野生児漫遊記(仮)
美紅(蒼)
第0話
――――それは、星の流れる夜だった。
漆黒の夜空を、いくつもの黄金の光が駆け抜ける。
「――――奇妙な夜じゃ」
次々と流れ堕ち行く星を眺め、一つの影がそう呟いた。
一番高い樹の頂点に悠然と佇むその影は、人ではない。
全身白色の毛皮に覆われ、顔は皺だらけ。
眉毛と口の周りは同じく白色の毛が長く伸びている。
人というより猿に近いその影は、頭上の星空を眺めた。
「人間にとって、大きな変化となる……か。何とも判然としない星じゃ。よい兆しなのか、悪い兆しなのかも分からんとはな」
溜息を吐きながら老猿は呟く。
そんな老猿のもとに、巨大な影が迫った。
「老師。どうしたのよ? 空なんか見つめて」
その影の正体は、巨大な漆黒の竜だった。
空の絶対王者たる風格を漂わせながら、樹の上に佇む老猿の隣で羽ばたく。
「ええい、儂の隣で飛び続けるでないわ! 少しはお主の巨体による周囲への影響を考えんか!」
「いいじゃない、別に。老師ならこの程度の風、制御できるでしょ?」
「そういう問題ではないわい!」
老猿はそう叫ぶも、巨大な漆黒の竜は羽ばたくのを止めないため、老猿は諦めて何事もなくその場に立ち続けた。
「それで? なんで空なんて見てるの?」
「そんなに儂が空を見るのが珍しいかのぅ?」
「ええ。いつもは森の中に籠ってて、樹の上になんて出ないじゃない」
「……それもそうじゃの。ほれ、見てみるがいい、この星空を」
老猿に促され、竜は星降る夜空を見上げた。
「確かに星が降るのは珍しいけど、何があるのよ?」
「……それが、よく分からんのじゃ」
「分からない?」
「人の世に大きな革命が起きる前兆であるのは間違いないが、それが良いことなのか悪いことなのか分からんのじゃ」
「ふぅん。でも、それって人間どもの話でしょ? 私たちは関係ないじゃない」
「ううむ……それもそうなのじゃが、星の流れを見るに、儂らも無関係ではないようじゃ」
「冗談でしょ? 私たちにどう関係するっていうのよ」
老猿の言葉に竜は目を見開いた。
「……さてのぅ。そこまでは分からん。じゃが、悪いことではない」
「どういうことよ?」
「あそこを見てみるがいい」
続いて老猿が指示したのは、小さいが、確かに輝く青色の星だった。
「あれは吉星。唯一、分かっておるいい兆しじゃな」
「ふぅん……で? それが何なの?」
「どうやら、あの青い星と儂らは関係があるようじゃ。奇妙なことにの」
「はあ? ますます意味が分からないんだけど……」
竜は老猿の言葉に首をひねった。
「関係も何も、あれって人間どもの未来を示す星よね?」
「そうじゃの」
「じゃあなんでその吉星とやらに私たちが関係してるのよ」
「そこまでは、さすがの儂も――――」
その瞬間。
老猿と竜は確かに見た。
青い星が一瞬で他の星々を飲み込む程大きく輝き――――消えた。
「……」
「……ちょっと? 青い星、消えちゃったみたいだけど?」
「……そのようじゃな」
思わず竜と老猿は顔を見合わせる。
「はぁ……私たちに関係があるっていうから何かと思えば……どうやら関係を持つ前にその吉兆とやらは潰えたようね」
「ううむ……そういうことになってしまうのかのぅ? そもそも、何なのかすら分からんかったが……」
老猿にもなぜ吉星が消えたのかは分からない。
だが、こうして目の前で消えてしまった今、彼にはどうすることもできなかった。
「……ふぅ。これもまた、一つの運命かのぅ――――」
もはや空に用事はないと、樹から降りようとしたその時だった。
「む!?」
「え!?」
一筋の青い光が、森に向かって――――堕ちた。
「な、なにが……」
「あの方角は――――【
老猿は急いで樹から飛び降りると、すさまじい速度で木々を飛び、駆けていく。
その上空を竜もまた追いかけた。
そして目的地にたどり着いた老猿は、目の前の光景に目を見開いた。
「なっ!? 赤子じゃと!?」
【魔泉】に浮かんでいたのは青白い光に包まれた、まだ小さな赤子だった。
