16.阿久戸志連宣戦布告④

「ああーん? オトっちゃんのせいじゃあないぃ? きみ、”あの事件”のこと知ってるのぉ? 詳細な真相まで、知ってるのぉ? ねぇ? ねぇ? ゲラゲラゲラゲラ」


 阿久戸は、下品な高笑いを保健室いっぱいに響かせた。

 これが、阿久戸? あの、大人しくてどこか貴公子を思わせる、阿久戸志連だっていうのかよ? 阿久戸の本性だって言うのかよ……? く、くそ。こんなやつに。こんな下卑た野郎に、何が分かるっていうんだ。このまま、言われっぱなしでいいのかよ? 反論しなければ。反論するんだ、俺!


「おい、阿久戸。お前がどこまで知っているのか、俺には正直良く分からん。でもな。これだけは言っておきたいことがある。さっきのセリフ、莇から聞いたのか? だとしたら、“その先”は知らないのか?」


 俺は死力を振り絞って声を出した。もう、はっきり言って吐きそうだ。しかし、これだけは言ってやる。


「さっきの? ああ、『間違った人が寛容される』ってやつかい? あれは聞いたというか、“盗聴”してた。僕はね。莇飛鳥のカバンにね、盗聴器を仕込んでたんだ」

「なるほどな。お前、俺以上の下衆野郎だな」

「俺以上の、なんてご謙遜だね。僕にはあんなにたくさんの不名誉な二つ名、つかないから。そうならないよう“演技”してるし。僕、そういうのって得意なんだ」

「そいつは最低なニュースだな。その演技で、クラスメイトを騙してるんだ」

「そうだね。みんな、僕の笑顔にころっと騙されてくれるから。バカっていいよね、やりやすくって。ゲラゲラゲラゲラ」


 なんて胸糞悪くなるヤツなんだ。ラノベじゃこんなの当たり前に登場するけど、リアルでお目にかかれるとはな。感想として、絶対会いたくなかったってのが正直なところだが。


「ずいぶんと頭に自信があるようだな。無敵さんを昨日休ませたのも、今日のこの状態を作り出すためだったのか?」

「くす。僕にそこまで予測する力はないよ。偶然さ、偶然」


 どうだか。こいつの話を聞いていると、どうもこのクラスには、すでに意のままに操れるやつが何人かいそうだし。うお、こええ。マジかよ、こいつ。こう考えるととんでもねぇぞ。


「まぁいい。お前が誤解しているようだから教えておいてやるけどな。俺は『正しくある』なんてこと、莇飛鳥と約束してはいない」

「知ってるよ、そんなこと。もちろんね」

「なに?」

「約束は『あたしのことは忘れていいよ』でしょ? でもきみは『俺は絶対に忘れない』って答えた。これって『生涯お前しか愛さない』ってことなんでしょ? くすくす。凄いよね。中学生が、こんなことを言うなんて」

「お、おう……」


 赤面した。改めて人の口から聞かされると、超スーパー恥ずかしかった。今なら無敵さんとより良い自殺の方法をマジで議論出来ると思ったよ! うわあああああ!


「僕が怒っているのは約束がどうこうってことじゃあないよ。頭が悪いなぁ、ホズミくん。きみが『正しくある』ことで死ななければならなくなった莇の為に、きみには正しくいてもらわなければ困るんだ。僕はそれで怒っている」


 俺は黙って阿久戸を睨んだ。お前の言いたいことは分かる。分かり過ぎるほどに分かっている。でも、だからこそ素直には頷けない。認める気には、なれない……。


「な、なんなの? なんなの、阿久戸! あんた、オトっちゃんをどうするつもり!? オトっちゃんは! オトっちゃんは!」


 七谷が怒りを露わに叫び出した。どうしたんだ、七谷? お前、どうして泣いている!?


