13.阿久戸志連宣戦布告①
そして、無敵さんは語りだした。別人のように。”誰か”が”乗り移った”かのように。
「アメリカでは、授業前にこんな号令をかけたりしません。世界中、ほぼ全ての国が、日本みたいな号令をかけません。韓国ではやりますけど、大戦中占領時の名残りだとして、廃止論が出ています」
無敵さんはそう切り出した。
おいおい、いきなり号令全否定? そこからどうするつもりなんだ、お前は? でも、良くそんなこと知ってるな。俺、全然気にしたことなかった。
「そぅら、見たことか。やはりこんなの軍隊じみてるってことなのだ」
宗像が「ふん」と鼻を鳴らして勢い付く。
「特にドイツでは“号令”へのアレルギーが顕著です。それは『ヒトラー』から得た教訓によるものなんでしょう。ドイツの子どもたちは、徹底的に“自分で考える”ことを学びます。おかしいことはおかしいと、相手が教師であろうとも遠慮なく言える教育をされるんです。人に、流されないように。見えない“みんな”に、思考を委ねてしまわないように……」
そこで、無敵さんは一旦言葉を切っていた。どうした? その間は、なんだ?
「そっか。例え教師からの号令であろうと、無暗に従ったりしないんだね。特に軍隊みたいな号令には。そういうこと、無敵さん?」
七谷だ。七谷が無敵さんへ、にぱっと笑顔を投げかける。軽そうな見た目の七谷が、こんな風に乗って来るなんてな。ちゃんと話を聞いてただけでも驚きだっていうのに。これは失礼過ぎるかもだけど。
「そうです」
無敵さんはこくんと頷いた。
「じゃあ、俺たちがやらされて来たことは、やっぱり良くないってことだろう? 意味が無いどころか“悪習”だったというわけだ。それではますますやれないな。特にホズミの号令下では」
宗像がにたりと笑って俺を見る。宗像は、勝利をほぼ手中に収めたつもりでいるに違いない。
馬鹿め。今喋ってんのは、無敵さんなんだぜ? 何度か舌戦を交えた俺だから分かるけど。こいつ、実は相当論戦に慣れてるぞ!
「そうかも知れません。でも、そうじゃあないかも知れません」
「なに?」
宗像の顔色が明らかに変わった。
来た。いよいよだ。何を言うつもりだか知らないが。相手が俺じゃないことで、一つ、今気付いたことがある。それは。俺が、こいつの次の言葉にわくわくしているっていうことだ!
「本当に悪習であったなら、なぜここまで存続しているんでしょう? 今までにも、同じ疑問を持った人はいたはずです。しかも、たくさん、たくさんいたはずなんです」
「大数の論理か? そんなもので誤魔化される俺じゃ、ないッ!」
「違います。あたしは、事実を述べているだけです。今日現在まで、日本中の学校で実施されているこの号令の事実を。地方によって掛け声が違ったりはしますけど、どこでも今日もされている『授業前の挨拶』という号令の事実を」
「今までは、“まだ”軍隊式が体に染み込んだじじいどもが、この国を仕切っていたってだけだろう。号令に抵抗の無い、じじいどもがな。だから、これから、なんじゃねぇのか? 日本でも、この号令が廃止されるのはッ!」
「そうかも知れません。でも、そうじゃないのかも知れません」
「貴様ッ! 俺を馬鹿にしているのかッ!」
あくまでも冷静な無敵さんに対し、宗像のボルテージは上がっている。アツそうな男だから、さらにアツくしてやって、思考のオーバーヒートを狙ってやろうって算段か?
ここまでの会話で俺が感じたこと。それは、無敵さんの『肯定』と『否定』の高度差だ。弱い肯定に弱い否定。やんわりとした口調で冷静に。かと思えば強い否定は力強くてはっきりしてる。そして、またどっちつかずの曖昧な反応。
宗像は気付いていないようだが、これでかなりイライラさせられているようだ。宗像は、もう無敵さんの術中にはまっている。俺はそう判断した。でも、まだ弱い。もっと、なにか決定的な一打が欲しいところだが……。
「じゃあ訊きます。宗像くんは、なぜ号令を廃止すべきだと思うんですか? 国会で意見陳述をしているつもりで、その根拠を提示してください」
「は? な、なんでそんなところで?」
やりやがった! 浮足立ったところを、すかさず一撃かましやがった!