追いついた竜も、その赤子を目にして驚く。
「あれって……人間の赤ちゃん? なんでこの【幻想の島】に……」
老猿たちが驚いていると、その背後から一体の白狼が姿を現した。
「ねぇ、おじいちゃん! なんかここに落ちなかった⁉」
「なんじゃ、騒々しい。もう少し静かにできんのか」
「無理だね! って、お母さんもいるじゃん」
「ふぅ……私は貴女のお母さんじゃないって何度言えばいいのよ? それに、貴女もお母さんになるんでしょう?」
「でも、私にとってお母さんはお母さんだもん! それで? 何があったの?」
「あれを見るのじゃ」
白狼は老猿に促され、泉を見る。
「え、ウソ!? あれって人間の赤ちゃん!? どうして!?」
「さあのぅ……」
「いや、そんなにのんびりしてないで早く助けなきゃ!」
「でも既に泉に落ちちゃってるもの……助けようがないわ」
【魔泉】と呼ばれるこの泉は、魔力が豊富に含まれる水――――ではなく、濃縮されすぎた魔力が物質化し、その場に溜まったいわゆる魔力の原液だった。
そして、生物には当然この魔力を体内に宿しているが、濃すぎる魔力は猛毒であり、触れただけで死に至る。
老猿も竜も白狼も、ただの毒物であれば全く影響はないため、問題なく助けることができた。
だが、濃すぎる魔力とは、そんな老猿たちですら殺してしまう力を持っている。
その魔力の原液ともいえる泉に落ちた赤子に、もはや助かる未来はなかった。
「そ、そんな! おじいちゃん、何とかできないの!?」
「諦めなさい。それに、人間の赤ちゃんなんて助ける義理はないはずよ?」
「でも、赤ちゃんなんだよ!? 誰かが守ってあげないと! お母さんもお母さんなんだから分かるでしょう!?」
「だから、私は貴女のお母さんじゃ……はぁ。でも、貴女の言うことも分かるけどね。私にも子どもはいるし……老師、何とかできないかしら?」
「もうあの水に触れてる時点で手遅れだと思うが……うむ」
老猿は右手を泉に突き出すと、背後の森から幾つもの木々の根が伸び、赤子を救い上げるように迫った。
だが――――。
「むっ⁉」
木の根は、赤子に触れることなく弾け飛んだ。
「何が起こったの?」
「まさか……【魂の加護】じゃと!?」
老猿は木の根が防がれた理由が分かったらしく、目を見開いた。
「【魂の加護】? 何それ?」
聞きなれない単語に白狼は首を傾げると、老猿は難しい表情で教える。
「ううむ……まず、生物の魂は死後、【
「う、うん」
「その【魂界】へと昇った魂は、幾星霜の時を旅し、やがて新たな生命へと生まれ変わる……これが輪廻転生じゃ。分かる通り、生物にとって魂とは次の生に必要なモノなのじゃ」
「うん」
「そして今、目の前の赤子を包んでいる青白い光……【魂の加護】と呼ばれるこれは、その魂を代償に発動することができる」
「魂を……代償……?」
意味が分からないのか、白狼は再び首をひねった。
「そうじゃ。魂を代償にするということは、【魂界】に昇れない。何故なら【魂の加護】を発動させた時点でその魂は加護のために消費されるからのぉ」
「え!? それってつまり――――」
「――――生物として、本当の【死】ね」
【魂の加護】を発動させれば、その代償に発動させた者の魂は消失する。
それは輪廻転生ができないことを意味し、もはや次の生どころか存在そのものが永久に消滅することを意味していた。
「じゃ、じゃああの光はあの赤ちゃんの魂を代償にしてるってこと!?」
「そうではない。あれは赤子とは別の魂……それも、二人の魂から護られておる」
「それって……」
「……おそらく、あの子の父と母じゃろう」
老猿の言葉に、竜も白狼もただ黙ることしかできなかった。
「なら、なおのこと助けないと! だってその二人が、魂をかけてまで護りたかった子供なんでしょ!?」
「そうはいっても、泉の中に落ちて、しかも【魂の加護】が発動している今、儂らにはどうすることも……」
