15.阿久戸志連宣戦布告③

「どうした、無敵さん!」


 膝を付き、急いで無敵さんを抱き起す。


「熱い……? お前、凄い熱じゃないか!」


 すぐに伝わったのは、無敵さんの異常に高い体温だった。無敵さんの「はぁ、はぁ」という苦しげな息遣いが、俺の胸を締め付けた。お前……。こんな状態で、あれだけの話を……?

 そうか。こんな、まだ肌寒いくらいの季節の朝に、頭からあれだけの水をかぶったからだ。でも、俺は別になんともない。俺って馬鹿なの?

 違うな。そういえばこいつ、昨日も湯上がりにバスタオル一枚で外にまで出て来ていた。風邪をひく下地は、すでにあったってことだ!


「ホ、ホズミ、くん……?」

「ああ、俺だ。ここにいる」


 そう返事をした俺の目の前で、無敵さんが、目を。

 見開いた!


「まずい! 隠せ、ホズミ!」

「あ? お、おう!」


 刹那、鋭く飛んだ黒野の指示で、俺はとっさに無敵さんの目を手で隠した。すると。


「あー! なにやってんだよ、ホズミ!」

「ひどい! 無敵さんを死んだことにしたいの、アンタはぁっ!」

「へ? え? あ!」


 無敵さんを心配して集まったクラス中から、俺は非難轟々の集中砲火を受けていた。ホントだ! これ、死人に「安らかに眠れ」ってやるときの動作だぁ!


「またやってしまったな、ホズミ。ぷーくすくす」

「黒野ぉ! てめ、何がしたいんだぁ!」


 俺はもう涙目だ。こんなに見事にはめられて、悔しくないはずないわけない。もう何言ってるのかも分からない。

 もういい。ミカサの言うように、この世界は残酷なんだ。しょうがないじゃない。頼れるのも信じられるのも自分だけなんだからっ!


「ホズミ、くん……。あたし、また、やっちゃった……。ごめんね。あたし、『セリカ』にはもうならないって、約束してたのに……」

「無敵さん?」


 うわごとか? ぼそぼそと呟かれる無敵さんの言葉の意味が、俺にはうまく理解出来ない。


「でも。でもね。あたし、上手に“演じた”でしょ? だから、そんな目であたしを見ないで。どうして? みんな、どうして、そんな、恨めしそうに、あ、た、し、を……」

「無敵さん! しっかりしろ、無敵さん!」


 くそっ。これは相当きてるぞ。記憶の混濁が起こってる。とはいえ、片手は目を隠してなきゃならないし、これじゃあ自由に動けない。


「大丈夫。大丈夫だよ、無敵さん。ここには、お前を憎んでいるやつなんか一人もいない。だから、ゆっくりと、安心して、目を、閉じて。俺に任せて、目を閉じるんだ」


 とにかくこの目をどうにかする為、俺は無敵さんの耳元で囁いた。それがやっぱり良くなかった。


「おおおいっ! ホズミ! お前、どさくさに紛れてキスしようとかしてんじゃねぇ!」


 俺は後頭部をどつかれていた。ゴン、とか鈍い音がした。すげぇ痛い。

 無敵さんの為に何かをすると、不幸が俺に振りかかる。この世界は、そういう風に出来ている。とらドラの竜児と大河もそう言ってたから、俺はそう確信した。


「とにかく、まずは保健室に」


 それでもなんとか無敵さんの目を閉じさせるのには成功した。そう思い、立ち上がろうとした時だった。


「どいて、オトっちゃんっ! ぼーっとしないのっ!」

「ぐはぁっ!」


 いきなりだった。俺は七谷に弾き飛ばされ、無敵さんを奪われていた。

 なんでやねん! 俺、運ぼうとしてたやん!


「先生!」


 無敵さんをお姫様抱っこして立ち上がった七谷は、留守先生に呼びかける。


「行きなさい。急いで!」


 留守先生は腕を横に振り払った。「薙ぎ払え!」ってセリフもしっくりきそうなかっこいい動作だ。


「はぁいっ」


 七谷は元気よく返事をして走り出す。


「お、ま、待て」


 七谷に体勢を崩されたせいで、俺は遅れて走り出す。


「七谷さん。それは僕の仕事だよ」


 俺たちの後に、阿久戸が続いて駆け出した。


「仕事? お前の?」


 教室の後ろ側のドアから廊下に出たところで、俺は阿久戸に問いかけた。


「そうさ。僕は保健委員だからね」


 阿久戸が爽やかに微笑んだ。なぜだか寒気を覚える笑顔だ。


「あー。そーいえばそーだったねー。でもさ、阿久戸くん。無敵さん、男の子にこんな風に運ばれたら、きっと凄く恥ずかしいんじゃないかって。菜々美は、そう思うんだ」


 小さくて細い無敵さんは、きっと軽いに違いない。だとしても、その無敵さんを軽々と抱っこして颯爽と駆ける七谷に、俺はかなり驚いていた。


「なるほど。そうかも知れないね。じゃあ、ここは七谷さんに甘えさせてもらおうかな。でもね、ホズミくん」

「ん? 俺?」


 保健室は、一階の玄関から一番遠い端にある。1年1組の教室の隣にあった。俺たちの3組から、今は2組の教室前を、俺たちは疾走している。春の日差しが差し込む廊下は、俺たち三人の忙しない足音だけが支配していた。


