて作ったビスケットである。そして最も栄える都であるパンネイル=フスから遠く離れたこの村に客人は滅多に来ないのだが、村の集会所を兼ねた宿屋に二人の客人がやって来ていた。

 一人はカブリという名の<峻険なるダンロン山>に生まれ育った戦士で、もう一人はブレトという<クレアイリスの森>で育った、生まれついての狩人だった。どちらも身の丈は二〇〇あろうかという大男である。

 そんな大男が二人で宿屋の広間、その真ん中にある暖炉の前で神妙な面持ちで顔を突き合わせていた。


「なぁブレトよ……お前、妙案はあるか?」

「ありませんね。カブリさんこそ案があるんじゃないですか、ダンロンの山は雪に覆われていたところなのでしょう?」


 カブリは唇を真一文字に固く結び、首を横に振った。


「その通りなのだが、これ程までではなかった。非を認めぬのは男でないから正直に言おう、この<凍てつくノートラ>の氷雪を舐めておった」

「それについては私もですよ、噂では聞いていましたけれどこれほどのものとは想像できませんでした」


 二人は同じように溜息を吐いて、宿屋の主人兼村長が怪訝な顔で見ていた。カブリもブレトもそれに気付いて、面白い話をしていましたと見せかけるように声を出して話の種も無いのに笑ってみせる。

 <凍てつくノートラ>にあるカンソン=ヴァドは冬を迎えていた。毎日のように雪が降り、積もる。底にある雪は次々と降りしきる仲間に押しつぶされて氷へと姿を変えてゆく。夏は通れた道も、冬になると閉ざされるのである。


 もちろん全ての道が閉ざされるわけではない、冬でなければ使えぬ道もある。カンソン=ヴァドの民は夏の道が使えなくなっても困らない、角の獣を狩り海獣を狩り、狩れない時は蓄えた木の実を食べるだけだった。

 困るのは余所者二人、カブリとブレトだけである。二人は夏の道を通ってカンソン=ヴァドへとやって来た、そして夏の道は雪と氷に閉ざされてしまっており帰れなくなってしまっていたのであった。


 カブリもブレトも無頼であり、決まった住処を持っているわけではない。なので来た道を戻れないからといって困ることは無かった、寝泊りする場所が無ければ野宿をすれば良いという連中である。

 が、この<凍てつくノートラ>においてそれは通用しない。野営などしようものなら、たとえ火を絶やさなかったとしても心臓が凍り付いてしまう寒さだ。よって宿に泊まるしかないのだが、路銀がつきかけていた。


 これこそが悩みの種である。金がなくなっても二人は稼ぐ手段を持ってはいた、カブリは腕っ節に自信があるので用心棒をすることが出来た。ブレトは器用な手先を生かし、木工細工を作ることが出来た。けれどカンソン=ヴァドでは通用しない。

 用心棒を必要とする店はなく、盗賊がいるわけでもないのでカブリの剣術を振るう場が無い。<凍てつくノートラ>は木が豊富で、熟達した木工職人が多数いるためにブレトの腕では歯が立たない。


 金子を工面できなければこの宿を追い出されてしまう。放り出されてしまえば一日の後には氷漬け、つまりは死が待っていた。

 何も案が出ずに二人の間に無言が漂う、万事休すかと思われた時である。カブリの脳髄に天啓の如く閃きが舞い降りた。これは良案だと思ったカブリは手を叩いてパンと音を鳴らす。


「そうだ! ブレトよ、お前はお化けと話が出来たよな?」

「お化けではなく万物に宿る精霊と、ですよ。といっても明確に会話が出来る、というよりかは何となく通じ合えるという程度ですけれどね。それがどうしました?」


 ブレトはカブリの考えが分からなかった。気ままな精霊に頼った所で、即物的な金の問題をどうにか出来るとは思えない。


「お前はその精霊で金を稼いだことがあったではないか。絵札を使った賭博だ、この村の人間全員の身ぐるみを剥ぐつもりでやってしまえば良い。そうすれば問題なかろう」


 まさかの提案に仰天したブレトは声を出せずに目だけを大きく見開いた。

 しかしそんな事できはしない。カブリの言うとおり、絵札を使った賭けの最中で精霊の助言を得れば相手の手札は筒抜けとなる。ほとんどの種族は精霊と対話が出来ないため、仕掛けた所でバレる事はない。

