欲望の肉塊
剣と魔法の世界イリシア。それはどこにあるのだろうか、次元の壁を隔てた向こう側なのか。星間宇宙を渡った別銀河の惑星なのか、夢の階段を下りた先にあるのだろうか。もしかすると足の下、地底深くに広がる世界かもしれない。
どこにあるかはわからない、けれども確かにあるそのイリシアの世界にソーラム=ヴァドという村があった。さして大きな村ではないし特筆すべきところは何もない農村であるから、名前が知られているわけでもない。
ある日のこと、そんなソーラム=ヴァドの畑に真ん中に不可思議なものが現れた。成人男性ほどの大きさの薄桃色をした肉の塊である。柔らかな脂肪の塊のそれには手足に見えなくはないものがついており、毛はないし目や鼻もないのだが口のよう見える穴がついた頭部らしきものもあった。
粘土を捏ねて作った人形を潰したようにも見えるこの肉塊は醜悪で、近づけば酸味のする臭いがした。
この奇怪な肉にソーラム=ヴァドの人々は魔物が現れたのかと思い警戒したのだが、この肉塊は人々が近づいても特にこれといった動きを見せなかった。勇気ある若者が近づいても弛んだ皮膚を揺らしながら呼吸をするだけであり、それ以上の反応をしない。
危険は無いようだったが畑の真ん中にあるのは邪魔で仕方がない。村の男たちが数名で塊を取り除こうとしたのだが、大地深くに根を生やした大樹のように微動だにしなかった。これに村人たちは困ったが、声をかけても返事をせず、殴ってみても痛がる様子を見せないそれを放っておく事にした。
この肉は何もしないのだし、酸味のある臭いは不快ではあったがそれも近づかなければ問題なかった。虫や害獣を招き寄せる気配はないし、その反対にこの肉が現れてからというものどういうわけだか虫や獣が畑に近づくことはなくなっていた。
作物を育てる邪魔にはなるが、糧を奪うものを遠ざけてくれる案山子がやって来たのだと村人は思うことにしたのである。
当初は何も起きなかった。肉の塊はただそこにあるだけで、酸味のある臭いを放ち虫や獣を遠ざけていた。村もあれはどこかの誰かが寄越した便利な道具のようなものなのだろう、そんな都合の良い考えを抱き始めていたほどだった。
しかしそうではなかったのである。この肉は何もしていないわけではなかったのだ。肉は足を地面に広げ、畑いっぱいに根として広げていたのだ。そして食事を始めた。
あっという間に畑の作物は枯れ果てた。
それだけでは終わらなかった、食われたのは作物だけではなく土に含まれる全てだった。土は色を失い、生気を失った白い粉のようなものへと変貌し、肉を中心に命の無い世界が広がっていったのである。
村の誰もが顔を蒼白にし、肉を倒そうと思い思いの武器を手に立ち向かったが何の効果も無かった。刃を突き立てても分厚い皮膚は中までそれを通さない。重く大きな槌で殴ろうと柔らかな肉が衝撃を吸収してしまうので意味を成さないのである。
そして人々が何をしても反応を見せなかったが肉だが、ここに来て反撃を行った。一対の触腕に見える手で人を掴むと、歯のない口の中に放り込み肉をこそぎ落とし白骨にしてしまうとそれをしゃぶったのである。
恐れ戦いた村の人々は領主に助けを求めた。領主もこれは一大事と兵を派遣したが、村人たちと同じ結末を辿った。魔法使いも呼び、あらゆる魔法や呪いを掛けてみたがこれも効果はなく肉の塊はぽっかりと開いた口からくぐもった笑いを響かせるのだった。
肉は欲望を意味する古語であるスウロンという名で呼ばれるようになり、ソーラム=ヴァドの名はスウロンと共にイリシアの中心にあるパンネイル=フスにまで届き、<銀夢亭>にたむろする蛮族のカブリと鉄弓のブレトの二人の英雄の耳にも入った。
