第106話吉備太郎と竹姫
鬼ヶ島と呼ばれる城は難攻不落の要塞でした。いかに吉備太郎が最強の武者であっても攻め落とすのは容易ではありませんでした。
しかし稀代の軍略家である翠羽は容赦のない策で鬼ヶ島を落としたのです。
「兵糧攻めにします。鬼を一匹も逃さないように。それと同時に水攻めの準備も行います。土嚢を用意してください」
かつて行なった嚢沙之計を応用し、城攻めに用いるのは流石と言えるでしょう。
結局、戦場で生き残った千体の鬼は、食糧がなしに篭城を強いられてしまい――
鬼たちは潔く自害したのです。
もしも人間であれば、生き恥を晒すように共食いをしたのかもしれません。しかし、鬼はその道を選びませんでした。
同胞同士で殺し合い、食らうくらいならば、潔く死んだほうがマシだ。
そう言わんばかりに、人間の軍勢に見せ付けるように、自らの首を搔き切る者が多数居ました。
「これでようやく終わったんだな」
朱猴は翠羽に問いました。翠羽は鬼が自害するところを見つめながら「そうですね」と静かに言いました。
「しかしよ、大将が居ないんじゃしまらねえな。吉備の旦那はまだ目覚めないのか?」
「竹姫さんから聞いたのですが、『覚醒』は心身ともに負担がかかるそうです。いくら吉備太郎さんでもすぐには回復しないでしょう」
「そうかい。というかあんな裏技があるなんてよ。吉備の旦那も知らなかったようだが、竹姫も教えておいてくれれば良かったのに」
「多分、『覚醒』はしないと思い込んでいたのでしょうね。吉備太郎さんに流れる月の民の血は薄いですから」
「なら今回『覚醒』したのは桃太郎の血が濃いんじゃなくて強すぎた、とでも言えばいいのかね」
翠羽は肩を竦めて「それは分かりません」と言いました。
「蒼牙さんは吉備太郎さんの警護をしているんですか?」
「ああ、鬼が鬼ヶ島に入らずに密かに吉備の旦那を狙っているかもしれないって聞かねえんだ。あいつは馬鹿だよな」
そんなことを言いながら朱猴は背伸びをして「そんじゃあ俺様行くわ」と軽い感じで言いました。
「おや。吉備太郎さんに別れの挨拶はしなくていいんですか?」
「そんなもんいらねえよ。会いたくなったら会いに行くしよ。今生の別れじゃねえんだ。俺様疲れちまったし、あんなに嫌だった里にも帰りたい。それに鎌倉に誰かが報告に行かなきゃいけねえだろ」
「できればもう少し一緒に居てほしかったんですけどね」
「お、なんだよ。ようやく俺様の魅力に気づいたのか?」
「そんなんじゃないですよ。戦後処理を手伝ってもらいたいだけですよ。それに朱猴さんのことだから吉備太郎さんに何か一言あるのかなと思っただけです」
朱猴は頭の後ろで手を組みながら言いました。
「何も言うことねえよ。言うべきことはない。何故なら、吉備の旦那はそれくらい成長したんだ」
そして朱猴には似合わない、皮肉なしの爽やかな笑顔で言いました。
「吉備の旦那は立派な男だ。俺様が居なくてもやっていけるさ」
その台詞を最後に、旋風とともに舞う木の葉に紛れて、朱猴はその場から去っていきました。
「……まったく。勝手な人ですね」
そう呟く翠羽の後ろから「翠羽殿、吉備太郎殿が目覚めました!」と蒼牙の嬉しそうな声がしました。
「あれ? エテ公は?」
「朱猴さんは鎌倉へ報告に行きましたよ」
「なんだ。せっかく目覚めたのに」
「意外と蒼牙さんは朱猴さんのことを慮っているんですね」
「当たり前です。あいつはいけ好かない奴ですけど、それでも戦友ですからね」
そして蒼牙はにっこりと少年らしく笑いました。
「もちろん翠羽殿も大切な仲間です。さあ、吉備太郎殿に会いましょう」
とある村の家。
そこを借りて、吉備太郎は寝かされていました。
目覚めた吉備太郎が最初に見たのは、竹姫の笑顔でした。
「吉備太郎、覚えている? あなたが温羅を討ち取ったのよ」
「ああ、覚えているさ」
吉備太郎はぼんやりと宙を見つめます。
「ようやく――仇を取れたんだな」
「そうね。おめでとうと言うべきかしら」
吉備太郎は「だけど嬉しいという感情はなくて、逆に悲しいという感情もないな」と呟きました。
「敢えて言うのなら虚しいという気持ちか」
「そうね。復讐を成し遂げるってそういうものよ」