 けれどもエルフと賭博しても勝てない、というのは賭け好きの者の多くが知る所でありブレトと対戦してくれる物好きはいないだろう。仮にいたとしても、ブレトの矜持がそれを許さない。


「いやいや何を言ってんですかあなたは。そんなの駄目に決まってる、大体私と賭け事なんてしてくれるはずがないですし、イカサマですよそれ」

「この期に及んで何を言うか、バレないイカサマはイカサマではないと<銀夢亭>の博徒が言っていただろうが。それにお前、女との賭け事で精霊に力を借りて文字通りの素っ裸にしていたではないか」


 カブリはブレトの言葉を拒否と受け取っていなかった。賭け事そしてイカサマの腕に自信が無いからやりたくない、そう言っているに過ぎないのだと。カブリからすればブレトは一流の賭博師であり、一流だからこそみだりに賭けをしないだけの話だと思っている。

 ブレトは当然やりたくないし、場を打開する策ではないからやりたくないだけなのだが。ただそれを主張するよりも前に、ブレトにはどうしてもカブリに言いたいことがある。


「その言葉は私も聞いていましたけれども……それよりもですね、女を裸になんかひん剥いちゃいませんよ。大体、あの時は博徒の女に愛刀の<狼の爪>を分捕られたのを見かねて取り返すためという大義名分がありましたよ」

「そんなのは知っているし、取り返してくれたことについての礼は再三口にしたではないか。それに俺は事実を言っているだけだぞ、あの女……確かフラウダだったか。素っ裸だったではないか」

「いやいや違いますって、裸だったのはその通りですけど私がひん剥いたんじゃないですって。カブリさんだって覚えてるでしょうよ、思い出してくださいよ。あれは互いにイカサマをしない、できないようにするため服を脱いでただけ。賭けで負けた彼女から衣服を剥いだわけではないです」


 言われたカブリは記憶の引き出しを開けてみるが、カブリの記憶では女が裸になっている場面はあった。けれどもどうして裸だったのか、そのいきさつの箇所がすっぽりと抜けている。

 ブレトの言うとおりだったような気がするし、そうでない気もする。


「良いですね? 私は彼女を裸になんかしちゃいません」

 記憶が朧になっているらしいカブリに対し、念押しの一言をブレトは放った。ところがこれは逆効果だった。

「お前、何でそんなに念押しするんだ? 俺の記憶が曖昧なのは認めよう。だがなぁ、そう念を押されると本当は身包み全部剥いだんじゃないかという気がしてきたぞ」


 さぁこうなってくると喧嘩の始まりだ、やったやってないの言い争いが始まる。けれどもどちらも証拠となるのは互いの記憶、という不確かなものだけ。水掛け論となってしまい、徐々に熱くなって口論も激しいものとなる。

 二人ともこんな話をしている場面でないことは重々に承知はしているのだが、お互いに退く時期を見失ってしまい終わらせどころがわからない。激しくやり合いながらも、本気で喧嘩しているわけではないので手は上がらなかった。


 これを見ていた宿の主人、そんな二人の仲の良さに五月蝿くはあるが心を和まされていた。

 やったやってない、カブリとブレトが額に汗するほどやりあっている所に扉が開かれ鈴が鳴る。降りしきる雪と共に入ってきたのは一人の男だが、どうにも様子がおかしかった。


 彼が身につける外衣は寒さから身を守るため熊の毛皮で出来ていたが、酷く汚れていて泥や埃で毛が固まってしまっている。纏っている男の肌も同じ、長いこと沐浴出来てないと見えて垢に塗れて黒くなっていた。

 主人の態度は余所余所しいもので、村の住人でないことは分かる。旅人のように見えなくも無いが、毛皮の男は手ぶらであり背負っている物も無い。戦いに敗れほうほうの体で逃げ出して流れ着いてきたように見えた。


