1話 少年たちの「日常」 前編
自己とは何か、じっと考える。
蝉の声、蒸し暑い朝、刺すような日差し。
思考を邪魔するものが多い中、こんな哲学的なことをじっと考えてる。
そもそも僕は数年前から、この問いかけへの答えを模索している。
自身という存在へのぼんやりとした不安を、小さい頃から常に抱えているからだ。
それが、とうとう抱えきれなくなり、数年前から考えるようになってしまった。
自分と他人の境界とは?
人々の間での自分という存在とは?
己を己は肯定できるのか?
そして自身を観測する自身という意識はなんなのか?
そんな遅咲きの厨二病のような考えが頭をよぎり、ただただ影形のない不安をつくる。
勿論「自分ってなんだっけ」とは、他人の意見に流されやすいとか、自分の一本通った意思がないとか、そういう類の話ではない。
むしろ他の同年代より、しっかりと自分の意見を持っていると思うし、不必要なほど他人に同調はしないと僕自身思っている。
自分の中できちんと自分の意見を持っていないといけない状況が、どちらかと言えば多かった。
それもそのはずで、物心つく前に孤児院へ捨てられ、3歳まで過ごした。
今でこそ養父に家族として迎えられてごく普通に生活しているが、小さい頃は養父の親戚や、クラスのいじめっ子に「いらなかった子」とか「捨て子」と散々言われた。
自分を自分として保ち続けなければ、おそらくもっと自分に自信もなかっただろうし神経質で不安の多い人間に育ってしまっていただろう。
今思えば人並みよりは辛い幼少期を過ごしたのかもしれない。
当然ごく普通の子が育つ過程で降り注がれる愛は人並以下の享受で、片やあってはいけない言葉の暴力は山ほどだった。
無論最初は傷ついたが、歳を重ねるにつれ、思考が変化した。
他人の言葉なんてただ他者が人を表面的に観測した結果だけ。
そんなものは聞き流すべき雑音でしかない。
大切にすべきなのは、自分で感じた感性だ!という考えに至った。
その積み重ねから精製された性質というのは
1. 時に当然のことにすら疑念を抱く
2. 自分が正しいと思うなら曲げない
3. 納得がいくなら、素直に受け入れる。
実にひねくれたこの3点にて集約されるようになった。
僕、
薄平たい布団からずるずる這い出て、朝食を食べた。
サクサクとしたトーストに、風味が嗅覚を優しく撫でるダージリンティー。
うだる暑さからあまり食べる気にはならなかったので、最低限胃が拒否しないものを選んだ。
こんな暑い日は家に一人でいてもしょうがないなぁ。
…ここは有意義に夏の課題を翔作とこなすか。
今は夏休み、高校生が友人と課題をこなす名目で結局殆どの時間を遊びに費やす。
よくある光景であろう。
生産的行為を目的としながら、非生産的行為に比重が偏っていく。
女子高生がよく友人を一緒に宿題をやろう、と誘っては少しばかりテキストの問題に取り組むのみで、
「隣クラスにいるNさんの彼氏は云々」
「あの先生の授業がどう」
とか、カフェの真ん中で始まるのもこれと同じだと僕は思う。
だが、ある一定以上の非生産行為がなければ、効率的な生産行為は生まれないんじゃなかろうか。
生産行為のみを繰り返すだけでは、人の心は疲れるし、集中力低下からミスも起きやすくなる。結果効率は下がる。
ヒトの脳とはそんなに連続して稼働可能なほど高性能ではないし、また非生産行為の餌があってこそ、それを目標にして獲得しようと奮起する。
その方がモチベーションも断然違うだろう。
宿題終わったしいくらゲームしたっていいじゃない。そんなレベルの話だ。
だから僕は、誘うときは「余暇」という成功報酬を釣り針にぶら下げて、課題を行うことに誘う。
すると、水底の魚は針にかかる。
ポケットからするりと携帯を取り出し、友人である