宗像は一瞬呆気に取られてしまい、うっかり受け手に回っている。それは、攻守交代の瞬間だった。
「なぜって? 挨拶など無駄なんでしょう? 廃止するのであれば、当然、然るべき手順を踏まなければなりません。学校での国家斉唱にしても、以前、国会で議論されたでしょう? あれだけ強く言う宗像くんであれば、もちろんそれなりの意見を持っているんじゃないですか?」
「ま、待て! それじゃあ順序が逆だろうッ! 俺はホズミに『この号令の必然性を示せ』と」
「確かに。じゃあ、あたしがその『必然性』を説明出来たなら、宗像くんも廃止すべきだとする根拠を語ってくれますね?」
「うっ……」
しん、と教室が静寂に包まれた。誰かの喉が、ごくりと鳴った。
くだらない。ホント、こんな議論はくだらない。こんなことに、なんの意味があるんだろう?俺と同じく、みんなが多分そう思っているはずだ。
だけど、この教室に張りつめた緊張感は、くだらないけどくだらなくない。聞いてもしょうがないけど聞いてみたい。そんな“二律背反”に陥った、みんなから生じた空気なんだろう。それでも、この結論を見てみたい! と。
「――、分かった。ただし、無敵さん。お前が、俺を納得させる説明が出来たなら、だッ!」
宗像がぐわっと前髪をかきあげた。その宗像に、俺は思う。それは“正しい判断だ”と。
今までの反応で、宗像に『号令廃止』にまで至る明確なビジョンがなさそうなのは分かっている。多分、無敵さんもそう思っているだろう。従って、宗像がこの場をやり過ごすには、そう言うしかないはずだ。例え一時しのぎであれ、まだ敗北には塗れない。ここは時間を稼ぐの一手に逃げるのみ。俺でもきっとそうするだろう。
つまり、ここが勝負どころということだ。無敵さんが『号令の必然性』さえ説明出来れば、それで勝利が確定する。
だが、しかし。根拠があやふやな精神論を主張したところで、宗像が納得するとも思えない。もちろん、俺だってそうだ。
「……お前、ホントに大丈夫なのか?」
心配になった俺は、小声で隣の無敵さんに問いかけた。無敵さんは。
「えっ? そ、それは、エ、エッチ、の、こと、ですか?」
「はぁっ!?」
あまりにも理解が不能な返答によって、俺の間抜けな大声が教室中に鳴り響いた。
こ、こいつ、絶対に大丈夫じゃないぞ! いろんな意味で!
「な、なんで? それ、どういう意味で訊き返してんの?」
声が震えた。宗像に投げかけられていたものとは比較にならないほどの白い目を、俺は一身に浴びている。それは白いスコール。とか思うとなんだか喉が渇いてくる。あの白いシュワシュワした液体が飲みたくなった。この言い回し、なんかエロい。
「だ、だって。大丈夫かって訊かれたら、そ、そっちのことだと思っちゃうじゃないですか? あ、あたし、こんな公衆の面前で求められたりしてるのかなー、って」
「いや。思わないから。それ、お前だけだから」
こいつの頭、エロ妄想が圧迫してんじゃない? ちょっとした刺激で、それがすぐに飛び出てくるのがその証拠。キーワードが『大丈夫か?』とか、もう末期レベル。お前の地雷、一体どこに埋まってんの? 普通の会話さえ迂闊に出来ないじゃん、こんなん。
「そ、そんなこと無いと思います。だって、だって、き、昨日、あたしは、ホズミくんに……。は、裸、を……」
「え? おい、待て。ちょっとちょっと待て、お前、ここでそんなこと言ったら」
昨日あったとんでもないことをクラスメイトたちに発表するという果てしない愚挙に出そうな無敵さん。俺は体裁など気にしている暇も考える時間もなく、それを阻止しなければならなかった。なのに。
「えっ? なになに? 昨日? 裸? 何があったの、二人? 教えてー、無敵さーん」
「な、七谷っ!」
並んで立っている俺たちの間にごりごりと割り込んで来た七谷が、無敵さんに続きをせがんだ。
「待て! お前、変なとこに食いつくなよ! 今はそんな話している場合じゃねぇだろぉ!」
「何を焦ってんのー、オトっちゃーん? 怪しい。怪しいなー。いいから言っちゃいなよ、無敵さん。オトっちゃんなら、菜々美が、ほら、この通り。押さえておいてあげるからっ」
「ぐああ。おま、おい、そんなにひっついたら!」
俺は後ろに回り込んだ七谷によって、羽交い絞めにされていた。
速い! おかしい! こいつの動きも尋常じゃねぇぞ! それより、俺の背中になんだかぽよよんとした感触が! 首筋には、七谷のほっぺたが! 吐息が! なんとも変な気持ちにさせられるいい匂いが! ぶっちゃけ凄く気持ちいいけど! 凄く名残惜しいんだけれども! とにかく無敵さんを止めないと!