 近くで争いがあったという話は聞いていない、一体彼は何者か。カブリとブレトは口論を止め、興味はこの放浪者へと向いていた。この放浪者の方も宿に先客がいるとは思ってなかったらしく、カブリとブレトを見ていた。

 放浪者とカブリの視線が合う、カブリは彼の顔に見覚えがあるような気がしたが思い出せない。放浪者の身の丈は大柄なカブリやブレトと大差ない、長いこと食べれていないらしくやつれてはいたが元は精悍な顔立ちであったことが伺える。


 思い出そうとはしてみたが誰だったかが出てこないカブリだが、放浪者の方は違った。彼はカブリの姿を認めるとカッと目を見開いてカブリへと飛び掛る。宿屋という安全な場所でのこと、カブリは頭が真っ白になってしまった。

 けれどもカブリは戦士である、頭が働かずとも体は勝手に動いていた。固く握り締めた拳を放浪者の横っ面にお見舞いする。強烈な一撃だったはずだが、彼は少しばかりよろめいただけ。気を失うこともないし、足元をふら付かせる事無くまたもやカブリに飛びついた。

 今度ばかりはカブリも動けない、放浪者はカブリの胸倉を掴んで締め上げた。彼の顔は真っ赤だった、外の寒さによるものではない湧き上がる怒りによるものだ。


「おのれカブリめ、ここであったが一〇〇年目! 貴様のせいでこの俺はぁ!」


 名を知られていたことに驚くばかりのカブリ目掛け、放浪者は拳を振り上げるがそれが下ろされることはない。それよりも早く、ブレトが彼の後ろへと回り込んで羽交い絞めにしていた。


「ちょっとお待ちなさいよ! どこの誰だか存じませんがね、いきなり何をしてるんですか!? せめて名前を名乗りなさい!」

「なにぃ!? 貴様はブレトだろう! 貴様も俺を忘れてしまったというのか!? えぇい、許さん許さんぞ! この<巨人殺し>のオーグルの名を忘れたとは、貴様等には誇りというものがないのか!?」


 彼の名乗った<巨人殺し>の二つ名にも、オーグルという名にも覚えがあった。忘れようはずが無い、彼はかつての英雄モウランの子孫であり<狼の爪>の真作の使い手であった。

 彼とはかつてパンネイル=フスにおいて、カブリが所持する新なる<狼の爪>にまつわる事件で剣を交えている。その際にカブリが勝利を収めており、真作の<狼の爪>は失われることとなった。また、激戦のためにカブリも重傷を負い戦いの後はすぐに治療に専念したため、決闘後のオーグルの行方を知らなかった。

 だが<巨人殺し>の異名を有し、パンネイル=フスにも名を轟かせていた彼が、こんな浮浪者同然の姿になるとは誰が想像できようか。


「覚えておる、覚えているぞ……。だがしかし、貴様が本当にあのオーグルか? 顔立ちは確かにオーグルそっくりだ、瓜二つと言って良い。彼奴とは刃を交え俺が勝った、けれど二度勝利できるかと問われたら自信は無い。それほど腕の立つ奴がそんな乞食同然の姿になるとは思えんぞ」


 戒めを解こうと暴れるオーグルを名乗る男の顔をカブリは仔細に観察した。カブリはオーグルの顔を良く覚えている。カブリと剣を交えた男は多いがその中でオーグルは最強と言っても過言ではなく、その顔を忘れるはずが無い。見れば見るほど、この放浪者が本物のオーグルであるとしか思えなかった。


「良くも乞食と言ってくれたな、こうなったのもお前のせいだぞカブリ! 貴様、貴様がぁ……いや、そうだ……分かっている、分かっているんだ。本当はお前のせいでないことぐらい知っているさ。けれども、けれども……」


 今まで暴れていたオーグルだったが急に体の力を抜いて腕をだらりと垂れ下げた。おいおい、という嗚咽が聞こえる。俯いているために表情は伺えなかったが、床に一つ二つと涙の染みが作られていく。

 暴れない者を拘束し続ける理由は無く、ブレトは戒めを解いて彼の正面へと回った。涙の染みは次々と増えて一つの大きな染みとなり、オーグルの嗚咽はどんどん大きなものへとなって行く。

