3話 「日常」の終わり 後編
宮本は台所からぶっきらぼうながらも気遣いのこもる言葉と手つきで菓子とお茶を持って来た。
「おぉ、なんだこの透明でぷるぷるした菓子は!」
翔作は物珍しそうな顔で少年のように目をキラキラと輝かせながら声を上げる。
「今言っただろう、水まんじゅうだ。葛饅頭の一種、と思ってもらった方が良い。
厳密に言うならば葛饅頭は葛粉だけで生地を作り、水まんじゅうは、葛粉とわらび粉を混ぜて生地を作ると、原料によって2つの存在を切り分けるとする見方もある。
水まんじゅうは岐阜県大垣市の名物、明治初期の発祥だね。
あの地は非常に水が澄んでいて最高の水質だからね。
僕も旅行に行った時に一度飲んだことあるが素晴らしかった、純度が高くスッと馴染むんだ。
君たちには理解しがたいだろうが、食品を作るにあたって水の品質は大事だぞ。
水の匂い、軟水硬水、純度は食品の質や口当たり、微細な味覚刺激を左右する鍵。
話は逸れたが、生地をお猪口に流し固めて作り上げるのが水まんじゅうの製法だ。
砂糖が少ない反面水分が多いため、とにかく日持ちしないのが大きな特徴。
ま、日保ちするものなんて大概食品添加物のオンパレードだろうが。
原料である葛粉だが、解熱作用と喉の潤いの作用がある。
そもそも葛と言うのはマメ科クズ属のつる性の多年草。奈良県吉野の、国栖が転じて『くず』になったことが由来だ。
この根を葛粉や漢方として古来日本より使われている」
一気にまくしたてるように宮本が講釈をたれた。
よくこれだけのことを一気に話せるものだといつも思う。
真面目にそれを聞いていた由希乃が会話を続ける。
「と、言うことは薬局で売ってる薬の名前『葛根湯』もその葛からきてるのかしら。
きちんと意味があってつけた製品名なのねぇ。
でも私葛粉は好きだけど、あの薬はあまり好きじゃないわ」
「由希乃姉さんはいつも理解が早くて助かる。
その通り葛根という言葉の薬もここから来ている。
余談だが葛は繁殖力が非常に高い。
蔓を広い範囲に伸ばしつつ、あっという間に周囲を覆い尽くすものだから放っておくとなんでも絡みついてしまう厄介な側面がある。
地表を這った茎の所々から根を出し株を広げるんだ。
栄養生殖という、いわゆるクローンだね。
同一の遺伝子構造を持つ、クローンを作っていくことで効率的に繁殖を進めて優位に自然の中で生きていけるようにするんだ」
ここで宮本は顔をしかめる。
「但し。
クローンだけでは環境変異で一気に全滅するので、遺伝子のマイナーチェンジ、つまり有性生殖も行う。
実に個の生存戦略とより優れた種になるために特化した植物ということだ。
話が逸れたね。
まあ、刈り取ったところで原因たる地下の茎をしっかりと刈り取らないと切っても切ってもクローンが生えてくるってことだ。
しつこい植物さ。しつこいと嫌われるのは人も植物も同じ、ということだ」
早口に宮本は言い切った。
小さい頃から家の書物を読みふけったこの男の脳には図書館にも並ぶほどの知識が入っている。
そして尚且つそれをすぐに引き出せる。
片一方で全く興味のない事柄にはこれっぽっちも興味を示さないし覚える気もないという悪癖も持ち併せているのだが。
「クローン、ねぇ。昔々動物のクローンを作った話とかあったよね。
作り出した個体はすでに老けてしまってたみたいなの覚えてるよ」
珍しい単語に対し、つい知ってる知識があったため反応してしまった。
会話するキッカケを掴んだ宮本は見逃さない。
「それは動物の人為的なクローンの話だね。
細胞というのは無限に細胞分裂出来るわけではなくてね、回数が決まってるのだよ。
既に生まれて以来何度も細胞分裂をした細胞を使えばそれは当然年齢を引き継いで生まれてきたようなものさ。
簡単に説明するとそんなところだね。
それにしてもクローンは動物に対し使ったら結構大変なことなんだよ。
人間で言うと一卵性双生児の双子は天然のクローンって感じさ。
人為的に人間でそんなことしてみればいわば西洋のホラー話にある"ドッペルゲンガー"みたいに瓜二つの人間が存在することになってしまうんだから慎重に取り扱うべき技術とも言えるね。
無論、食生活や日常の習慣・育てられた思想によって容姿や性格にはかなりの誤差も出るのだが。
クローンは同一であり、同一ではない。そこに人格が生じればそれだけで全く別の個体。
いずれ趣味趣向も変わる。性格も変わる。たったDNAのいっぺんでも変わるだけですら別人なのに、全く同一ですら別人となるのさ」
その後悲しげに一言宮本は言い放った。
「全く同じ人間なんて、この世にはあり得ないのさ」
なんだか話が難しくなってきたように感じる。
ナントカ双生児の双子が遺伝子レベルで瓜二つなことと、瓜二つでも違うものということだけ辛うじて分かる程度であった。
僕ももっと勉強して知識を詰めた方がいいのだろうか?
