#3


 裸のままでベッドに腰掛け。膝の上に、彼女は上半身をかがめ。ぼくはその白く美しい尻を、手のひらではたいた。

 「…もっと、つよく」

 うつむいた姿勢で、彼女は言う。

 先ほどよりも強い力で、ぼくは彼女の尻を叩く。

 「もっと」

 ぼくは不安になる。

 こんな華奢な身体を、壊してしまうのではないか。こんな小さな身体に、傷をつけてしまうのではないか、と。

 しかし彼女は繰り返す。もっと、もっと強く、と。


 ぼくはそして、心を決め、彼女の尻を、自分の手が腫れるほどに、平手で打った。

 彼女は小さな悲鳴を漏らした。その声に、歓喜の響きを漏らしながら。


 そしてぼくは理解した。こういう形もあるのだ、と。

 美しい成人女性の尻を、その夜ぼくは、何度も平手打ちした。

 涙と愛液を一度に流しながら、彼女は最後にはぼくの膝から崩れ落ち、床に突っ伏した。

 そして、彼女の去った自分の脚をみて、ぼくは心底驚いた。

 ―――ぼくは猛烈に勃起し、そして濡れていた。



 こういう形をとった性交が往々にしてそうであるのかどうかはわからないけれど、その行為は徐々にエスカレートして行った。ぼくのものを喉の奥まで強引に差し込む。椅子に両手足を縛って恥部を露出させ、長い時間そのままでいさせる。

 そんないささか常軌を逸した行為の中で、ぼくは目に見えぬ男の存在を感じていた。彼女の身体と精神に、こんな風に疵を残した男。決して癒えることのない疵を残して、彼女から去った男。

 ぼくは一度たりとも、その男のことを口にしたことはなかった。それはきっと、嫉妬であり、自信のなさが故だったのだろう。


 行為がエスカレートすればするほど、快楽の度合いは強まったけれど、同時にその見えない男の影にぼくは苦しめられることになった。あるいは、その男が彼女の身体に仕掛けたトラップに、自分自身が絡められてゆく感じがした。

 行為が進む時、ぼくとぼくの性器は、どこかで乖離かいりしてゆく気がしていた。ぼくの性欲が、ぼくの戸惑いを置いて先に進んでいくように。おいちょっとまてよ、それはぼくの勃起じゃない。見知らぬ誰かの勃起なんだよ。

 スパンキングに感じていく彼女の尻を眺めながら、そんな風にぼくは思っていた。


 どうすればいい?

 どうすれば?


 繰り返す打擲ちょうやくのなかで、ぼくの自問自答は重ねられた。

 そして彼女から離れること、というシンプルな回答が自分の中で芽生えた。彼女はフィアンセを持ちつつも、充たされない欲求をぼくというパートナーに求めていた。しかし恐らくそれは、他の誰かが充たすべきものだ。彼女によりふさわしい誰かが。さもなくば、見知らぬその男が与えた傷を、一生かけて癒し、もっと別の形の性愛を彼女に教えるべき男がいるはずだ。それはすくなくとも、このぼくではない。


 別れを切り出したとき、彼女は悲しげにうなずいて、恥ずかしげに小さな声で言った。


 「最後にもう一度だけ、抱いてください」


 彼女は30歳になろうとしていた。

 フィアンセは彼女に結婚を申し込んだようだ。

 彼女の指には、まぶしいぐらいのリングが輝いていた。

 ディナーの席で彼女はそれを外し、クラッチバッグの中に丁寧にしまった。

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