 カブリは間違いなくオーグル本人であると認めていたが、あの好敵手がこんな姿を見せていることに動揺してしまって掛けることなくうろたえるばかり。見かねたブレト、カブリに代わって話すことにした。


「とりあえず落ち着いてくださいオーグルさん。私はあの戦いを見ているだけでしたが、あなたの剣術は一流の中でもさらに上でした。それほどの技量を持つあなたが、どうしてそんな格好をしているのか教えて欲しい。それにそうだ、あなたには仲間がいたはずですよ。彼等は一体どうしたのです?」


 問いを投げかけても返事はすぐにやって来ない、オーグルは泣くのを止めたが俯いたままで肩を振るわせ続けている。

 しばらく待ち、彼が落ち着いただろう頃合を見計らってブレトはもう一度同じ問いを投げかけた。


「仲間か、そう俺には仲間がいた。魔術師がいた薬師がいた、共に戦う弓使いに槍術の使い手もいた。けれども今はいないのだ、あいつ等は俺を捨てたのだ……」


 オーグルの体がぐらりと揺れて彼は膝をついた、カブリは手を貸そうとして差し伸べたがオーグルはそれを拒否する。乞食同然の姿となっても、オーグルは英傑としての気高さを忘れてしまったわけではない。

 しかし如何なる英雄英傑であろうと、命あるものであれば逆らえないものが世の中にはある。空腹もその一つでオーグルの腹の虫がけたたましい音を立てた。

 <凍てつくノートラ>は極寒の地である、外に佇むだけで容赦なく体力を奪われる。碌な食べ物にありつけなかったオーグルの体力は限界に近かった。


「俺は金を持っていないのだ、剣を交えた好敵手に頼みたくないことではある。すまないが俺に食事を恵んではくれないだろうか?」


 この頼みをどうして拒否することが出来ようか。カブリにとって激しく剣を交えたオーグルは既に戦友のようなものであったし、ブレトも彼のことを好漢だと認めている。残金は僅かだったが、断るような二人ではない。

 カブリは躊躇無く宿の主を呼びつけて、大量の肉と酒を持ってくるよう注文した。オーグルには聞きたい話が多い、食事の席を共にすれば話はしやすい。そして酒は三人の仲をとりなしてくれることだろう。


 ローストした鹿肉の塊を二つ、パンを三切れにチーズを二欠片さらに蒸留酒を瓶一本分を一気に飲み食いした所でオーグルはようやく一息ついた。見た目で分かっていたことではあるが、かなり長いこと食べれていなかったらしい。

 カブリとブレトもオーグルと食事を共にしながら彼と語り合おうと考えていたのだが、飢えた獣そのものの食べっぷりを見せてくれたオーグルを前にすると遠慮が勝ってしまった。


 テーブルの上はすっかり空、瓶には一滴の雫すら残っていない。オーグルはまだ飲み食いが足りなさそうだったが、これ以上の肉を酒を注文してやる余裕は無かった。彼が何かをしてくれるならとにもかくにも、身の上話を聞くだけなのに施せるものではない。


「いい加減に落ち着いたとところでオーグルよ、貴様の身に一体何があったのかを話してはくれまいか。二つ名を持つような男が、俺等のような無頼に施しを受けねばならんほどに身をやつすとは想像できんのだ」

「俺からするとお前等に二つ名が与えられないのが不思議で仕方ないが、食わせてもらった分は話をしないと幾らなんでも無礼というもの。英雄の子孫として有り得ん行為だ」


 ここまで言った所でオーグルは口元が汚れていることに気付き、ナプキンを探したが見つからないので已む無く手で拭う。こういう仕草に育ちの違いというものを見せ付けられた気がして、カブリもブレトも自然と背筋が伸びた。


「どこから話したら良いのか分からんから、今の俺の立場というものを話そう。一言で言えばだな、俺は贋物扱いされたのよ。<偉大なる男>であるモウランの子孫を語る不届き者だ、とな」

