3話 「日常」の終わり 前編

 府中は、古くは大化の改新の頃には国府が置かれ、早い頃より政治や文化の色が見えた地域である。

鎌倉時代には国分寺方面へ抜ける街道が存在し、また合戦の地となったこともある。

徳川江戸の時代は甲州道中が江戸と甲府を繋ぎ、八王子横山に次ぐ宿場町として人が行き交い、華やぐ街であった。


 ただ今となっては住民も東京23区の人間も東京の外れの地のような認識しかないであろう、華やぐ香りの片鱗それさえも時の流れがかき消している。

その昔は多摩地域の中心であり、また多種の地方の人で賑わったとするその地、なんともまあ昔は名家だったのだろうかという立派にして歴史の染みついた屋根や塀、青々立派な木々と澄んだ池を備える、広大にも奥ゆかしい家々など点々と見受けられるほどだ。

府中はその所以か、現在古くからの家達と再開発後の住宅、そして田園が三者三様入り混じっている。


 その旧家の一つ。市街地の外れに、とある和菓子屋がある。

軒先には菓子が並び、隣に構える庭園で食すことも可能だ。

縁側に座り、透き通る池を眺めながら流れる水音に耳を澄ます。綺麗に切りそろえられ、青々と育つ樹々と苔むした岩がしっかりと土の上にそびえている。

この不自然に人の手の入った自然に風流を感じるのは日本人ならではの感覚なのだろう、見る者の心を穏やかにする。


 東京に佇む、この一風変わったひっそりした幻想空間が和菓子屋「白狼房」である。

発祥は平安時代の京都に端を発する。

始まりたるや華々しいもので、時の人を相手に和菓子を振舞ってきたのがはじまりと伝えられる。

元は京の都の和菓子屋だったものの、豊臣政権末期に徳川家康が江戸に入る時に転機が訪れる。

懇意にしていた徳川の大名が多かったため、乗じて府中に移り住んだのだという。

その後も目ざとく人の通りの良くなるであろう場所に店を構えたらしく、その先見の明は的中。

旅行者にも評判の和菓子屋として茶菓子を振舞い続け近世まで衰えることもなく、細々と続いてきた老舗なのだ。


 だがただ普通の老舗ではないのがこの白狼房の特徴だ。

時の人や旅人から見聞きした話を集めては代々脈々と収集した噺を書き溜めた本や、旅の人間から買い取った本などが現存する。ありとあらゆる知識がシンクタンクとして詰まった和菓子屋だ。

今風のあり方で言うならばブックカフェという趣だ。

…そもそも和菓子屋なのか、本屋なのか、はたまた古民家のスタジオセットなのか。

見る人の感性によってそのどれにでも見えるから不思議だ。和菓子も本も庭園も、あるもの全てが互いに寄り添い活きる空間がひとつの生き物として生きている。

 ただ、このなんとも胡散臭い旧家でも和菓子自体は絶品である。

落ち着いた、控えめな上品さと奥ゆかしさを感じる甘み。滑らかで歯列を撫でる柔らかい舌触り、その時代の権力者に愛される味であることは、どれだけ舌が阿呆で味覚が麻痺をしていようと一口にして判る、と言うのは言い過ぎだろうか。

この時代に抱かれ今に残る名店の前に、桐村、翔作、北条は来た。


 「ミヤ!根暗をぱーーーっと照らしに友人一行が来たぞ!」

いい加減なことを言いながら、翔作がスパァーンと乾いた小気味よい音を立てて玄関の引き戸を開ける。

調子がいいのは結構だが、このテンションで唐突に訪ねられる方はたまったものではないのだろうな。

その刹那、家の奥から不機嫌そうな、低い声が聞こえてくる。


 「ふん、要はだらだらと遊びに来て課題も片付けてようと。そういうことだな。

そのついでに旨い茶菓子を食って帰ろうという魂胆だろうに。全く、何年経っても変わらないな。しょうがない上がれよ、客人を返すわけにもいかないからな。」


 気だるそうな顔、黒々とした少し長めの髪。

目につくもの全てが面倒事であると言わんばかりの、切れ長ながら形の整ったツリ目に眠そうな表情。細い顎はまるで噛む力が退化したかのように細い。

賢そうな雰囲気を纏うこともあってか、全体的の印象はどことなく狐を彷彿とさせるようであり、顔立ちと立ち振る舞いだけ見れば世間ではおそらく整った顔立ちだと言うだろうが、

「夕飯も近い時間だと言うのによくわざわざ来ようという気になるものだ。人の家で夕飯を頂こうとするまで汚い魂胆になったのか?残念ながら今日は父も母も出掛けているから夕餉の支度は出来てないぞ。」