好奇心が旺盛で脅威を求め多くの冒険をこなす彼らであったが、<貪欲なスウロン>の話を知っても蒸留酒と葡萄酒を煽るだけで決して動こうとはしない。というのもカブリとブレトの二人は冒険を一つこなした直後であり、すぐ新たな冒険に出る活力を一時的に喪失していたのである。
では彼らは何をしているのかというと、テーブルの上に戦利品を広げて売るものと手元に置くものを仕分けていた。目ぼしいものは少なかったが、中にはこれはというものもあり、カブリとブレトのどちらがそれを手にするのか口論し<銀夢亭>を賑わせるのに一役買っていた。
「ブレトよ俺はこの間の冒険でお前が活躍したのを認めているとも、そうだ決してそれを否定しようなどとは微塵も思ってもおらん。俺とお前は幾度も共に死線を潜った仲だ、俺がそんな安っぽく卑しい男などではないことは重々承知しているはずだ。しかし、しかしだ先の冒険で決め手となったのは俺の一太刀ではないか。となると少しぐらい俺のほうが恵まれるべきだ、それこそが道理というものではないか」
「何を言ってるんですか、カブリさんの一太刀が決め手となったのは事実だ。誰にも覆すことのできない真実というものです、私は嘘を好まない。大事なのは揺ぎ無い真実だからです、私とともに数多の脅威を目にしたあなたなら理解しているはずだ。ですが、その一太刀を入れることができたのは私の一矢があったからこそというもの。ですので私が多くとるのが好ましいのです、なぜならそれが正しいことだからですよ」
と、こんな調子で二人のやりとりは平行線をたどったままで決して交わろうとはしなかった。最初は穏やかに話していたのだが、いかんせん進展がないものだからどちらも少しずつ苛立ち始め声も荒くなってくるというもの。
気づけば長身の二人は椅子から立ち上がり、机を挟み顔を真っ赤にして額を突き合わすほどの距離で舌戦を繰り広げ始めてしまった。カブリもブレトもそのうち互いの得物に手をかけるのではないか、それほどまでに二人は怒りを高めつつあったが、そこに到達することはなかった。
二人は同時に辺りが静かなことに気づいたのである。パンネイル=フスにある多くの居酒屋がそうであるように、この<銀夢亭>には酔漢が集まり昼夜問わず人の声は絶えない。しかし今やしんと静まり返ってしまっていた。
英雄は互いの顔を見合わせ、店内をぐるりと見渡した。誰もいなくなったわけではない、酔っ払いどもは飲んで食べているし、給仕も忙しなく店内を歩き回っている。ただ妙なことに、誰も喋ろうとしないのである。
これはまずいことになっていると察知した二人は喧嘩をしていたばかりにも関わらず、机の上の戦利品をかき集めると肩を並べて足早に店を出ようとした。だが遅かった、背後から伸びた手が二人の肩をがっちりと掴んでいる。
カブリは顔を顰め、ブレトは呆れ、同時に振り返った。そこにいるのは踊り子のように煌びやかな装飾品に身を包み、肌の多くを露出させ豊満な胸元と張り出した臀部を強調する褐色の女性だった。彼女は二人の顔を見るとぽってりとした唇を歪め、男性を刺激する笑みを浮かべて見せたが彼らの胸は高鳴らない。
彼女の頭部には人とは思えない巨大な山羊の角が伸びていたし、そもそも彼女は二人の英雄に厄介ごとばかりを持ち込んでくる魔法使い<妖艶なるニグラ>であったからだ。この女魔法使いは野獣の巣食う<黒山羊の森>から滅多に出てくることはないのだが、何かあるとこうして二人を捕まえにくるのである。周りが静かになったのもニグラの魔法によるものに違いない。
「お久しぶりね英雄さんたち。ところで、二人仲良くこれからどこへ行こうというのかしら?」
「あーニグラさんこんにちは、いやこの間手に入れた品物をですね山分けしたものですからこれから商人のところに売りに行こうとしていたところなのですよ」
ブレトが答えるとそうだそうだと、カブリは何度も風切り音がするほど首を縦に大きく振る。