「もしもし、壱馬か。どうした、カラオケの誘いとかか?」
カラッとした、明朗で爽やかな声が電話に応じた。
「いや、遊びじゃないよ。夏の課題をさっさと済ませないか。まだ夏休みも始まって10日、さっさと終わらせて残りを遊びたいしさ」
「おー、それは俺的に反論できねぇ~正論。図書館へ10時に集合でどうだい。
帰りにいつもの菓子屋寄って行けるじゃん?あいつなら分からない課題とか簡単にやってもらおうぜ」
「分かった、じゃあ市民図書館集合で決まりだな。僕が誘ったわけだし、先に行ってグループ学習室確保するよ。
それじゃ行動開始ってことで」
電話を切り、出掛ける支度をする。
自転車に乗ると西洋の邸宅風の広い家を飛び出した。
府中も駅から遠ざかるとそれなりに田舎に見える。急行電車で都市部へ簡単に出られるイメージとは一転、地方都市のような閑散とした空気と穏やかな雰囲気が、人と街に漂う。
そんな風景が好きだし、のどかな空気の中自転車を走らせることも好きだ。
この畑を埋めて家が建つのか、あちらのコンビニは潰れたのか、川が前より蛇行してるな。。
自転車を走らせながら通り過ぎていく風景に逡巡と思いを馳せる。
街が変わっていく、生き物のように鼓動しながら変化し、自分の記憶として内在する場所では無くなっていく。
時間が経つほど自己の中にある街と、現実に存在する街は同じ対象を指しながら、全く別の意味へと乖離していくのだろう。
そのようなことを考えるうちに、市民図書館へ着いた。
10時には30分早かったので先にグループ学習室を予約して、課題を進めることにした。
その時、ふと今月の雑誌コーナーに科学誌が見えた。
手に取るとよく知った顔が表紙であった。
そっと翔作に見つからないよう別の本の裏側へ隠した。
見つけたら奴は真っ先にこの話をするに違いない。
己の直感がそう確信した。
その話を振られた時の面倒さ加減が頭の中でちらつきながらグループ学習室へ入った。
「お待たせ、時間ちょうどに到着!ささぁ、ぱっとやろう、今年は居残り回避だ」
10時に翔作はグループ学習室に入ってきた。
翔作は痩身で背が高い割に筋肉質だ。
部活には入ってないが運動神経は高く、大雑把で向こう見ずながら豪放磊落で明るい性格もあって男女問わず人気が高い。
彼との仲は小学校の2年の頃、寿々木家が一家で埼玉から府中に引っ越してきて以来だ。
そもそも僕は学校という場所が嫌いだった。
「学校」と名付けられた箱庭の中では、先生の言うことは正しいことであり、さも当たり前のように生徒もそれを享受する。
- キ モ チ ワ ル イ -
その光景に、子供心に忌避感を感じていた。
それは僕が自分の疑念を抱きがちな気質も相まって、そうであっても一人の人がすべて正しいと思わなかった。
もっと言うならば、学校の光景を洗脳と感じていたし、それ以外に見えなかった。
先生の言葉は没個性化をする訓練のように感じ、自己を麻痺させていると無意識に感じていたからだ。
今思えばなんともませた、生意気なガキだったことだろう。
ひとつ、思い出す経験が僕にはある。
幼稚園の時も、小学校へ入ってすぐに先生は
「間違っていてもいい自由に発言しましょう、人と違ってもいいんだよ」
と眩しい笑顔で言っていた。だからその通り、不思議と思ったことをやってみたり、言ってみたりした。
すると眩しい笑顔の時とは一転、
「どうしてこんなこと言う・するのですか」と離さない。
僕からすれば言われたように自由に考えるがままの様々なことをしたのだ。なので、返答した。
「先生の言うよう、人と違うことをしたのですが、何故怒るのですか。」
純粋な疑問だったが、今この年齢になって思えば煽り言葉でしかないだろう。
当然先生は目の前の生意気な子供により一層怒る。
怒るが、僕の望む最適解
