第1話

「――――じいちゃん、見て見て!」

「ん?」


 ズシン!

 そんな重い音を響かせながら置かれたのは、体長3m程もある巨大な牛だった。

 それを見た白毛の老猿は朗らかに笑う。


「ほっほっほっ。こりゃまたずいぶんと大きな【アサルト・ブル】じゃのぉ」

「俺、すごい!?」


 そう言って目を輝かせるのは、透き通るような白銀の髪と、青い瞳を持つ人間の少年だった。

 少年のその身には何も纏っていない。完全な全裸である。

 人間界に住む者では考えられないような、野生的な格好だ。

 そう――――彼こそが星降る夜、老猿たちに拾われた赤子だった。


「おじいちゃん、レックスったらすごいんだよ! 一人で倒しちゃったんだから!」

「そうね。私たちも見守ってたけど、本当に一人で倒しちゃったんだもの」

「ほぅ、そりゃすごいのぅ」


 少年の戦いっぷりを白狼と黒竜も伝えた。

 あれから五年。

 少年は三体の魔物から『レックス』という名を授けられ、すくすくと育っていた。

 主に知識は老猿が教え、戦闘技術や魔法などは三体で教えて過ごしていた。

 同じ人間がこの場にいれば目を丸くするような状況だが、レックス以外の人間はこの場にいない。

 何故ならこの【幻想の島】は、周囲を激しい海流域で囲まれた絶海の孤島だからだ。

 だからこそ、誰にも邪魔されることなく、レックスは育つことができたのだ。

 ――――ただし、その教育方法はぶっ飛んでいた。


***


 本格的に修行が始まる前。

 レックスは、老猿から回復魔法の重要性を徹底的に叩き込まれていた。

 最初こそ、狩りの仕方や戦い方を教わると思っていたレックスは、回復魔法を教えられることに首を傾げていた。

 すると、老猿はそんなレックスを微笑ましく見つめながら、口を開く。


「さて、レックスよ。知っておるか?」

「何をー?」

「世の強い魔物の多くが、体に傷があることを」

「ええ? でも、じいちゃんも母さんも姉ちゃんも傷ないじゃんー」


 意味が分からないといった様子で、レックスは目を見開いた。


「ほっほっほ。儂らは特殊じゃよ。なんせ、自分の傷は回復魔法で癒せるからのぉ」

「ええー?」

「まあ聞きなさい。では、何故強い魔物の体に傷が多いのか……それは、体が生存本能によって、より丈夫な体に作り替えるからじゃよ」

「せいぞんほんのー?」

「生きたいという強い意志じゃ」

「ふーん」


 レックスは分かっているような、分からないような返事をする。

 そんなレックスに対して、老猿は笑みを浮かべた。


「まあよい。とにかく、死闘、死線を潜り抜けてきた歴戦の魔物は、大抵体の一部を失う。じゃが、儂らのように回復魔法を使えぬ魔物は、自然治癒に任せるしかない。まあ自然治癒でその欠損部位を再生させる魔物もおるが、大概はそのままじゃ。しかし、時に運のよい魔物は、自然の恵み……薬草などによって救われ、失った体の一部を取り戻すのじゃ。そんな魔物こそが、この自然界の生存競争に生き残り、頂点に君臨するんじゃよ」

「なんでー?」


 レックスは特に深く考えず、素直に疑問を口にした。


「言ったじゃろう? 生存本能によって、体が作り替えられると。薬草によって取り戻した体の一部は、失う前より強力になって再生する。そして、その強力な体の一部に、全身が適合するため、自然と全身が強化される。さらに運が良ければ、体が自然と生き残るために、自然治癒力を高めたり、これが切っ掛けで回復魔法を体得したりする場合もある。これでまた、その魔物は死闘によって、強化を重ねていくんじゃよ」

「へー」

「他にも、回復魔法を覚えてさえいれば、死にさえしなければ生き残れるんじゃ。分かったかのぉ?」

「何となく?」


 難しそうに顔をしかめるレックスを見て、老猿は口を開けて笑った。


「ほっほっほ! まあ、今はその程度でよい。それよりも、レックスよ。今からお主には回復魔法を徹底的に教え込むわけじゃが、それと同時に修行も始めたい。そして幸いなことに、儂らは回復魔法を使えるため、先ほど語った強化を確実に行える。この意味が分かるかの?」

