鬼よさらば-4/4
ナの氏族の村に着いた頃は夕暮れ時で、家々からは夕餉の仕度のために煙が立ち上っていた。オーガ達はいつものように一行を迎え入れたが、彼らの顔には動揺の色が浮かぶ。
というのもオクトンがカブリとブレトを引き連れてやってくる時は必ず馬車で来ていたし、普段と比較して顔を強張らせていたからである。まだ何も聞かぬうちからオーガ達も、これは何かあったに違いないと察して族長ハザクを呼んで即座に会談の場を整えた。
場所として用意された家の中へと一行が入ると、そこではハザクが胡坐を組んで待ち構える。ハザクもただ事ではないのだろうと感じており、自然と顔を険しくしてしまう。オーガのそのような顔は人間の恐怖を引き起こすに充分な面構えであるが、オクトンは臆することなく彼の前に膝を着いて額を床に擦り合わせた。
「お、おい! ちょっと待ってくれ、不測の事態があったのだろうことは察していたがどうしていきなり地に頭をつける必要がある!? 我が友のカブリそしてブレト、どういうことか教えてくれ」
あまりの唐突な土下座にハザクは仰天し、つい取り乱してしまう。ここはオクトンが説明するところだろうと考えている二人は答えず、頭を下げ続けているオクトンへと目を向けた。
「申し訳ない……全ては、私のせいだ」
こう言われた所でハザクには何の話か理解できず、再び護衛の二人に説明を求めた。すぐにオクトンが話すだろうと二人は考えていたのだが、オクトンは罪の意識に押しつぶされてしまっており訳を言わずにただ謝るばかり。
これでは埒が明かぬと二人も胡坐を組み、都でまたもやオーガの悪評が広まってしまっていることを伝える。そしてこの状況はオクトンの欲望が招いたものであることも話した。
約束を違えたとしてハザクが激昂し、暴力に訴えるかもしれないと感じていたカブリは柄に手を伸ばしていたのだがそれは思い過ごしだった。話を聞き終えたハザクは怒るどころか、安心したように溜息を吐く。
「何だそんなことだったのか、そのぐらいのことは予想していたことだ。世の中上手くいくばかりではないし、嫌われ恐れられている自覚は持っている。そちらの不手際が原因かもしれないが、それが無くとも起きていたかもしれない話ではないか」
このハザクの言葉を聞いてもオクトンは頭を上げない。
「つまりオクトンさんを許す、ということですか?」
ブレトが問うとハザクは大きく頷いた。
「許すに決まっているじゃないか、許さないはずがない。それに実を言えば、我々はお前たちから下に見られているんじゃないかという不安があったのだ。ナの氏族は見栄を張ったところで一〇〇にも満たない、お前たちがその気になったら簡単に滅ぼされてしまうんだからな。なのにわざわざ謝りに来てくれたのだ、それは少なくとも対等の関係であると見做してくれているからではないのか」
ここでようやくオクトンは頭を上げて、瞳を輝かせてハザクを見た後、また床に頭を付けた。これにはハザクも対応に困って苦笑を浮かべるしかなく、カブリはオクトンの肩を掴んで床から引き剥がす。
「えぇい、謝りたいのは分かるがもう止さんか。いい加減に困らせてしまっとるだろうが、そろそろ次の話をしたらどうだ? 他の商人を紹介したいのだろう」
「あぁそうです、その話をしなければいけなかった。ハザクさん、オーガの悪評が新たに流れてしまったのは偏に私があなた方との交易路を独占していたことにあります。ですので今からでは遅いかもしれませんが、何名かの新たな商人を紹介したい。それらは私が子供の時からの友人です、私がそうであったように最初はオーガ族を恐れるでしょうがそれは最初だけ。すぐに打ち解けることが出来ると思います」
オクトンだけでなく一行は二つ返事で承諾するものと考えていた。ナの氏族は多くの交流を望んでいるのだ、断るはずが無いと。
しかしハザクは返事をしなかった、目を瞑って腕を組み深く考え込んでいた。
「どうしたのですか? あなた方は元々、オーガ族以外の種族との交流を望んでいたはずでは。これはそこに繋がる大きな一歩だと思いますよ」
ブレトが言うとハザクは、その通りだとでも言うように頷きを返しはしたが承諾はしない。
