遊戯化する雇用

 

 雇用の在り方をめぐって議論が起こるのは、それが人の生活のありかたに直結するためである。自分一人が生きるだけではなく、家族を養い、育てる人たちの生活は、どうなるのだろう。共働きの夫婦であれ、3世帯家族で両親を含めて養うのであれ、それぞれが”働き手”として、家庭の外に出れば、労働者と呼ばれる立場になるのなら、まず、私たちが気に掛けなければいけないのは、そうした小さな社会の安定、安寧のはずである。


 資本主義がいざなうのは、果ては雇用までが、遊戯と化す社会である。そのほうが至純に面白く、スリリングであり、退屈しのぎになるという意見も結構であるが、人が生きる場も、働く場も、育てる場も、また、育つ場も、そうした側面だけで、どうにかなるものではないだろう。


 競争と危機感、焦燥、危険の味が、すでに非日常の領域から、日常の領域に及んでいる。人が育つには少なくとも15年はかかるのに、その月日を割り込む勢いで、大人たちの5年、10年先が見えない社会をいま、私たちは生きようとしている。


 本当に必要なものは、何なのか。"新しい何か" である必要は、本当にあるのか。目前で失われていくものを、取り戻し、守っていくには最低限、何があればいい? Creativeである前に、imaginativeであればいいのではないか。想像力は人を傷つけないための手段たりうるが、創造は本来、殺生を含んだ破壊と、常に隣り合わせの概念なのだ。その危うさの上を綱渡りするように日々、私たちは、道筋を探し、歩いている。


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