第4話
「ん……こっちだな」
世界を見て回るため、青い龍の背に乗り、新たな島に上陸したレックスは、しばらく森の中を歩くと、不意に鼻を動かした。
すると、レックスにとって未知の森であるにもかかわらず、迷う様子もなく森の中を進んでいく。
しかも、そこは道などというものはなく、ただ鬱蒼と生い茂る木々と、ごつごつとした石が転がり、湿った苔が生えている地面が続いているだけだった。
普通の人間であれば、靴を履かずに歩けばすぐに足がズタズタになったり、足を取られ、転んでしまうような地面であるにもかかわらず、レックスは何の苦もなくその地面を裸足で踏み歩く。
奥に進めば進むほど、足場は悪くなり、木も密集していくことで、周囲が暗くなっていくのだが、レックスは特に気にする様子もなく歩き続けた。
そして、一時間ほど森の中を進んでいくと、拓けた場所にたどり着いた。
そこには大きな湖があり、頭上を照らす日の光によって、キラキラと輝いている。
「綺麗だなぁ」
のんきにそんなことを口にしながら湖を眺めるレックスに、一つの影がゆっくりと森の中から姿を現した。
『人間が……この場所に何用だ?』
森から現れたのは、レックスの身長の五倍はあろうかという巨体の熊だった。
漆黒の毛皮に浮かび上がる白い文様が、特徴的である。
そんな熊は、レックスを警戒した様子で見つめながら、再び口を開いた。
『答えろ、人間。ここに何の用だ』
熊の口から紡がれた言葉はまさに人間の言葉であり、それだけでこの熊が普通の獣でないことを察することができた。
だが――――。
「? 何て言ったんだ?」
『!?』
レックスは熊の言葉が分からないといった様子で、怪訝そうな表情を浮かべながら首を捻った。
その様子に、熊は目を見開く。
「ば、バカな! 何故人間である貴様に、我ら魔物の言葉が……!?」
「お、やっと通じた」
レックスはようやく聞き慣れた言葉を熊の口から耳にしたことで、安心した様子で笑みを浮かべた。
「この森を通るから、挨拶しとこうと思ってよ。そこら中にアンタの臭いがしてるし……この森の主ってアンタだろ? よその縄張りを通る時は、そこの主に挨拶しなきゃいけないもんな。じいちゃんたちが言ってたぞ」
熊の驚きなど気にもせず、レックスは続ける。
そんなレックスに対して、熊はますます混乱した。
「あ、挨拶だと? 何を言っているんだ? わざわざそんなことをするのは、ある程度格のある魔物くらいだぞ……ましてや、人間である貴様が何故……い、いや! そんなことより、貴様が魔物の言葉を話せることを説明しろ!」
「は? なんで話せるのって言われても……じいちゃんたちに教えてもらったからだぞ?」
「じ、じいちゃん?」
聞けば聞くほどレックスへの謎が深まる熊。
人間の声帯と魔物の声帯は異なるため、本来人間が魔物の言葉を話すことはできないはずだった。
もちろん、熊のように魔力という媒介を通すことで疑似的に人間の声帯に近づけ、人間の言葉を話すことはできるが、レックスからは魔力を使った形跡がないのだ。つまり、魔力を使わず、魔物の言語を話していることになる。
そんなことができるのは、生まれながらに魔物と生活してきた人間だけだろう。
しかし、そんな存在はまずいない。少なくとも、熊は聞いたことがない。
知能ある魔物や聖獣、神獣であれば別だが、本来魔物からすれば人間は食料であり、または繁殖相手でしかないのだ。魔物が人間を育てる状況はあり得ない。ましてや生まれたての赤子など、抵抗手段もないため、格好の餌食だろう。
混乱極める熊だったが、不意にレックスの姿をじっくり見たことで、そこでようやくレックスの姿が普通でないことに気づいた。
「いや、待て。よく見れば……なんだ、その格好は? 何故全裸なんだ!?」
「はあ? 何言ってんだ?」
熊の疑問に、今度は逆にレックスが首を傾げた。
「貴様、自分の格好がおかしいという自覚はないのか!?」
「ないけど?」
「どうなってるんだ……!」
熊は思わず頭を抱えると、不意にレックスの胸元で光るネックレスを視界に捉えた。
「何なんだ、一体……全裸のくせに装飾品など――――!?」
そこまで言いかけて、熊はレックスの首にかけられているネックレスから放たれる気配に、絶句した。
そのネックレスを認識してしまったことで、熊は震えだす。
「き、貴様……その首飾り……」
「ん? これか? これはおばあちゃんに貰ったんだ。いいだろ?」
「お、おばあ……!?」
あり得ない!