「そんなもの<狼の爪>でも抜いて見せれば良いではないか。あの輝きを見れば誰もが息を呑むし、一目しただけで本物だと分かる。さすれば貴様がモウランの子だと納得するだろうに」


 カブリのこの無責任な発言にモウランは額に青筋を浮かべ、机を叩き付けながら立ち上がった。その手はカブリを殴りかかろうとして拳を握っていたが、オーグルは湧き上がるこの怒りは理不尽な逆恨みによるものと知っている。

 空腹の時ならいざ知らず、腹が満たされた今はすぐに冷静さを取り戻して椅子に腰を落ち着けなおした。


「すまない、取り乱した。だがなカブリ、お前にだけは言われたくない! 俺が<狼の爪>を持っていないことを知っているだろうが、加えあれがこの世にはもう無いことを知っているだろう! 今この世界において<狼の爪>といえばだ、お前が腰に刷いているその贋作ただ一つだ!」


 冷静であろうと努めてはいるがオーグルは声を荒げ、カブリの腰を指差した。その先にはドワーフのドウジャルが命と引き換えに鍛え上げた、モウランの<狼の爪>を超越する新なる<狼の爪>がある。

 これを言われたカブリはオーグルの言っている言葉の意味が分からずに首を傾げるばかりだった。オーグルは苛立ちと悔しさから歯を軋ませる。


「あの……カブリさん、もしかしてですが覚えてないんですか?」

 ブレトが尋ねるとカブリは、そんな事は無いぞと首を横に振った。


「いやいや覚えているとも、俺はドウジャル老の鍛え上げた剣もまた本物であることを示すべくオーグルと決闘した。そして勝利した、ちゃあんと覚えているだろう?」

 得意げに腕を組むカブリだが、彼は肝心な所を覚えていなかった。


 あんな衝撃的な事件を覚えていないことが信じられず、ブレトは思わず顔を覆いオーグルは腸が煮えくり返ってしまい両の掌に自らの爪を食い込ませた。

 二人にこんな反応をされたら流石のカブリもおかしなことに気付く、どうやら自分は何か致命的な事を知らないらしい。


「えぇっとですね……あなた、オーグルさんの剣。つまり、モウランの使っていた真作の<狼の爪>を叩き折ったんですよ」

 ブレトの言葉にカブリは凍りついたように固まった。

 モウランそれは<偉大なる男>であり、カブリが尊敬し憧憬の念を抱いて彼のようにならんとする目標である。そのモウランが使っていた物はカブリにとっても価値ある物、叩き折るなどという真似をするはずが無い。


 しかし事実はブレトとオーグルが言っているように、カブリが叩き折るだけでなく粉々に砕いてしまっていた。

 ただ実の所、カブリが覚えていないのも無理も無い話しなのである。オーグルとの決闘でカブリは真の<狼の爪>の魔力を受けて半ば氷漬けの状態になってしまっていた。そのため勝利したことは覚えているが、それ以外は記憶が曖昧なのである。


「おいブレト……それは、本当か……? お前は俺がモウランにどれだけ憧れているか知っておるだろう。その俺がだぞ、モウランの剣を折るはずないだろうが? 冗談は止さぬか……」


 カブリも記憶が朧になっている自覚はある。言われてみればそんな事をしでかしてしまったような気がしてきて、ブレトに尋ねる声は震えていた。

 ブレトは顔を覆ったまま答えてくれない、カブリは必然的にオーグルを見た。オーグルは俯き、変わらず拳を握ったまま肩を震わせている。


「そのエルフの言うとおりだ、俺の剣……偉大なる我が祖モウランの残した<狼の爪>はお前の真作を超えた贋作に打ち砕かれた」


 カブリは絶句した、頭の中は真っ白で言葉が出てこない。<偉大なる男>と称される英雄モウランはカブリがこの世で最も尊敬する男である。その遺物はカブリにとってあらゆる財宝よりも価値のあるものだ。

