水底のトモカヅキ ~和菓子処 白狼房の事件簿~
ひやニキ
序章 18年前の「あの日」
「仏(フツ)」という文字は、元来「佛(フツ)」と書く。
これは単に遠い昔、友人に教わった知識だ。
「佛」は、人偏に弗と書くのだが、弗とは木のつるを象ってて、「塞ぐ、阻む」というのが原義らしい。
そこからさらに転じて邪魔になる障害を「払い除ける」ことを意味する。。
つまり「佛」とは「人が物事を払い除ける、解放する又は、される」ということを指し示すところとなり、煩悩を払い除けたありがたい仏様の意味が成立したのは中々優れた言葉遊びだ。
それを鑑みるなら、遺体を「仏さま」と表現するのは興味深い。
遺体は文字通り魂が、人から払い除けられている。
魂とは表現したが、「生きていること」即ち生命活動の根源が魂にあるのかは解釈次第だ。
意識という人もいれば、ただの生命活動と言う人もいるだろう。
とにかく遺体からは「生きている」という事柄は取り払われている。
その仏さまと、それも異様な様相を呈する仏さまと、
「先輩、どうしました?百戦練磨の先輩でも茫然とする程の現場でしたか?」
若干のクセのある髪の毛を綺麗かつ丁寧にセットし、特徴的な丸眼鏡。
気品のある感じが、却ってとある英国小説の主人公にありそうな風貌だ。
守咲の後輩である|
(まだ新人だと言うのに、この異常な光景に物怖じしないのか。感情の一部でも欠落してんのか?)
と心の内で森咲は関心とともに不気味に感じた。
「なんでもない、ただ仏ってのは一体どんなもんなんだと、考えていただけだ。
深い意味はねぇよ。
それより、状況はどうなんだ」
高身長から発せられる、静かに死の臭い漂う空気を揺らす低い声に寿々木が答える。
「ハァ、仏ですか。確かに本来ありがたい単語なのに凄惨な現場に使うのは似合わないですね。
ん~、アンバランスという感じでしょうか。
あぁ、で身元ですが被害者は
埼玉県内の清海大学三年、専攻は民俗学だったそうです」
「ミンゾクガクゥ?ナントカ部族がどう過ごしているとかか」
「そんな言い方すると、差別だコンプラ違反だと言われますよ。
民俗学は乱暴に言うと、民間伝承などから生活や習慣、価値観を探る学問です。
ホラ、机上に伝承がまとまっていますよ。
彼女は出身地の伝承を集めていたんですかね、三重県の伝承や口伝がまとめてありました」
寿々木の指し示した方向には、幾つかの分厚い本の積まれた机の真ん中にノートPCが一台。
横には紙の資料が束ねてファイリングしてあり、あちこちに赤線が引かれていた。
ちら、と開きっぱなしの本に目を向ける。
水中で自分と同じ姿をした妖怪に溺死させられる伝承のようで、少し気味の悪い内容だった。
思えば今回の被害者も、一番の死因は溺死。
あぁ。そう考えるとなんとも皮肉めいてんな、この状況は。
「ぼんやりしてないで続けますよ、先輩。
死因は溺死、睡眠薬を飲まされた後に風呂に首を沈められそのまま・・・と思われます。
なお、風呂は丁寧に洗い流されていました。
死亡推定時刻は昨夜19時前後。
そしてその後犯人は遺体を居間まで運び出し、御覧の通りに遺体のあちこちを丁寧に切り取ったようです。
切除個所は毛髪、右手薬指、左乳房、そして、肋骨の一部です。
切断面は非常に綺麗なため、医療関係者との線が浮上しています。」
そう。遺体からパーツが切り取られ、そしてわざわざ着衣され布団の上に寝かされている。
いや、置かれているという表現が正しいのだろうか、それがこのアパートの一室を異質たらしめるファクターだ。
それ以外は、ごく普通に見えるのだ。
肩まである、しなやかな艶のある黒髪。
投げ出された少し細身の、魚の腹のように白く血の気を失った腕と脚。
猫のような目と鼻筋の通った、どこか中性的な凛とした整った顔立ち。
少女からは感情と生気は遊離し、目はもう開ききったまま何も映しこむことはない。
だが、尋常ではないのはここからだ。
体の一部を丁寧に切り取られている、その事実が異端である。
何故わざわざ切り取る必要があったのか。それもまばらな部位を。
なにも魂だけでなく、肉体の一部まで取り払うことは無かろう。
「寿々木。どういう理由があったら人を解体して持ち去る?」
気味悪く、後味の良くない質問が部屋いっぱいに響いた。発声した己の体の芯すら凍りそうな質問だった。
「おっかないこと聞かないでくださいよ、僕にわかるわけないじゃないですか!あ、で、でも。
持ち去りやすい部分を持ち去ったのですかねぇ。
僕としてはわざわざ服着せて眠らせておくほうが不気味ですけど」
「ホウ…なるほど。