「悪くない提案ではある。だがここは小さな村で、大勢の商人が訪れたところで売れるものが少ないのだ。我々と交易を行う商人が増えるのは喜ばしいが、せいぜい後二人が限度といったところだろう。それよりもだ、楽師や絵師を呼んではくれまいか? そうだ、戦士も良いな。商売だけでなく、音楽や武術といった……そう、文化だ! 文化的な交流を行いたい」
オクトンは目を瞬かせて後ろを振り返る、そこにいるのはカブリとブレトである。カブリは剣に優れた戦士で、ブレトは弓を得意とする狩人であると同時に十二の弦を使う楽師でもあった。
ハザクの望みを叶えるにはうってつけの人材であり、この二人にはもちろん戦士や楽師の友がいる。
「分かった、それが望みとあればオーガの武術に興味を持ちそうなやつがいる。巨人殺しのオーグルなどちょうど良いだろう、オーガの力強い剣技を間近に見れるとあれば喜んでやって来るぞ。ブレトにもそういう仲間はいるだろう?」
「私が楽師を始めたのは最近のことですから知り合いは多くありませんが、芸術家らしく好奇心に溢れた人が多いですからね。既に三人ほど頭に浮かんでいますよ」
この言葉にハザクは大いに喜び、大きく息を吐き出して肩の力が抜ける。緊張で固くなっていたのは三人だけでなく、ハザクも同じだったのだ。こういうところでも種族は違えど、同じ人なのだと互いに通じ合い四人は笑いあう。
こうして協議は終わった。流れてしまった悪評が消えたわけではないが、方針が決まり不安は残るが希望が見える。そしてここはオーガの村であり、やる事は決まっていた。
酒盛りである、何かあるたびに共に酒を飲み語らい芸を披露するのがオーガの慣わしだ。といってもそう毎回、豪勢な事は出来ないがそれでもハザクはざっと二〇は超える酒瓶と小鹿一頭分の肉を用意させる。
今回の宴会は小規模なもので、参加者は四人。後は給仕役をしてくれる若い女性が二人いるだけだ。今はこの小ささが都合が良かった、先の協議で決まった方針を具体的な策にするための話をするのにはちょうど良い。
酒は人の口を軽くさせ不仲にさせてしまうことも多いが、用量を間違えなければ饒舌にさせてくれる。四人はちっぽけな案でも躊躇うことなく口に出し、肯定することもあれば遠慮なく批判することもあった。
そうして少しずつ、だけれど確実に方策が立てられてゆき深夜になった。四人は眠気も忘れて熱心に語り合っていたが、給仕の二人はいつの間にか寝こけてしまっており辺りは静かなもの。
「馬車も引かずに険しい顔をして来られた時には何事かと不安に思ったが、こうして話をしていると不安に思うことなど無かったと感じられる。都の友人を力強く思うよ……ん、酒がなくなったか?」
ハザクは手酌で酒を注ごうとしたが瓶からは一滴も落ちてこない、別の瓶へと手を伸ばしたがそれも空になっていた。やることは定まっているのだし、酒も無くなったならお開きの時が来たということだろう。
寝る前に後片付けが必要だ、ということでハザクは給仕をしてくれていた二人の女の肩を揺すった。しかし随分と深く眠っているらしくすぐには起きず、四人は笑い自分たちで後片付けを始める。その時、不意に外が騒がしくなった。
こんな夜更けに一体なにがあったというのか、ただ事ではない。オクトン以外の戦う術を持つ三人は耳をそばだてながらそれぞれの得物を手に取った。そこに扉が開かれて、一人の女が入ってきた。
ガムナだった。彼女は全身に玉のような汗を浮かべ、口を半開きに肩を大きく上下させている。驚きながらも理由を聞くためにハザクが近寄ると、彼女はうつ伏せに倒れその背には深々と二本の矢が突き立っていた。
カブリとブレトはその矢羽に見覚えがあった、パンネイル=フスで最も広く使われているものだったのである。声にならない声が喉から漏れ、あまりのことに身動きが出来なくなってしまう。
「どうした!? 何があった!?」
ハザクがガムナの体を抱き起こす、突き立った矢は胃や肺腑を傷つけていた。彼女の口から血の塊があふれ出し、床の上にどす黒い血溜りを作る。
「森がちょっとおかしくてね……様子を見に行ったのさ、そしたら都の奴がいたのさ」
またガムナが多量の血を吐き、生臭さが室内に広がってゆく。血溜りの広さが、立ち込める香りが傷の深さを告げている。極上の薬草を用いても、最新の医術を用いても、腕利きの魔術師を連れて来たところで彼女はもう助からない。