そう錯覚するくらい自分の知識が乏しいように感じてしまう講義だ。
「んで話、終わった?お前は薀蓄語りだしたら本当長いんだから、よ」
翔作は話の途中から聞いてないようであり、呆けた顔をしながら携帯をいじっていた。
翔作の態度から分かる通り、とにかく知識を語らせたら話を続けるので、大概はみんな聞き流す。
そして由希乃だけがその話を聞いているのもいつもの光景である。
「ちょっと気になったのだけれど。なんだか歯切れが悪いわね。葛饅頭と水まんじゅうは同じもの指しているわけじゃなかったのね」
「ふむ、実はこの2つは、明確な定義が存在しないんだ。
さっきはワラビ粉と葛粉の原料・分量の違いと定義したが、それも厳密な決まり事ではない。
むしろワラビ粉混ぜたこと自体、葛が高級で手に入らないからだからね。
妥協の産物、といったところかな。
しかし、かと言って必ず同一のものを指しているとも言い切れない。
言うなれば『ほぼ同一』だね、モノ自体同じと考えても差し支えない。
では何を以ってして違うか。
それは背景や、それら2つを捉える受け手の認識のラべリングが違うから違うもの、と考えている」
本棚から迷いなく、古めかしい色あせた本を細い指でスッと抜き出しながら続けた。
「水まんじゅうの発祥は先ほど話したとおりだが、葛まんじゅうは発祥を福井県の若狭地方、小浜市とする。
場所としては全く違うね。
ところが、用途としては葛の解熱作用や夏に涼む風物詩としての側面など同じなのだ」
ここまで僕は、夢中に水まんじゅうに五感を駆使して堪能する翔作の阿呆面を見ながら話半分に聞いていたのだが、ある疑問が頭に浮かんでしまった。
「それって単に葛饅頭の別名として水まんじゅうがあるってだけ、じゃないのか」
「そうねぇ、壱馬の言うことも尤も。ミヤ君がただ単に別名と言い切らないのは
何か理由でもあるのかしら」
そして止せば良いのについ口を挟んで疑問を投げかけてしまっていた。
ここぞとばかりにこれを受けて宮本は目を細めて笑う。
得意げになると見せる顔なのだが、この顔が狐にそっくりだといつも思う。
ここには狼ではなく、狐が棲んでいる。白狼房の看板に偽りありである。
「その通り、世間一般的には別名と言うだろう。
だが、例えば壱馬。君が大垣市の出身で、地元に愛着がある人間としよう。
地元の名物を余所から来た商人が『これはかの北陸名物、葛饅頭』と売り歩いていたらどうだろうか」
「そりゃあ、多少なりとも腹が立つよ。
地元の名産品を横取りされて、所謂『パクリ』をされた気分かな」
ついつい腕を組み、うぅんと唸りながら答える。
そうだ、確かに地元で小さい頃から慣れ親しんだものを起源と主張されたら少なくともいい気分ではないだろうなぁ。
「そうだろう。だがね、この場合商人にその文句を言っても向こうも全く同じように
『この大垣の人間はこの名物の起源を勝手に主張し、向こうがパクリをしている』と。
まぁ事実に誇張はあるだろうが、こういう認識のすれ違いはは容易に起こりうるだろう、何事にもね。この場合、どちらが正しいと思うかね?」
