リライト

第2話 死神の通告(陽月さん)

 改札口の前で俺はいつものことを確認する。今何時だろう、次のはいつ来るか、それまでどれくらいあるか、と時計を見つめる。わかっているのに確認のためについしてしまう癖だ。ここ数年の通勤で身についてしまった。

 俺は電車が好きだ。あの揺れが好きだ。アナウンスが好きだ。田舎の電車は雪が入らないように必ずドアが閉まる。ボタンで開ける。学生時代、焦っていて挟まれたことをなぜか思い出した。電車を遅らせる人身事故は大嫌いだ。死ぬなら他でやれと思う。

 今日もいつもどおり時計を見つめる。いいやいつもとは違って、そろそろ24時間だと時計が知らせて来る。頭の中を昨日の出来事がよぎる。


 昨日、いつものように改札を通った所で、後ろから声を掛けられた。


「桑原真澄さん」


 自分の名前を呼ばれれば、誰だって反応する。名字だけ、名前だけでも反応するのに、フルネームならなおさらだ。たとえそれが、全く聞き覚えのない声だったとしても。


 俺は振り返った。

 そこにいたのは黒い人だ。顔の見えない大きな男。今の時代声が低くてこんな大きな女がいても不思議はないが、雰囲気が男のそれだった。中折れ帽を目深にかぶっており、オシャレではない。黒いスーツに手袋、細くて大きいからまるで影のようだ。俺も結構でかい方だが、10センチは違う。俺が着ている苦手なスーツでも圧迫感がないのは細いからか。


「桑原真澄さん」


 お前に言ってるんだ、とでも言うような確認の意味の呼びかけ。


「あの、なんですか?」


 問いかけに、相手は帽子を取る。現れた顔はやけに白く、唇はやけに赤かった。どこかで見たことがあるような気がした。


「私は死神です。桑原真澄さん、あなたに死期を伝えに参りました」


 ちょっと何を言ってるのかわからなかった。というかどこから名前と顔の情報が漏れてるのか気になった。


「あなたの命は後24時間です。どうか良い最期の一日をお過ごしください」


 意味がわからない。

 それではと、帽子をかぶりくるっと後ろを向く。慌てて呼び止めた。


「ちょっと待って、どういう意味?」


「そのままの意味です。あなたは明日のこの時刻に、命を落とします」


 つまりこの真っ黒いのは死神で死期を伝える役割がある。ずっと連絡がなかった人から連絡があったと思ったら、数日後に亡くなったとか、死期を悟ったような行動をとる人がいるのは、その通告があるためだと。

 信じるも信じないも、残りの時間をどう過ごすかも、全ては俺次第だと。


「ご質問は以上でしょうか」


 何も言えずだんまりの俺に、彼は軽く会釈をし、またくるっと後ろを向いて人混みに紛れていった。

 ガヤガヤとしたいつもの音が耳に飛び込んでくる。人々の話し声、足音が一気に押し寄せてきた。そうなってようやく音がなかったことに気付いた。この人混みが俺は嫌いだ。田舎でも時間によっては混むがこんなに、何人乗れるか試すようなくらい詰め込まれはしない。それが嫌で知らぬうちに耳を閉ざして、知らぬうちに幻覚を見ていたのか。俺は少し人にぶつかられたところでつられて動き出す。


 電車はもう行ったかな、と腕時計を確認する。

 一瞬時計が壊れたのかと思った。秒単位の変化しかない。あんな喋っていたのに。

 俺は本当に夢でも見てたんだろうか。


 それからおよそ24時間、俺はいつもどおりだった。

 もし好きなことやって騒いで、飲みすぎたりして普通に明日がきたら困るのは自分だ。俺は信じない。死神はいない。神だっていないんだ。

 だいたい病気でも無く、仕事もうまくいってきて自殺など考えもしていない俺にとって、自分自身の死はとても遠いところにあるんだ。今は遠いところにあるんだ。


 いつものように、降りる時にちょうどいい位置に移動する。

 階段の裏になることもあり、普段から他の場所に比べて人が少ない場所ではあるのだが、今日は俺が先頭だった。

 しばらくして、電車が来るアナウンスが入る。

 電車が来る方をぼーっと見る。

 アナウンスからしばらくして、電車が見えた。

 電車がホームへと入ってくる。


 電車はいつもと同じで。

 だけどさっきよりも人が少なくて、乗ったのは俺とお爺ちゃんだけだった。

 座席の触り心地になんだやっぱりいつもの朝か、となんだか拍子抜けする。残念なような、安心したような感覚。それにしたって人が少ない。そうだいつもは座れない。俺はいつもは座れないんだ。



「駆け込み乗車はおやめください」


「1両目の後ろのドアボタンを押してお乗りになり、整理券をお取りください。〇〇行きワンマンカーです」


「運転士のすぐ後ろのドアボタンを押して、お降りください」



 懐かしい実家のワンマンカーのアナウンスが聞こえる。なぜかそこで俺は納得した。自分が死んだことに。


ふと思い出す。あれはだいぶ前に仕事を辞めて帰省時、踏切を見つめていたときによぎった顔だ。たしかにその時は死にたかった。でも俺は今は別に死にたくない、そう思うのに。今は遠いところにあると思っていたのに。



「みなさん、通勤の迷惑になって申し訳ありません」



 俺は走る電車の重たい窓を開けて、時計を捨てた。

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