第7話

 盗賊たちを撃退し、エルティが無事に長老と抱き合っていると、ノアは静かに口を開いた。


『さて……人間どもよ。話を聞くがいい』

『ッ!?』

「? 何て言ったんだ?」


 ノアの口から出た言葉は、レックスと会話をしていた魔物の言葉ではなく、人間の言葉であり、人間の言葉を知らないレックスはただただ首を捻った。

 すると、ノアは一度レックスに目を向け、魔物の言葉で伝える。


「少し待っててくれ。我は今、人間の言葉でこの人間どもと会話をしている」

「ニンゲンの言葉って……俺もニンゲンなんだろ? 何で分からないんだ?」

「……それはお主に言葉を教えたという祖父に言え」


 呆れた様子でため息を吐いたノアは、改めてエルティたちに向けて語り始める。


『我がこの場に訪れたのは、一つ貴様らに頼みごとがあったからだ』

『た、頼み事でございますか?』


 すると、集落を代表して長老がノアの言葉に応える。


『そうだ。ちなみにだが、貴様らは我の許しの下、この森で生活をしていることを理解しているな? それに、先ほども貴様らを助けてやった』

『それは……はい』

『だからこそ、今からの話は頼みとは言うが、拒否権はないと思え』

『ッ!』


 ノアの威圧感を受けながら、そう告げられた集落の人間たちは皆不安になった。

 それは、ノアがこの森の守り神だということを長老から告げられていたからであり、どんな無理難題を吹っ掛けられるのかと考えていたからだ。

 不安げな表情を浮かべる人間たちに対し、ノアは威厳たっぷりに言い放った。


『この男の面倒を見てくれ』

『………………はい?』


 どんな恐ろしい頼みごとをされるのかと考えていた人間たちは、皆一様に呆けた表情を浮かべた。

 そして、ノアが指し示す先にいるレックスを見て――――。


『何故全裸!?』


 全員が一斉にそう叫んだ。

 そんな人間たちの反応を前に、レックスは警戒するように身構えた。

 すると、人間たちが驚く様子を見て、ノアは感激した様子で空を仰ぐ。


『そう……そうだよな……そうなのだよ……! その反応が正しいんだよな……!? レックスの今までの行動や言動の数々がおかしいのであって、我がおかしいんじゃないよな!?』

『ま、守り神様?』

『人間は服を着る! そうだろう!?』

『そ、そうですね』

『人間は人間の言葉を話す! そうだろう!?』

『は、はい』

『人間は金で取引をし、女が何かもちゃんと分かっている! そうだろう!?』

『一体何の話をしているのです!?』


 長老は思わずそうツッコんでしまった。

 どれも常識以前の問題であり、ノアの言っていることが滅茶苦茶だったからだ。

 だが、その滅茶苦茶に付き合わされていたノアは、すぐさま長老に言い返した。


『人間の話だッ!』

『それは本当に人間なのですか!?』


 まったくもって長老の反応が正しいだろう。なんせ、ノアの言葉が本当なら、今言ったことのすべてを知らない存在ということになってしまうからだ。

 そこまで言ったノアは、一息つくと気持ちを落ち着かせる。


『ふぅ……すまない。少々取り乱した』

『い、いえ。それは問題ないですが……』

『何となく察しはついているかもしれんが、今言ったそのすべてを知らない者こそ……そこにいる全裸の男、レックスだ』

『……』


 ノアの説明を聞き終えた集落の人間たちは、改めてレックスるの格好を見るた。

 顔立ちこそ、どこぞの貴公子だと言わんばかりの美形だが、その格好がすべてを台無しにしていた。

 伸びきった髪に、まさにどこか野生動物を思わせる仕草、立ち振る舞い。

 とても人間とは思えない、野生の気配がレックスから漂っていた。

 今もまた、集落の人間たちがレックスに視線を向けたことで、その視線に敏感に反応したレックスが、野生動物のような警戒を見せたため、すぐに視線を外すことになった。

 そんな人間でありながらも人間らしくないレックスの姿に、集落の人間たちは不安が増していく。

 こんな訳の分からない存在の面倒を、果たして見ることができるのかと。

 だが、ノアの言う通り、集落の者たちに拒否権はない。

 どれだけ不安に思おうが、レックスを引き取るほかに集落の人間たちは選択肢がなかった。


「というわけだ、レックス。これからはこの者たちに――――って何をしている!?」


 何とか集落の人間たちにレックスを押し付けることができたノアは、晴れ晴れとした表情でレックスの方に振り返ると、当の本人であるレックスが自身が仕留めた大男の腕を切り取り、口に運ぼうとしている姿が飛び込んできた。