 それを己自身の手で破壊していた事を知り、胸中に嵐が吹き荒れた。悲嘆、そして悔恨。嗚咽が漏れて涙が滝のように溢れてくる、止めようとして止められるものではなかった。


 オーグルも今までは必死に堪えていたが、カブリに刺激されてしまいついに堰を切って泣き出した。寂れた宿屋の食堂の真ん中で大男が二人、声を大にして泣いている。宿の主人は何ともいえぬ顔でその光景を眺めており、ブレトはただただ苦笑いを浮かべるしかない。

 そこから涙の大合唱がしばらく続いていたが、泣くというのは多大な労力を強いるものであり長く続けられるものではなかった。カブリもオーグルも目元を真っ赤に腫らし、肩を震わせてはいたもののある程度の落ち着きを取り戻す。


「おぉ……何ということだ、俺が自身の手で破壊していたとは……。し、しかしだオーグルよ剣というものは折れようとて打ち直すことが出来るもの。破片を集め、再び火を入れて<炉のゴルドクルム>の加護があれば復活できるのではないだろうか?」

 震えながら発せられたカブリの問いにオーグルは嘆息し、首を横に振った。カブリの言うとおり、ただ折れただけならばまだ直す方法もあっただろう。しかし現実はそうではなかったのである。


「お前の言うことは最もだがな、粉微塵に砕けてしまっている。そんな粉を集めるのは土台無理な話であるし、集められた所でそこから剣に戻せる職人がどこにいるというのだ」

 突きつけられた事実にカブリの肩はまたも震えを増してゆき、オーグルは慰めるかのように彼の肩に手を置いた。


「えぇい俺の腕に匹敵する戦士が泣くな、考えてみれば俺の<狼の爪>が砕けてしまうのも無理は無い話よ。人もそうだが者にだって寿命がある、あの剣が生まれたのはもう数百年は前のこと。たまたまお前が砕いただけであって、いずれ砕けていたことには違いない。それに考えようによっては運の良い話だ」

「運が良いだと? 一体どこに良い話があるというのだオーグルよ、モウランが使いし剣はこの世から永遠に失われてしまった。悪い話はあれども良い話などどこにあるという」


「名前は残った。<狼の爪>を破ったのは<狼の爪>を模した贋作。ならばその贋作は真作を超えた新たなる<狼の爪>と言えよう。<狼の爪>を砕いたのが別の剣だったとしよう、その場合<狼の爪>はそれの踏み台とされてしまっていたはずだ。物は変われど名は継がれる、それを僥倖といわずして何といえばいいのか」


 言ってオーグルはカブリの腰を指差す。その先にあるのはドウジャル老が鍛え上げ、真作を超えた贋作の<狼の爪>である。

 カブリはじっと己が腰に佩いている剣に視線を落とす。そのまましばらく考え込んだ後、何を思ったかカブリは腰帯から鞘ごと剣を外すと机の上に置くだけでなくオーグルへと差し出した。


 カブリはこれまでこの剣が<狼の爪>であると吹聴してはいたが、それもこれも剣を作ったドウジャル老人の遺志を汲んでの事であり贋作であることは承知していた。しかし、今やこの剣は真の<狼の爪>となったを知れば自分よりも相応しい持ち主がいる。しかもそれは目の前にいるのである。

 オーグルはカブリの意思を察しはしたが何も言わず、眉間に皺を寄せつつ剣を見ていた。腕を組み、剣に手を伸ばす気配は無い。


「どういうつもりですか?」

 しばしの空白を置いてからブレトが問うた。カブリはすぐに答えず、ゆっくり息を吐き出してからこう言った。


「これが真の<狼の爪>だというなら、俺が持つべきではない。オーグルが振るうべきであろう」


 カブリは腕を組みつつ、剣を手にせんぞと主張するかのように体を引いた。しかし誰が見ても明らかなほど未練たっぷりで、顔を背けてはいるがカブリの目は何度も剣に向くのである。

 意地を張っているだけだと知ったブレトは呆れから肩を落とした。オーグルにちらりと目を向けてみれば、やっぱりこっちも腕を組んだまま微動だにしない。剣を見てはいるものの、決して手を伸ばしてなるものかと頑なになっていた。

