第9話
ガルドとの試練を終え、正式に村の世話になることが決定したレックス。
そこからはあれよあれよとレックスの処遇に関する話が終わると、ここまで面倒を見てきたノアは、晴れて解放されたと言わんばかりにすぐに帰ってしまった。
残されたガルドは渋々ながらも試練を超えたレックスの面倒を見ることになり、村長の家で過ごすことに。
――――そして、レックスが村で暮らし始めて三か月が経過した。
「おはよう」
レックスはどこかたどたどしい言葉遣いでそう口にすると、村長は笑顔で答えた。
「うむ、おはよう、レックス。もう簡単な会話なら問題なさそうじゃなぁ」
「俺、頑張った」
村長の言葉に、レックスは誇らしげに胸を張る。
村長宅で暮らすことになったレックスは、毎日ガルドや時にはエルティ、他の村人たちから言葉を教わり、完璧ではないにしろ、人語による意思疎通が可能になっていた。
子供のうちから自然と言葉を覚えるのとは違い、精神的に成熟した状態で言葉を覚えるのは大変だったが、レックスはみるみるうちに知識を身に着けていった。
そんなレックスは、最初のころとは異なり、今では簡素な衣服も着用し、ようやく人間らしい姿になっていた。
見違えたレックスに対し、初めて村に来た頃のことを思い出して、村長は遠い目をする。
「懐かしいのぉ……最初は本当に人間なのか疑わしいくらいに獣じみた子じゃったのが……」
今のレックスはボロボロとはいえ衣服を身に纏い、長く伸び切った髪も後ろで縛るだけという非常に質素な姿だったが、それでも獣から野生児へと変わるくらいには人間らしくなっていた。
すると、そんなレックスと村長の下にガルドがやって来る。
「俺様が教えたんだから当然だろう? ……すんげぇ苦労したけどよ」
直接指導していたガルドは、村長と同じく過去を思い出してげんなりとした表情を浮かべた。
なんせ、レックスには人間としての常識を一から教える必要があったのだ。
そうしなければ平気で服を脱ぎ、そこらへんで排泄し、好奇心の赴くままに人間を触りまくるなど、おおよそ人間としての尊厳は持ち合わせていなかった。
逆にガルドからすればなじみ深い魔物としての習性を持っており、それがますますガルドからすると困惑する原因の一つにもなっていた。
「いくらノア様の命令とはいえ、正直俺様だけじゃ心が折れてたぜ……どれもこれも、全部嬢ちゃんが手伝ってくれたおかげだな」
「うむ。エルティが役立ったのであれば、よかったですぞ」
散々周囲の人間に迷惑をかけまくったレックス自身は、何も理解していないように首をひねっている。
「よく分からねぇ。でも、いいだろ?」
「ん? 何がじゃ?」
「世界! 俺、世界、見る!」
そう、レックスの当初の目的は、世界を見て回ることなのだ。
とはいえ、まだまだ人間としての常識を完璧に覚えたとは言い難く、村長としても送り出すのは不安だった。
しかし、もはやレックスの我慢は限界で、このままだと無理やりにでも出ていくのは明らかだ。
「ううむ……ワシとしては不安が大きいんじゃが……」
「――――それなら、私がついて行くわ」
「なっ!?」
「あ、エルティ!」
すると、何やら準備万端のエルティが現れた。
最初の出会いこそ最悪だったエルティとレックスだが、一緒に過ごす中で本当にレックスが何も知らない存在だと嫌というほど分からされ、今では普通に接することができていた。
何より、どんな出会いであれ、レックスはエルティの恩人であることに変わりはなく、その点は深く感謝している。
「どうせレックスのことだから、そろそろ言い出すころだろうと思ってたわ。最近、村の外をチラチラ見つめることが多かったし」
「あー……言われてみればそうだなぁ……」
エルティの言葉にガルドも頷いた。
レックスは言葉や常識を学ぶ中で、村の手伝いとして農作業や力作業を手伝っており、初めての体験だからこそ、レックスは楽しそうに取り組んでいたが、ここ最近は村の外に意識が向いていることはそれとなく感じ取っていたのだ。
「だ、だからと言って、エルティを出すのは……」
「まだそんなこと言ってるの? 私だって世界を見て回りたいの。それに、レックスと一緒なら、ある意味安全でしょ?」
「そ、それはそうじゃが……」
エルティの言う通り、レックスの強さは村人全員が認識しており、一人で旅立たせるより、レックスと一緒に旅立つ方が安全なのは間違いなかった。
それでも渋る様子を見せる村長に対し、レックスは首をひねった。