「あらそう、それはお邪魔したわね。なんていうと思いましたか? 一部始終を見ていましたが、二人はどちらが多く分け前を取るかなんていう小さなことで子供みたいに喧嘩をしていたじゃありませんか。ブレトは真実を好むのですから否定はしませんね? カブリも事実を否定するような狭量な男ではありませんね? 何せ偉大な男になるのですから」
こう言われてしまってはぐうの音も出ない二人である。ニグラは二人よりも頭二つ以上は背が低いのだが、それよりも遥か高く見えた。
「ニグラよ俺たちが争っていたのとを止めに来たわけではあるまい。お前が森から出てくるときは俺たちにろくでもないことをやらそうというに決まっているのだ。俺たちを苛めて愉しんでいる暇があるなら、さっさとやらせたいことを言ったらどうなのだ」
子供みたいと言われたのがカブリには癪だったのだ。これ以上、突っ込ませてなるものかと凄んでみせたがニグラはどこ吹く風でひゅーと口笛を鳴らす始末である。
「おぉ怖いこと怖いこと。けれど私も忙しい身ですから、からかうのはまたとなく愉快で楽しいことですけれど暇なんてありません。あなた達は<貪欲なスウロン>を止めに行きなさい、今すぐです。あれを放っておけばとんでもないことになってしまいますからね、まさかとは思いますがスウロンを知らないなんてことはありませんね?」
「馬鹿にするでない。スウロンのことは聞き知っている、ソーラム=ヴァドの畑を荒らす不届き者だろう。そんなものにこのカブリが赴く必要などあるまい、畑を荒らす程度の連中は俺の故郷であるダンロンの民ならばあっという間に八つ裂きにし翌朝には磔になっているものだ。ソーラム=ヴァドの連中が情けないだけで、俺が行かねばならぬようなことなどあろうはずがない」
「いやいやカブリさんちょっと待ちなさい。<貪欲なスウロン>は私も聞いていますが、畑を荒らす程度ではないそうですよ。非常に醜悪で不気味な肉の塊で、土地を草一本生えないものに変えてしまうと聞いています。そこらの畑荒らしとはわけが違います」
「何を言っているんだ、同じではないか。ブレトは俺がスウロンを畑泥棒と一緒にしていると思っているのか? だとしたら言ってやるが同じではないと思っている、だが草一本生えないようにしようが作物を盗もうが畑を荒らす不届きものであることに変わりはないだろう」
ブレトもニグラも大きなため息を吐いた。<銀夢亭>だけでなく都中でスウロンの話はされているのだ。当然カブリが知らないはずはないのだが、随分と低く見ていることにブレトもニグラも肩を落とすしかなかった。
訂正してやらねばならないと思うブレトだったが、カブリが人の話を素直に聞かないことはよく知っていた。これはニグラも同じであって、面倒くささからこの二人はカブリに何か言おうという気はない。
「そのように思っているならそれで結構。この都にスウロンを見たことがある者は皆無でしょうし、二人は直に目の当たりにするのです。その時に知ればよろしい。はい、伝えることは伝えました。急がなければいけません、外に俊足の馬を用意してあげましたからすぐに行くこと。道中で必要になりそうなものも用意しておいてあげましたからね、私は優しい優しい魔法使いですから。二人の旅に旧き神の祝福を」
ニグラは歯を擦ったかのように聞こえる音を出した、これは彼女流の祝詞である。それが終わるとカブリとブレトの目は眩い光に襲われ、視界が白に染まる。それは一瞬のうちのことで、二人が目を開けるとそこにニグラはいなかった。
<銀夢亭>に喧騒が戻り、聞き慣れすぎて親しみすら覚えるほどの汚らしい言葉が聞こえてきた。ニグラは根城に戻ったのである。そう長くないやり取りではあったが、疲労を覚えた二人はため息を吐き<銀夢亭>の外へと出た。