そう思いじたばたともがくも、七谷の拘束からは逃れられない。
なんだこいつ! 見かけからは想像もつかない凄い力だ! 俺、男としての自信を失いそうなんだが!
「そ、そんなに知りたいですか? じゃ、じゃあ、仕方がない、ですよね」
「なんでだっ!? 何にも仕方がなくないぞぉ!」
そして、とうとう無敵さんの唇が、あの忌まわしくも官能的な出来事を、クラスメイトたちに知らしめた。
おお、神よ。あなたは、なぜ、何ゆえに、ここまで俺に過酷な試練を強いるのですか? やっぱりラブコメ神だからですか? いつか、いつの日にか、俺がそちらに行ったなら……、絶対に殺してやろうと思うので、覚悟しとけよコノヤロー!
「……だからあたし、もうお嫁に行けない体にされたんです! ホズミくんの視線によって!」
泣き崩れる無敵さん。女子からの耳を劈く悲鳴が上がる一年三組。もはやそれは超音波。窓ガラスとかビリビリに震えてる。
「ほえー……」
とだけ言ったあと、ふわふわとした白い靄(もや)っぽい塊を口から出した留守先生はフリーズした。これ、多分魂が抜けかけている。留守先生には、エロ耐性が無かったらしい。
あれー? おかしいなー? 昨日、俺を意のままに操ったあのテクニックはなんだったのー? もしかして、ハウツー本で得た知識―?
「……げ、下劣なヤツめ」
宗像は口をへの字にしているものの、顔が真っ赤に染まっている。こいつ、結構シャイだった。
「もうサイテー! ホズミって、どこまで腐ってやがるのよ!」
「ドSでホモで、視姦魔で! あいつ、もしかしたらあたしたちも、もう視線で穢しているのかもしれないわ!」
女子、談。うわぁ。それはひどい男ですねぇ。ははははははは。
「マジかよ。いいなぁ、ホズミ。無敵さん、体だけなら相当いいセンいってるよな」
「でもよ。密室で二人きりだぜ。そんなことがあって、本当に見るだけで帰るかぁ?」
男子、談。まぁな。確かに、あれからあんな話さえしなけりゃあ、俺も帰ってなかったかも。
「う? い、いででででで! お、おい、七谷!」
七谷の羽交い絞めが急にきつくなった激痛に耐えかね、俺は声を上げていた。ほんとになんて力だよ。まるで万力に締め付けられているようだぜ。いたたたたた。
「うるさい。覗き魔に痛いとか訴える権利は無いよ」
「いだーっ! ち、違う! あれは事故だ! 見たくて見たわけじゃあない! しかも、くっきりとは見えてない!」
「うそ。本当は見たかったでしょ?」
「んなことはねぇ!」
断言した。実は誘惑に完敗していたが、それを正直にゲロするほど、俺は愚かではない。
「でも。ホズミくん、あたしのバスタオルが落ちるのに気付いて、『うわあああ』とか叫んでいながら、目はちっとも閉じようとしてませんでしたよ?」
「ほら、やっぱり」
「ぎゃああああ! いてぇーっ!」
首の骨がそろそろボキボキという悲鳴を上げ始めた。死ぬ。マジで死ぬ。このままでは殺されるぅ! こいつ、なんでそこまで怒ってんだよぉ! な、なんとかしなければ。口でなんとかしなければ!