「よく、分からねぇ。でも、呼んで、聞く」
「は? 呼ぶ? 誰を?」
あまりにも唐突なことを口にするレックスに対し、ガルドがすぐ聞き返すと、レックスはその場で大きく息を吸い込み始めた。
「は!? お、お前、まさか……!?」
『――――グルアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
ガルドがレックスの行動を察知し、顔を青くするも、レックスはそのまま爆発するような咆哮を上げた。
いきなりの行動に村長やエルティは反射的に耳を塞いで目を丸くし、村人たちは何事かと家から次々と出てくる。
咆哮を終えると、レックスは爽やかな笑みを浮かべた。
「――――これで、来る」
「ば、ば、馬鹿野郎! 今のって……呼んだのか!? ノア様を!?」
なんと、レックスは今の咆哮でノアを呼び出したのだ。
自身の上司ともいえる存在を気軽に呼びつけるレックスに対し、ガルドはただただ困惑するしかなかった。
「うん、呼んだ。前、ガルド、ノアが呼ぶ。見てた」
「ああ!? あれで!?」
通常、魔物の中で仲間を集めるときの声というのは、それぞれ特徴があり、ただ咆哮をあげればいいというものではなかった。
だが、レックスはノアがガルドを呼び寄せたときの咆哮を覚えており、その時の特徴を使って、ノアに向けて咆哮をあげたのだ。
エルティたちは単純にとんでもない声量で咆哮をあげるレックスに驚いていたが、ガルドからすれば、一度聞いただけでその咆哮の種類を真似できるレックスの器用さと、何より森の守護者であるノアを躊躇なく呼び出すレックスの度胸に度肝を抜かれていたのだ。
すると、しばらくして辺りに地響きが広がり、それは徐々に村に近づいてくると、やがてノアがどこか憮然とした表情で村に姿を現した。
「なっ!? ま、守り神様!?」
村長は突如現れたノアに驚いている中、ノアは呼び寄せた本人であるレックスの下に向かう。
「……久しぶりだな、レックス」
「うん、久しぶり。元気?」
「!」
あえて人語で語り掛けたノアは、ちゃんとレックスから人語で帰って来たことに驚いた。
「ほう……もう少し時間がかかるかと思ったが、随分と人語の扱いが上手くなったな」
「うん。ガルド、エルティ、みんなのおかげ」
「そうか。それで、我を呼び寄せて、何用だ? というより、よく呼び寄せられたな?」
ノアもまさか呼び寄せるための咆哮を使えると思っていなかったので、驚いている。
「前、ガルドの時、覚えた」
「……あの時か」
ノアはその時のことを思い出しつつ、もはやレックスがとんでもないことは理解していたので、ため息のみでとどまった。
「まあ良い。それで、どうしたのだ?」
「うん、俺、外、出る!」
「む? それは……まあ主がそう決めたのであれば、別にいいが……わざわざそれの報告か?」
「違う。ガルド、一緒、ダメか?」
「は!?」
ここでまさか自分が出てくるとは思ってもなかったガルドは、慌ててレックスに視線を向けた。
「エルティ、ついてくる。でも、ガルドも一緒、安心」
「い、いやいやいや! まだ俺様を拘束するつもりかよ!?」
もうすでにレックスに教えることで色々疲れていたガルドは、これ以上一緒に行動するなど考えられなかった。
だが、ノアはすっかり人間らしい格好になった、レックスの首元のネックレスに目を向け、小さく唸る。
「(むぅ……このまま送り出してもいいが、もしそれが原因でこやつに何かあれば、あのネックレスの主が怒り狂うやもしれぬ……そうなれば我どころかこの大陸が危ない。であれば、ここはガルドにまた面倒を見てもらう方が無難か……)」
色々考えた末、ノアはガルドに視線を向けた。
「……うむ。ガルド、すまんが、レックスの面倒をまた見てやってくれんか?」
「はあ!? じょ、冗談ですよね!?」
「いや、本気だ。……我としてもこのまま送り出したいところだが、それで何かあれば、この大陸が沈むやもしれん」
「は? そ、それってどういうことです?」
「……我だって詳しいことは分からん。だが、ヤツにはおそらくとんでもない後ろ盾があるやもしれん。それを刺激しないためにも、どうか頼まれてくれんか?」
「と、とんでもない後ろ盾って……ノア様よりもヤバいんですか?」
「我など歯牙にもかけられんだろうよ」
「――――」
ガルドにとって、ノアこそが一番の存在であり、それ以上の存在がいるとは考えていなかった。