益々にやつきを口元に湛えながら壱馬に再度問いを返す。
「どちらも正しいとも正しくないとも言えない、としか言えないよ。
単純な正しい、間違っている、の話では割り切れないんじゃないかな。」
「宜しい、概ね正解だ。
君から見て水まんじゅうである事実も、商人から見て葛饅頭であることも正しいのだ。
つまりはね、その菓子を作るに至った歴史も、現在に至るまでの経緯もそれぞれの地で別々に育まれてきたものだ。
そこに嘘偽りはない。『機能的かつ合理的』に至った結果が同じだっただけの話だ。
ゆえにその背景に関わるもの、及びその背景を知る者には二つは別物なのさ。
だが一方でそれを知らないものには、二つに違いなど存在しないから、混乱をきたす。
ゆえに別名として扱って説明の出来ない事象をごまかしているのだ」
『「成り立ち、歴史、経験。過程が違えば、結果が同じでも違うもの』
そうか、どことなく言いたいことは分かる気がする。
同じでも違う。この世に存在する個体にも、全く同じものは存在しない。
たとえ100円ショップの量産品でも、二つ完璧に同じものは無い。
定義や発祥など決まっていない曖昧な物事への説明としては、とても合理的かもしれない。
両者の主張の片一方を否定せず、両者を受け入れる発想。
「例えば双子は遺伝子という組成は同じだけど、経験や食べるもの、嗜好は違う。
全く同じ人生は歩まないしそれぞれの人生と性格を持つ別々の人間だが、二人は死ぬまで遺伝子組成は変わらない」
これを受けて宮本は本を閉じ、元あった場所に戻しながら満足げにしている。
滅多に話を聞いてくれないものだから、受け答えをするだけでも、話を聞いてくれたのだと感じ嬉しいのだろう。
「ふむ、中々いい捉え方だ。
いつもは話もろくに聞かず、相槌すら適当なくせに今日は理解しようと努めてくれているだけでも大きな進歩じゃないか」
若干の上から目線なのは照れ隠しなのだろう。
それでもこれが彼なりのコミュニケーションのとり方なのだ。つくづく不器用な男と思うと微笑ましい。
「あらぁ、でもそれって詭弁、よねぇ。
おなじ生物、例えばスズメバチなんかは、場所にや人によって『くまんばち』とか、それこそ別名で呼ばれるけど成り立ちも何もなく全く同じものよ」
純粋に疑問に思ったのだろう、悪意のないつもりで由希乃が言う。
しかし、これを宮本は水を差されたように感じたらしい。
眉間にいつもの不機嫌な2本の皺を刻みながら
「それはキチンと『生物』という明確な区別がつけられカテゴライズと整理が行われているジャンルだからだろう。
僕が言いたいのは明確な区別と分類をしていない、煩雑としたものを対象に、自分なりの区別を定義付けただけだ」
と犬が威嚇する時のように唸るよう答えた。
不機嫌になることを言われると顔に出やすいのは宮本のとても子供っぽいところである。
「はいはい、分かった分かった!いやー今日もとても有意義な話だったぜ、うん。
件の水まんじゅうも、そうだな。
口の中で噛まずに消えるような感触と甘さで、噛まずに舌の上で餡ごと消えてく様はまさに立つ鳥跡を濁さず!