 強情な二人に任せていては二進も三進も進まない、こうなってしまえばブレトが仲介するしかない。


「それで、この剣はどちらのものになるんですか?」

「「こいつの物だ!」」


 カブリとオーグルは一言一句違わぬ言葉を発すると同時、鏡に映したかのように寸分違わぬ動きで互いを指差すのである。どうもこの二人、根っこの部分は同じ作りをしているらしい。

「じゃどうしますか? この剣を叩き折って二つにするなんてことはできませんし」


 こんな話をしている暇は無かった。ブレトは早く終わらせたくて仕方が無い。カブリの頭からは抜けてしまっているようだが路銀の問題、というよりこのノートラの冬をどう越すか。あるいはどうやってノートラから抜け出すかという問題がある。

 各地を巡り歩いた経験があるだろうオーグルが目の前にいる、手伝ってくれるまではいかなくとも助言の一つはしてくれそうな彼だ。早く本題に戻りたいがカブリの性格上、剣の所有者をはっきりさせなければ先に進めぬこともブレトは理解していた。


「<狼の爪>といえば英雄モウランの剣だ、この剣は彼が使っていたものではない。しかしそれを継ぐもの、であればモウランの血を継ぎしオーグルが手にするのが道理だろう」

 カブリは剣を手に取るとオーグルへと押しやった、しかしオーグルは受け取らない。腕を組み目を閉じたまま首を横に振る。

「カブリの言うことに理はあるが、我が剣にはならん。<狼の爪>は我が祖先モウランの剣だ、けども今ここにある<狼の爪>はモウランの剣じゃあない。それにな、この剣はお前がドワーフの老人から託されたものだろうに。それを簡単に渡すものではない、今なら世迷いごとを口にしたことも忘れられる。早く剣を腰に佩け」


 この言葉にカブリは何も言い返すことが出来なかった。

 オーグルの言うとおりだった。この剣は老いたドワーフの職人ドウジャルが命の炎で鍛え上げ、カブリに託したものである。その事を忘れてしまったわけではなかったのだが、譲渡しようとした己の浅薄を恥じるカブリだった。


 さて、これにて剣の話はひと段落付くことになる。簡単なものではあったがオーグルの身の上話も聞いた、これでようやく本題に入ることが出来るとブレトは一人胸を撫で下ろしていた。

「剣を佩きなおしながらで良いので聞いて欲しいのですが、カブリさん。これからどうします?」

「ん、どうするとは何のことだ……?」

 カブリという男は一つのことしか目に入れられない。オーグルと<狼の爪>の話をしている間に立ち向かわなければならぬ問題の事はどこか行ってしまったらしい。


 いつものように呆れるブレトだったが、同時に都合が良いとも感じていた。というのもブレトは旅慣れているだろうオーグルに助言を求めたい、そのためにも今置かれている状況を話す必要があるのだが、それをごく自然な流れで出来るのである。

「どうやってこのノートラの冬を越すかという話ですよ。もう路銀は尽き掛けてます」

「お前等金が無かったのか? だというのに俺に施したというのか?」

 驚いたのはオーグルである、満腹になるまで肉と酒を馳走になっている。まさか金もないのに恵みはしないとばかり思っていた。


「知り合いがこんな風体で現れたら手を差し伸べるのが理というものだろう。礼の言葉も要らんぞ、当たり前のことをしただけだからな」

 カブリは心の底からこう思っている、それを感じ取ったオーグルは流石に恐縮してしまい僅かとはいえど身を小さくしてしまった。


「礼は要らぬと言われたが、このオーグル。ノートラの地にはある程度の知見があるつもりだ、金が無いなら手は二つ。一つ、村に正直に話せ。雪国は人手が要るからな、お前等のような大男二人が働くなら一冬の間ぐらい越させてくれるさ。

二つ、余力のある今のうちに温暖な南へと行ってしまうことだな。夏の道は使えないが、冬には冬の道がある。あんまり薦められんがな」

「薦められない、とはどういう理由で?」


 ブレトが問うとオーグルは天井を見上げつつ息を吐き出す。

「巨人が出るのよ、身の丈は五〇〇か六〇〇といったところか。小さなやつでも俺達の二倍以上の背丈のあるでかいやつらがな、冬の道あたりにうろついている。安全とは言い難い、止した方が無難だな」

