第7話 喫茶カテドラル(戸松秋茄子さん)

 喫茶店に入るのは実は初めて。

 いつもチャリンコで通り過ぎるだけで、いつか行ってみよう、いつか大人の女の人になったらと心に決めていた。だけど特別な日でもないのになぜか今日は、喫茶店の入り口に何も壁がないように感じた。



「いらっしゃいませ」



 カッコいいマスターがカウンター席をすすめてくれる。



「カプチーノを」



 飲みながらちょっと余裕が出てきて、店内を見渡す。私の他に3人のお客さんがいた。みんないかにも常連さん。外人さんもいる。


 窓際の髪がまっしろけのおじさんは、向かいの白髪混じりのおじさんとダベっている。何やら政治の話で、まっしろけさんの白熱をなだめている感じ。


 からんからん


 喪服の2人組が入ってくる。少し驚いてしまった。葬式帰りに喫茶店って来るもの?



「いらっしゃいませ」



 少し具合の悪そうな若い人を抱えて、メガネのお兄さんは入り口に近い端っこの席に座らせた。



「何にしますか?」


「さあて」



 メガネの人は若い人の様子を伺うけど、俯いたまま。



「コーヒー2つ」


「かしこまりました」


「おいおいコーヒーって、にいちゃん初めてかあ?」



 まっしろけのおじさんの声が後ろから響く。なんだかイヤーな感じ。初めての私はビビってしまった。


 みんなの視線が、俯いた人以外はその人を見る。となりのおじさんが付け足す。



「伊藤さんはね、コーヒーにもいろいろあるんだよって言いたいんだよ」


「コーヒーはコーヒーだろ。マスターは準備してる」


「けっ、そーやってテキトーに作って。お前の親父はな、二代目。味のわからんやつは帰れって追い出したんだ」


「二代目を継いで今はお前がマスターだろ?な?」


「ええ」



 マスターはメガネの人に言われてニッコリと笑う。かっこいい。伊藤と呼ばれた人は声を落として向かいのおじさんにぐちぐち文句を言ってる。たしかにチャリンコをこぎながら見えた店のマスターはもっとおじいちゃんだったはずだ。

 程なくしていい香りのカップが2つ、2人の前に並んだ。出されたエスプレッソを見つめるだけのその人の瞳は、どこかうつろで。私は口を出さないで見ていることに決めた。するとマスターが聞く。


「どこか具合が悪いんですか?」


「ここが、ちょっとな」



 メガネの人は胸を叩く。



「葬式帰りはしんきくせぇなあ」



 伊藤さんがまた店の空気を悪くする。メガネさんが苦笑いをして、葬式帰りは俺だけだ。弟だよ、俺より出来のいい真面目な弟だったと、そして。



「これからこいつは自首しにいくんだ。俺はその付き添い」


「自首、ですか」


「な?」



 問いかけにかすかに首が落ちる。メガネさんはベンチに座っていた同じ喪服の彼に思わず話しかけたそうだ。弟の話を。彼は黙って話を聞いてくれた。メガネさんの話が落ち着くと今度は彼が話し出したという。


 一気に刑事ドラマみたいにドキドキしてきた。私だけじゃないみたいで後ろの外人さんも反応する。



「何をしたんですか?」


「俺が言っていいのか?」



 また首が落ちる。



「人ん家に入って人殺しだよ」


「おいおいおい!二代目110番だ!」


「騒がないで」


「なんだよアメ公、死ぬのはゴメンだ」


「オーストラリアですよ。それに彼の口から話が聞きたい」


「だとよ?話せるか?」



 また首が落ちる。それはうなづいてると判断していいの?


 みんな黙ってしまって、喫茶店の音楽、あれだけがしばらく流れる。私でも知っているような有名なジャズ。その合間にかすかな声がした。



「殺した」



 ジャーン



「あの子を」



 息を飲んで次の言葉を待つ。



「タミカは……じっと俺を見ていた。家に押し入った俺を、ただじっと。逃げず、騒ぎ立てず、黒目がちな、吸いこまれそうな目で俺を見てたんだ。俺はそれが恐ろしかった。だから、そう。手に持ったゴルフドライバーを振り下ろしたんだ。あの子の頭めがけて何度も何度も。最初の一撃で頭蓋骨が陥没して、砕け、脳症が飛び散ったよ。そう、俺はあのかわいそうな犬を……」


「犬かよ!?」



 伊藤さんに少し同感しながら、犬でも立派な犯罪です、と言った外人さんにも同感。マスターはどうして他人の家に入ったのか聞いた。メガネさんも俺が聞いてもだめだったと、そして