そこには酔漢が行き交う<酔いどれ通り>には似つかわしくない毛並みの整った葦毛の馬が二頭いた。どちらも手綱をつけられ鞍を乗せられ、騎手を待っているように見える。背には鞍だけでなく荷も乗せられており、その中を覗いてみれば清水の入った水袋と糧食が入っていた。
なるほど、これがニグラの言っていた馬に違いない。二人は今も乗り気ではなかったのだが、ニグラに逆らう度胸は無かった。幾多の脅威に出会っているカブリとブレトであるが、ニグラを超える魔法使いにはお目にかかったことがないのだ。
もし彼女がその気になったらと思うとぞっとしないところがあり、畏れすら抱くほどなのである。なので二人は肩を落としながらも馬に跨り<貪欲なるスウロン>が猛威を振るうソーラム=ヴァドへと向かった。
馬はニグラに良く躾けられており、乗り手が手綱を引かずとも真っ直ぐに歩き続け止まることは決してなかった。止めようとして手綱を引いても蹄の音は止まらない。ソーラム=ヴァドへの旅の間、カブリもブレトも馬の背から降りることはできなかった。
食事も睡眠も全て馬の背で行わなければならなかった。こうして馬の背で過ごす事一週間、ソーラム=ヴァドへと近づくにつれて景色はうら寂しいものへと変わっていく。
路傍に生える草は細く小さく、獣の姿は見えず、空を飛ぶ鳥の姿もなく、臭いもない。土地は白く変わって行き、ソーラム=ヴァドに着くとそこには死の世界が広がっていた。村からは人の姿が消えており、残された家は今にも朽ち果てそうであった。
そんなだから畑があったであろうところに鎮座する<貪欲なるスウロン>の薄桃色は酷く目立つものだったし、不気味さをより強く感じさせる。ブレトは馬の背から下りてスウロンの姿を目にすると同時に身震いし、恐怖を覚え視線を逸らす。
しかしカブリはスウロンを見ても眉をひそめるだけで、恐怖を感じている様子はなく、じぃっとスウロンの姿を見ていた。
「なぁブレトよ、あのぶよぶよとした奇怪な肉の塊がスウロンなのだろうか。他にそれらしいものはないからな、俺はあれこそがスウロンだと思うのだがお前はどう思う?」
「そうでしょうね。薄桃色をしているあれが<貪欲なるスウロン>に違いありません。しかしね、何ですかあれは何だか人間のようにも見えなくはないし薄気味悪い。なんだか灰の上を歩いているみたいだし、生き物の姿も見えやしません。さっさとあれを何とかして帰りましょう、今なら<銀夢亭>の質の悪い葡萄酒でも天上の美酒に感じられそうです」
何とかしたいのはそうだが、ブレトにはその案が一切無かった。聞くところによればスウロンには刃だけでなく炎や魔法の類も通じなかったと聞いている。ブレトが持っている武器といえば鉄で出来た弓と何の変哲もない矢、それに短剣だけ。カブリも腰に佩いている長剣以外に武器は持っていなかった。
案がないからといって手をこまねいていても仕方がないので、ブレトはスウロンと充分な距離が空いていることを確かめてから弓に矢を番えたのだが、カブリはその腕を掴む。
「何をするんですか、あれを倒さないとニグラに何をされるか分かりませんよ。矢が通じないだろうことは分かっていますけれど、射てみればわかる事もあるでしょう」
「一週間しか経っておらんというのにお前はニグラに言われたことを忘れたのか。あやつはスウロンを止めろと言っただけで倒せとは言っておらん」
思い返してみれば確かにそうである、ニグラは止めろと言ったのであって倒せとは一言も言ってはいなかった。しかしどうやって止めろというのだ、辺り一帯を白くしているのはスウロンの仕業に違いない。倒してしまえば元通りになるだろうと考えているブレトにとっては、止めるのも倒すのも差はなかった。
「えぇ止めろと言っていましたね。ですけど同じことでしょう、ここもきっと緑があった。それを白くしているのはあの肉の塊に違いありません、白くするのを止めさせるなら倒してしまうしかないのでは?」