「え」


 にこやかに語り掛ける老猿に対して、レックスはサッと血の気が引いた。

 しかし、老猿はそんなレックスを気にする様子もなく、むしろ笑みを深めた。


「さて、死にかけてみようかのぉ?」

「ま、まっ――――ぎゃああああああああ!?」


 ――――こうして、レックスの地獄の日々が始まったのだ。


「ほら、レックス! そんな調子じゃ何時まで経っても私に追いつけないよー?」

「ま、待ってよ姉ちゃん! 姉ちゃん速すぎるって……!」


 足場の悪い樹海の中を、まるで障害物などないかのようにとんでもない速度で駆け抜ける白狼。

 それに追いつこうと必死にレックスも走り続けるが、どう考えても勝てるわけがない。


「うーん……これでも超手加減してあげてるんだよー? あまり遅いと……ほら、追いつかれちゃう」

「え? ってうわあああああああ!?」


 なんとレックスの背後には、【アサルト・ブル】の群れが押し寄せていたのだ。

 この間一人で【アサルト・ブル】を倒したとはいえ、それは一対一での状況。さらに言えば、白狼と竜も見守っていてくれたから安心して戦うことができたのだ。

 だが今も木々をなぎ倒して突き進んでくる【アサルト・ブル】の群れに、レックスは一人で太刀打ちできるだけの力はまだなかった。


「ほらほら、早く逃げないと轢かれちゃうよー」

「うおおおおおおおおおおお!」


 【アサルト・ブル】に轢かれたくない一心で、レックスは爆走した。

 恐怖心などに駆り立てられて逃げているのではない。ただ、逃げなきゃ死ぬから走るのだ。そこに怖いとかそんな感情が入る余地もない。

 それでも完璧に逃げ切るのは不可能であり、何度も轢かれては白狼の回復魔法で復活させられ、立ち上がったレックスを確実に仕留めるべく、【アサルト・ブル】は再びレックスを追いかけまわすという無限ループ。