 ノアが焦った様子で口を開いたため、レックスは食べる直前でノアの方に視線を向けた。


「何って……せっかく仕留めたんだし、食わねぇと」

「ばっ……! 人間は、人間を食わないの! 分かるか!?」

「は? なんで?」

「なんでもクソもないわ! とにかく、それは捨て置け! それに、人間なぞ不味いだけだ! いいか、これから人間たちと出会って行くのなら、絶対に人間を食べるんじゃないぞ!」

「んー……分かった」


 ひとまずノアが不味いと言ったことと、人間と関わっていくつもりであるレックスは、素直にノアの言葉に従い、切り取った腕を放り投げた。

 それと同時に、手に付着した人間の血や人間そのものの臭いを嗅ぐ。


「……確かに、あんまりいい臭いじゃねぇな。これ、ゴブリンとかと同じタイプの臭いだ。ゴブリンもクソ不味いし、ノアの言う通り食べねぇ方がいいんだろうな」


 その様子を見ていた集落の人間たちは、全員言葉を失う。


『い、今……あの男、何をしようとしてた……?』

『ど、どう見ても盗賊を食おうとしてたよな……?』

『本当にあの男を引き取らなきゃいけないのか? 大丈夫なんだろうな!?』


 レックスの行動のせいで、どんどん不安になり始める集落の人間たち。

 さすがにこれは不味いと察したノアは、慌てて教えた。


『あー、その、見ての通り、あの者は人間としての常識や知識が一切ない。何故そうなのかは我も知らんが、知識や行動はどう考えても魔物というか、獣だ。しかし、きちんと言葉で人間としての常識などを教えていけば、彼はそれを学ぶ。先ほどもそこの女を助けたではないか』