口に運び舌鼓を打つ間に非常に心洗われるほど口内から食道まで日本人らしい控えめな涼しさが通り抜ける。
時勢にあった和菓子をキチンと取り扱うミヤの商才は親譲りの天性の才能だぜ、いやほんと!」
「・・・ふむ、当然だ。
僕もキチンとこの店を継続させ、狼の名を府中の地から消さないよう、頭の一つも動かしている。
そのためわざわざ大垣市と提携してこの『水まんじゅう』を夏場は取り扱うことにしたのだ」
すかさず翔作が饒舌に菓子の感想と共に宮本を褒めるとこの通り。
山の天気か、乙女心かのごとく、ケロッと機嫌が良くなる。
人の機嫌とりも、励ましも、その人となりを肯定してあげるのが一番効果的だ。
それをこの翔作という男はよく理解していて、事実僕がへこんだ時も、翔作の言葉ほど心暖かくなることが多かった。
なので宮本が機嫌を損ねると、すかさず人当たりのよい、翔作が明るく肯定的にフォローを自然にすっと挟むのだ。
このやり取りは、長年をかけて綺麗な様式美として成り立っていると見る側が感じるほどの流れである。
性格の難しい若干のわがままを持つ宮本と、人たらしとも言える程の性格と受け流しの力を持つ翔作はこと相性も良かったのだろう。
尤も、対人を円滑に進めるために生まれたようなこの男に(翔作本人の好き嫌いはともかくとして)、相性の悪い人間の方が少ないが。
「さて、時にもう食べ終わったならそろそろ帰り給え。
ここのところ何かと物騒だからな。
娘さんが最近家に帰ってなくて心配だと、成川さんが言っていたくらいだ」
げげ、と翔作が声を上げる。
「成川さんって、あのちょっと高貴そうなご婦人。
よくここに買いに来ているし話も長いから、忘れようにも忘れないよ。それも同じ話ばっか!」
翔作は毎度長話に付き合わされるから苦手意識があるのだ。
成川家のご婦人、成川芽衣はいわゆる常連である。
白狼房に遊びに来るとよく見かけるし、話をすることもままあるため、よく見知った顔だ。
人となりは、話が長くころころと話題が変わる、典型的な世間話の好きな身なりの良いおばさまだ。
夫の成川雄一が立川にある医療検査会社Sickness test laboratory 、通称STLでそれなりの立場であり、家庭の金銭的な余裕の雰囲気が佇まいからも感じ取られる。
総じて悪い人ではないのだが、長話に集中できない翔作にとっては苦手意識がどうしても勝つ。
「ん?成川の娘さんと言うとちょっと前に補導されていた気がすんなぁ。
父さんが付けている事件帳に名前があったぞ。
未成年ばかりが違法に夜職やっている店が摘発されてさぁ、その店の従業員に名前あったんだよ。『成川』って苗字が」
翔作は悪びれもなく言うが父親の手帳を盗み見るあたり、こいつ本当に趣味が悪いというか手癖が悪いというか。
本人は街で置きたことをチェックしている、位にしか思っていないが本人が口を滑らせてとんでもないことを漏らしたらとんでもないことになることまでは考えていないようだ。
危機意識をもう少し育んでほしいものである。
「翔作、あなた相変わらずの手癖の悪さね。
もうちょっと慎重に行動しないと痛い目見るわよー。下手したら寿々木警部にも迷惑かかるじゃないの。」
「まぁまぁ由希乃姉さん、ハサミの親類みたいな者を責めても疲れるだけさ。
それに『ナントカとハサミは使いよう』と言う通り役に立つ場面も多いだろうしな。
にしても、その馬鹿・・・おっと馬鹿と言ってしまった。の、言っていた成川さんで合っているだろう。
最近、常連で来ている成川のおばさまの娘さんが何日も家に帰ってない。
元々夜働き始めたのは親も察知していらしく、今まで大人しかったのがどんどんと素行が悪くなったと聞く。
だが、帰らなくなったとなるとなにか事件に巻き込まれているかもしれない。
親や友人に心配をかけたくなければ、変なことに巻き込まれないうちに帰路に着け。
留美花さんだったかな、吉祥寺の城北専門学校の情報部門2年、19歳だったはずだね。
僕も自慢の娘の話を、ソノシートが擦り切れるのと同じくらい聞かされたからな。
ただ、どうにも素行は良くなかったようだ。
家に帰らないことも多かったし、彼氏も頻繁に変わっていたと聞く。
中には危ない男もいたようだっからね、幸いにも男には愛嬌を振りまくのも上手くて人気はあったようだ。
だがその事実をそれを差し引いても1周間帰ってないのは不審だ」