「お前は弓の腕が良いから目が良いとばかり思い込んでいたが節穴だったようだな。よく見てみるがよいブレトよ、あいつに頭のように見えないこともない部分があるだろう。そこに穴が開いている、なんだか口のように見えはしないか?」
「もちろん見えていますとも、けれどそれがなんだというのです。あの穴はおそらく口なんでしょう、食べ物を食べるか息をすることか、その両方に使っているだけの穴でしょう」
「俺もそうだと思う。だが口というやつはその二つだけに使うものではない。俺たちは今こうやって言葉を発してやり取りしているわけだが、その言葉は口から出ている。あやつにも口はある、もしかするとあやつも言葉を発するかもしれん」
ブレトは思わず面食らってしまった。こうして相対するとは思っていなかったが、スウロンについては聞き知っている。それによればスウロンは語りかけても返すことはなかったという。
驚きで呆けたように口を開けている間にも、カブリは迷いのない足取りでスウロンへと近づいていく。行くべきか、行かざるべきか。
ブレトが得意とするのは弓であり、彼を助けるにしても共に行く必要はない。身の安全というものを考えるのであれば、この場を動かずに矢を番えて様子を伺うのが良いだろう。
そうと分かっていても、ブレトは無防備にスウロンへと今も歩み続けるカブリを放って置く事が出来なかった為に彼と共にスウロンの眼前へと近づいた。
薄桃色の肉塊に近づくと酸味のある臭いがし、スウロンがぽっかりと開いた口で息を吐き出すと肉の腐った臭いがして吐き気を覚えた。ブレトは手で口を押さえているが、カブリは腕組みしたままスウロンの巨体を仰いでいる。
「俺の名はカブリ、<峻険なるダンロン山>に住まう一族の戦士として生まれ今は<混迷の都>に住む都会人だ。さぁ俺は名乗ったから次はお前の順番だ、<貪欲なるスウロン>という畑荒らしの不届きものは貴様のことか?」
薄桃色の巨体の表面が波打った、ぽっかと開いた口からくぐもった笑い声とも取れる音が響いた。
「我はそのような名で呼ばわれているのか。なるほど実に我に相応しい名である、如何にも我こそが貴様らがスウロンと呼ぶものである。カブリと言ったな、無謀にも我に近づいたことを褒め称えてやるから目を瞑っておいてやるが不愉快なところが一つある。この我を畑を荒らす不届きものと言ったな、それは実に実に不愉快だ。気分を害した」
「ほうそれはすまんかったな、けれども事実であろう。お前はこの村ソーラム=ヴァドの土地を白く変えてしまった、いやこの土地だけではない。隣の地まで白くなりつつある、それがお前の仕業であることを俺たちは知っているのだ。何ゆえそのような馬鹿げた事をするのだ、答えろ。そしてその答えによっては、俺の腰にある鋼が煌くことになるぞ」
スウロンの肉体が小刻みに揺れた。笑っているのではない、これは怒っているのだと受け取ったブレトはカブリの肩を掴んで下がるように促したが振り払われてしまった。
「馬鹿げた事だと抜かしよるか小童が。我は欲望なり、望むがままに土地を食らう欲そのものよ。いずれ全てを食らい飲み干すのだ、それこそが我が使命よ。貴様のような者なぞどうでも良いと思うておったが、その態度は癪に障る。この欲望の化身が食らってやろう」
口が大きく開かれた、肉の腐臭が強く吹き出すと共に薄桃色の手がカブリへと伸びた。ブレトは慌ててカブリの体を掴んで下がらせようとしたのだが、彼は微動だにしない。
このままでは自分まで食われてしまう、それだけは避けねばならないとブレトは飛びのくと共に醜悪な手がカブリの胴体を掴んだ。カブリは動かず、自身を掴む緩慢な手の動作を見下ろしていたかと思えばそれに噛み付き、食いちぎり、喉を鳴らした。スウロンの肉を食ったのだ。
