#3
性行為の勘所は、想像力なのだ、という。
言葉を使ったコミュニケーションなら、言葉、という極めて具体的なツールを利用することにより、こちらの意思をかなり明確な形で伝えることができる。
しかし性交渉の場において、必要以上の饒舌は、場の雰囲気を下げ、気持ちをそぐ役割しか担えない。
そこで重要なのは、指先に全神経を集中させ、相手の身体が発する言葉を聞くことなのだ(彼の中指がトントン、とカウンターを叩く)。
「しかも、ただ受動的に聞くだけではいけない。パートナーの反応を読み取り、快感を司るためには、想像力が欠くべからざる道具になります」
カウンターの木目をなぞるように、彼の指はそっと動いてゆく。まるで整体師が患者の身体をトレースしてゆくように。
「相手の反応から、その望みを読み取り、その望みをかなえてやること。あるいは望みをかなえずに、すこしだけずれた刺激を与えること。それによって生まれるストレスは、川の淀みのように渦巻き、流れを遮断します。
その渦を十分に巻かせた上で、今度はその流れに出口を与えてあげる。水は奔流となってほとばしり、相手の身体は自分の思う方向へと導かれる」
しかし、と彼は続ける。
しかしそれは、操作することではない。操作している、と、思い上がった瞬間に身体の言葉は途絶え、水は枯れる。
操作するのではなく、奉仕すること。
より良い、より清い水の流れを作るためには、指先に精神のありったけを注ぎ込んで、相手の身体を探り、調和させ、導くこと。「それが結局、自分の気持ちをちゃんと伝えることなんですよ」
ぼくは何も言えず、そっとグラスの酒を舐めた。
「結婚制度のないホモセクシュアルにおいてはね」と、彼はいう。「性行為はおそらく、ヘテロセクシュアルの人たちが思うよりはるかに重要なコミュニケーションなんです。法に守られた『結婚』という制度において、あんなに愛し合った恋人たちは、ゆっくりと悲しげに単なる同居人に変わってゆく。以心伝心の名の元に、夫婦はいささか風変わりな共同生活者となり、セックスの回数は減る」
ぼくはだまって、上の句を否定でつなぐ言葉を待った。
彼はサントリーのウィスキーを飲みつつ、キュウリのお新香をつまんで、言葉を続けた。
「でもね、ホモセクシュアルの恋愛はそんな風に、共同生活者にはなり得ないですからね。いつまで経っても、世間も社会も、我々を夫婦とは認めない。だから我々は恋人同士でいるしかないのです。そのためには、心を込めたセックスが、とても重要なのです」
彼の言葉を聴きながら、もちろんぼくの脳裏には、ミセス・メルセデスのことが浮かんでいた。
ホモセクシュアルのこの彼の名演説は、ぼくの頭の中ではミセス・メルセデスの静かな言葉となって響いていた。
ぼくは果たして、彼女の身体が伝える言葉をどれだけ正確に掴み取っていたか?
そしてなけなしの想像力を働かせて、どれだけ彼女の性を導いたか?
ぼくはいったい、どれだけ彼女に愛を捧げられたのだろう?
言葉にならない、この気持ちを。
おそらく。
ミセス・メルセデスが何度かのセックスの中でぼくに伝えようとしたことは、この彼の話と同じようなことだったのかもしれない。
酔えば酔うほど丁寧になってゆくオジサンの語り言葉を聞きながら、ぼくはこの偶然の出会いに感謝した。
ミセス・メルセデスが消えて三ヶ月。
ぼくはこの街にたったひとり、残された。
けれども彼女がぼくに教えてくれたことは、この胸とにいま、キチンと着底した。知り合ったばかりのホモセクシュアルの友人の助けを借りて。
我々のジムノペディアは、まだ終わっていない。
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