だが、そのノアが、自分よりも強力な存在がレックスの背後にいるというのだ。とても信じられることではない。
「それに、これはお前自身のためでもある」
「え?」
「我もこの地に定住する前は、世界を旅していた。そこで様々な経験を通し、今の力を身に着けることができたのだ。だからこそ、お前もレックスとともに世界を見て回ってこい。我としては、一人でお前を送り出すより、ヤツと一緒にいてくれた方が安心できるからな」
それはノアの本心でもあった。
今ガルドやノアのいるこの森では、ガルドより強い魔物はノア以外には存在しておらず、これ以上成長することは難しかった。
だからこそ、どこかで一度、世界を見て回ってほしいとノアは考えていたが、それも一人で行うより、規格外なレックスと一緒に旅立つことで、ガルド自身の安全も確保できると考えたのだ。
そう言われてしまえば、ガルドしても断るわけにはいかない。
ガルドは散々唸ったあと、やがて小さく頷いた。
「……はぁ。分かりましたよ」
「すまんな。だが、お前が次に帰って来た時、どこまで成長しているのか……とても楽しみだ」
ノアにそう告げられたガルドは、感動した様子でレックスに向き直った。
「~~~~! おい、レックス! 仕方ねぇから、この俺様もお前について行ってやる! 感謝しろよ!」
「うん、感謝する」
これでレックスとガルドが一緒に旅立つことが決定した中、エルティはまっすぐに村長を見つめた。
「ほら、ガルド様も一緒だって言うし、私もいいでしょ?」
「じゃ、じゃが……」
「俺様としては嬢ちゃんに来てもらえると助かるんだが……まあお前さんの心配も分からんでもない」
ガルドは村で過ごす中で、エルティとレックス以外にも村人と親しくなっていた。
その中で、村長がエルティのことを本当に大切にしていることも知っていたからこそ、ある提案をした。
「だから、俺様が嬢ちゃんと契約を結んでやるよ」
「え!?」
「なんですと!?」
ガルドの言葉に、村長とエルティは目を見開いた。
一人よく分かっていないレックスは首をひねる。
「契約?」
「ああ。契約ってのは人間と魔物が結ぶ魔法の一種で、これをしておけば、契約した人間や魔物に危険が迫ればお互いに分かるし、何よりそれぞれの力の一部を譲渡することができるんだ。例えば俺と契約を結べば、嬢ちゃんの身体能力や魔力が上昇するって感じだな」
「へぇ……」
老猿たちからも習っていない魔法に、レックスは興味深そうに話を聞いていた。
ただ、エルティからすればメリットでしかないが、ガルドにはなんのうまみもない。
「そ、その、いいんですか? 私みたいな人間と契約して……」
「嬢ちゃんなら別にいいぜ。なんせ、コイツの面倒を一緒に見てきた戦友だからな……」
「ああ……」
ガルドが遠い目をするのに合わせて、エルティも遠い目をした。
二人とも、レックスに苦労させられたのだ。
その経験が、いつの間にか二人の間に奇妙な絆を生んでいた。
そんな二人の様子に、ノアが面白そうに頷く。
「なるほど、契約か……我はしたことないが、いいのではないか? 一方的な奴隷契約でないのなら、ガルドにとってもいい経験となるだろう」
「それで、どうだ?」
「えっと……お、お願いします。って、え?」
「じゃ、ちゃちゃっと済ませるぜ」
エルティが頭を下げると、ガルドはそのエルティの頭に優しく手を置いた。
そして、二人を淡い光が包み込むと、エルティの右手の甲と、ガルドの右手の甲に、同じ模様の紋章が現れた。
「うし、これで契約完了だ」
「す、すごい……あの難しい契約魔法を無詠唱で……あ、ありがとうございます、ガルド様!」
「そりゃあ俺様はすごいからな! それと、これから一緒に旅するんだし、敬語も様付けもしなくていい。よろしくな? 嬢ちゃん」
「あ……うん!」
こうしてエルティとガルドの契約が済んだことで、村長はついに諦めたのか、ため息を吐いた。
「はぁ……守り神様たちにここまでされたのなら、もはやワシも何も言わん。だが……もし、辛いことがあれば、いつでも帰って来なさい。ここはお前の故郷なのじゃから」
「っ……うん!」
村長の言葉に涙を浮かべたエルティは、力強く頷いた。
――――こうして、レックスたちの旅立ちが決定し、その日はノアも含め、盛大な宴会が繰り広げられるのだった。
野生児漫遊記(仮) 美紅(蒼) @soushi
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