この場の誰もがそれを知り、ハザクは喋らなくて良いと伝えるように首を振った。しかしガムナはハザクの手首に痕が付くほど強く掴み、口から血を溢れさせながらも喉を動かす。
「こいつらの仲間かもしれないと思ったのさ、だったら友達だ。違った、襲われた。ちくしょう……なんで」
ガムナは事切れ、彼女はただの肉の塊と化した。ハザクは遺骸を横たえると目を血走らせながらオクトンに歩み寄り胸倉を掴んで持ち上げる。
「貴様……貴様か!? 貴様が裏切ったのか!?」
怒声に大気が震え、オクトンはハザクの本気の形相に瞳だけでなく全身を震わせ股間を濡らす。必死に言葉を紡ごうとするが、体の震えが酷すぎて言葉にならぬ音だけが漏れる。
思わず詰め寄ってしまったがハザクは裏切りではないと知っていた。オクトンだけではない、カブリやブレトもそういう人物ではない。頭では分かっているのだ、この三人にオークと敵対する理由は無いし利用されたのだろうということまで察している。
それでも胸倉を掴む手から力が抜けない、どうしようもない怒りはやり場が無かった。
「私たちじゃありませんよ、ですけど責任は私たちにあります。オクトンは欲に目が眩んだ、私とカブリさんは希望に目が眩んだ。楽観的に物事を見すぎていた、尾行されるなんて想像できていなかった。考えれば分かることだったのでしょう、都の人がオーガと戦う理由が無いと思い込んでいた」
ハザクを落ち着かせようと、ブレトは怒りで頭髪を逆立てながらも淡々とした口調で語りハザクの肩を叩く。ハザクも冷静になるため唇をかみ締め、鉄の味を口の中に感じたが行き場の無い怒りはブレトの顔面に拳を叩き込んでいた。
ブレトも避ける気は無く、強烈な一撃を頬に食らって床に倒れる。理不尽な一撃である、ハザクは滝のように涙を流しながら吼えるしか出来なかった。
カブリはこれらを横目で見つつ、騒ぎで目を覚ました給仕に縄とどんな色でも良いから染料を持ってくるように指示を出す。二人の給仕は眠りから覚めたばかりで胡乱なままだったが、カブリの剣幕に圧されて用意を始めた。
「ハザクよ、誇り高いオーガのお前は戦うつもりだろう。これからナの氏族を集めて、森に入った都の連中と一線を交えるつもりだ、そうだろう?」
「もちろんだカブリ! ガムナは殺された! それでもまだ! 俺の中では都と仲良くしたいという思いがまだある、けれどもけれどもだ! せめて、せめて彼女の仇だけは討たねばならん!」
「ならん!」
一喝するカブリの声はハザクに負けず劣らず大きなもので、この音の圧で僅かながらハザクの瞳に理性の光が戻った。
「良いかハザク、お前らは逃げろ。オーガは戦っちゃあならん、都のどんな奴がやって来たのか知らん。最悪、軍かもしれん。仇討ちを望むのは痛いほど分かるとも、しかしここでお前らが戦えば都の連中はオーガを敵と見做す。また一〇〇年の間はお前の望みが適わなくなるぞ、だからここは涙を飲んでくれ。彼女の、ガムナの仇は俺とブレトが獲る」
「何を言うんだ、お前の理屈は分かるぞ。けれど殺されたのは氏族の女だ! これはナの氏族が獲るべき仇だ! お前達が仇討ちする理由がどこにある!?」
「少しは冷静にならんか!」
カブリの拳はハザクを床に叩きつける。骨にまで響いてきた拳にハザクな一瞬だけ頭を白くしたが、怒りの炎も静まった。そしてカブリの言葉を咀嚼し、涙を流す。理屈は分かる、感情が付いてこなかった。
涙を流すハザクを尻目にカブリは給仕から縄と染料を受け取ると、オクトンに猿轡をかませて縛り上げ染料を使って顔に適当に呪文のように見えそうな図形を描く。訳が分かっていないオクトンが暴れたので、カブリは頬をひっぱたいて黙らせた。
「お前は賊に捕らわれたということにしておけ、まぁ話は自分ででっち上げろ。妻のいるお前は都に帰らねばならんからな、戦う必要は無い」
「えぇ、そうですね。オクトンさんが戦う必要は無い、私とカブリさんだけでやります。ガムナさんを殺した奴は、私としても許しがたい。体が焼けそうだ」
立ち上がったブレトは口の中に溜まった血を唾と共に吐き出し、弓に弦を張って矢筒を背負う。
「どうして、どうしてだ? お前たちも逃げれば良いだろう、どうして戦う?」
震える声でハザクが問う。
「ガムナさんは私たちと同じだったんですよ、それに……友のために命を張る、当たり前でしょう?」