 頭を必死に回転させ、気配を殺し、周囲の環境を利用して、ギリギリのところでついに【アサルト・ブル】の群れから逃げ切ることに成功した。


「はぁ……はぁ……な、何とか逃げ切れた……」

「はい、じゃあ次はアレねー」

「え?」


 白狼が示す先には鋭い視線でこちらを睨む、大型犬サイズの鷹――――【スラッシュ・ホーク】の群れが羽ばたいていた。

 鋭い嘴や爪はもちろんだが、何よりも鋼鉄並みの硬度を誇る翼と音速並みの速度は脅威だ。


「アレ、結構早いから気を付けてねー。あ、でもアレって美味しいからできれば倒してみよー!」

「え、ちょっ――――ぎゃあああああああああああ!」


 ――――こうしてレックスは白狼から狩りの知識や逃げ方を教わる。

 最初に回復魔法を徹底的に教え込んだ老猿は、知識や戦闘技能も教えていた。


「さて、レックスにはこれを壊してもらおうかの。もちろん、素手でじゃ」

「へ?」


 老猿が示した先には、超巨大な岩が聳え立っており、レックスどころか、人間にこの岩を壊せるとは思えなかった。


「これは【エンペリウム】と呼ばれる非常に硬い鉱石の塊じゃ。じゃから、これを簡単に破壊できるようになれば……」

「ま、待ってよ! そんな硬い上に、こんなに大きいものを壊すの!? しかも素手で!?」

「もちろんじゃ」

「無理に決まってるじゃん! 魔法だってまだまともに使えないのに……!」

「何を言っておる? 魔法なんて使わせるわけないじゃろう」

「は!?」


 老猿のまさかの発言にレックスは呆然とした。

 どう見ても素手だけで破壊できるとは思ってもいなかったため、レックスは自然と身体強化の魔法は使ってもいいんだと考えていた。

 だが、老猿はそんな考えを一瞬で吹き飛ばす。


「これは純粋な力を鍛えるための修行なんじゃから、当たり前じゃろう?」

「そ、そんなああああああああ!」


 そこから始まる岩をひたすら殴り続ける毎日。

 ゴツゴツとした岩肌はその硬さと相まって、殴るだけでレックスの腕を簡単に破壊していく。

 最初は一発殴っただけで拳が潰れ、さらに衝撃で腕の骨が砕け散ったくらいだ。

 だが、それでも修行を止めさせることなく、淡々と魔法で回復させては、レックスはひたすらに岩を殴り続けるのだった。

 しかも、それと並行する形で老猿との実戦形式の武器を使った打ち合いも行われていた。

 ただ、その打ち合いは、老猿の修行の中でも比較的に優しいものだったため、レックスはこの修行を天国のように感じていた。

 とはいっても、打ち合いが決して簡単というわけではない。


「ほれ、打ち込んできなさい」

「うん! うおおおおおお!」

「ほっほっほ。足元がお留守じゃよ」

「へ? うわああああ!?」


 今も突撃したレックスをその場から動くことなく、老猿は軽く捌いた。


「ほれほれ、儂の動きをよく見なさい。どうしているのか、考えて盗むのじゃよ」

「うん……はああああああっ!」

「む?」


 そして再び突撃したレックスの棒を受け流そうとそれに沿うように棒を差し伸べたが、レックスはその動きをさらに受け流すように体を巻き込みながら老猿に迫る。

 だがそう簡単に老猿に一撃が決まる訳もなく、結局レックスは再び地面に転がされた。


「あー! ダメだったー!」

「ほっほっほっ。その調子じゃよ。儂が相手なら動きを詳しく解説してやれるが、もし戦う相手が友好的じゃなかったら……その相手のいいところだけ盗み、自分の力にするしかないのじゃ。だからこそ、相手の動きを盗む訓練もしなさい」

「はーい」


 朗らかに笑う老猿だが、内心では驚いていた。


「(たった数合のやり取りでもう成長したのか……末恐ろしい才能じゃのぅ)」


 そうは思いながらも、その表情はどこまでも嬉しそうだった。

 ――――こうして老猿からは棒術や体術といった戦闘技能を教わる。


***


「いい? 貴方には竜の血が流れているわ。それがどんなご先祖様の血かは分からないけど、それは間違いないの」

「うん」

「だから、貴方にもできるはずよ――――こんな風にね」


 一瞬で竜は口の中に恐ろしいほどの魔力を圧縮させると、空に向けて解き放った。

 その瞬間、一筋の光が空に飛んでいくと、やがて轟音を響かせて空を焼き尽くす。


「す、すげー!」

「ふふふ。貴方が私と同じように口から火が吹けるかは分からないけど、魔力の動かし方は同じよ。魔力をどうすれば効率よく操れるか……それを覚えなさい」


 一番まともな修行は、何気に黒竜だった。

 白狼は実戦で戦闘という行為を体に馴染ませ、老猿は両手両足を使ってなどと生ぬるい方法ではなく、魔法も技術もなしで腕力のみで片手や片足だけで大岩を壊せるように毎日大岩に打ち込みをさせられるのだ。それが出来るようになれば次は手足すべての指一つで大岩を壊せるようにさせられるという、普通の人間ではまず耐えられない修行を受けていた。

 しかも、魔法や技術抜きの純粋な腕力のみで両手両足、指一つで大岩が壊せるようになると、次はその体を地面に固定し、その上からその大岩を落とすというもはや修行どころか殺しに来ているようなものまで受けていた。

 だが、これらにも理由がちゃんと存在した。

 魔法や岩の弱点部位を見極める技術などを抜きにしてただの力のみで壊させる修行は、レックスの基礎身体能力を大幅に向上させたのだ。

 さらに、体の上から大岩を落とすのも、体の耐久力を向上させるためである。

 最初こそは両手も両足も体もボロボロになり、白狼との修行の中では何度も片腕や片足、それどころか下半身すら失うこともあったが、老猿の回復魔法のおかげと、コツをつかんだおかげで何とか達成できるようになっている。この修行が切っ掛けで、レックスは無事、回復魔法を完璧に習得したのだ。

 筋肉が傷つき、超回復することで筋力が増加するように、失われた手足などを回復魔法で生やすことで、体がより強靭に作り替えるため、レックスの体は人間からどんどんかけ離れていった。結果として、これがレックスがこの危険な森の中で生き抜いていけることに繋がるのだが、レックス本人がそれを素直に喜べるかは不明である。

 とはいえ、老猿たちは何てことなく手足や下半身などを回復魔法で再生させているが、人間界で同じことができる人間などほんの一握りであることは、レックスどころか老猿たちも知らなかった。

 そんな無茶苦茶な教えが続く中、黒竜は丁寧に魔力の使い方を教え、通常の魔法や今は使えなくともいずれ使えるようになるかもしれないということで様々な竜属性魔法も教えていたのだ。

