1.春華門院への思い~執筆意図

 たまきはる命をあだに聞きしかど君恋ひわぶる年は経にけり

(命は儚いものだと聞いていましたのに、我が君、春華門院を恋しく思い、苦しむ年月がこんなにも長く経ってしまったものです)


 生きるのか消えるのかもわからない中で、片時も鎮めようのない悲しさがこの身体を覆い尽くす果てには、とても耐えることもできず、正気を保つこともできない心地だけがしますが、指折り数えてみると、ここまで生きながらえてきたことも身にしみて辛く感じます。だからといって、こんな恋しさを感じるときでさえ、さらに、この恋しさが世俗を嫌って出家をすることへの道しるべとも看做すことができるような時でさえ、喜ばしかった我が君との前世からのご縁と思いたいのだけれど、月日が過ぎゆく中では、ただ心をかき乱し、言葉にできないほどに恋しいお姿を思うのを、慰めることが全くできないでいます。

 

 君の美しさを何かにかこつけて、何かになぞらえることができるものがあると、無理にあれこれ思案するのですが、この世に存在するどの色も、どの匂いも、君の美しさを表現するには足りず、もはや何も手段がありません。

 

 ただ、弥生の空の下、あたり一面に薫り立つような桜の花だけは、君のお姿をようやく想起させるけれども、よりによって桜という儚く散ってしまう花の名になぞらえてしまう恨めしさを感じます。

 

 そうはいっても、その儚い美しさを忘れることもできない心地がするまま、無為に君を想いながら暮らす日々が、もう何日過ぎたのかさえもわからなくなるくらいに長くなっても、君、いえ、あなたという桜を散らせる風の無情さは、あなたがお亡くなりになったときのように辛く苦しいものです。


 あぢきなきその名ばかりを形見にてながむる花も散るぞ悲しき

(桜という名でなぞらえたあなたの姿を形見にしてしまうと、私が眺めている桜が散るたびに、あなたが亡くなった悲しさを思い出してしまうのです)

 

     *  

 

 まだ、私と同じく現世を生きながらえていて、ごく僅かに残っている人々でも、自然と私を訪れることもありません。齢六十までの夢はあっと言う間だったような気もしますが、昔の日々を懐かしみながら綴ってみると、わざわざ言葉にするような思い出もないとはいえ、一二歳という幼い時分からしている宮仕えの経験だとか、人が言い古したようなことを、朽ちた葉の下に隠したままにするわけにもいかないと勝手ながら思うのです。


 宮仕えを始めたころから比べると、様々なことが移ろい、変わってしまった現世の有り様や、同じように人々の心も、私が生きているうちに、昔と今でははっきりと違いがわかるくらいに変わり果ててしまったと思うと、今となっては由緒のない古い事柄さえも思い出されて、言うに及ばないほどの昔の物語をつれづれなるままに言い出すと、昔の世界のたった一部分でさえも目の当たりにしたことのない人にとっては、退屈とはいえども、ぜひ聞きたいと思うこともあると思うのです。


 古くから生きている人々は今の儀式、服装を見ると「こんな儀式は、現代風で見慣れないものだ」とだけ言ったが、今となってはそのような記憶も、限りなく古代のこととなってしまって、皆の心からは忘れ去られてしまったのです。

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