留美花に関して成川婦人から聞いている以上の情報を明らかに掴んでいる。
人の通うところに種々の噂話が集まる原理だろう、今の世の中ネットの掲示板がその役割を担うようになってしまい、中には悪質な匿名かつ不特定多数のいじめや、個人情報特定といった犯罪性の高いものまで出現した。
そのようなネットの発達したご時世でも、小さなコミュニティの中では未だ街の憩いの場に情報が通うらしい。
この店は古めかしいにも拘らず老舗の名店だからか、常連も多い。
その常連さん達から集めた情報を撚り合わせて留美花の素行を宮本は作り上げている。
「とかく、長話をこれ以上続ける前に帰り給え、これでも心配しているのだぞ。」
そう宮本は締めた。
壱馬が外を見ると、既に夏の夕日が沈み、夜が降りてきている。地平線の向こうで、夕日の橙色と夜の色が混ざり合って、黄昏時の終わりを知らせている。
「はいはい、そこまで言うなら帰るよ。ふふっ、なんだろ。素直に心配という言葉言えるようになった辺り、ちょっぴり前より素直になったんだね。」
壱馬が茶化すと、頬をかいて宮本は照れた。実に分かりやすい。
3人が白狼房を出ると、店カギを締める音が聞こえた。
いつもこの乾いた錠の音を聞くと今日も4人で騒いだな、という実感が湧く。
岐路に着く途中。
宮本含めた僕たち4人は一つの十字路で各々別の方向に家が建っている。
小さい頃はお別れの十字路とか、バイバイの場所と言っていた。
何も街のごく普通のありふれたアスファルト、ありふれた信号、ありふれた横断歩道がある普通の場所だが、僕たちには沢山の時間を積み重ねた、感情の乗る交差点だ。
そのお別れの十字路まで来た時、
「なぁーよぉ、本当に留美花さん?って本当に凶悪な事件に巻き込まれたと思うか?」
と、ぽそりと発言した。
「素行が宜しくなかったなら長らく家を出ているのはありそうなものよねぇ、彼氏と何処かへトンズラこいちゃった先輩とかもいる位よ。」
「いや、それはなんつーかさ、極端な例じゃねーかな。
そうじゃなくてさ、ほら親があれだろ、金持ち。
身代金とか絡んだ事件じゃねぇかなって。そうだとしたら、ちょっと興味、ない?」
翔作の好奇心に火が付いてしまった。
これは面倒な予感がする、こいつがこうなるとロクなことにならない。
ただし、ロクなことにならない分、スリルと成功した時の達成感はテストで満点取るよりも爽快だ。
「翔作、お前留美花さんを発見したり、場合によっては救い出したりして謝礼金、とかまで考えてるんじゃ・・・。
どこに行ったかの足跡も分からないのに出来るのか、いやそもそも本当にやるつもりなのかい?」
「何言ってんだ壱馬、『出来るかじゃない、やるんだ』だろ、そうやって我々は困難に立ち向かってきたじゃないか。
俺の勘がニオうと言っている、早速調べてみようそうしよう!
俺は帰って父さんに聞いてみるからよ。あぁ、勿論手帳から情報をすっぱ抜いてきてもいいんだぜ。
二人とも、なにか分かったら情報共有してくれよな!」
確かにその言葉の元困難には立ち向かってきたが、失敗も多かったことをこの大胆にして調子のいい好青年は忘れているようだ。
つくづく都合のいい頭なのだろう。
「まぁまぁ、壱馬。付き合ってあげましょ、ちょこっとだけ、ね?」
ウィンクをしながらにこにこして由希乃は言う。
この笑顔には不思議と従ってしまう。説得力があるからではない。懐柔と無言の圧力が入り混じるからだ。
由希乃は少し付き合えば飽きるだろうと踏んでいるのだろうし、確かにそれが一番穏便だとおもう。
「それじゃあ諸君、今日はこの辺にしてまた明日図書館に今日と同じように集まろうではないか!それでは~解散!また明日だぞ!」
この言葉を合図にまた一つ、この交差点でお別れを重ねた。
既に日は落ち、暗かったので、闇に溶けないよう自転車の明かりを点けた。
事件、か。きっとそんな大事ではないだろう。そう勝手に決めつけていた。
しかし、僕は次の朝。翔作の信じられない電話に起こされることになる。
僕たちが考えている以上の異変が、僕たちの日常を侵食しようとしていた。
7月30日23時。僕達が毎日を平凡な日常を認識していた、最後の時間であった。
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