「オトっちゃんは! ただ、普通に静かに暮らしたいだけなんだよっ!」

「そんなの、僕が許さない」


 阿久戸が冷たく言い放つ。冷厳とした口調は、人を寄せ付けないものだった。


「じゃあ! こっちも、そんなの許さないっ!」


 対して、七谷は炎のようだ。くるくるウェーブヘアが、逆巻きそうな勢いだ。


「じゃあ、きみは僕の敵ってことになるね。でもさ。どうしてそんな男を庇うんだい? きみは本当に知ってるの? その男が……」


 阿久戸の顔が、邪悪に歪んだ。


「その男が、“人殺し”だっていうことを!」


 ぷちんと。

 何かが切れた音がした。

 そして。


「ぐあっ!」


 鈍い音と共に、阿久戸が保健室の壁に叩きつけられていた。顔はぐりんと不自然に横を向き、首が捻じられるような形になっている。阿久戸が叩きつけられた薬棚のガラスが割れ、いくつかの薬品が転げ落ち、ぱりんと床で爆ぜていた。俺は阿久戸の反対側へと振り返った。そこには。


「七谷!」


 七谷は、右の拳を突きだしたまま、「はぁ、はぁ」と荒い息を吐き出していた。左の拳は腰のあたりに引かれている。それは鍛えられた者のみが持つ形だった。

 殴った? こいつ、阿久戸を殴り飛ばしやがった!

 無敵さんにボディを殴られた時には「ボクサーみたいだ」と思ったが、七谷の場合は「空手家」だ。素人目にも分かるほどに美しい正拳突きが、的確に阿久戸の頬を打っていた。


「オトっちゃんは! 人なんて! 殺してないっ!」


 七谷は大粒の涙をぼろぼろとこぼし、子どものように叫んでいた。


「あはっ。あははははははははは! いいよ! いいだろう! これで“駒”が一つ増えた! きみも晴れて僕の“駒”だ、七谷菜々美! 無敵さんと同じくね! あーっはっはっはっはっはっは!」

「“駒”? 無敵さんと同じ? どういう意味だ、阿久戸?」


 ぐ、ぐぐっとよろけながら立ち上がった阿久戸が、口元の血を腕でぐいっと拭いとる。だが、血はあとからあとから流れていた。それでも、阿久戸は笑い続ける。


「全く、さすがは空手の元ジュニアチャンピオンだね。僕の反射神経がもう少しお粗末なものだったら、顎の骨が砕けていたかもしれないよ」


 阿久戸は俺の問いを無視し、手をやった顎をこきこきと鳴らしている。


「空手のジュニアチャンプ、だって? 七谷が?」


 嘘だろ。くるくるウェーブヘアでブルーのカラコン入れた超ミニスカの空手チャンプなんているのかよ? 空手のイメージを破壊しまくってるじゃんか! 

 でも、格ゲーのキャラならこんなのいそう。てか、確実にいる。そして、俺なら絶対使ってる。


「砕けりゃ良かったのに。砕くつもりで放った正拳突きだったんだからさ」


 七谷は突き出した腕を肘から畳み、自分の顔の前でぐっと拳を掲げた。心なしか、言葉使いがワイルドになっている。あ、あれ? こいつ、なんかカッコ良く見えてきちゃったんだけど?


 それにしても、と俺は七谷の拳を観察した。なんてきれいな拳なんだ。これ、本当に空手家の拳なの? これじゃあ空手やってるなんて気付かなくても無理はない。待てよ。つまりは、それだけこいつが“うまい”ってことなのか?

 真にきれいで正確な突きを放つ選手には、あのごつごつとしてて見た目美しいとは言えない『拳ダコ』が出来ないって聞いたことがある。もし本当にそうなのであれば、こいつが空手チャンプだって話も信憑性が高そうだ。


「砕くつもり、か。そうやって、何人も病院送りにしたんだね」

「おかしなこと言わないで。菜々美、試合で病院に送った人なんていないもん」

「だから。試合じゃない時だってことさ。そうだろ? 『ハニービー』?」

「な! あんた、なんでその呼び名を!」


 七谷の顔色がみるみる青くなっていく。『ハニービー』? みつばちってことだろ? それがどうしたっていうんだ?


「知っているとも、ハニービー。本当にさ、ウェブサイトって便利だよね。くすくすくす」

「ウェブサイト? それで調べたっていうのか、阿久戸?」

「そうさ。どこの学校にも“裏サイト”って便利なものがあるからね。僕はね、ホズミくん。ここへの入学初日、クラス全員の名前と出身校を記録して、帰宅してから全部漏れなく調べたのさ。クラスのみんなに関係する板、そしてログを、かなり過去まで遡って調べ上げた。七谷さんは、特に調べやすかったよ。中学では、有名人だったみたいだし。くすくす」

「……サイテー。あんた、サイテーの下衆野郎だよ!」


 怒鳴る七谷の声は震えていた。涙声? なにかを怖れている? どうしたんだ、七谷? お前も、もう普通じゃないぞ!