 ――――こうして竜からは竜属性魔法を含む魔法と魔力の扱い方を教わる。

 ただ、実はレックスを育てているのはこの三体だけではない。

 ある日、レックスは一人で海が見える浜へやってきていた。

 普通なら、激しい海流と強力な魔物の生息する海に用事はないのだが、海にもレックスを育ててくれる者がいるのだ。


「――――おばあちゃん!」

「おやおや、レックス。久しぶりねぇ」


 レックスが走って駆け寄る先には、海面から長い首を伸ばした青い龍の姿が。

 レックスは青い龍に走り寄るとそのまま顔を抱きしめた。


「えへへ……俺、おばあちゃん好き!」

「あら、嬉しいことを言ってくれるねぇ。アタシもレックスが好きだよ」

「本当!?」

「本当だとも。じいさんも竜のお母さんも白狼のお姉さんも、みんなレックスが好きだよ」

「やったー!」


 青い龍の言葉に両手を上げて喜ぶレックス。


「それじゃあ背中にお乗り」

「うん!」


 この危険な海域で遊べる存在などほとんどいない。

 ――――それでも海で遊べるのは、この青い龍のおかげだった。

 青い龍の背中に乗ると、レックスは沖にまで出る。

 青い龍にとって、海の魔物も海流も何の問題にもならないのだ。

 ある程度の沖に来ると、青い龍が背中のレックスに訊いた。


「ほら、ここらへんでいいかい?」

「うん!」


 そういうとレックスは勢いよく海に飛び込む。

 そして息をたくさん吸うこともせず、どんどん海の底に潜って行った。

 それに続くように青い龍もレックスを追いかける。

 レックスは海中で仰向けになりながら気持ちよさそうに目を閉じていた。


「おや、海の中での魔力の使い方がずいぶんと上手になったねぇ」

「本当!? お母さんのおかげだ!」


 本来人間は海の中で喋ることはできない。

 それどころか、呼吸も不可能なのだ。

 だが、レックスはそんなもの関係ないと言わんばかりに普通に会話をし、呼吸をしている。

 それらすべての理由は、魔力にあった。

 他の人間たちは知らないことだが、海中だろうと魔力を使えば息はできるのだ。

 しかも、魔法と違い外にその魔力を放出するわけでもないので、暮らそうと思えば海中でも暮らすことができる。

 だが、そこまで魔法や魔力の扱いに長けた者、そもそも魔力で海中でも息ができると知る者がいないのだ。

 何故なら、この方法は海中や川に棲む魔物が使っている技術であり、魔物とコミュニケーションのとれない人間が知るはずがないからだ。

 海中を十分に堪能すると、レックスは海流などまるで苦にもせず、大きな魚を見つけて忍び寄る。

 ここでも白狼の教え通り、気配を絶つのではなく、自然に気配を溶け込ませながら周囲の海流に身を任せ、魚に気づかれないように移動していた。

 そして――――。


「フッ!」


 魚のエラに鋭く手を突っ込むと、そのまま貫通して持ち上げた。

 ひどく暴れる魚だが、レックスは貫いた右手を持ち上げたまま固定し、左手で体に体重をかけることで首の骨をへし折った。

 骨を折られた魚は、そのまま絶命する。


「やった! おばあちゃん、獲れたよ!」

「おやまあ、すごいねぇ! もう一人前じゃないかい?」

「本当? えへへ」


 他にも何匹か魚を捕まえると、老猿たちのお土産として持って帰るのだった。


◆◇◆


「あと十三年じゃな……」


 レックスが寝静まった後、あの星が降った夜に登っていた樹の頂上で老猿は静かに呟いた。

 その隣には静かに羽ばたく黒竜と器用に木の枝に座る白狼の姿もある。


「本当にあと十三年でレックスはここを出ていかないといけないの?」


 悲しそうな表情で白狼がそう訊くと、老猿は静かに目を閉じた。


「こればかりはのぉ。お主も分かっておるじゃろう? 儂らも一定の年齢になれば、群れを作るため、巣立つことを……」

「それは……」

「ねぇ、巣立ちの時って本当に十三年後なの?」

「そうじゃよ。まあ人間の習性は知らんから、実際はいつ巣立ちするのかは分からんが、十三年後であればレックスの身体も安定しているはずじゃ」

「そっか……」


 老猿の言葉に黒竜も白狼も黙った。

 レックスは人間ではあるが、魔物である老猿たちは、魔物としての育て方しか知らないのだ。


「まあそう悲観するものでもない。確かにレックスは巣立たなければならんが、その先でレックスが得るモノは、レックス自身の大きな成長となるじゃろう。そんな成長する機会を、儂らが奪えるはずもない。世界を見て、成長し、いずれはレックスの群れを作る……それが大切なんじゃよ」

「……私たち魔物と同じ。レックスも巣立ちの日がやって来たってことね」

「そうじゃ。レックスの本当の将来を考えた時、番を見つけることも含めて、どのみち人間との交流は必要不可欠になるじゃろうよ。先にもいったが、レックスは自分の群れを持たなければな。レックスの血を途絶えさせるわけにはいかん」


 そういった老猿は気分を変えるように明るい声音で再び口を開いた。


「さて、しんみりした話は終わりじゃ。十三年後……レックスが人間界でもしっかりやっていけるよう、今まで以上に修行を厳しくしないとのう」


 レックスが知らないところで、老猿たちはそんな会話をするのだった。

 そして翌日、レックスは理由も分からないまま、さらに過激で超危険になった修行に晒され、絶叫をあげるのだった。

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