1話 少年たちの「日常」 後編
そして、今。
「なぁなぁ、見ろよ。今月の科学雑誌『アルバート』の表紙。お前の父さんが表紙だぜ。『悲劇の科学者 細胞研究で新発見』らしいな。
すげぇ有能だよな、熱意があるからこそ世紀の大発見と言える研究しちまう訳だ。
で、何か研究に関して雑誌よりも知っていることとか、次の研究内容とか無いのか!」
あぁ、見つけてしまったかぁ。こうなると面倒である。
この男は確かに凄くイイヤツなのだが、人懐こいことと好奇心が相乗効果を生み、しつこくなることがある。
「前にも言ったけど、父がどんなことをしているのかはよく知らないってば。
そんな世界的研究を行っていたのも知らなかったし。
家に居る時は料理の一品もまともにこなせないぐうたらだよ」
面倒に絡まれまくるのもイヤなので、適当に軽くあしらう。
だが、コレでもスッポンの如く噛み付いたら離さないのがコイツの悪癖だ。
「にしたって壱馬ぁ、お前自分の父について知らなさすぎだろう。
桐村琢馬と言えば細胞研究の第一人者。
そして18年前の殺人事件。
不当に容疑者疑惑が立ち、研究と将来が一度フイになった悲劇の経歴のその人だろ」
「その容疑をかけた警察の子がよく言うな、それ。当時の被害者と同じ大学に通っいていた父を取り調べしたのって君の父、聡おじさんだろう。」
「それもそうだなァ。
被害者の女性に、琢馬さん浮気されフラれたばっかで、最重要参考人だったからな。
結局証拠不十分だったから、不起訴の結末とはいえ動機は十分だったかんな。
犯人の持ち去った『切り取られた体の一部』が発見されることなく、犯人につながる証拠すらスッカラカン!
時効制度はいつの間にか無くなったとはいえ、今に至るまで犯人は捕まってないし。
もう事実上迷宮入りなんじゃあねーかなぁ〜。
依然として、管轄の変わった今も独自に父さんはこっそりと調べているみたいだぜ。
どうも執念ありありのご様子さ。
一途でよろしいこって」
顎の細く堀の深い、まるで彫刻像のような端正な顔をこちらに向けながらハキハキと言った。
「はいはい。当時の事件のことは分かったから。
なんにしても僕は父のことに関してはよく分からない。
ただ無口で不器用ながら僕を引き取り育ててくれた。
それ以上でも以下でもないよ」
心の奥底でズキッとした痛みが走る。
同時にそれは『養父とは契約上の父と子であることしか示してない』ということの裏返しでもあることを自覚しているからだろう。
不器用ながら苦労して育ててくれたことは、確かに親としての責務を果たそうと努力をした証なのだろう。
ふと逡巡とそんなことが脳内を駆け巡る。
「けれど!け・れ・ど!世間はそうじゃねぇんだぜ。
壱馬や桐村博士を知るものの世間では、ぐうたら養父かもしれねぇ。
でも、彼を知らない者同士の間に限定した世間では、容疑者であり天才科学者なのさ」
机をバンと両の手のひらでたたき、身を乗り出して翔作は発言する。
「同じ世間というワードでもその世間に内在する人によって意味は180度も360度も変わっちまう。
その180度違う認識にもっと目を向けてみろよ。やぁやぁ鼻のひとつふたつと高くなるってもんだろ?」
芝居がかった口調と身振り手振りだ。
おかしな矛盾をツッコミたいところだが無視した。
揚げ足取りすんなよボケ、とかほざいて余計に喚くだけだ。
ただ勿論。
言わんとすることは分かるのだ。
分かるのだが、所詮自分にとっては養父という概念から脱することはできない、と桐村は心の中で思ってしまうのであった。
一方で他者の捉え方そのものに疑問を感じる。
自己とはなにか。自己とは一体どんな定義により他者と区別され、またどういう形で認知されるものなのか。
物事とは見方によって変わる。
それすらとんと解らぬ者が他者を勝手に「この人はAだからBである」とか、「こういうことをしているから凄い、凄くない」とかある一片からの見え方で人物像全体を捉えようとすること自体おこがましいのではないだろうか。
人は大概自分のこともよく分かってない人も多い。ならば他者のことなど余計に分かるまい。
そういう事象を総括すると、僕も翔作も、生活や情報などある一片に基づいて評しているだけであり、偏った見え方をしていることになる。
そしてその偏った見え方が硬直し、遂には個々の持つイメージだけでは桐村琢馬という男の実像全体を捉えられなくなる。
そしてその自分が感じた感性からは脱せない。
ゆえに翔作に対し言ったのだ。
―父のことに関してはよく分からない―
結局は自分の感性と価値観の押し付け合いとなる会話が続くばかりである。
「世間話はこれ位にして、課題をやろう。
去年みたいに二人で先生に残らされるのは嫌だぞ。
なにが悲しくて夏休み明け早々に男二人で空き教室でランデブーしなきゃならなくなる」
「はははは!手厳しいね、これでも評判のいい健康的で魅力的な男子なのだがなあ。