「ホズミくんは、保健室にまで付き添う理由がないんじゃない? ここは僕たちに任せて、もう教室に戻ったら?」


 阿久戸はそう言って「くすくす」と愉快そうに笑った。


「うえ? あ、そ、そう?」


 不意を突かれた俺は、妙な声を出していた。


「そうだよ、オトっちゃん。ここは菜々美たちが引き受けたっ。だから、先に教室に帰ってて。それとも、どうしても一緒に来たい? む、無敵さんが、き、気になる、の?」

「ぬええ? ば、そ、んなワケ、あるかよ」


 こっちにも、「ぬええ」とか言っていた。なんだよ「ぬええ」って。新種の深海魚かなんかなの? 動揺の仕方が分かりやす過ぎて、自分で自分に突っ込むわ。

 いや、でも、ぶっちゃけ気になる。このまま、無敵さんを放ってはおけないような気がしてる。七谷もいるし阿久戸もいるんだから、任せておけばいいって理性では思うのに。なぜだろう。俺の“本能”が、「俺じゃないとダメだろ?」って叫ぶんだ!

 だから。


「う、うっさいな、二人とも。俺はクラス委員長なんだ。だから、クラスの誰かに問題があれば、最後まで確認するのが当然だろ」


 俺は半ばヤケクソになっていた。いいや、もう。多少強引になったって。形振りなんか、構わねぇ!

 どーせ俺なんて「ドSでホモで覗き魔なエロ絵師」なんだし、今さら少しくらいかっこつけたってどうにもなるもんじゃねーだろ。つくづくオワタ。


「そう……」


 むっと膨れた七谷が、前方を睨みつけて加速した。


「ふぅん……」


 阿久戸は、ナイフのように尖った視線を俺の横顔に突きつけた。かわいいともきれいともつかない阿久戸の中性的な顔は、こうなると妙に意味ありげで怖くなる。こんなに怖い男の娘キャラが出てくるラノベがあったら嫌だなって思いました。

 視線、痛い。マジ痛い。なんなんだ、こいつ? さっきといい今といい、一体何を怒ってやがる? どうにも、嫌な予感がする……。外れない、俺の嫌な予感、が……。

 気付けばもう、保健室のスライドドアの前にいた。



  *   *   *



「さて。じゃあ、留守先生に報告を……、っと、私が行った方が早いわね。直接無敵さんの状態を伝えてくるから、その間だけ見ててくれるかしら? 無敵さん、眠っているから、あんまりうるさくしないでね」

「はい、分かりました。よろしくお願いします」


 無敵さんの眠るベッドの横で、俺は保健室の先生に頭を下げた。

 それにしても、保健室の先生は妖艶だった。なんだよあの色気。あんなんが学校にいたらまずいだろ。俺、保健室に通いたいと思います。


「無敵さん、薬だけは飲んでくれて良かったね」


 先生が出て行ったのを見計らい、七谷がほっと息を吐(つ)いた。相当心配していたらしいことが、その様子に見て取れる。


「ああ。ここの保健室の先生、医師免許持ってんだな。設備も本格的なのが揃っているみたいだし、ひょっとしたらここで緊急手術とかもやっちゃうんじゃないか、あの先生?」


 明るく清潔感に溢れた保健室を見まわしながらそう答えた。どんだけ生徒の健康に気を配っているのやら。この学校、やたら神経質なのでは?


「それにしても頑張ってたね、無敵さん。菜々美、ちょっと感動しちゃったよー」


 後ろ手に肩を上げて顔を傾ける七谷菜々美。はにかんだような笑顔が、やけに眩しい。こいつ、仕草がいちいち可愛いな。かと思えば急に乱暴になったりするけれど。それもこいつの魅力といえば言えなくもない、かな?

 おっと危ない。ビッチはこういうところも計算づく。思う壺にはまらないよう、気をつけねば。

 でも。

 こいつ、本当にこう、なんていうかいやらしさがないんだよな。男友達でいう“いいやつ”って表現が、一番ぴったりくる感じ。心の中では“ビッチ”とか思ってるの、もう悪いような気がしてきた。

 と、俺が心の中で謝罪していると、七谷は、


「でもさ。危なかったよね、オトっちゃん。無敵さんのどとーの演説のお陰で突っ込まれなかったけど、実は菜々美、『ここを誰かに突かれると終わる!』ってのがあったから。内心、ヒヤヒヤしてたんだよー」

「……え?」


 俺の思わぬことを言い出した。


 なんだそれ? あの号令議論で、そんなに致命的な部分があったのか? いや、俺自身にあったってことなのか?