何とかして赤子を助けようと模索するが、どうすることもできない。
【魂の加護】のおかげで今は泉に落ちていても平気だが、その加護も永続ではない。
加護が消えた瞬間、赤子は泉の魔力で死んでしまう。
普段の老猿たちであれば、人間などに興味を示すこともないため放っておいただろうが、【魂の加護】を発動させてまで守りたかった存在を、たとえ種族が違うとはいえ、見捨てることはできなかった。
どうすることもできない状況に、その場にいる全員が悲痛の表情を浮かべる。
そして再び赤子に視線を戻したとき、老猿は異変に気付いた。
「む?」
「どうしたの?」
「泉が……」
赤子を中心に、泉の水はどんどん赤子に吸い込まれていった。
「な、何が起きてるの!?」
「わ、儂にもさっぱり……」
状況が理解できないまま、ただ目の前の光景を見守っていると、やがて【魔泉】の水はすべて赤子に吸い込まれてしまった。
水のなくなった泉は、今はただその場がくり抜かれたように底が丸見えになる。
「……ぅ……ぁぅ……おぎゃああああ!」
「あ!」
すると今まで静かに寝ていた赤子が突然泣き出した。
そのことで再起し始めた三人は、赤子の体から青白い光が消えていることに気づいた。
「加護が消えた……今じゃ!」
再び老猿は木々の根を伸ばし、赤子を慎重に抱き上げると自身の元へ運んだ。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
「おおう、よしよし……」
人に近い老猿が必死に宥めようと優しく揺れ動く。
すると赤子は泣きつかれたのか、はたまた安心したのか老猿の腕の中で再び寝息を立て始めた。
「ふぅ……何とかなったわい……」
「それにしても……人間の赤ちゃんって可愛いねぇ! 人間なんて全員赤ちゃんならいいのに!」
「それは不味かろう」
白狼の言葉に苦笑いしながら、老猿は赤子を見た。
すると、竜はこれでもかというほどに目を見開き、固まっていた。
「ん? どうしたのじゃ?」
「そ、その子から……私の一族の血を感じる……」
「なんじゃと? ……本当じゃな」
竜に言われ、老猿はすぐに赤子を真剣に見つめると、竜の言葉が本当だったと分かった。
「一体どういうことじゃ? お主の子孫か?」
「確かに私の先祖には人間と子を成して、その子が人の王になったこともあるらしいけど……もう何万年も昔の話よ? それに私と同じ竜種の血を感じるだけで、同じ先祖とも限らないし……」
「むぅ……どう見ても竜人には見えぬし……いや、待て。この魔力は……人間や竜族だけでなく、他の種の魔力も感じるじゃと? どういうことじゃ……見た目はどう見ても人間じゃというのに……」
「それよりも、この子、どうするのよ?」
「むぅ……それは……」
スヤスヤと可愛らしく眠る赤子を前に、老猿たちはどうしたものかと唸るばかり。
すると白狼は老猿たちに言った。
「この子……私たちが育てようよ!」
「え?」
「だって、この子を護るために親が魂を懸けたんだよ⁉ それなのに、こんなところで見殺しにするなんて……!」
「……それもそうね。私も子を持つようになったから、どれだけ自分の子供が大切か分かるわ」
白狼と竜の言葉を聞いて、老猿はうなずく。
「そうじゃのぅ……この子の両親が魂をかけ、守った命じゃ。それを儂らが見つけ、育てるのが……一つの運命なのかもしれんの」
「それじゃあ……」
「うむ。儂らで何とか面倒を見よう」
――――星が降る夜。
その星が示す未来は、人類にいいものなのか、悪いものなのか、誰にも分からない。
だが、そんな星空の中で、たった一つ、小さく輝く吉星は存在した。
それは今、人間界から遠く離れた世界の果て――――【幻想の島】で護られたのだ。
空になくとも、例え地に堕ちようとも、希望の星は生きている。
偉大なる二つの魂によって護られた赤子は、確かに生きているのだった。
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