だがそれではカ~ズマくんは不満だと言うことらしい。
去年は夏休み丸ごとてんやわんやしていたせいで、課題やっている時間無かっただけで、やりたくなくてやらなかった訳ではない。
俺たちには他にやるべきことがあったのだ」
大仰な様子で語る翔作を尻目に淡々と壱馬はあしらう。
「じゃあ、今やるべきことは、課題だからさっさと取りかかろうな。
やるべきことをやる、その言葉通りなら何も間違ってはいないだろう。
それとも、やらずに担任の黒田先生に大いにお叱りを受けたいかな?」
そう切り返すと、翔作は苦々しい顔でぶつぶつと何かを言いながら英語のテキストを開いた。
「ところで」
ポツリと口を開く。
「『見方を360度変えてみろ』と言ったけど、それって一周して同じじゃないか?」
「…揚げ足取りすんなよ、ボケ!」
翔作は目を丸くしキョトンとしたまま静止したかと思うと、ムッとして言い返した。
しかして結果的に、一緒に課題をこなすことは、進み具合の面から絶好調であった。
翔作と僕は、国語を除いてはお互いに科目の得意不得意が真逆のため、一人で進めるよりも効率よく課題が終わる。
翔作の不得意な理科と英語は僕がフォローし、逆に苦手な数学と社会科は翔作がフォローする。
互いに全く違う強み弱みを自己に内在するから、成り立つ利益である。
『みんな違ってみんないい』とは有名な金子みすずの詩の一節だが、この詩には心の奥底から賛同である。
と、言え二人で手が付かない国語関連が残っている。みんな違ってみんな良かろうと、穴は存在するものだ。
もしかしたら「3人寄れば文殊の知恵」なのかもしれないが、僕らは生憎今は2人しかいない。
そうこうして15時になる頃には、両者ともに苦手極まる国語以外はワークテキストもあらかた片づいてしまっていた。
国語は担任の黒田亜樹彦先生の受け持ちだが、二人揃って苦手なので一旦は保留にした。
学習室の窓から煌煌と輝く日光が、高校生二人組を照らす。
夏の始まりの色が、刻々と地平へ近づいていく。
一日での進み具合に二人で満足したことだし、帰りがてら当初の計画通り和菓子屋で時間を潰しながら我らの「穴」を埋めることにしよう、そう二人で話し合い帰り道の行動が決まった。
_____。
切りが良いところまで進めて、閑散とした図書館の出入り口まで来た時、声をかけられた。
「あらあら、あなた達もいたの。
去年は課題をろくに提出しなかったのに、心を入れ替え健全で清廉な勉学少年にでもなったの?
もし本当にそうなら驚天動地ね」
「由希乃、来ていたのか。」
声がする方を振り向くと、真っ黒な長髪を束ねた、どことなく動物のような雰囲気の漂う、鼻筋のすっと通った女性、北条ほうじょう由希乃ゆきのが立っていた。
170近い身長に加え、いつも自信のありそうな顔立ちのせいか、背が一層高く見える。
由希乃は僕と同じ孤児院の出身であるが、そこは郊外の狭いコミュニティ。
お互いが養子として迎えられても、家はそう遠くなかった。
中学こそ別だったが、同級生な上、たまたま進学先も同じだった。
小学校の頃など壱馬がいじめられている時に翔作と二人で助けてくれるのは、当時お決まりの流れだったし、その度に姉のような振る舞いで励ましてくれた。
時間を積み重ね続け、お互い他人より気心は知れているし、双子の姉弟のような間柄がすっかり定着した。
その証拠によくねえちゃん、ねえちゃんとは呼んでいたし、とっさにそう呼ぶ時がある。
逆に由希乃から弟扱いされていることも理解している。
同じ学年であるにもかかわらず、姉のような態度を取り続けるのは長年で築き上げられてしまった上下関係の賜物だろうか。
若干納得がいかないもののそうひっくり返せるものではない。
「気づかないようだから、ちゃあんと声掛けてあげたの。
あっさりした反応過ぎはしない?壱馬。そんな弟に育てた覚えはありませんよ」
と、パッチリした目で睨みを聞かせる。
「お姉さん風を吹かせるのはここまでにして。あなた達がいるにしては珍しい場所じゃない。
で、課題は終わったの?
きちんと済ませないとまた黒田先生に怒られて空っぽの教室であなた達二人、今年も連日おデートよ」
「相変わらず口うるさいなあ、小言ばかり言うとシワが増えるよ。
テキストはあらかた終わったよ。見せたっていいくらいさ。
あと、これからいつものところに行くところだけど、来るかい」
「あらぁ、じゃあお邪魔しようかしら。美味しいお茶菓子が楽しみね」
こうして自転車を押しながら、拓けた住宅地の変哲のない一本道をだらだらと、だらだらと3人で目的地である和菓子屋へと歩むことにした。
街唯一の和菓子屋、白狼房。その場所へと。
7月30日も夕暮れ前の時間であった。
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