「話してくれたのは一家団らんしていたのを殺して、犬も殺したってことだ」


「やっぱ殺したのか!?人より犬の方がかわいそうなのか?こいつにとって」


「伊藤さん、ダメダメ。この人そうとうキテるよ、今はこう静かでもまたいつ波が来るかわからない」


 つめよりそうだった伊藤さんを、連れの人が止める。外人さんは何やら考え込んでつぶやく。



「本当にこの人が殺したんですかね?犬がそんな状況で大人しくしているとは思えません」


「そっからかよ、怯えてたんだろうよ?」


「あなたもこの人から話を聞いただけでしょ?現場を見に行ったんですか?これでは証拠がない」


「この人は嘘をつかない。俺の話を聞いてくれたんだぞ、誰も聞いてくれない、俺の話を」



 涙声に、外人さんも黙る。伊藤さんすら何やら深刻な表情だ。



「俺は信じてる」



 若いその人はあれ以来黙ったまま、黒い液体を眺めている。



「エスプレッソは苦手?」



 マスターは優しく聞いた。しっかりと首を振る。だが、飲まない。



「マスター、何かないかな?娑婆はこれで最後になるかもしれない、何か飲ませてやりたいんだ」


「かしこまりました。少々お待ちください」



 マスターがいなくなると、伊藤さんがポツリ。


「そうだな、もう出てこれないだろうよ」


「伊藤さん」


「はいはい。そこの嬢ちゃんも見てないでそろそろ帰りなよ?暗くならないうちに」


「へ?は、はい」



 急に伊藤さんが私を見て言う。鋭く睨まれて肩身が狭くなった。本当になんなのこの人?



「ハーブティーです。少し匂いがきついですが、神経を鎮め、不安をやわらげてくれますよ」



 マスターの言葉と香りがとても心地いい。なのにまた空気を壊す声がする。



「二代目!!カテドラルはいつから茶なんて出すようになったんだ。俺はもう来ねえぞ」



 少しがなるくらいの大声だ。



「これは個人的な趣味です。お代もいただきませんよ」


「当たり前だよ、馬鹿野郎。勝手なやつだよ、先代はな本物のコーヒーのためにこの店を出したんだ」


「知りませんよ」



 伊藤さんはどうしてこんなにマスターにつっかかるんだろう?


 結局飲めずに首を振る。



「匂いが苦手みたいだな。悪い、ココアを頼んでもいいか?」



 それから若い人はココアを飲んで、2人で店を出て行った。最後まで伊藤さんが本当に連れてけよ、とヤジを飛ばしていた。その後に外人さんも帰っていく。最後まで犬のことを気にしていた。もしかしたら昔飼ってた犬だったのかもしれない、とマスターに話していた。



「さて、君は帰らないの?帰れないの?」



 そう私に声をかけ、近くに来たのは伊藤さんの連れの人。なぜか目線が合わない。やめろ、とでもいうように伊藤さんが連れの人を制する。これ以上ゴメンだ!とまたがなる。


「この辺にいるんでしょう?」


「へ?」


「行くぞ!」



 近くに来た伊藤さんは怖い顔で、私を叱った。



「早く帰れ!!」


「はい!」



 反射的に返事をしてしまう。

 ツケで、と言う伊藤さんにマスターが笑顔ではい、と返す。


 からんからん


 なぜか行かなきゃ、と急いで代金を払う。



「美味しかったです!ごちそうさまでした」


「またいらしてくださいね」



 店を飛び出して、すぐ見つけた。追いかける。ゆっくり歩いていた2人にすぐに追いつく。



「伊藤さん!」



 あれ?なんで無視するの?



「伊藤さん!?」



 振り返ったのは目が三角の伊藤さん。



「帰れっつったんだ、ついてくんな馬鹿野郎」


「そうなの?モテるねさすが伊藤さん」


「黙れ。夕暮れになったら本当にそうなっちまうぞ?早くチャリンコ乗って急いで家にいけ」


「よくわからないんですが?私はどうなるんですか?」


「お前さんは死にかけてんだよ、前はそんなことなかったのに、あの二代目のせいで店が変わっちまってよ!いろんな客がいやがる」


「伊藤さんが通い詰めたせいじゃない?」



 私はこの手の話が本当に苦手。ゾゾっとしながらお礼を言って走って自転車のところまで来て、こぎまくって家に帰った。


 玄関を開けたはずなのに次の瞬間、病院のベッドにいて、目を覚ました。私はチャリンコに乗っている時、事故にあい生死をさまよっていたのだった。


 それから程なくしてとある一家と犬の惨殺事件が報道される。通り魔の仕業として辺り一帯警戒された。そしてあの彼が自首した。彼はひとりきりだったそうだ。なぜその一家を襲ったのかは最後まで言わなかったが、犬に対しては謝罪をした。彼はそれはそれは至る所で報道された。どうして自首したのか。その問いにある人にすすめられて、優しくされたからだとはっきりと答えたそうだ。私は彼に会ったことがある。誰にもそれは言えなかった。


 今でも喫茶カテドラルはある。時々いろんなお客さんがやってくる喫茶店。伊藤さんはまだ通ってるのかな、と思いながらチャリンコで通り過ぎる。いつか大人の女性になったらまた行ってみようと思っている。





 〇〇〇〇〇〇




 時計は午後7時を回った。僕はすっかり冷たくなったハーブティーをすすり、口の中に広がる苦みを噛みしめた。

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