『……酷い目に遭いましたけど……』


 死んだ目でそう呟くエルティに、ますますノアは慌てた。


『そ、それも彼が女という存在を知らなかったからだ! しかし、助けたことに変わりはない! 違うか?』

『ま、まあ……』

『それと、彼は人間社会に馴染もうとする意思がある。だからこそ、彼が人間社会に馴染めるよう、どうか手助けをしてやってほしい』


 ノアが真剣な様子でそう頼むと、さすがに集落の人間たちもそれ以上は何も言わなかった。

 すると、長老が一歩前に出て、ノアに告げる。


『分かりました、守り神様。ワシが彼を引き取りましょう』

『おじいちゃん!?』

『おお、やってくれるか!?』


 長老の言葉にエルティは慌てる中、ノアは目を輝かせた。


『ワシは老い先短い身です。ですから、少しでも残った時間を未来ある若者のために使いたいと思います』

『おじいちゃん……』


 長老に育てられたエルティだからこそ、長老の言葉に嘘はなく、真剣にそう口にしていることが分かった。

 それはノアにも伝わり、ノアは一つ頷く。


『分かった。ならば、我も貴様の覚悟に応えよう』

『え?』


 次の瞬間、ノアの体から魔力の光があふれ出すと、その光は地面へと静かに染み渡っていった。


『我の力で、この集落の土に干渉した。これで、作物などは問題なく育つことだろう』

『お、おお! ありがとうございます! ありがとうございます……!』


 長老はノアに涙を流しながら何度も頭を下げた。

 他の集落の人間たちも、ノアの言葉にひどく感激し、必死に頭を下げる。

 その様子を見て、ノアが満足そうに頷いていると、不意にエルティが呟いた。


『そういえば……あの男、私たち人間の言葉が分からないって話だったけど、言葉を教えるまでの間の通訳はどうするのかしら?』

『あ……』


 さすがにそこまでは考えてなかったノアは、一瞬顔を青くする。

 というのも、このままではその通訳としてノアもまた、レックスの近くにいなくてはいけなくなるからだ。

 ノアとしては、これ以上レックスの非常識に頭を悩ませたくないため、早々に離れてしまいたい。

 どうしたものかと頭を抱えていると、ノアはあることに気付いた。


『! そうだ! ヤツに押し付けよう!』

『ヤツ……ですか?』


 ノアの言葉に長老が首を捻ると、突然ノアはその場で咆哮を上げた。


「? 何だ?」


 レックスもその咆哮に驚きながらノアに視線を向けるも、集落の人間たちとは違い、レックスには今の咆哮が何なのか、正確に理解していた。


「なあ、ノア。誰を呼んだんだ?」

「……もはや我の咆哮から正確に意味を感じ取ったことに驚きはないが、やはり慣れぬ」


 ノアはため息を吐きながらも、レックスに事情を説明しようとした瞬間、ノアのもとにすさまじい勢いで何かが突撃してきた。


「ノア様あああああああああああ!」

『!?』


 その突撃してきたものの正体は、ノアより二回りほど小さく、右目に縦の傷跡がある茶色の熊だった。

 ただし、その熊もただの動物ではなく、魔力を宿した魔物である。

 いきなり現れた魔物に集落の人間たちはパニックに陥るが、ノアがもう一度咆哮を上げたことですぐに静まり返った。


『恐れるでない。この者は我の眷属だ』


 ノアはまず集落の人間たちに熊のことを紹介した後、そのままレックスにも紹介する。


「レックス。この者は我の眷属であるガルドだ。我と同じく人間の言葉を解する存在であり、これからお前の面倒を見てくれる」

「へえ」

「え、ノア様!? 俺様がこの人間の面倒を!?」


 レックスは興味深そうにガルドと呼ばれた熊を見つめるのに対し、ガルドはまさに初耳だったこともあり、驚きの表情でノアを見た。

 しかし、ノアの決定は変わらず、ガルドに告げる。


「これはもう決定だ。いいか、このレックスの面倒をしっかり見るのだぞ」

「そ、そんなあ! 俺様はノア様の後継者として、今まで尽くしてきたんですよ!? それなのになんで人間なんざの面倒を……!」

「お前の頑張りはよく分かっている。だが、この男の面倒を見るのもまた、我の後継者として必要なことなのだ」


 ガルドはノアの正統な後継者として、様々な力をつけてきた。

 それはいつかノアが寿命や不慮の事故で亡くなった際、森の守護をするために必要だったからだ。

 決して全裸の男の面倒を見るためではない。

 だが、ノアの決定は絶対であるため、これを覆すのもまた無理であることをガルドは十分理解していた。

 だからこそ、とある提案を持ちかけた。


「……分かりました。ですが、一つだけ条件がありやす。俺様は魔物だ。魔物の力を借りたきゃ、それ相応の力を示してもらわなきゃ納得できねぇ。それはノア様も分かるでしょう?」

「それは……」

「ですから、この俺様が、果たしてこの人間に力を貸すに値するのか、見極めさせていただきやす」


 無理矢理従わせることも可能なノアだったが、ガルドの言ってることも十分理解できた。

 それは弱肉強食である魔物にとって、強さこそがすべてであり、ノアの言うことをガルドが聞くのはともかく、戦ってすらいないレックスの面倒を見るなど考えられないからだった。

 そして、そんな物騒な話を人間が聞けば、顔を青くすることだが……レックスは違っていた。


「お? 力比べか? いいぜ、やろうじゃねぇか」


 レックスはガルドに鋭い視線を向けると、見るものがゾッとするほど、凄絶な笑みを浮かべた。

 野生に染まり切ったレックスだからこそ、魔物の考え方には共感しかなかった。

 そんなレックスを見て、ノアはため息を吐くと、そのまま頷く。


「はぁ……分かった。では、今からでも力比べをしてもらおう」


 ――――こうして、集落の人間たちは訳も分からない中、ガルドとレックスの力比べが行われることになるのだった。

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