ダンウィッチの侵略
檀丹治における事件が公式に知られることとなったのは、2015年の赤牟新聞での記事だった。しかしそれは簡素で、とても真実を伝えているとはいいがたいものだ。時系列順に整理することで、この事件を科学的に考えていきたい。
事件の舞台となった檀丹治は寒村だった。太田山には、舗装された道路が続く中一本だけ舗装されていない半ば獣道のような道がある。ここを山間に進んだ先に、件の檀丹治村がある。そこは民間伝承がいまだに幅を利かせており、赤牟市すら介入を嫌がる事実上の独立した村と言える。外部からの旅人はもちろんのこと、移住してくる人などは数十年存在しなかった。そのため村の人間は段々と近親相姦を行うようになっていった。彼らの日本人離れした窪みをした目、そして細長く退化した腕はそれの弊害だと囁かれている。
問題は夏のころからすでにその予兆を見せていた。太田山の頂上には、六本の環状石柱がある。ここは太古の昔に原人たちが貝塚にしていたというのが村の主張するところではあるが、地理学者によると太田山付近は人類が誕生したころには海の底だという。つまり細かいことは何もわからないのである。八月ごろにその環状石柱の一つが砕け、異臭を放っているのだ。
それから村に姿を見せるようになったものがいる。それが、この事件になんらかの関与をしていると大衆紙に書き立てられる黒いスーツの男である。闇のように真っ黒な服に身を包んだ紳士は、何処からともなく現れ、初鳥家に居候していた。巨大な畑を持つ、いわゆる豪農だった初鳥家はその昔妖術が使えたと言われており、檀丹治に越してきたのも長崎大名にその力を恐れられ処刑されかかったためであるとされている。どこか卑屈さを感じさせる村の民と彼らの間には、見えることはないが決して消えることのない障壁のようなものがあったのだ。村人たちの例にもれず初鳥家も衰退の道を辿っていた。2000年代に入るころにはその血を継ぐ者は年老いた父、初鳥一郎とその孫娘である美幸の二人になっていた。そのため黒服に関しては、外からの後継ぎだとするのが村の通説だった。しかしその確執からか初鳥家に直接素性を尋ねるものは居なかった。
黒服が越してきてから数週間経ったある日に、突然に大きな厩舎が建設された。初鳥家は先祖代々、農産を生業としていた。それが急に畜産を始めたのである。噂は野を駆け巡り、檀丹治の村でもっともポピュラーな話題になった。祖父である一郎が檀丹治の村に顔を出し、役場で親し気に話しかけることを始めたのが、さらに噂を加速させることとなった。
「お前たちは黒服のお方が、何者なのか気になっていることだろう。あれは我々などとは比べ物にならない高位に位置するお方なのだぞ。死にたくないなら間違っても逆らうような真似はしないことだな。」
痴呆症が進み、とうとう現実と幻の区別がつかなくなったのだと村人は彼を嘲笑った。しかし黒服の男に対する不信感は胸の奥底に存在した。牛についても村人は話し合った。初鳥家が購入し、厩舎で買っているはずの牛がすぐにその姿を見せなくなるのである。それらの鳴き声は三日目を迎えることなくすべて絶えた。
真の恐怖は十二月に起こった。世間はクリスマスムード一色であったが、当然ながら檀丹治村にはそのような風習は伝わっておらず、村民は忙しく年越しの準備をしていた。ある朝、屋根に積もる雪を落とすため男たちは外に出た。しかし取り除くべき雪などは存在しなかった。赤牟新聞の記者によればその時点で気温は摂氏十六度には達していた。しかしそれはあくまで起こりうる異常気象であった。むしろ村の人間は喜んだだろう。忙しい時期に雪かきをする必要が無くなったのだから。
その日の昼頃、祖父一郎はまたしても村役場を訪れた。
「誰かアレをどうにかせねば。このままでは孫まで、このままでは・・」誰に対してでもなくブツブツとつぶやき、役場の中をうろうろと歩き回っていた。そしてこの後一郎が見られることはなくなった。
十二月二十四日、村民は少し不審さを意識し始めた。気温が日に日に増加しているのだ。二十五度の気温は春先には似つかわしくない。だが余りに保守的で、内向的な彼らは初鳥家と気温の関係性についてヒソヒソと噂しあうことはあっても、外部に助けを求めるということを行わなかった。山の上の環状石柱の三本は砕け散り、異臭は強さを増していた。
十二月二十六日、気温はついに三十六度に達した。毎週買い出しに村に出てきていた一人娘の美幸もその姿を消した。環状石柱は残り二本。
十二月二十八日、外気温四十九度。それに達して村民はようやく自分たちが置かれている事態の異常性を完全に理解した。そのため三人の見捨てられた老婆を除き、正気の者は須らく村を出た。残された石柱は一本のみだった。異臭は村全体に広がりもはや意識しなければそれであると判別することはできなかった。
これ以上は公式の記録は残っていない。そのため生還した三人の老婆の証言をもとに、話を組み立てた。
黒いスーツの男は、汗一つかくことなく禍々しい高温にその身を晒していた。男の姿に呼応するように山が振動を始める。その表面の木々は一瞬にして灰燼となり、本来環状石柱のあるはずの頂上にはぽっかりと大きな穴があいた。山が一瞬にして火山に姿を変えたのだ。この世の者ならぬ胎動を続ける太田火山は、際限なく巨大な火球を吐き出した。地球の物理法則からは隔絶したそれは、重力に逆らい宙に静止した。まるでもう一つ太陽が生まれたようだった。そしてその中から冒涜的で醜怪なるものが姿を見せた。かの存在の上半身には鳥のような嘴が左右を向いて、鳥の頭が二つあるような姿をしていた。しかし頭と首は二つに分かれることなく、癒着することによって一つの頭としていた。鳥の頭をしたシャム双生児のような不浄のものの胸には燦然と輝く赤い宝石が埋め込まれていた。それは非ユークリッド幾何学形をしており、虹色に不気味な乱反射を繰り返していた。二つの口が開かれ、寸分違わない鳴き声が共鳴し、うなりを起こした。
非科学的なためこの馬鹿話はここまでとさせていただく。あまりに高すぎる外気温が老婆の脳にどのように作用したかは、我々ではなく脳医学者が研究すべきことである。死火山と思われていた太田山が、自然要因が重なり活動を開始した。これがすべての真相であろう。自然現象である噴火活動を一人の人間が左右することなどあり得る話ではない。黒いスーツの男は何処へ消えたのかなど謎は残るが、それらが噴火に関係すると考えるのは、大衆の浅はかさ故である。
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