「ぐああ。な、七谷。そこまで覗きに対して怒りに燃えるということは、お前はきっと正義感の溢れる素晴らしい人ってことなんだろう。し、しかし。覗きと同じく、今、お前が振るっている暴力だって、社会的には罰せられるべき悪じゃあないか?」
これでどうだ。いくら悪事が見逃せないからって、それに悪事で対抗してはダメだろう。七谷にこれを気付かせ、羽交い絞めを解除させてやる。という俺の作戦は逆効果だった。なぜか火に油を注いでいた。
「違うし。菜々美、正義感なんてほんのちょっぴりしか持ってないし。それに、心の痛みに見合う罰って、与えるのが難しいもんでしょ? 特に“覗き”なんてダメージじゃさ。だからこの暴力はその代わり。こっちはしばらくしたら何事もなかったように元通りになるんだから、罰としては軽いでしょ?」
「違うのかよ! じゃあなんだってそんなに怒ってやがんだよ!」
ラノベであれば、ここは『俺のことが好きなんじゃね?』ってことになるけれど、つい二日前に会ったばかりの、しかもこんなに可愛い女子に、すでに好かれているとか考えてしまうほど、俺は自惚れたりしていない。俺の容姿って一目惚れをされるほどでもないし、実際、そんなことは一度も無い。
でも、一目惚れでなければ、という可能性を考えれば、前にも会っているってことになる。
が。
俺は、ここへの入学以前、七谷に会った記憶は無い。忘れている場合もあるかもだけど、こいつの可愛さはかなり印象に残るはず。
待てよ。そういえばこいつ『変わらないね、オトっちゃん』って言ってなかったか? 俺、こいつと会ったことが、ある……? つーか。
「がはーっ! そんなの全然納得出来ねぇ! 抵抗出来ない状態で説得しても、俺のが圧倒的に不利だったー!」
羽交い絞め、続行中。意外な理論武装を施された七谷の意志は固かった。反して、ほどよく大きな七谷の胸は柔らかい。天国と地獄が同居する俺の背中は、今やサタンと釈迦如来が手を取り合って激しいブレイクダンスをしているかのようなカオスだったけど、もうそれを楽しむしかないよね!
と、脳内快楽物質を無理やり分泌させていた俺の耳に、女子たちの他愛ない会話が入って来た。他愛ない? そう思ったのは一瞬だけだったのだが。
「あ。そっか。無敵さんがさっき言ってたセリフってさ」
「あー。わたしも思ったー。あれ……」
「そうそう。あれって絶対『少女探偵セリカ』の決めセリフだよね」
少女探偵セリカ? 結構昔にやってた推理ドラマだな。そういえば主人公の探偵少女、推理パートになると、よく『そうかも知れません。でも、そうじゃないかも知れません』っていうセリフで、犯人役を追い詰めていたっけ。だから宗像もおちょくられていると感じて、あんなに怒ったってわけだ。
しかし、あれを無敵さんが真似してた? この場面で? 自己紹介で死にたくなるような無敵さんに、そんなことする余裕があるとも思えないんだけど。
てゆーか、宗像を追い詰め始めた無敵さん、ほとんど別人になってたけど。まさしく『セリカ』が乗り移ったかのように。こんなにはっきりと意見を主張出来るなら、人前であんなにビビる必要だって……。
「そういえば。『セリカ』って……」
七谷の怪力に抗い、ぎりぎりと鳴る首を無敵さんへと向けてみる。
あのドラマがやっていたのは、五年前。そして、主人公のセリカを演じていたのは、なんと若干十歳の、本当の少女だった。『少女探偵セリカ』を最後に、ぷっつりと姿を消してしまったが、あの少女が成長したら、ちょうど俺たちと同じ学年くらいなはずだ。
記憶の棚を引っ張り出すまでもない。俺はあのドラマが好きだった。正確に言えば、主演の少女が好きだった。芸能人全般、アイドルにさえさして興味の無かった俺が、あの子のドラマだけはきっちり録画してDVDにちゃんと焼いて保存までしていたくらいに。
いや、しかし。あのキラキラとした彼女と、無敵さんの地味さでは、いくらなんでもギャップがありすぎだ。あの、キラキラとした、瞳、とは……!
