#2


 都心のど真ん中にあってしかし、付近に電車の駅がないせいで、知る人ぞ知る町であるここは、何故か東京中の粋人があつまってくる。デザイナ、アーティスト、タレント、カメラマン。この町の名前を聞いて人々が思いつくのは、洒落たレストランと深夜営業のダンスクラブだろうけど。

 ぼくら地元民には、なじみの寺や焼き鳥屋のある、いつもの町だ。

 近所に昔からある八百屋や魚屋の話を、我々はした。

 「山長商店の野菜。アレはやめたほうがいいよ。鮮度悪いよ。オヤジは面白いけどね」

 「トツカの魚屋は時々はっとするほど新鮮な魚おいてますよね?」

 ぼくはこの年上の彼の、都会人ぶらないところが気に入った。東京ズレしていないところが、とても好感持てた。

 我々はあえて、仕事の話を会話の遡上(そじょう)にあげなかった。そういう下世話な話題で、この偶然のひと時を台無しにしてしまいそうな気がした。

 だから、この町の話、をずっと続けた。

 昔、まだ都電が走ってた頃。台風が来て、床下浸水があった頃。笄川こうがいがわがまだ暗渠あんきょでなかった頃。この町に住んでまだ10年のぼくは、彼の鮮やかな昔話に引き込まれていた。


 「ご結婚は?」と何気なく振った言葉に、この年上の彼は微苦笑して、「ホモセクシュアルなんですよ」と告げた。

 ぼくは、その時、どんな顔をしていたのだろう?

 この都会で長く暮らせば、ホモセクシュアルの人と話す機会もあった。ぼく自身はそれに対して否定も肯定もしないけれど、自然にそういえる彼に対しては、その事実をするりと受け入れることができた。

 「あなたは?」と、彼がきく。

 ぼくは一瞬、返答に窮(きゅう)した。

 彼はにっこり笑って「違いますよ」と。

 「ホモかどうかなんて、そんなのは見れば判ります。ご結婚、されてるかどうかですよ」

 笑って言うその言葉に、ぼく自身どこかで身を固くしていたことを意識した。彼のサラリとした態度は、とても粋で、スマートに見えた。ぼくはこの年上の知人に、すこし憧れた。

 ぼくは独り身であることを告げた。

 「独身であることは」と彼は言う。すこしイタズラっぽく。「罪ではないが病である。わたしたちホモセクシュアルと同じようにね」

 「ずいぶんないいようですね」

 「昔の人は、元服を境に大人にって、妻をめとった。三十歳を越えて結婚もせず、子どもも作らないのは、病気じゃないかと疑われた。もうすこし現代に近づけば、同性に興味を持つことは、病だと考えられた。精神の異常だと。どちらも、ただ、こころのままに過ごしているだけなのにね」彼はいって、ぼくに小さく笑いかけた。


 おそらく彼のリードが恐ろしく上手かったせいだと思うのだが、ぼくはその晩、かなりの酒を飲んだ。

 しかし一向に酔う気配がなかったのは、ホモセクシュアルの男性とサシで飲んでいることに対する警戒心だったろうか? 彼は紳士的な態度を一切崩さず、最後まで一定のトーンで四方山話に付き合ってくれた。


 何杯かのチューハイと、ビールと、ウィスキーを飲んだ後に、我々はセックスの話題に移っていった。いや違う。結婚すること、人を愛することというテーマが徐々に、セックスの技巧的な側面にシフトしていったのだと思う。

 彼はセックスをコミュニケーションの極めて重要なエレメントだと考えていた。人を愛する時、それは様々な形で表現され、気持ちを伝え合う。ただ愛するのではなく、愛されること。伝えるだけでなく、受け入れること。相手をいつくしみ、相手にいつくしまれることの歓びを、彼は小さな声で、けれどもとても論理的に上品に語った。興味深い話だ。

 彼は、狭いカウンターを中指でトントン叩きながら、「大事なのは耳を傾ける姿勢なんです」と言った。「口を閉じて目をつむり、パートナーの身体が伝えてくる言葉に耳を傾けることが重要なんです」と言った。

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