37.5℃の熱情

佐久良 明兎

37.5℃の熱情

 微熱のような7月の気温は、盛りのついた高校生にちょうどいい。

 不用意に相手へくっつかずに済む、良い言い訳になるから。

 一線を保つためのほどよい歯止めになる。


時代錯誤じだいさくご滑稽こっけいよね」


 テーブルを挟んだ向かい側、という絶妙に適切な距離を開けて座る彼女、ななは、藪から棒にそう言った。


「不純異性交友には厳しいくせに、女子高生が二人で手を繋いでいたとしても何もとがめられないのよ」

「……繋ぐの?」

「まさか」


 この気温よ、とうんざりしたように彼女はぼやく。

 全くもって同感だった。


 涼を取るために立ち寄ったはずのカフェは生憎あいにくと店内が満席で、仕方なく二人でテラス席に陣取っていた。

 日陰なので外よりはまだましとはいえ、暑いものは暑い。注文したアイスコーヒーの氷はあっという間に小さい欠片になっている。小腹が空いて一緒に頼んだはずのパスタは、なかなか食が進まずまだ半分以上が残っていた。


 背中までかかる長ったらしい髪がうっとおしい。こんなことなら、もう少し短い髪にすればよかった。

 まだ着慣れず、上手く汗を吸ってくれない新品のワンピースの襟元をぱたぱたさせて熱を逃がす。いくら薄手の生地でもこの暑さではどうにもならない。

 もう片方の手で冷えたコーヒーを口に流し込みながら、ななへ視線を向ける。


「けど。なんで休みなのに制服なのさ。この暑いのに」


 お嬢様高校の楚々そそとしたセーラー服は見るからに麗しいけれども、見るからに暑そうだ。しかし当の本人は「いいじゃない楽なんだもの」としれっと答え、抹茶パフェのほとんど溶けかけたアイスをすくいながら、幸せそうにそれを頬張った。


「考える必要がなくて楽だし、単純にこの制服が好きってのもあるし。休みの日でも皆そんなものよ。それに女子高生ブランドを着られるのはこの三年間だけだもの、謳歌しないと。

 残念ながら、めぐは制服デートをしてくれなかったけどね」

「うちは私服校なんだからしょうがないじゃんか」


 わざと口を尖らせて言うと、冗談よ、とななは朗らかに笑った。

 確かに制服がないというのは案外不便で面倒だ。

 けれども、たまに都合がいい。


「どこの学校か一目でバレるのって、嫌じゃない?」

「むしろ便利よ。偏差値の高いお嬢様学校の制服は、着ているだけで相手へ安心と信頼を与えるからね」

「……なるほど」

「それに、やましいことがないならバレても別に問題はないでしょう」


 やましいことは現在進行形で重々あるのだが、と思ったところで、ななに手を掴まれた。

 指を絡ませて、彼女はにやっと笑む。


「だから言ったでしょう、女子高生が二人でいる分には――咎められやしないのよ」


 上気した頬でななは妖艶ようえんに告げた。

 繋がないと言ったくせに。

 熱に浮かされている。

 ただの友情と、それを通り過ぎた感情は、ぱっと見、見分けがつかない。




 ななは、その名の通りに7月生まれで、おまけに7日生まれだった。二週間ちょっと前に誕生日を迎えた彼女は、しかしよりによってその日、本命のカノジョが別の女とねんごろにしている姿を目撃したらしく。

 盛大にねた結果、現在こうして、たまたま知り合った自分こと恵と浮気中である。


 しれっと突飛な状況だけれども、女子校で同性ばかりの環境だと、同性同士の恋愛沙汰はそこまで珍しくもないようだった。まぁ、かく言う自分もそうだから分かる。

 今のところ、ななとはまだ不純な交友ではないが、世間を揶揄やゆしたさっきの彼女の指摘はもっともだった。不純同性交友は異性相手よりステルスしやすい。




 本命の彼女の代役であるところのめぐは、その役割に相応ふさわしく、ななと当たり障りのない会話を重ねる。


「実家には帰らないの?」

「そのうち帰るけど。まだいいかな」


 地方を出て、中学から都会の学校に進学して四年目。

 帰らないほど嫌ではないが、長居するほど余裕はない。

 地元は、思い出すことが、多い。


「8月になったら、お盆には帰るよ。お墓参りをしなきゃいけないし」

「そう。大変ね」


 何の気なしに彼女は相槌あいずちを打つ。

 知りようもない。話してなどいないのだから。


 今年はあの子が死んで9回目のお盆だ。




 思い返すまでもなく、初恋だった。

 親に内緒で家と反対方向のエリアに道草をした。そこで出会ったあの子は、学校の友達とは違い、聡明で無邪気でたまらなく魅力的だった。

 毎日のように一緒に遊んで過ごしたけれど、何故かあの子は学校に行っていなかった。


 ある日、親が居ないはず日にあの子の家へ遊びに行き、あいつに遭遇してしまった。

 力加減なしに躊躇なくあの子を殴る、父親であるはずの男の姿を。

 庇おうとして飛び出して、一緒に自分も殴られて。あの子の悲鳴と、あいつの怒号と、痛みとで意識がない混ぜになって、気が遠くなった。

 血まみれになったあの日のことは、正直よく覚えていない。それまで親には内緒の友達だったけれど、流石に親も巻き込む騒ぎとなり、もうあの子とは遊ばないように言われて、それから。