あと、名前だって全然違う。芸能人なんだから芸名だったのかも知れないけど、どっちだったかなんてもう覚えていない。あの時の俺は、あれがあの子の本名なんだと思っていた。
でも。でも、あの瞳は。あの瞳だけは、見間違いようがない!
「……む、無敵、さん……? お前、もしかして……」
あの子の名前を思い出す。あの子の名前は、確か……。
「オトっちゃん?」
俺の様子がおかしいことに気付いた七谷が、少しだけ力を緩めた。
「ふぇ?」
騒然となった教室にうろたえていた無敵さんが、俺を見る。
そこで、昨日出会った『閖上由理花(ゆりあげゆりか)』を思い出す。あの時、どうして俺は思い出さなかったんだろう。
『閖上由理花』。
その名がテレビで流れて来ない日なんて、今じゃそうそうないってくらいにブレイクしてる、“天才人気子役”じゃないか! だからベビーカーをぶん投げられたあの若い奥さん、あんなに驚いていたのか! なんて鈍臭いヤツなんだ、俺は! 芸能人に関心無いからって、いくらなんでも鈍すぎる!
その閖上由理花は、無敵さんを訪ねて来ていたのかも知れない。もし。もし、そうなら!
「お前、まさか!」
セリカ役を演じていた子の名を、無敵さんに投げかける。その直前。
「待て、ホズミ。ここでその名を呼んではならない」
「く、黒野!」
俺と無敵さんの間にさっきの七谷のように割り込んできたのは、眼鏡を冷たく光らせた黒野だった。
その名、だって? お前、俺の考えていることが読めるのかよ? いや、そうじゃないな。常識的に考えて、そんなに怖い力は存在しない。だが、黒野が俺と同じような推論によって、同じような結論に行きついた可能性は高いのかも知れない。黒野が俺と同じように、無敵さんの、あのキラキラとした瞳を見たことがあるのなら、だが。
黒野が俺の耳に口元を寄せる。するとそれを見ていた七谷が「むっ」と頬を膨らませた。
「見ろ、このカオスな状態を。まるでお祭り騒ぎじゃないか。ここで、今、お前がその疑問を口にしたら、どうなるか? 少し想像力を働かせれば分かるだろう?」
「あっ……」
そうか。そんなの、もう収拾がつかなくなる。さっきから留守先生が「静かにしなさーい」ってきゃんきゃん吼えてはいるけれど、全く効果ないくらいだし。
「それよりも、だ。せっかく無敵さんが追い詰めてくれたのに、このままでは宗像が息を吹き返すかもしれないぞ。見ろ」
「う」
黒野が顎で指し示す先には、この騒ぎにも踊らされずに席にいる宗像だ。腕を組み、目を閉じたその姿。黙考しているのは、きっと『号令の撤廃論』であるはずだ。
「まずいな。号令なんて、どうとでも理由付け出来るような話だし。あのままじゃ、あいつ、結構いいこと言ってくるかも知れないぞ」
「そうだろう? では、今どうするべきかは分かるよな?」
「ああ、もちろんだ、黒野。悪い、七谷。羽交い絞めを解いてくれないか。お前の胸の感触も、もう十分に楽しんだことだしな」
「へっ? きゃ、きゃあああっ! オトっちゃんのエッチぃ!」
思いのほか簡単に、七谷の拘束からは抜け出せた。ふぅ。ああ、でも、本当に痛かった。あと、気持ち良かった。どうも本当にごちそうさまでした。
「さて、と」
まずはこの騒ぎをどうにかして鎮める。でなければ、無敵さんの話が始められない。勝利は目前だってのに、こんなことで足止めを食っている時間はない。まぁ、これも元を辿れば無敵さんのせいなんだけど。まずは男子。こいつらを静かにさせる!
