創造者が負うべきは

ミーシャ

本論 しょうひする=はたらく

広告および、その"反対物"の価値について


「消費主義の批判者はほとんど、全米の(そしていまは国際的な)ブランド商品の広告が、消費者保護の一形態となっている程度を無視する」


(245頁、『反逆の神話―カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』ジョセフ・ヒース+アンドルー・ポター、栗原百代訳、NTT出版、2014年初版 (原題 ”THE REBEL SELL” 2005)


 

 言うなれば、現代の広告の ”真の” 意図にふれた箇所の書抜きである。これだけ宣伝があふれた世界で、企業広告を鵜呑みにする消費者が、それほどいるとは思えない。それでも、すでにある程度の知名度を勝ち得た企業が広告費を維持するのはなぜなのか。その理由の幾つかが挙げられている。


 この一文の説明をするならば、まず前提として、市場で流通している商品、その品質と内容について、消費者は、常に”騙される”危険と対峙している事実を喚起してほしい、ということ。その上で、それがあまりに毎日のことであるために、人々に忘れられがちであり、また、その危険性を減じるための "信用" を、数多のブランドが提供している為、見過ごされがちであるということだ。たしかに。


 SNS経由であろうと、FACE TO FACEの情報伝播であろうと、「みんなが良い」と言っているものを求めたくなるのは、何も、流行を追いかけるためだけではない。


 安心、安全、高品質を安価で買える、もしくは高くても、それだけの値打ちのある商品であるかなど、売る立場のメーカー、企業主体ではない(はずの)意見のほうが、信用性が高いと思うからである。すなわち、同じ消費者として、”騙される” 危険を担保している立場からの意見で 、”市場が動く” と考えるのは、理に適っている、という訳である。


 そして、この分析と並行するのは、「みんなが良い」と思っているけれども、、そのみんなが手に入れられるものではないもの、という市場価値の文化的位置づけである。それは本書の言わんとするところ、つまりは、「反逆」、「逸脱」、「奔放さ」が、資本主義社会において、最たる ”利益” を生み出す精神となっている、という指摘へ、繋がっていく。


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