「ほぅ巨人とな」

「なるほど、巨人ですか」

 カブリとブレトはそれぞれに呟き、各々の内に巨人の姿を思い浮かべてみた。巨人というからには大きさ以外は自分達と大きな違いは無い気がする、しかしそれならただ大きいだけの人ということ。


 オーグルの口ぶりは彼等が脅威であることを伝えているが、ただただ大きいだけの人間が脅威には思えない。特にカブリなどは子供の自分から大人を相手に剣の修練を積んでいる、自分より背丈が大きい相手との戦い方も心得ていた。


「それの何が怖いというのだ、大きいといっても形は俺達と変わらんのだろう? それに人というぐらいだ、言葉も喋れるのではないだろうか」

 カブリは思ったことをそのまま口に出し、ブレトはそれに同意の頷きを示す。これにオーグルは大きな大きな嘆息を吐き出した。

「そう思うのも無理ないが、巨人といっても言葉は解さない獣同然の連中よ。お前達の言うよう形は俺達と違いないが、目は一つしかなく牙はオーガ族と同じく鋭い肉食のものだ。立っていても地に指が付くほど腕は長いし、熊のように厚い毛と脂があって業物といえど刃で傷つけるのは難しい。それでもまだ恐れないといえるか?」


 ここまで言えば巨人の脅威が伝わるもの、オーグルはそう思っていた。ところがカブリもブレトも平然としたもので、オーグルが続きを話し出すのを待つ始末。

 オーグルは<巨人殺し>の二つ名を持つ男、イリシアに住む者の中で巨人を良く知る者の一人である。その彼からしてみれば、この二人の態度は信じられるものではなかった。


「本当に怖くないのか?」


 二人は頷いた、カブリもブレトも巨人に対して微塵の恐怖も感じていない。

 それというのもブレトには自信があった。如何に分厚い毛皮と脂があるといえ、彼は狩人である。これまでにも猪や熊といった厚い毛と脂を持つ獣を一矢で仕留めて来た経験があった。

 カブリも巨人を倒す自信はあるが根拠は無い、ただの蛮勇からくるものである。


 さてオーグル、二人のこの反応にほとほと感心してしまった。今までにも自分から、あるいは請われて巨人の話をして来た事は幾度と無くある。大体の者は巨人に対し恐れを抱いたし、名うての使い手ほど身を震わせることが多かった。

 だが目の前にいる二人はどうか。オーグルはブレトの腕前を知らないが、カブリの技については身に染みて知っている。そのカブリと共にあるのだからこのエルフも相応の腕前に違いないのだ。


 だというのに、語ってやったというのにこの二人に恐れは無いのである。これにオーグルは少しばかりの苛立ちを感じただけでなく、押し隠しているとはいえカブリに対して僅かな恨みの心を持っているのも事実。

 だからオーグルがこんな発言をするのも無理は無いことである。


「なら冬の道を通るのが最も良いだろう、雪国の冬を越すのは苦労も多いからな。それなら一時頑張って、雪降らぬ所まで帰ってしまうほうが楽というもの。飯を恵んでくれた礼だ、道を知っている俺が案内してやる。もっとも巨人を恐れない、というのであればだがな」


 この申し出は善意のものではなかったが、かといって悪意というほどのものでもない。カブリとブレトならば巨人と相対した所で死ぬような目に合うことは無いだろう。けれども出会えば顔を引きつらせるに違いない、それを見て恨みを晴らしてやろうというわけだ。

 オーグルがそんな事を考えているなんて二人が知る由も無い。小さなものとはいえ恨まれているなんて想像も出来ていない。その二人にとってオーグルの申し出は非常にありがたいものだった。


「それは非常に嬉しいですね、長く滞在できる余裕も無いですし。すぐに出立の準備を整えますのでお願いできますか?」

「もちろんだ、浮浪者同然に身をやつしはしても<巨人殺し>のオーグルよ。大船に乗ったつもりでいて欲しい」

 二人はほっと息を吐いた。彼が案内してくれるならば間違いは無いと思えたからだ。

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