「おーい、みんな。静かにしろー。あと三秒で静かにしたら、俺が無敵さんのプロポーションがどんなだったか、イラストにして教えてやるぞ!」
男子はエロで動いている。特に思春期真っ盛りの男子たちは。まぁ、みんなが無敵さんのプロポーションにそれほど興味あるかどうかが問題だけど。
「なに?」
「マジで?」
「イラストはうまいんだろうな、ホズミ?」
が、男子たちは潮が引くようにさーっと静まり返っていった。ほほう。こいつら、結構お目が高いじゃないか。ちょっとダブついた制服越しにでも、無敵さんのプロポーションが尋常じゃないことに気付いていたとはな!
無敵さんは「ええええええ!」と絶叫しているが、まぁ、そこは我慢してもらうことにして。
「任せろ。俺は、ピクシブでルーキーランキング50位に入ったことがある」
びしっと親指を立てる俺に、みんなが「おお」と色めき立った。そうなんだ。知ってる人は知ってるけど、あのイラスト投稿サイトって巨大だから、ルーキーランキングでも二桁台に入れることなんてまず無いんだよね。
さて、次は女子。こっちもエサは持っている。
「サイテー。ホズミって、マジサイテー」
「同級生の子の裸をイラストにして見せるとか、どんな神経してんの、あいつー?」
「ドSでホモで覗き魔にしてエロ絵師とか。どんだけキャラ盛れば気が済むの?」
うおお。視線が、視線が冷たくて痛い。女子からの冷たいレーザービームが俺を凍傷にさせようとしている。ふ、ふふ。でも、俺は知っている。女子って生き物が、どれほどミーハーかってことをなぁ!
「女子も、静かにしてくれー。静かにしてくれれば、あの大人気子役『閖上由理花』とメールできちゃうかも知れないぞー」
「えっ? 閖上由理花?」
ぴた、と。女子からの非難が鳴りやんだ。
「う、嘘つくのやめなよ、ホズミ。どうしてあんたが、そんなこと」
「嘘じゃない。昨日、偶然会ったんだ。あの子の飼い猫を助けるのに協力してね。そしたらメアドを教えてくれた」
嘘はついていない。助けるのに協力はした。実際に直接助けたのは無敵さんなんだけど。
「あ。そういえば。昨日の『地元グルメ探索隊』って本町に来てたけど、ゲストが閖上由理花だったよ! あれ、生放送番組だよね!」
「あー! 菜々美も観たー! たしかに来てたよ、ゆりゆり!」
反応したのは七谷だった。ゆりゆり? ああ、そういやあの子、そんな愛称で呼ばれてたっけ。
「というわけだ。抽選で一名様に、ゆりゆりにメールを送る権利を与えよう。さすがにメアド自体は無断で教えられないから、俺のスマホを通してだけど」
言い終わるか終わらないかのうちに、女子がすっかり静かになった。ミーハー。超ミーハー。分かりやすくて好きだけど、そういうの。
「……ゆりゆり……」
ただ、無敵さんは俯いて。
「どうした、無敵さん? なぜ、そんなに悲しそうな顔をする?」
「あ、ううん。な、なんでもないですよ。なんでも」
はっとした無敵さんは、慌てて俺に手を振った。
「ふわぁ。でも、凄いですねぇ。あんなにうるさかったのに」
そして、小さく笑った。なんだか力ないその様子に一瞬心がざわめいた。
「ま、俺もやるときにはやらないと。じゃ、あとは頼むぜ、無敵さん」
が、それはそれだ。気にはなったが、今は一旦後回し。こいつ、もしかしたら大スターなのかも知れないとか思うと心がざわめくどころか叫び出しそうになるんだけど。それも今は後、後! 後にしなさいって言ってるでしょ、俺ぇ!
「分かりました。では、始めたいと思います」
直後、無敵さんのまとう空気が、明らかに変わっていた。目は、線のままだ。なのに。
「『セリカ』……?」
思わず、そう呟いてしまうほどに変わっていた。
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