これに驚いたのはブレトだけではなく、食われたスウロンもだった。薄桃色の肉はカブリから手を離す。
「なんだこのまずい肉は! 土地を食らう等と抜かしよるからさぞ美味いのではないかと思って食うてみれば、脂の味しかせんではないか。俺は牛のような味がするのではと思ったのだ、草を肥ゆらす土地を食らうのであればさぞ牛より旨い味がするのだろう、そう思った。だがこれはなんだ! 脂だ! 貴様は欲望の化身と名乗ったな、貴様のような味がするやつが欲望を名乗るとは笑わせてくれる。貴様のようなやつは欲望とは言わん、怠惰というのだ!」
「土地を食らうこの我を怠惰と抜かしよるか! 白くなるほど土地を吸い尽くす我より強欲なものなどこの世にあろうはずもなかろう、訂正せよ!」
「いいやしてなるものか! 貴様のようなものは怠惰以外のなにものでもあるものか、何が強欲だ。俺はお前より強欲なやつを知っている、どんなやつか教えてやろう。そいつは金貸しだ、商売をしようとしている奴を見つけ出して金を貸すのだ。それだけではないぞ、どうすれば商売が上手く行くのか相談にも乗ってやるのだ。そうして金借りが肥え太ったところで、それまでの暴利を一挙に貪るのだ。しかし、しかしだ全てを奪おうとはせんのだ。全てを奪ってしまえばそこでお終いになってしまうからな、せいぜい取って半分だ。それ以上は決して取らぬ、そうしてまた肥え太ればまた奪うのだ。何度も何度もな、それこそが強欲であろう。貴様のような脂の味しかせん怠惰とは決して違う」
カブリは真っ直ぐにスウロンを見上げていた。ブレトはそんなカブリに呆気にとられ、スウロンは小刻みに震えているようであった。
「なんという欲望か……なるほど、我のやり方ではいずれ全てが白くなり我が得るものがなくなってしまう。そうか、全てを奪うのではないだけでなく育てねばならぬのだな」
「そうだその通りだ、お前は実にものわかりのよいやつだな」
「自身こそが欲望の化身と嘯いていたことが今や恥ずかしく思う。しかし欲望こそ我が使命、カブリといったな。今の貴様の話はしかと聞き入れた、いずれ貴様に我こそが欲望であることを知らしめてくれようぞ。その時を楽しみに待つが良い」
「おう、待ってやろう。その時はまた貴様の肉を食らってやる、脂の味がしたら承知せんからな」
大地が揺れはじめた。最初は小さなものだったがすぐに立っていられないほどとなり、朽ち果てかけていたソーラム=ヴァドの家々が倒壊を始める。カブリもブレトも這いつくばって、真っ白な灰となった地面に捕まっている間にもスウロンは大地の中へと沈みこみ、そして消えた。
薄桃色の肉塊が消えると揺れも収まり、二人は立ち上がって服についた白い土を払い落とす。どこを見渡しても薄桃色の姿はなく、酸味のある臭いもしなくなっていた。
<貪欲なるスウロン>の暴挙を止められたのか定かではない。けれどもスウロンが姿を消すと、彼らを乗せてきた葦毛の馬が近寄ってきたので、二人はその背に跨った。馬は彼らが住処であるパンネイル=フスへと向かうのだった。
さてここから遥か遥か北にある極寒の地で新たな神が現れた。この神は碌に植物が育たない荒れた北の地に大きな恵みを齎し、大いに栄えさせた。そして栄えると多くの恵みを人々に求めたが、決してその全てを奪うようなことはせず求めても半分だった。
やがてこの新たな神は極寒の北部以外でも信仰されるようになり、パンネイル=フスの神々の仲間入りを果たした。
名を<緑のスウロン>というのだが、彼の神が<混迷の都>に訪れた時に二人の英雄はパンネイル=フスから遥か遠くにいってしまっており<緑のスウロン>を知ることはなかったのである。
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