「あぁ、ブレトの言う通り。これは友の為の戦いであると同時に己の為でもある、とりあえずお前らは逃げろ。俺達は都の連中とやりあった所で夜の森の中でのことだ、賊と勘違いした。とでも言えば言い訳が出来るからな」
カブリとブレトは二人して快活に笑った。これにハザクは涙を止めて立ち上がる。
「分かった、ここは任せて俺達は逃げる。けどこれは別れなんかじゃあないからな、必ず再会しよう。その時は必ず、理屈も理由も抜きにして力になることを約束しよう」
「そうだな、その時は腹に収め切れんほどの脂滴る肉を用意してもらおうか」
「では私は溺れるほどの果実酒を用意してもらいましょう。あ、オクトンさんは見つかりやすそうな場所に転がしといてください。そうしたら保護してもらえるでしょうから」
これを別れの言葉として二人は家を、村を飛び出し森の中へと入っていった。カブリはわざと低木を薙ぎ払いながら音を鳴らして自らの位置を知らせながら進み、ブレトは木に登ると枝から枝へと飛び移り精霊の助けを借りながら敵の位置を探る。
敵はすぐそこまで迫っていると思っていたが、想像していたよりかは村との距離が開いていた。松明の明かりが五つ横に並んでいる、この数の三倍から五倍はいるだろう。そして森の外で待っている者がいるかもしれない、憶測に過ぎないが五〇に近いはずだ。
村と距離があるのは幸いだ、仕掛けるならば今しかないとカブリは一際大きな音を立てそれを合図に樹上のブレトは動きを止める。ゆっくりと進んでいた五つの明かりは全ての動きを止め、これを見たカブリは剣を口に咥えた。
体を低く四つん這いになると手を足として使い、四足の獣となって森の中を一息に明かりの元まで駆け抜ける。地面から飛び上がり松明を持っていた兵士の首筋に、咥えた剣で切りつけた。鮮血の飛沫が全身を濡らし、突然の襲撃に兵士達は声を上げて混乱をきたす。
そこに樹上からブレトの矢が飛来して頭を打ち抜く。混乱の声は大きくなり、どこかにいるらしい隊長格が声を上げるが流れはもう二人に傾いていた。幾ら数が多いとはいえ平静を失った兵士はカブリの敵ではない。
二本の足で立ち上がったカブリは吠えたけりながら剣を振るい、夜闇に白銀の軌跡を描くたびに真っ赤な血が散る。腕が飛ぶ、足が飛ぶ、首が飛ぶ。逃げようとすればその背に矢が突き立って、心臓を貫き息の根を止めてゆく。
兵士の目にブレトは映らない、見えるカブリを叩こうと包囲を試みる。だが樹上からの狙撃は後ろや横に回るのを許さないし、矢を番える合間を縫って近づいたところで暴風と化したカブリは止まらない。
笛の音が鳴り響いた、兵士達は一斉に背を向けて走り出したがカブリはそれを追わない。ブレトは狙えるだけその背に矢を射ったが、カブリ同様追撃する気は無く届かぬ距離となれば弓を下ろす。
二人は一時身を潜めたが、心臓が二〇〇拍しても敵が戻ってくる様子は無かったので大きく息を吐き出してカブリは立ち上がり、ブレトは樹から下りる。そして二人は倒した兵士の元へと近寄り、まだ呼吸をしていると見れば躊躇うことなく止めを差した。
そうして全ての兵士が黄泉路へ旅立ったことを確認してから村へと戻る。戦っていた時間は長いものではなかったが、そこにナの氏族の姿は無い。逃げ遅れたものがいないかを見て回ったが、家財道具などは全て残っていた。
着の身着のままで逃げたらしいが、それにしたって動きが早い。ハザクは口にしていなかったが、彼らはこうなることをどこかで覚悟していたのだろう。そうでなければこの早さに説明が付かない。
村の真ん中に戻ると、猿轡をかまされ縛られているオクトンが身じろぎし唸り声を上げる。早く縄を解けということなのだが、カブリもブレトも首を横に振るばかりで彼に手を伸ばそうとしない。
「すぐ助けが来るからそのままでいろ、襲ってきた連中を全員ぶっ潰したわけではない。また一日と経たずにやってくるさ、それに俺達といると余計な咎を負う羽目になる。妻を泣かせたくなければそのまま大人しくしているが良い」
カブリに言われてもオクトンは暴れまわっていたが、二人が視線を向けすらしないことに観念して大人しく待つことにした。オクトンにも彼らが戦ったのは都の人間だということは分かっているし、こうして被害者の振りをした方が裁かれずに済むというもの。