 それから、ろくに会うこともないままに、あの子は死んだ。


 持病があったから、などと聞かされたけれども。頭では納得しても、心では納得していない。



 ――あの子は。あの男が、殺した。



 以来。一般的な大人の男という生き物に、自分は否応なしに不信感を抱いている。



 それでも中学に入るぐらいまではよかった。父親や学校の教師といった、日常で関わるごく少数の大人の男は、信頼関係が出来た後に警戒を解くことも出来たからだ。

 しかし最近。それまで子どもだった同級生が、日に日に大人の男に近付いていき、これまでになく周囲に『男』が増えだしたことに気付いた時。

 見慣れたはずの姿が大人になっていく姿に気付いた時、心底、ぞっとしたのだ。

 憎いはずの存在がすぐ側にいると思うと、毎日、無性に腹立たしくなった。


 だから、一緒にいるのはいつ豹変ひょうへんするか分からない得体の知れない男より、ふわふわして可愛い女の子がいい。

 そうして、ななより前にも、何人かのカノジョを作った。

 時には、そこにあの子の面影を求めて。


 こうして、本命にあてつけたい彼女と、本命にかこつけたい自分が、二人で一緒にいる。

 運命の人など探さなくても、凸凹は案外すんなりはまるらしい。




 一人でも生きていけるはずだった。

 けれども、幼少期にぽっかり空いた穴は、十年近い歳月をもってしても一向に埋まりそうになかった。

 無理もない。

 他ならぬ自分が、あの子以外にさして興味を示していないのだから。


 そんなようなことを歌った曲があったけど、なんだったっけ。前のカノジョに教えてもらったアーティストのやつで、確か薬箱というタイトルだった。何故か今、無性にあの歌が聴きたい。


 のろのろ食べ進めたパスタの最後の一口を口に運ぶ。

 そう、つがいがいなくとも命は続く。

 ナイフが無くてもフォークは使えるし、スプーンが無くてもフォークだけでパスタは食べられるのだから。




 ぼんやり思索にふけっていると、ななは何気ない口ぶりで言う。


「ねえ、めぐ。今から家に来ない?」

「家、って」

「今日、親いないの」


 本当に、もののついでのような口ぶりで、ななは言った。

 けれども、それは。


 ――なかなかどうして倒錯的だろうよ。








 微熱のような7月の気温は、盛りのついた高校生にちょうどいい。

 熱に浮かされた自分たちに、とても似つかわしい。


「ねえ。なな」


 二人の他には誰もいない、彼女の私室の中。

 さっきのカフェよりずっと近い距離で、ななに問いかける。


「本当は、分かってるんでしょう?」


 いつだったか、ななに正面きって尋ねたことがある。

 君はレズビアンなのかって。

 そうしたら、澄ました顔でななは答えた。


 ――手の届くところに咲く花を摘む方が、楽だし安心でしょう?


 外でどこの何者か分からない男を探すより、家柄も資質も一定の水準を保証された校内から探すほうが安心して恋愛できる。

 これは遊び。

 今の自分を満たすための、今だけの百合。

 乙女の園にいるからこその、限られたブランド、恋愛ごっこ。


 あぁ。なな、君の気持ちは痛いほど分かるよ。

 自分だってそうだ。『今』を埋めてくれる、安心できる都合のいい誰かが必要なだけなんだ。

 

 ただし自分の場合、どんどん男になっていく周りの同級生は、あいつを思い出して受け付けない奴が多いというだけ。校内で探すことのほうが面倒で。ななと違って楽はできず、外に繰り出す必要があった。

 そこはまあ、仕方ない。手前勝手な欲求を満たすためなのだから。

 すかすかになった空間に誰か居て欲しいという、誰か代わりになるあの子が欲しいという、本当に独りよがりな我儘わがまま

 二人とも、条件に合致するならこだわらない。


 つまるところ、都合よく自分の隙間を埋めてくれる存在であれば。




 男か女かすら、どうでもいい。




に、悪者になれって?」


 ロングヘアのウィッグを取って、低い声で囁きななを覗き込んだ。まだエアコンが効ききらない室内でつたう汗が、ぽたりとななの額に落ちる。


「さあ? なんのことかしら」


 じっとり汗で張り付いた俺の短髪を見ても尚、ななはそううそぶいた。






 微熱のような7月の気温は、盛りのついた高校生にちょうどいい。

 体温だか気温だか分からない温度は、一線を超えたという事実を有耶無耶うやむやにして誤魔化せるから。


 それにしても、暑い。

 こんなんじゃ、外が暑いのか、俺が熱いのか、わかったものじゃなかった。



 あーあ。

 誰か、いないかな。

 熱がなくたって、ただ君がそこにいるだけで、俺の正気をなくしてくれるような、ヒト。



 ななを前にして、これが酷い思考だってことはわかっているけれど。

 ななだってほら、どうせ似たようなことを考えているに違いなかった。


 正気と狂気の間を彷徨さまよい、ギリギリどうにか正気な頭で、どうしようもない狂気を装う。

 こればっかりは、注射したところで治りそうにない。


 だってほら、思考がグズグズなくらい、こんなにあついんだから。

 俺たちが狂ったって、仕方ないよな?

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