5-2.「春」の服装②

 三日、御所で働く召使を始め、局の中にいる召使を女官はご覧になります。

 

 三が日が終わった四日は、ぞれぞれの親が格別に仕立てた衣を着た、若く幼い女房は、普段は着ることのない衣であり、斑のある染め方や摺り染めなどで仕立てられたものを打衣を重ねずに着ていました。大人らしい人などは、元日に着ていた衣から、打衣を取り除いて着ていました。大方、斑のある染め方などのようなもので、やはり打衣を重ねることはありませんでした。

 

 上様が法皇様の元においでになる際は、格別に心遣いを尽くした衣を用意し、表着、唐衣などは模様を変えずに、言うなれば意図的に模様にして、唐衣は少し小さく、表着は普段通りに着合わせたものでした。年上の女房たちは三が日と同じような正装を着ていた人もいました。若い者の中には唐衣に紐を付け、花を結び付けるような飾りをしている者もいました。

 

 天下泰平を祈る正月の七日間の法会での女院のお出ましは、初日である八日、そして最終日である一四日は法勝寺、十一日は円勝寺などで、一八日には蓮華法院にもいらっしゃる。これら行幸のお供のために、それぞれ衣装を二組ほど揃え、この場は正装として打衣を重ねて鮮やかに設えました。女房が多いときに法会には二度ずつお供として参りました。女院の御側に仕える者は、打衣を重ねない衣を着て、女院のお出ましよりも先に、別の車で目的地に参上いたしました。

 

 二月、偶数月の当番の女房たちは、かわいらしく衣服を仕立て、正装である打衣は着ません。ただ、元日に着るような衣服ではありました。「建春門院」という院号宣下ののちは、そこまで当番の決まりに厳しくなく、偶数月の当番の人々でも元日や正月の法会にも必ず出仕していました。

 

 三月三日の節句の日には、とりわけ色鮮やかな衣に、柳の枝の髪飾りなどして、身だしなみを整えます。これは元日・一五日なども同じです。三月二〇日頃になれば、若い人々の中では、春のうららかな気温が衣の糊をとって萎えさせるので、桜色、山吹色、藤色などの衣に綿を薄くいれたものを拵え、新しく着る者もいました。

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