「で、これからどうします? 装備は良く分かりませんでしたが、引く時のあの手際。多分ですけど、領主ハーディガンの兵隊ですよ。オクトンさんは大丈夫かもしれませんが、私らが戻ってしまうと捕縛されちゃいますけど」
「ブレトよ、分かりきっとることを聞くんじゃあない。都に戻れるはずが無いのだから、戻るにしたってどこかでほとぼりを冷めるのを待たねばならん」
「えぇそうですよ。ですから、そのほとぼりをどこで冷ますかという話をしているのです」
二人は話しながら村に残された水と食料を纏め、乗ってきた馬に乗せて自分たちも背に跨った。けれどもまだ出発はしない、どこを目的とするか悩んでいたのだ。
広い世界をこの目にしようと故郷を離れた二人ではあるが、都を根城にしていたために思い返してみれば足を運んだ場所は思っていたよりも少ないことに気づいていた。南の砂漠を渡ったことはないし、東の山脈を超えたことも無い。北には行ったが凍てつく氷原の向こうにはいかなかった。
「あ、そうだ。カブリさんは海を見たことありますか? 私は無いんですけど」
「海か……そういえば俺も無いな、聞くところによれば西の海には<不夜の都>なる都市があるらしいな。なんでもそこはパンネイル=フス以上に多くの種族が共に暮らしているらしい」
ブレトの中で目的地は決まったも同然だった、互いに海を見たことが無いのであれば海が良い。それに<不夜の都>というものがどんな場所なのか気になった、口に出すぐらいなのだからカブリも興味を持っているに違いない。
なら目的地はそこだ、相棒も同じ考えに決まっている。敵はまたすぐやってくるかもしれない、ブレトは馬の腹を蹴って歩かせたがカブリは付いてこなかった。慌てて手綱を引いて馬を止める。
「どうしたんですか? 早くその<不夜の都>に行きましょうよ」
催促してもカブリは動かず、いたわるように馬の首を撫でていた。
「ふと思ったのだが、そこはオーガもいるのだろうか。いなかったとして、受け入れられるのだろうかな?」
「受け入れられるかもしれませんけど、いないでしょう。人間もエルフもドワーフも、オーガ族に手痛い目に合わされた記録がありますからね。ケンタウロスにだってあるかもしれない、どうしたんですか急に?」
「人は争うもんだと思っとる、けれど種族間で諍いをするのは気に入らんのだ。どこかそんな場所があれば良いのに、なんてことを柄にも無く考えてしまっただけよ」
「はぁ、そんなのは無いでしょうからね。欲しいなら作るしかないんじゃないですか」
ブレトは冗談のつもりだった、土台も無いのに国を作るなど土台無理な話である。無理や無茶という言葉を知らぬカブリだって不可能だということは分かっているはずだった。
しかしこのカブリという男、本当に無理や無茶という言葉を知らない。
「そうか! そうだな、簡単な話ではないか! 無いなら作ってしまえばよいに決まってるじゃないか、流石はブレト我が友よ! そうと決まれば早速<不夜の都>に行こうではないか、国を作るとなれば多くを知らねばならん。パンネイル=フスではない別の、多くの地を知らねばならぬ!」
背筋を伸ばしたカブリの目は爛々と輝いてた。どう見ても本気の輝きである、幾らなんでも国を作るは無謀の極み。さっきのはただの冗談だ、そう言おうとしたのだが早くもカブリは馬を全速力で駆けさせた。
「ちょっと待ってくださいよ! さっきのは冗談、冗談ですからね!」
慌てて追って声を掛けたがカブリの耳には届いていない、彼はあっという間に森の暗闇の中へと突入していく。置いて行かれるわけにはいかず、ブレトも馬を駆けさせ闇の中へと溶けて行く。
こうして二人は<混迷の都>を去ることになったのだが、<不夜の都>へ辿り着けたのか、カブリが本当に国を興したのかは定かではない。
ただ後の世に生まれたエトルハイムという国があり、この国の歴史書は以下の一文で始まっている。
我が国の礎を築いたのは偉大なる男カブリ・エートリア。
ここで言われているカブリが、語ってきたカブリと同じ男であるかは分からない。というのも彼は姓を持っていない、されどカブリの名は確かに歴史に刻まれている。
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