第7話

 手を差し伸べる少女は、未だ呆けている510番ににかっと笑みを浮かべた。

 これも、彼にとっては初めて目にする行動。施設ではほぼ全ての人間が無表情で揃えられているため、笑顔というものにはほとんど触れたことがない。


 彼女の手を取れば、もしかすれば今までの自分の世界が変わるかもしれない。これまで幾度と無く思った疑問が解決するかもしれない。そう思った。だが──


「……ごめん。僕にそれは出来ない」

「……は!?」


 510番は差し伸ばした手を取る選択を拒んだ。これには少女も笑顔から驚きに表情をあからさまに変化させる。


「ちょ……、自分が何言ってんのか理解してんの!? この私が、あなたをFHKの支配から抜け出させてあげようとしてるのよ? これはあなただけに与えられた唯一のチャンスだって言うのに……!」

「うん。でも僕は『差異』である前にオビディエンス・チルドレンだ。確かにこの世界はおかしいかもしれない。それは僕も思ってる。だけど、どんなにそれを疑問視しても今のこの世界が僕の世界なんだ。これ以外の生き方は知らないし、もっと言えばどんな形であれ僕をここまで育ててくれたFHKに恩を返さないといけない。だから、わざわざ僕を訪ねに来てもらって悪いけど、君の仲間には……なれない」


 これは本心であると同時に嘘でもある。本当はその手を取ってここから抜け出し、世界がどんなものなのかをこの目で確かめたいが、これらが禁忌であると教えられてきた以上は実行に移せはしない。

 特異の有無に関わらず、見えない鎖に縛られたオビディエンス・チルドレンは大人たち以外の手によって外へとは出られないのだ。


「……そう。じゃあ仕方ないわね」


 510番自身、最大のチャンスを振ったと思っている。このような出会いはもう金輪際起こらないことも理解していた。

 この告白に差し伸ばしていた手を下げる少女。失意に目元が長髪に陰り、若干前屈みだった姿勢を正す。

 ──その時である。



「ほう、まさか報告書にあった通りに存在していたとはな」



「えっ……!?」


 背後から唐突に聞こえた声。この声色には聞き覚えがあった。


「……出たわね。黒幕」


 眼前の少女も陰らせていた目に嫌悪の光を灯して睨みをきかせている。

 510番から一歩下がった後ろから、その存在は現れた。おそるおそる振り向き、その人物を目に認める。


「黒幕とは意味不明にもほどがあるぞ、『反攻旗アルター・フラッグ』の小娘よ。私はこの世界から人類を救った男。私からすれば君たちの存在が不可解なのだがね」


 若干呆れた様子の老人。こうして本人を目の前にするのは初めてだが、教本に描かれていた容姿通りなので間違いない、FHKの最高位ザンジ・ローゲン総帥だ。

 先ほどまでいなかったどころか、ここは数分前まで生きた獣魔がいた会場の中。生身の人間が来るなんてあり得ない。

 そんな急に現れた存在におののくことなく、少女は言葉を続ける。


「はっ、人類を救った? 馬鹿言わないでよ。あなたのしていることは人類をこんなFHKに押し込んでるだけじゃない。確かにそれで獣魔からの被害を最小限に抑えられてるかもしれないけど、こんなのは人がしていい生き方じゃないわ!」


「分からん小娘だ。目の前にいるだろう。510番らのような者たちが再び人類を繁栄させるために日々獣魔を駆逐している。むしろ、君たちは我々の目的を阻害しているのだと分かっているのかね?」


 この言葉に少女は無言のまま険しい顔をさらにきつくする。

 目的の阻害。つまり総帥の言うことが事実なら、やはり彼女はFHKの敵ということになる。だが、それとは別に思うこともあった。

 少女曰く、FHKのしていることは人類を箱に押し込んでいるとのこと。これの意味を理解するにはさほど苦労はしないが、何故彼女が所属する反攻旗アルター・フラッグなる敵性組織が自分らのしていることが分かっているのにも関わらず、それを続けているのか。今の510番には分からなかった。


 もしかすると、総帥の言っていることも他の大人たちと同様全てが真実ではないのかもしれない。反攻旗はそれを分かって動いている可能性がある。

 だとすれば、彼女とその組織は一体何を知っているというのか──。ここまでの考えに行き着いた時、沈黙していた少女が口を開く。


「……阻害、ねぇ。あんたたちが大昔にしでかしたことの尻拭いを洗脳教育した子供チルドレンたちに任せっきりにしておいてよく言えるわね」


 今の言葉を耳にした時、少女の険しい顔には挑発混じりの笑みが浮かぶ。

 そして総帥の表情も不快な物を目にしたかのように歪んだ。

 総帥たちが大昔にしでかしたこと? その尻拭いのために洗脳教育した子供チルドレン? あの少女が言ったことの意味を510番は理解出来なかった。

 少女の言葉が事実だとすると、これまで先代のチルドレンたちが戦ってきた獣魔は大人たちが作り出した物なのだろうか──?


