第2話

 あれからさらに十三年。

 18歳になったレックスは逞しく成長し、その姿は青年へと変貌していた。

 極限まで引き締められた肉体は凄まじい筋量を秘めており、鈍らの鉄製武器程度では傷一つ付かない。

 これにはもちろん日々の厳しい訓練の成果もあるが、いつも食べているモノも関係していた。

 例えば『キング・オーク』の肉を食べれば精力がつき、『ランニング・バード』の肉を食べれば足が速くなるなど、魔物によって、成長に大きく関係するモノが数多く存在した。

 それらを幼いころから食べ続けただけでなく、黒竜の乳すら飲んで育ったレックスは、もうすでに身体能力やその潜在能力だけでも人間の枠から大きく外れ、体も普通の人間とは言えなかった。

 身長も一気に伸び、顔立ちも大人びてきたことで凛々しくなり、レックス自身は意識していないがある種の色気をすでに持っている。

 それでもボーボーに伸びきった手入れされていない長髪と、全裸であることですべてを台無しにしているが。

 そんなある日、いつも通り狩りを終えて戻ってきたレックスを老猿たちは真剣な表情で出迎えた。


「ただいまー……ってどうした? みんな」

「うむ……レックスよ。お主に大事な話がある」

「大事な話?」


 いつになく真剣な老猿の様子にレックスも首を傾げながら居住まいをただした。


「レックス。お主が今日この日まで健やかに育ってくれたこと、儂らはとても嬉しく思う」

「な、なんだよ、いきなり……それはじいちゃんたちのおかげだろう?」

「いいえ、レックス。貴方が頑張ったから、こうして立派に育ったのよ」

「そうそう! 自然界では強さがすべて……強くなる努力をしなくなった者は、ただ淘汰されるんだよ?」

「う、うん……それで、話っていうのは?」


 よく意味も分からないまま褒められたレックスは嬉しく思いつつも、なかなか本題に入らないので素直にそう訊いた。

 すると逆に老猿たちがどこか言いづらそうな表情を浮かべたが、やがて決心した様子でレックスに告げた。


「レックス。旅立ちの時じゃ」

「え……?」


 老猿の言葉に、レックスはただ呆然とする。


「た、旅立ちって……何だよ、それ」

「レックス。儂らはお主に一つ黙っていたことがある」

「だ、黙っていたこと……?」


 恐る恐るといった様子で尋ねるレックスに、老猿は真剣な表情で答えた。


「レックスは……本当の儂らの子供ではない」

「――――」


 星降る夜の日からレックスを育て続けた老猿たちだが、実は本当の両親が別にいたことを今まで告げられずにいたのだ。

 だからこそ、レックスは何の疑うこともなく老猿たちを自分の本当の親だと思って生きてきたのが、たった今、否定された。


「本当の……子供じゃない……? ど、どういうことだよ……」

「レックス。貴方は私たちと同じ魔物じゃないわ。貴方は人間なのよ」

「にん……げん……?」


 今まで他の人間を見たことがないレックスには、黒竜の言う言葉の意味がよく分からなかった。


「そうじゃ。十八年前、お主はこの森に堕ちてきた。それを儂らが拾い、育ててきたのじゃ。じゃが、それも今日までじゃ」

「ど、どうして!?」

「魔物の子は、ある一定の歳になると、巣立ちをする。じゃから、お主もそれに従うのじゃ。それだけではない、お主はこの先、番を見つけ、儂らのような家族を作るためにも旅立たなければならぬ。お主と同じ人間はこの森におらぬからな」

「そうなのか?」


 キョトンとするレックスに老猿は頷いた。


「うむ。レックス、家族は好きじゃろう?」

「うん、好き。俺はみんな大好きだぞ」

「だったらなおさら世界に出ていくのじゃ。外の世界にはお主の新たな家族となる者がおるやもしれぬ。それにお主の人生、この森の中だけで終えるにはもったいなさすぎる。世界を見て、初めてお主は本当の成長が出来るのじゃよ」


 そこまで言い切った老猿は、改めてレックスの目を見つめながら告げた。


「儂たちもレックスと同じように、巣立ちをしてきた。自分の家族……群れを作るためにの」

「自分の群れ……」

「そうじゃ。まあ、儂らはそう言った経験も終え、この島に流れ着いた存在じゃがの」

「私とお母さんはこの場所で子供を産んだんだけどね!」


 とはいえ、レックスは未だに事態をうまく飲み込めず、混乱していた。

 老猿たちの言い分は理解できたが、あまりにも急すぎたため、レックスの感情が追い付かないのだ。

 だが、魔物の世界では本当に突然、巣立ちを迫られるため、不思議ではない。むしろ、突然とは言え、しっかり巣立ちの説明をしている老猿たちは、レックスを魔物ではなく、人間として認識しているからこその行いだった。ただし、その行動は魔物としての常識に照らし合わせた行動であるため、人間から見ると急であることに変わりはないが。

 頭の中がごちゃごちゃしてどうしていいか分からずに、気づけばレックスは泣いていた。

 育ててくれた老猿たちが親でないこと、自分がよく分からない『人間』だということ、そして、いきなり旅立ちを告げられたこと。

 何もかも、レックスには想像していなかったことで、急に心細くなり、レックスは泣いてしまったのだ。

 するとそんなレックスを老猿は抱きしめ、白狼は体を寄せ、その全員を黒竜が翼で包み込む。


「世界にはお主の知らないモノがたくさんある。それをちょっと見てくるだけじゃよ」

「ちょっと……?」

「そうじゃ。儂らはレックスの本当の【家族】じゃ。たとえ血が繋がっておらずとも、そこは譲らぬ」

「そうそう! ここはレックスの家なんだから、帰ってくるのは当たり前でしょう?」

「それに、言ったでしょう? アナタは私たちの子供だけど、人間でもあるの。だから、魔物のように旅立って終わりじゃなくていいのよ。いつでも帰ってきていいの。分かった?」

「……うん!」


 黒竜の言葉にレックスは涙を拭きながら笑顔で頷いた。

 そして先ほどとは違う、何かを決心した表情でレックスは老猿たちに告げた。


「分かったよ、じいちゃん。俺、そのセカイってヤツを見てくるよ。正直、まだよく分かってないけど……。でも、俺もいつか巣立ちをしなきゃいけないのは……何となく分かってたからね」

「……そうじゃな」


 老猿は穏やかな表情でレックスの頭を撫でた。

 そう、レックスは、言葉にできずとも、いずれ旅立ちの日が来ることは、本能的に察していたのだ。

 それがいつなのかは分からず、唐突に訪れたからこそ、今のレックスは混乱したに過ぎない。

 すると空気を変えるように黒竜が明るい調子で言う。


「さあ、難しい話は終わりにしましょう。せっかくレックスが旅立つっていうんだから、食事はいつも以上に豪華にしないと!」

「おお、そうじゃな。今日は儂らが本気を出して食材を集めてくることにしよう」

「お姉ちゃん頑張っちゃうからねー!」


 それぞれがレックスの一人立ちを祝福するために、大いに張り切った。

 そんな皆を眺めて、レックスは静かに決意をする。


「(いつか俺がセカイとやらを見て、成長できた時は……胸を張ってまた帰って来よう)」


 その日の夜は、いつも以上に賑やかで、そしてとても温かい夜だった。

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