熊はレックスの言葉に対して、咄嗟にそう口にしそうになった。
何故なら、レックスの首飾りから漂う気配はどう考えても神獣クラス。いや、下手したらそれ以上で――――。
必死に現在の状況を整理する熊は、何度か深呼吸をすると、落ち着いた様子でレックスに訊いた。
「貴様……その首飾りを……その……おばあちゃん……つまり、祖母からもらったと言うのか?」
「うん」
「っ……で、では訊くが……貴様の祖母とは、一体何なのだ?」
「はあ? おばあちゃんはおばあちゃんだけど……」
「そういうことを訊いているのではない! 例えば……姿や大きさなど、そういうことを訊いているのだ!」
「ええ? んなこと言われても……んー。おばあちゃんはデカくて、強くて、優しいんだ。これでいいか?」
「……」
レックスにとって、青い龍は祖母という認識でしかないため、その存在がどういうものであるのかを正確に考えたことすらなかった。
その結果、熊に伝えた情報はどれも曖昧だったが、レックスが『デカくて強い』と口にした時点で、熊の中で抱いた疑問は確信へと変わった。
だからこそ、熊は目の前のレックスに対する対応を誤るワケにはいかない。
もし、このレックスの身に何かがあれば、熊は殺されると察したからだ。
散々『貴様』などと口にしてしまったが、今から友好的に行動することで挽回しようと熊は試みる。
「あー……その、分かった。色々訊いて申し訳ない」
「いんや? 別にいいぞ。んで、通ってもいいか?」
「……そういえば、この我に通行のための挨拶に来たと言っていたな。もちろん、構わない。ただ、どこに行くのだ? 場所によっては、その方向の森の出口まで案内してやろう」
「本当か!? 俺、ニンゲンのいるところに行くんだ!」
「…………はい?」
熊は再びフリーズした。
しかし、すぐに気を取り直した熊は再度訊ねる。
「その、人間がいる場所に行きたいのは分かった。我が訊きたいのは、どの国に行くのかということだ」
「クニ? クニってなんだ?」
「――――」
熊は絶句した。
「……本当に分からないのか?」
「うん」
躊躇いなく頷くレックスに、熊は本当に『国』を知らないということを悟ってしまった。
なので、熊はレックスに対して自身の持つ常識を一旦置いておき、レックスは何も知らない存在として、一から説明することにした。
「……いいか? 国というのは、人間の縄張りのことだ。それぞれの縄張りの長がいて、その長の庇護の下、他の人間たちが暮らしている場所だ。分かったか?」
「何となく分かった」
「……本当に大丈夫なのか……」
何が目的でこの森に来たのかは分からないが、レックスの道行きが心配になる熊だった。
そこで、熊はふとあることを思いついた。
「……そうだ! 人間のことは人間に任せるとしよう」
「え?」
「この森には、人間の小さな集落……あー、集落っていうのは人間たちの小さな群れのことだぞ? ちなみに、その群れが集まったものが国でもある。とにかく、そこにお主を連れていこう。どうだ?」
「え、いいのか? ありがとう!」
レックスは屈託のない笑顔を浮かべると、熊に礼の言葉を口にした。
そんなレックスの礼の言葉を受け取った熊は、一つ頷いた。
「うむ。承った。……そういえば、まだ名乗っていなかったな。我はこの【ノストゥの森】を守護するノアだ」
「俺はレックス! よろしくな!」
互いに自己紹介を終えたところで、熊――ノアは、レックスの前で身をかがめた。
「背に乗るがいい。集落まで連れていこう」
「本当か? ありがとうな」
ノアがいくら体をかがめたとはいえ、巨体であることに変わりはなく、鐙がなければそう簡単に背に乗ることはできない。
だが、レックスは軽くその場で跳ぶだけで、簡単にノアの背に乗った。
何気ない動作であったが、ただそれだけでノアはレックスの身体能力の高さを垣間見た。
「(末恐ろしい人間だな……我の背に軽やかにのる身体能力。それに、意識せねば背に乗ったことすら気づかぬほど衝撃なく着地する身体操作。まるで猫のような身のこなしだ。本当に人間か? 獣人じゃなく?)」
背に乗ったレックスに対してあれこれ考えていると、レックスは不思議そうに声をかけた。
「あれ? 行かないのか?」
「む……ああ、すまない。では行くが……振り落とされるなよ!」
ノアはレックスを背に乗せたまま、森の中とは思えないような速度で駆け出した。
普通なら簡単に振り落とされそうな速度であるにも関わらず、レックスは周囲の景色を楽しむように何事もなくノアの背に乗り続けた。
「(本当に人間なのか!?)」
今日で何度目か分からない疑問を抱きながら、ノアはレックスを背に乗せ、森を駆け抜けるのだった。
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