この通りの物言いである。この嫌味ぶりでは折角の顔も台無しだ。

 この男こそ、菓子屋・白狼房の一人息子、宮本輝彦だ。

ぶつくさ文句を言いながらも、今のお膳の周りに鮮やかな朱色の座布団を畳の上にぱさりぱさりと丁寧に敷いていく。

なんだかんだ人が来ると気の利いたことをし出すあたり、本心ではいつも来客が嬉しいのであろう。

最近の表現で言うツンデレという言葉にピタリとはまる性格といったところだ。

宮本は未だぶつぶつと言いながらもするする台所へ向かい、緑茶を入れている。芳醇で心安らぐ茶葉の甘く爽やかな香りが漂い、充満していく。

この香りが実に緩やかで和む。

たとえ夏場でも、この芳醇な香りは心地よく心に染み、温かい茶であっても非常においしく、自然に受け入れられるものである。

 「いやーお茶淹れてくれるのは有難いねーあっははは!日本人には緑茶だな。

時に、ミヤ。あの国語の、その課題をだね。その…手伝ってはもらえないかな~なんて思っててですね」


 いつもの調子のいい口調でにこにことした媚びた顔を翔作は作る。

なまじ顔立ちがいいから愛嬌が増しタチが悪い。

女性にこの顔で媚びたら小銭程度なら集まりそうなものだ。

その媚び媚びの顔には意も介さず冷ややかな目線を投げ、宮本は呆れた顔で一気に言い放った。

「この時間帯は図書館から人が退館しはじめる時間だ、おそらくはお昼前後から図書館で課題をこなしたつもりだろう。

そんなことだろうと思ったよ。どうせロクに自力では出来ないのだろう。本当壱馬と翔作は愚かだな。

いいか、課題というのは答えが合っている、合っていないではなく。課題に取り組みながら勉強を行う姿勢を作ることに真の意義があると覚えたまえ。」

分かったような顔をしての説教をしながらも、頼られることはどこか嬉しそうである。

饒舌に早口で、口の端に笑みを浮かべて喋り立て始めた。

本当に素直ではない性格だ。


 「ひょえ~、またお説教を今日も食らってしまった。残念無念。

……ん?あれ、ところで俺らがお昼位から図書館行ったことミヤに言ったっけ。喋った記憶がないけど」

確かに。それを言われて僕は気づく。

この男は何故僕たちが図書館に行っていたことを知っているのだろう。


「性格傾向として、君らはお互いの家で課題をしようものなら3ページもこなしたらゲームを始めるだろう。

それを見越してどちらかが進めざるを得ない場所を提案するはずだ。

おそらく壱馬から図書館に誘ったのだろう。翔作より危機感を持ってるからね。

お昼位からと言ったのは、鞄からコンビニの袋とペットボトルがちらりと見えるからだ。

お昼を買ってから入ったか、途中退出して食べたのだろう。

あそこの図書館は目の前にコンビニがあるからね。

それなりに取り組んだと見えるのは翔作の右手側面だ。黒鉛で黒く汚れているぞ。

そこまできちんとやっているなら、今年の君たちの学力の向上には多少期待したいところだね。

最も、宿題自体はあまり学力向上に効果的であると言えなかったと論文が近年発表されたから、君たちの学力自体は変わらないかもしれないけどね」

最後に一言余計だ頭でっかち、と翔作がごちる。


 それにしても、まるでずっと見張られていたかのようである。全て当たっている。

全く人に興味ないように見えてかなり人を観察しており、なおかつ瞬時に情報を読み取り頭の中で組み立てているのだ。


 しかし、その賢さを台無しにする位余計なお世話で、慣れてなければいとも簡単に沸点の低い人は瞬間で沸騰しそうな嫌味な一言が添えられている。

早々に鋭くも蛇足の推理と宿題の無意味さを聞かされたが、最終的に小言をはさみながらも課題には真摯に付き合ってくれた。口は悪いが根は善人なのだ。

それでいて立ち回りも上手く、いやに頭も回る男、欠点と長所の落差がつくづく大きいことを一同は感じた。


 宮本との出会いも、小学校時代に僕達3人がその頭の良さに助けてもらったのが切欠であった。それまで口も利いたことすら無かったが、偶々の巡り合わせで宮本が解決に導いた。それ以来4人でつるむことも徐々に増えていった。

当初こそ一緒にいることを嫌々していたが、元より友人がいなかったから、友人として接してくれることが内心嬉しかったらしい。

反面それに素直になれないまま時が流れて今に至るのだが。

それでも、時に悪態つきつつ照れながら徐々に馴染んでくれた。そんな日ももう大分昔のこととなる。


 茶を啜りながら1時間経つか経たないか位の間すらすらとと手伝ってくれたお陰でかなりの量がこなせた。

「作者の気持ちを答えろ、なんて設問は問題作成者の欺瞞だ。

本当に作者の気持などに則していない回答しかない。

況してや君たちが文章を読んで思った感想、またそれに近い回答など求められてもいない。

文から証拠を集め、論理的に解け」


「古文とて言葉だ。表現や根底に存在する通念や風習が違うから難しく感じるのだ。

当時のことを知識としてしればもっと簡単に解けるものだぞ」


 具体的なことは教えてはくれないのだが、的確かつ若干問題作成者へのメタを張りながら助言をくれるため、解法の方針を組み立てやすい。

実際に学校の授業などは学力をうたいつつ、パズルみたいなものなのだろう。

 きっと宮本は人を教える立場になったらキチンと理解した本質を人に上手く教え込める人間として重宝されるだろう、その捻くれた性格さえなければ、と確信をもって感じた。


 もう夏の日もほとんど暮れかける時間になる時間帯だ。

由希乃は意地の悪い笑みを口元にたたえながら

「今年はあなた達二人の居残りを見るハメにならなくて済みそうね」

と、笑顔でお茶をすすりながら皮肉をこちらに投げる。

「余計なお世話だ」「うるせー…」

僕と翔作が同時に小さな不機嫌を込めて言う。

去年二人で教室に残った時の記憶はとても苦々しいものであることを物語っているが、それはまた別の話。


「ふふっ、由希乃姉さんにはかなわないな。

あの光景は見るに耐えないほどの苦渋の顔つきだったからね」

宮本が追い討ちをかける言葉をなげながらするすると台所へ消えた。


この二人が組むと本当に反論が出来なくなる程脅威であることを一番良く知っている。

「用事が済んだのだ、これを食べたら帰りたまえよ。ほれ、この時期に合う水まんじゅうだ。新しく取り扱うことになったから物は試し。

珍しく頑張ったのだ、ご褒美として試食してくれ」


彼がそう言うと、僕らの目の前には半透明に光る宝玉のような甘味が差し出されていた。

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