「あはは。下衆で結構。そんなのとっくに自覚していることだからね。それより、入学初日とは似ても似つかぬ姿だよね、七谷さん。二日目からは、とても、とっても素敵になった。それ、頑張っておしゃれしたんでしょ? どうもおしゃれを勘違いしちゃってるみたいだけれど。くすくす」

「うっ……」


 かぁっと七谷の顔が赤くなる。照れているなんてかわいい感じじゃない。これは、きっと羞恥だろう。


「中学校の同級生が今の七谷さんを見たら、どう言うかな? きっと、あんまりいいことは言わないだろうと思うけど。僕はそれをホズミくんに是非教えてあげたいんだよ。ククククク。ね、これってどうだろうね、七谷さん?」

「それ、脅し?」


 七谷がきっと阿久戸を睨んだ。


「そうとも。僕はね、初日から、みんなの様子を観察してた。どこにホズミくんを陥れる為の“ネタ”が落ちているか分からないからね。で、初日にさ、きみ、ずっとホズミくんを見ていたよね? 自己紹介の時も、かなり意識しちゃってた。でも、ホズミくんはまるで気付いていなかった」

「え?」


 俺はきょとんとしてしまった。七谷が、俺を? そういや俺、ずっと窓の外を見ていたっけ。無敵さんの自己紹介からはそれどころじゃなくなったけど。てことは、七谷って無敵さんよりも先に自己紹介していたわけか。なるほどな。俺、完璧に無視してたわ。


「だから、僕は七谷さんがどうするのかなーって興味をもって見ていたよ。そうしたら、二日目には別人だ。どうしてそこまでしてホズミくんに気付いて欲しいのかは僕も知らないんだけど。なるほど、それだけ派手にすれば、ホズミくんだって興味を示してくれるに違いない。ああ、そうきたのか、とか思ったら、笑いをこらえるのが大変だった」


 阿久戸が血で汚れた口をかぱっと広げ、「はははははは」と腹を押さえて笑い転げた。


「うるさいっ! うるさいうるさいうるさいぃっ! あんたに、何が分かるんだっ! 菜々美だって、こんなかっこうするのって怖かったし、恥ずかしかったんだよ! でも、しょうがなかったんだもん! こうするしか、どうしようもなかったんだもんっ!」


 ぎゅっと閉じた目からぽろぽろと涙を落とし、肩をいからせて叫ぶ七谷。

 なんだ、それ? 俺に気付いて欲しくて、そんなに派手になったのか? 本当はしたくもないのに? 俺なんかの為に、頑張って? お前、なんて切ないヤツなんだよ!


「うるさいのはきみだよ、七谷菜々美。で、どうすんの? バラして欲しい? 欲しくない? どっちなんだ、七谷ぃっ!」


 そんな阿久戸の恫喝に、七谷は。


「……バラせば、いいじゃんか」


 それは、俯いている上に小さな声だった。


「何?」


 阿久戸がぴくりと眉を動かす。


「バラしたければバラせばいいって言ってんの。菜々美は、そんな脅しに屈しないもん」

「あっそ。ホズミくーん。七谷さんってさ、実はヤンキーだったんだよね」

「は?」


 速攻だった。阿久戸は七谷が言い終わるか終わらないかのうちに、もう完全にバラしていた。あまりの早さに俺が一瞬呆けてしまうほどだ。


「……あ……」


 七谷が力なく振り返って俺を見る。


「ヤンキー? 七谷が?」


 七谷のどうしようもなく切ない表情に、俺はとにかく何か言わなくちゃと思い。気が付けば、そんな気の利かない、どうしようもない言葉を口にしていた。


「そうさ。中学二年までは、手のつけられない不良だったって話だよ。毎日ケンカに明け暮れて、親が学校に呼び出されるなんてしょっちゅうさ。で、地元でついたあだ名が『ハニービー』。いや、あだ名というよりは隠語かな? 裏サイトでは、みんなそう呼んでいたから。文脈からして、侮蔑的な意味合いが強いとは思ったけどね。ふふふふふ」


 阿久戸の不愉快な嘲笑が、保健室に木霊した。七谷は、


「……バレちゃった、か……」


 そう呟いて、床にぺたんと尻をついた。その時。


「思い出した……! 七谷。お前、あの時の……!」


 肩を落とした七谷の姿が、俺の脳内でフラッシュバックを引き起こした――


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