『人と違う回答を是としながら、いざそれをすると怒る理由』を決して提示してくれはしなかった。
いや、示せる人間であったならば、恐らく教師という、量産化した子供を指導要領という効率的なマニュアルに沿って社会に出荷する職など選ばないだろう。
よしんば、示せたとしても
「子供に理解できるわけない」
そんな思い込みと一種の傲慢さから説明などはしないだろう。
教師とは、世の中に疑問なんか持たず、なにも見ずに、目を耳を塞いで生きてきた人種の成れの果てなのかもしれない。
そうなりたくなくても、なってしまった人間たちかもしれない。
朱に交われば赤くなる。綺麗な水に、汚水が一滴混じればそれは飲めなくなるように、濁りきった大人なのかもしれない。
なので教師はいつでも裏付けのない空虚な
『ダメなものはダメ。危ないからダメ。周囲の迷惑だからダメ』
という答えを提示した。
終ぞ僕が納得する答えを得ることもなかった。
今思えば僕からはみ出し者としての個を除去し矯正しようとしていたのだろう。
学校における自分とは、なんだったのだろうか。
こうして僕は自分が自分でなくなりそうな学校なんて場所が嫌いになった。
学校が嫌いで行くのも厭になったそんな頃であろうか、翔作と出会ったのは。
朝から新学期になって今年も当たり前のように先生に従わねばならないのか、と。
桜の蕾を見ながら対照的に僕の心は萎んでゆく思いで席に着いたことをよく覚えている。
直後、担任の後ろについて大胆な勢いで入っては豪快に自分の漢字を間違えて自己紹介する転校生が現れた。
「寿々木翔作、です!縁あって転校してみんなと学ぶことになりました、よろしくぅ!」
声を発する後ろでしめやかに間違っていた『寿々木』の文字の漢字ミスを直す。
急に水で打たれたような衝撃。
自己紹介を忘れろと言われても難しい。
何より転校初日から彼は僕とやたらと会話をしたがった。
養子であることと体格が小柄だったこと、そして言うとおりのはみ出し者であることが相重なっていじめの対象だった僕に、翔作は何故か来る日も来る日も積極的に絡んできた。
手先が器用なこと位しか自覚する取り柄がなかったので僕は最初、自分に持ってないものばかりだった翔作をきっと自分と無縁な世界の人間で関わることもないだろうと勝手に決め付けていた。
しかし彼は逆に自分と真反対である僕に何故かコンプレックスと憧憬を抱いていた一方、独特かつ浮いたキャラクタから己がアウトローであることを自覚していた。
そして同じアウトロー気質であることを僕に共感をどうも勝手かつ一方的に感じ取ったらしい。
そのせいかやたら仲良くしてくれた。
当初こそ眩しい太陽のような男は鬱陶しく感じ避けていた。
しかし僕がいじめられていたら、積極的に助ける、そんな風のように爽やかな見た目に反する友情に篤い燃える魂の持ち主だった。
そんなことが幾度となく続いたせいで気づくとひっきりなしに一緒にいる間柄になってしまっていた。
ただこの男。
一方でお調子者の面もあり、図に乗りすぎると失敗する性格でもあった。
「向こうみずが服着て歩いてる」
そんな表現が的確だ。
しかもたちが悪いことに、良くも悪くもポジティブなのだ。
彼一人で立てた計画はボロが出やすい。
彼の計画に乗っかって、痛い目をみたことは少なく・・・ない。
それにも懲りずに、相性の良かった僕らは二人で馬鹿をし続け、沢山怒られた。
また今年も翔作と二人で怒られる一年が始まるな、と桜の蕾を眺めながら内心の期待も膨らんでいく。
そんな風に毎年思うのが春一番の定番となった。
そんな縁は、小中高と同じ学校へ進学してもずっと続いて今に至る。
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