3.5話 偶像の復活
最後仕上げは私自らの手で行った。
理性においては、私自身至って驚くほどに冷静だった。
しかしながら、肉体は意思に反するが如く、さながら着信した携帯電話のように小刻みに震えていた。
鋸がギリギリと音を立てて、震える指により死者に刻み込まれていく。
震えが鋸を振動させることで、骨肉の切断面へ伝わり歪なごりごりと言う音を奏でる。
無論のことだが、幾ら冷静でも、肉と骨を挽く感覚は生理的嫌悪の面から気持ち悪い。
いや、気持ち悪いと判断がつく時点で正気は辛うじて保たれていると言えるのかもしれない。
不協和音を奏でる度にに、死者から部品が切り出されていく。
最初に腕を切り分けた。血の気を失った白い腕に、深紅の血が付着する。
その色の対比は極めて奇麗だった。
紅を白の対称色と表現するあたり我ながら実に日本人の感覚だ、と興奮と嫌悪の波の中、頭の片隅で正常稼働する脳細胞が自身を客観視する。
客観視する己が問いかける。
「何故このようなことをしているのか。」
私は私の問いに答えられない。
何故ならこの解体行為の目的は私とて理解していない。
『救われたくば肉を切れ、骨を断て』と、命じられるままの行為である。
しかし如何して部品を取り出す行為が救いにつながるのか、新たな復活となるのか。
私はとんと検討がつかぬ。
寧ろこれでは殺人に加え、死体損壊の罪が付きまとうではないか。
罪すら一つ増えている、浄化されるどころの話ではない。
冷静に自分の行いを観察する、もう一人の自分が言う。
そもそも「やり直す」のであれば、肉体はそのままの形で残さなくて良いのだろうか。
と思うのも理由は2つ或る。
ひとつ。私は小さい時分に『人とは魂と魄から成る』と朧気ながら祖母に教わった記憶があるからだ。
「魂」というのは文字どおり、たましいを意味する陽の非物質らしい。
人を人たらしめるものであり、意識そのものだろう。五感認識を超えた超越的概念でもある。これを失ってはヒトは只の肉塊だ、さっきまで目の前にあったそれだ。
一方で「魄」は肉体そのものに宿る陰の物質的存在だったはずだ。
魄の宿る体を解体してしまうことは、心は、気は散じ二度と集まることはないのではないだろうか。
言うなれば大気に散じたその人個人の精神は二度と戻りはしない。
理由のふたつ。「死」とはまた眠りである。私はそう強く信じている。
だがこの行為は眠りから覚める、復活するための器を失うことにほかならない。
無論復活できない場合もあるだろう。
そうであるなら。もしそうであるならどの道彼女を裂こうと裂かまいとこの世に帰ることには、私の罪を洗うことにはならない。
どちらにせよ、戻るべき場所=肉体のない場所にその人は顕現し得ない。
・・・・あぁ。もしかすると。
私の中の新たな神は。私の教えられたり、信じてきた在り方を覆す方法で復活をさせるのだろう。
そう思えば、歪にまばらに切り抜くことにも、そもそも切り抜くことにも疑問は生まれてて来なくなった。
今まで生きてきて自制していた何かが、まるで水面から水底へ引き込まれるように落ちていく。
底へ、底へと引っ張られるほど冷たい何かが胃に、肺に浸透していく。
不思議とそれに抵抗はなかったし、その感覚が妄信の始まりと言われても一向に構わない。
然し乍らにしてそう考えるとが一番、今の私には妥当にして正当な解である。
その刹那、私の腕は鋸は、美しいハーモニーを奏で始めた。
それはおそらく海底に響く鎮魂歌であり、賛美歌であった。
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