第7話
かつて、この国では男が王となる法だった。
黒の森に住む魔女は、元々はこの国の第一子で男の子として生まれた。
けれど彼の心は女だった。
両親はそれに見ないふりをした。弟も、兄のことはないものとして育てられた。
兄も幼い頃は必死で王になるべく勉強し、剣を扱い、馬に乗った。体を鍛えたが、心は叫んでいた。
ドレスが着たい、お化粧をしたい。少しだけ。少しだけと続けるうちに、いよいよ家族だけでは隠せなくなった。
両親は、兄に期待するのを諦めた。
兄は屈折し、やがて出奔してしまった。鍛えた体に不自然なドレス。それは人々の目には奇異に映った。一つところに留まれず、兄はやがて黒の森に辿り着いた。
そこで、黒の森の魔女に拾われ、魔女となったのだ。
兄は弟が戴冠した時に、魔女の代理としてお祝いに駆けつけた。
魔女として現れたはずだった。
けれど、弟は血を分けた兄弟に気付いた。
そして、詰ってしまった。
本当は王になるのは兄だったのに、という恨みがあった。けれど、家族に告げる言葉ではなかった。
兄は衝撃を受け、失意のままに森へ戻った。
以来、鬱屈とした思いで暮らした。
長く子供に恵まれなかった弟に、子が生まれたと知った時。
兄は本当は、もしかしたら呼ばれるかもしれないと思ったのだ。
正式に黒の森の魔女として引き継いだことは、世間に知られていた。
当然、王である弟は知っているはずだ。
なのに、知らせがない。
兄は、復讐を決めた。
王は兄に、いや、魔女に謝った。
「あの時、わたしは王の器ではない、兄とは比較にならないと皆に言われていたのです。あなたといつも比べられていた。あなたが王になるべきだった。その嫉妬心が、ひどい言葉を紡いでしまった。申し訳ないとずっと思っていました。でも勇気がなかった」
その結果が、十八年前の祝福という名の呪いだった。
「聞いてください。わたしは、法を変えました。今は、女の子でも王となれる」
「なんだって?」
魔女が目を丸くした。
「それに、第一子でなくとも構わない」
「な、なんと……」
「時間はかかりました。けれど、やり遂げました。この子、カミルが王となってもいい。この子の下の子らの誰でも良いのです。才能はなくても良い。やりたいと思う者に、教育を与えようと決めたのです」
「エルンスト、お前」
「どうか、お許し下さい。兄上。……いえ、姉上」
王の言葉は真だった。
魔女は気付いたのだろう。驚いて、そして、蹌踉めいた。使い魔たちが慌てて駆けつける。カミルを取り囲んでいた見えない結界は消えた。
すると、すぐにウルリケが駆け寄った。
ウルリケはずっとカミルにすぐ飛びつけるよう、後ろにいたのだ。
カミルは静かな口調で魔女に話しかけた。
「魔女様。わたしはこのような姿をしていますが、不満はありません。そして、こんなわたしを、好きだと言ってくれる人がいます」
魔女が使い魔に支えられながら、カミルを見、その横に張り付く騎士を見た。
「ウルリケです。わたしの騎士です」
「男じゃないか」
「いいえ」
カミルが首を横に振り、ウルリケが続けた。
「わたしは、このような
今度こそ、魔女は大きく蹌踉めいた。
「これで、いいと思えるのです。だから、どうかもう、つらい思いは――」
「ダメよ、あたしがやったことは。だって、女同士になるじゃないか!」
魔女が叫ぶと、結界の外にいた他の魔女たちがやって来た。
カミルの髪を褒めてくれた魔女が言う。
「黒の森の魔女よ、聞いて」
残りの魔女たちも続いた。
「大丈夫。あなたが掛けた呪いは、今日、消えるのよ」
「そう。草木を操る魔女が、祝福を刻んだの。わたしたちも祝福を告げたわ」
「王子が成人するまでに、心から愛し愛される者を見付けたら」
「その者に解呪する力を与えましょう」
「けれど、無理矢理に決めてはいけません」
「この力には、本物の愛が必要なの」
魔女たちはカミルと、そしてウルリケを見た。