俺はな。勝手に推測するが…犯人の自己顕示じゃないかと思うわけだ。
例えば俺はこんなことを成し遂げたぞと、その勲章として持ち帰ったとか。
はたまた犯人が手術経験あるとか、実は意味がある部分かもしれねぇ。胸なり、肋骨なりが。それすら恐らく答えではないかもしれねぇ。
とにかく普通じゃあ考えられねえ。
相当怨恨があったとかそうじゃねぇとこんなことはしない。
すぐ人間関係を中心に捜査だ。家宅捜索も行って持ち去った部位を探すようしねぇと」
自己顕示など陳腐な言葉だが、そう見ずにはいられない。
確かに先刻寿々木の述べたように綺麗に寝かせておくのも意味不明だが、まだ何かの見立てと思えばそこまで理解に苦しむ気はしない。
それよりも。
何故犯人は体を切り取ったのか。
それがあまりにも興味と恐怖を引き付けてしまう。
バラバラではなく解体・切除。しかも訳の分からない、共通点すら存在しない部位。
態々骨まで取り出す位なら目をくり抜いて取り出すほうがよっぽど楽だ。
そこに何の意味を見出して切り取ったかは、きっと本人にしか分からないし、犯人への動機づけにするには理由の推測をしかねる。
「もしかして、フランケンシュタインの怪物でも作るつもりですかね。」
あっという間に血色がよくなり顔色の戻った寿々木がとぼけた顔をしながら言った。
切り替えの早い男だ。
「そんな訳あるか。いくらなんでもSFの見すぎだろ。
いいか、他人同士の人体組織は繋げたところでなァ、拒否反応ってのを起こしてくっつかねぇんだ。」
背を向けて、寿々木を見ずにゆっくりとぶっきらぼうに答える。
そんな馬鹿な話があってたまるか、そんなことが可能なら世も末、神も仏もあったものではない。
いや、仏は目の前にあるのか。魂も肉体の一部も取り除かれた、仏さまが。
―—しかし実に馬鹿馬鹿しい妄想だが、寿々木の言うように犯人がフランケンシュタインタインの怪物を造ろうとしていたってんなら。
その怪物の自我はこの仏のものなのだろうか。
それとも、別の部位に使われた人のものになるのだろうか。
はたまた全く新しい自我か。
そしてその自我がこの女のものであるなら、それは生まれ変わりか、はたまた同一の人物だったりするのだろうか。
アメリカの話だが、第二次世界大戦で戦死した米兵の記憶を持った子供の話を聞いたことがある。
戦闘機が爆発・着水。
水底に沈みゆく今際の際の記憶を保持していたという都市伝説だ。
守咲は生まれ変わりなど信じるつもりはない。
ないのだが、生まれ変わりが100%ないとも証明できない。
人の認識とは、曖昧さを孕む。ゆえに観測者の判断に応じて、あるともないとも言えるものは一種存在かもしれないと、守咲は信じている。
何故ならそれは「ある」と認識すれば「そこにある」ものであり、「ない」と認識してしまえばそこには「ない」。
見ようと思えば見えるし、見ずにいれば見えないままだ。
森咲は指のかけた白い腕に目をむけた。
…指。白い腕。水。
その瞬間、水音を立て自分に伸びてくる腕が見えた。
なんだ。今のは。どこで見た光景だ。
過去に殺人鬼と揉み合った時か。分からない。
いつ見た「手」だ。いつ聞いた「音」だ。
覚えのない記憶で気分が悪くなる。現場の雰囲気に当てられたのだろう。そう思うことにした。
見ずに見なければ、見なかったままだ。
ぐるぐると考えるほど思考が希薄になる。水を注がれた液体が薄まるように、思考に水を差されてぼんやりとしてくる。
これはまずい、と手で両頬をパチンと打つ。
「さぁ、やるぞ寿々木。手がかりになりそうなモンはないのか。」
「急にやる気ですね、そう来ると思いました、流石熊狩りの守咲と言われた男ですね。
早速家族友人、そして恋人から聞き込みしますか。
交友関係なら、同アパート内に友人が住んでいるのですぐ捜査可能ですよ」
相変わらず、溌剌とした澄み渡る水面のように清涼な声で寿々木が答えた。
にしても、熊狩りとかマタギみたいな扱いは余計である。この男はいつも一言余計だ。
この事件をさっさと片付けてやる。そう守咲は思っていた。
しかし、この事件が守咲の心から払拭されるのは、先の話となるのであった。
守咲がこの事件を払い除けて、「佛」へと至り普通の生活に戻るにはまだまだ先の話である。
「さて、人はどういう理由があったらヒトを解体して持ち去るのか。
じっくり考えてみるかァ」
2002年9月、蝉の声も遠のく頃に南美代子猟奇殺人事件はその幕を開けた。
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