作者と読者が”同値”である時代の、『資本主義』

 作者と読者の間にあったのは、第一に作品、そして出版されれば、出版社、作品を購入するなら金銭と、他にも色んなものが存在した。しかし今は、インターネット上のプラットホームを介し、作者と読者が対等かつ、直接的な意見交換ができるようになった。


 距離が近づき、両者の間にはもう純粋に作品しかないのか、と思いきや、どうやらそうではない。疑似的な権利義務関係が、ややアンバランスな状態で発生しつつあるようなのだ。これは、人対人、というシンプルな力場だからこそ必要とされる、一つの法の発生と言えなくもない。


 分かりやすい売買関係に還元できないからこそ、個々人が向き合う困難は、増している。他律的な基準を持ち込んだり、匿名の利点に与るのにも、限界はある。それが、新しい作者と読者の関係なのである。自身が両方を兼ねることで、また双方の立場を知るならば、より一層、その本質が見えてくる。


 『私の求めるものを、私が生み出し、それを、作者と言う視点を超えて、批評し、読み込む。読者としての私は、作者としての私の贔屓目から、"自由"でなくてはならず、自由であればこそ、正当な評価が出来る。その評価をまた、拒絶せず、作者としての私が受け入れることで、私の求める、より良いもの、面白いものが書けるようになる…(以上繰り返し※)』


 この進歩的ループは、創造者ならば直面するであろう、内面的な葛藤やこだわり、その他もろもろの感情一切とは、どうやら無縁のところに存在する。読者と作者を別の人間にして、このループを描き直そうとすれば、なお一層強引で、不自然な想定だと、分かるだろう。


 しかし、人間の創造エネルギーを糧にする資本主義社会においては、このループこそが理想的であり、創造者は受益者の為に、受益者は創造者の為に、を行うことが、望まれている。


 より良い作品を生み出す、という目的にも合致するこの理想こそ、堅持すべきだと言う人もいるだろう。しかし一方で、どことなく息苦しさや、不安を感じる人もいるのではないか。

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