「ふぅん。七谷さんって、実は結構怖いんだね」

「阿久戸?」


 俺にとっては意味不明な七谷の言葉も、阿久戸には通じたらしい。くすくすと小鳥の囀るような笑い声が、やけに癇に障った。


「あれー? 阿久戸くん、気付いてたのー?」

「当然だよ。僕はそこを一番気にしていたんだからね」

「そこってどこだよ、阿久戸? お前、そうやって優越感に浸りたいだけなんじゃないだろうな?」

「なんだって?」


 俺がそう言った直後、明らかに空気が変わった。空耳か、ぴしっとガラスにひびが入るような音が聞こえた。空間が、緊張している。太陽が雲に隠されたのか、保健室に差し込む日射しが暗くなる。


「優越感? ホズミくんに? 僕がかい?」


 ゆらり、と阿久戸の体が揺らめいた。その動きは幽鬼じみていて、七谷でさえも「ひっ」と短く悲鳴を上げるほどだった。


「きみは知らない。きみが、どれほど僕に劣等感を刻みつけたか、を……」


 ぐりん、と見開かれた阿久戸の目は、毛細血管が浮き上がり、赤い蜘蛛の巣のようだった。その目に、俺の肌がぷつぷつと泡立った。

 怖い。なんだこいつ。これは、絶対に正気じゃない!


「ホズミくん。きみ、どうしてクラス委員長を引き受けているんだい?」

「なに?」


 突然の意外な質問。阿久戸の奇怪な様子も相まって、すでに俺の思考は停止寸前だ。


「う。そ、それ。それだよ、オトっちゃん。菜々美が、さっき一番はらはらしてたの……」

「そうなのか?」


 俺の後ろに隠れ、俺の制服の裾を握り締めた七谷が、こくりと小さく頷いた。


「そもそも、きみはクラス委員長をやりたくなかったはずでしょう? どうしても拒否したければ、再び立候補を募った後、再推薦という手順を踏むことだって出来たんだ。なのに、きみはそうしなかった。なぜだい、ホズミくん? それは……」


 返事が出来ない。声が出せない。なぜなら、阿久戸がぶるぶると震え出したからだ。異常だ。奇怪だ。容姿が美しいだけに不気味過ぎた。俺は生まれて初めての恐怖に身がすくむという体験をしていた。


「それは! きみが今まで散々に憎んできた『間違い』ってやつじゃあないのかいっ!?」

「きゃああああああっ!」

「七谷!」


 突如として発された阿久戸の甲高い叫びにより、七谷がその場にぺたんとへたり込んだ。制服の裾をぎゅっと掴まれていた俺も、つられて少しよろけてしまう。


「なぜだい!? どうしてきみは間違ったことを寛容してしまったんだ! きみは正しいはずだろうっ! 常に! 正しくなければならないはずだろぉっ!」


 阿久戸は口角から泡を飛ばして叫び続けた。その目は限界まで見開かれ、ぎょろぎょろと、そしてぎらぎらと俺を間違いなく捉えている。


「『間違った人が寛容されるこの世界で。正しい人が糾弾されるこの世界で。それでも、オトは。白馬の王子様でいて欲しい』」

「――っ! それは! その、言葉は!」


 俺は落雷に打たれたようにびくんと体を震わせた。

 なぜだ? それは! 『莇飛鳥(あざみあすか)』の!


「あーあ。高校に入った途端、すぐこの様(ざま)か。間違った人間たちに流されて、それにすら気付いていない。僕はね、ホズミくん。そんなのは許せないんだ。絶対に、許せないんだよ。莇飛鳥の為にも、ね」

「あ、ああ、うっ……」


 がくがくと体が震える。体に力が入らない。誰、だ? 阿久戸。お前は、一体、誰、なん、だ……?


「オトっちゃん? オトっちゃんっ!」


 七谷が、俺の体を抱きしめた。その温かさすら、今の俺には届かない。


「僕が何者なんだろうって、そう思っているだろう? 教えてあげるよ。知ってもらわなきゃ、僕がこの高校にまできみを追いかけてきた意味がないからね。まぁ、正確には莇飛鳥を追ってきたんだけど。彼女も、ここに入学する予定、だったから……」


 そこまで言うと、阿久戸はぎゅううと唇を噛んだ。そこから、一筋の赤い線がつーっと伸びた。


「お、追い、かけて……?」


 莇のことを知っているということは。それも、かなり詳しく知っているというのなら、俺が以前に住んでいた街から来たってのは嘘じゃないってことだろう。

 あの、街から。俺が“逃げて”きた街から。


「逃がさないさ。莇の無念を晴らさなきゃ。誰かが、きみに莇の無念をぶつけなきゃ。僕はその一念でここに来た。八月一日於菟。きみに”耐え難い苦痛”を与えるために、ね」


 阿久戸はそこで言葉を切ると、保健室の真っ白な天井を見上げた。ふ、と優しげな表情を目に浮かべて。無敵さんはその横で、苦しそうな呼吸を繰り返して眠っている。俺も、浅い呼吸を繰り返すようになっていた。まずい。過呼吸寸前の症状だ。


「そ、それは、“あの事件”のことを言ってるの? 違うよ! あれは、オトっちゃんのせいじゃないっ!」

「なな、たに……?」


 反論した? それも、あてずっぽうじゃあなさそうだ。なんだよ、お前。

 お前も、一体、何者なんだ!?


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