「『差異』君。この答えを知れば、FHKが倒すべき相手であることが明白になる上にあなたがこれまで思ってきた疑問を全て解決出来るわ。私と一緒に来れば、それを全部教える。そして、私たちと戦ってほしい」


 前方の少女からの言葉を聞いて脳裏によぎる、これまで何度も考えては仕舞い込んだ無数の疑問。

 FHKが何なのか、獣魔の存在にチルドレンの意義。その全てを知ることが出来る。

 これはまたとないチャンスだと言うのを、510番は改めて理解していた。


「いいや、あの小娘の言葉に真実などない。510番よ、『差異』でありながら初めてオビディエンス・チルドレンとなった少年よ。FHKの最高指導者である私が命じる。行くな。ここに留まれ」


 一方で背後からの声は510番を引き留める。反攻旗の少女の言葉を嘘とし、これ以上の非行を阻止しようとする。

 FHKの最高指導者である総帥の命令は絶対。彼の言葉に逆らえる者などこの世にはいない。十五年間の教育で教えられてきたことは守らなければいけない。


 しかし、その思いは拮抗する。『差異』としての反抗心と『オビディエンス・チルドレン』の忠誠心は510番の中で激しくぶつかりあい、お互いに一歩も引けを取らない。


「さぁ、早く! こっちに!」


「行くな! これは命令だ!」



「……っ!?」


 前後から自分を求める声が510番を躊躇わせる。

 このまま少女の手を取ればFHKを裏切ることになり、逆に一歩下がれば自分を自由にさせるために来た少女の期待だけでなく全ての解答を知るチャンスをふいにしてしまう。

 二者択一。このような選択を迫られたことなどこれまで一度もない510番にとって、どちらも選びがたい物だった。


 そんな一人の少年を巡る口争の最中、舞台となってる会場に高い音が鳴り響く。次第に弱々しくなっていくそれは、数秒間保つと途中で途切れてしまった。

 実際に聞くのは初めてだが、チルドレンの教育を受けてきた510番にはそれが何の音なのか分かっている。


 はっと視線を変えた先に見えた何かが倒れる光景。穿たれた天井の真下で動かなくなったそれは、腹部に大きな裂傷を受けた先ほどの獣魔だ。

 そう、この音……否、遠吠えは──


「獣魔が……」


「仲間を呼んだ……!」


 少女と総帥も今の遠吠えが何を示しているのかを理解している様子。

 そう、あの時に赤い従順機オビディエンスが討ち取った獣魔は完全に沈黙しておらず、最後の力を振り絞って仲間を呼び寄せる声を放ったのだ。


 会場は反攻旗の少女がフィールドを無効化したせいで音は外に響いている。当然、実際に来てしまえばこの施設はただでは済まないのは明白。

 従順機オビディエンスも戦闘経験の無い新人パイロット三十人が操縦出来る十五機分。その内の数機は破損してまともに動かない。


 仮にこの事態になっていることが現役のパイロットに伝わっているとしても、新しい獣魔が来る方が早いのは確実。

 状況は最悪。絶体絶命だ。このままでは施設にいる大人たちが危ない。

 今、動かねば全員がやられる。だが、自分の機体は胴体役の意識の無い片腕が負傷中の演習機。どうあがいても無謀だ。


「『差異』君。この状況、あなたが選ぶべき選択は決まっているはずよ。もう迷ってる暇なんかない。私と一緒に次に来る獣魔を倒すのよ」



「た、倒す……?」



「510番。演習用機体では新たな獣魔に勝てないのは明白だ。今回は特例として全機撤退を命じる。ここでチルドレンを失うわけにはいかない。直ちに従順機オビディエンスに乗り、この場から離れるのだ」



「逃げ……る?」


 倒すか、逃げるか。再び迫られた二択により、510番の足は初めて動きを見せる。

 式の代表に選ばれる程度の実力があるとはいえ、まだ新人である以上は無闇やたらな行動は控えるべき。相手は先ほどの小型獣魔ではなく通常サイズから上の大きさの個体が来るのは間違いないからだ。

 そう考えると、総帥の言う通り逃げるのが最善の選択。無謀に挑まないのが正しい。


「──っ! うああああ!!」


 だから、彼は乗った。





 ──そのを掴んで。

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