「あなたに、わたしたちの言葉は刻まれているかしら?」
ウルリケは、もちろんだと力強く頷いた。
魔女たちは手をつなぎ、カミルとウルリケを取り囲んだ。
「本物の愛ならば、カミルの呪いは解呪されよう」
「カミルはこの者を愛しているかい?」
「この騎士はカミルを愛している?」
「たとえカミルがどんな姿であろうとも」
「この騎士が騎士でなくとも」
「互いを愛すると誓える?」
カミルとウルリケは顔を見合わせ、それから恥ずかしそうに笑った。
「はい。ウルリケがどんなことになろうとも、愛すると誓います」
「はい。カミル様がどんなお姿であろうとも、愛すると誓います」
言い終わると同時に光の粒がさらさらと舞い散った。祝福の際に現れるものだ。
カミルは魔女に関することも勉強していたので知っている。
王と妃が、いろいろなことを勉強させてくれた。このためだったのかもしれない。
ウルリケは知らなかったらしく、目を丸くして驚いていた。
「祝福は成った!」
カミルに草の髪を与えた魔女が高らかに宣言すると、大広間にいた者がわあっと声を上げた。
まだ呆然とする黒の森の魔女に、カミルは近づいた。魔女の横には父王がいる。
「魔女様、聞いてください」
座り込んでしまった魔女に、カミルは目線を合わせるために床へ座った。
「魔女様がつらいと思わないですむような、そんな国を作ります」
「……王に、なるのかい?」
「はい。なんとなく、なるのだと思ってました。でも、今日はっきりと分かりました。わたしは、わたしのような格好でも受け入れてくれたこの国の人が好きです。ウルリケとのことを祝福してくれた街の人が好きです。その人たちに、魔女様の生き方も好きになってもらいたい。わたしにしか、できないと思うのです」
「……そうだね。あんたなら、できるかもしれない」
魔女の言葉に、カミルは小首を傾げて、反論した。
「できるかもしれない、ではなく、できるのです」
魔女はカミルの強い言葉に目を瞠る。
「ずっと、見ていてください。わたしたちの子孫に、つらい思いをする子がいないか、見張っていてください。あなたしかできないのです。あなただから、できるのです」
魔女になった者は、人の時を刻まない。
魔女は長く生きる。王の兄であった黒の森の魔女もまた、魔女になった時のままの姿をしていた。
「あたしにしか、できない。……そうだね。そしてあたしだからこそ、できる」
魔女の目がしっかりとしてきた。立ち上がり、カミルを引っ張り上げる。
「それはそうと、あんた、弱々しいね。妻より小さく、可愛らしいだなんて」
カミルは笑った。
「それでもいいんです。そうでしょう?」
「……そうだったね。そうだ。あたしこそ、考えを変えないといけないよ」
吹っ切れたような顔をして、魔女は苦笑した。
魔女はもう、つらいと思うことはないだろう。
とある国では、隠れ住んでいた魔女が生きやすいと評判で、たくさんの魔女が集まって暮らした。魔女たちは人に優しく、便利な魔法を気軽に使った。
魔法が身近にある国は、他国からの侵略に怯えることもない。平和で暮らしやすい国として長く続いた。
また、この国では王だったり、女王だったりが立つ。どの王、女王も、気さくな人柄だった。時には、黒の森の魔女が叱咤に行くこともあったが、おおむね良い統治が続いた。
自由な結婚が許された珍しいこの国は、やがて大国になった。
多種多様な生き方を許される、それが人を集める理由の一つだったようだ。
同時に争い事を治める、魔女たちの存在もまた理由の一つになっていた。
大国の礎を築いたとして、草姫の名は語り継がれた。
後の歴史家は「草姫が男性だったかもしれない」という新事実を発表したが、「それがどうした」と誰にも相手にされなかったそうである。
草姫 小鳥屋エム @m_kotoriya
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