創造者=消費者という緊張
読者保護の強まり、と一口に言っても、著作物の形式変化、発展の時代である。必ずしも、金銭を支払って読む読者だけを対象としてはいない。
簡単な例を挙げれば、無料で公開されている作品を、『時間』という対価を支払って読む読者までが、未然の”購買層”、すなわち、”消費者としての読者”として、保護の対象になりつつあるのだ。
では、そこで消費されているのは何なのだろうか。あくまで対応関係を見出すという視点に立てば、それは一つに、未だ市場価格の定かでない、読まれた対象=作品であり、一方、その作品を読むのに費やされた、読者の時間というところだろうか。
時間というのは本来、そのままでは、換価できないものでありながら、私たちは”労働”という社会的場面において、それが金銭や物品に置き換えられることを、私たちは知っている。けれども、仕事の必要などでは無く、あくまで好きで、楽しくて何かを読むことを、労働と思う人は、どれほどいるだろうか。
では、"読むこと" とは、いったいどういう活動なのか。知識の獲得や思考鍛錬にはじまり、娯楽や未知の経験という付加価値を持った、能動的な受益活動。それは乃ち、消費活動の一つなのだと、言えなくもない。
そのように、読むことが消費なら、それを支えとし、『読者⇔作者』のループによって維持される創作活動も、消費活動と同義語にならなければ、おかしい。
たしかにこの発想には、違和感があるかもしれない。だが、文化的価値を持った消費活動は、厳として存在する。では、何が問題だろう? 読者ひとりひとりの関心と期待を、捕らえて離さぬ作品を生み出す作家たち。読者と書き手が、作品を生み出すという創造行為に共同参画する時代において、創造活動は、消費活動に"還元"されてゆくのではないか。
彼らの生み出す創作市場は、この上なく合理的な、資本主義的帰結といえる。消費主義が推進力となる『創造のループ(※)』は、恐ろしいほど隙が無いが、ここから自由になることを望むのもまた、人の性なのかもしれない。カウンターカルチャーの発現とは、まさにそうした
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