竹姫は吉備太郎の手を握りながら言いました。
「それでもね、吉備太郎。あなたは日の本を救ったのは事実なのよ。もっと喜びなさいよ」
吉備太郎は「そうだな。喜ぼう」とようやく笑いました。
それからしばらく二人の間に会話はありませんでした。
沈黙を破ったのは吉備太郎でした。
「あのさ、竹姫」
吉備太郎が何故か緊張していたので竹姫は不審に思いつつ、優しく「なあに?」と訊ね返します。
「私はその、鬼退治を果たしたら、言おうと心に決めていたことがあったんだ」
「うん? あたしに? 何よそれ」
吉備太郎はもじもじしていました。その言葉を言うのに、鬼退治に臨む数十倍の勇気が必要でした。
そして意を決して言いました。
「竹姫。私と――これからも共に生きてほしい」
「――えっ?」
竹姫は吉備太郎が何を言っているのか理解できませんでした。
そして吉備太郎はかなりの勇気を振り絞って言いました。
「私と夫婦(めおと)になってくれないか?」
きょとんとした竹姫の顔が急激に赤くなり――
「吉備太郎、本気、なの?」
竹姫の言葉に吉備太郎は「ああ、本気だ」と言いました。
「私は竹姫のことが好きだ。竹姫は私のことが嫌いか?」
「き、嫌いじゃないけど……」
竹姫は落ち着くために深呼吸をして、そして吉備太郎に向かって言いました。
「あたしはこんな性格だから、嫉妬も喧嘩もしちゃうわよ」
「嫉妬させないように浮気はしない。喧嘩をしたら仲直りすればいい」
「あたしと祝言挙げたいの?」
「ああ、是非挙げたい」
「こんなちんちくりんなあたしでいいの?」
「竹姫のことが好きだ。それじゃあいけないのか?」
竹姫は嬉しいはずなのに、どうしても素直になれませんでした。
でも、吉備太郎の真剣な顔を見て、思いました。
あたしはこの人のこと、好きなんだ。だから付いてきたんだ。
なんだ、とっくにあたしは吉備太郎に惚れてたんだ。
「いいわよ。吉備太郎」
竹姫は震える声で言いました。
「た、竹姫、本当か?」
「ええ。あたしを、吉備太郎の妻にしてほしい」
そして両手を付いて言いました。
「不束者ですが、大切にしてください……なんてね?」
吉備太郎は無言で竹姫に抱きつきました。
竹姫は驚きましたが、黙って抱きしめ返しました。
やがて吉備太郎と竹姫は見つめあい、自然と目を閉じて、ゆっくりと唇同士が触れそうに――
「おい! 押すな押すな! うわああ!」
接吻をする寸前、襖が前に倒れて、雪崩のように蒼牙と翠羽、そして都と関東の部将たちが部屋に倒れこんできました。
「安田殿! 危ないではないですか!」
「東川殿が押すからだ!」
「ち、違う! 南原がな――」
「妾のせいにするつもりか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ一同。しかし竹姫の怒気を感じて黙ってしまいます。
「あんたたち……何見ているのよ!」
この後、全員が竹姫に拳骨で殴られるはめになるのですが、詳細は書かないでおきましょう。
その光景を吉備太郎は愉快そうに見つめていました。
そして五年の月日が経ちました。
蒼牙は征鬼大将軍の補佐となる副将軍の地位に就くことになりました。そして各地に散らばった一族郎党を集め、彼の家を再興したのです。後の世では『天下武槍』の二つ名で呼ばれるようになります。
朱猴は里へ戻り、後進の教育に尽力しました。姉が行かず後家になってしまわないかと心配していましたが、雨水と婚約をしたと聞かされたときはひっくり返るほど驚いたそうです。後の世では『無敵の忍』と称されました。
翠羽は吉備太郎と竹姫の要請で政務と軍務を司る『軍師省』の大臣となりました。彼女の公明正大な働きぶりは評判がよく、貴族からも求婚されたりしましたが、本人はその気はなく、生涯を独身で貫きました。後の世では『日の本の総代官』と崇められました。
そして吉備太郎と竹姫は――
「父上、母上。お久しぶりです」
二人は吉備太郎の故郷に帰っていました。
吉備太郎は五年の間に逞しく、竹姫は一層美しくなっていました。
「ようやく、私の願いは叶いました。見てください」
両親の墓の先に見えるのは。
伊予之二名島に移住してきた人々が村を作り、田畑を耕している光景でした。
「今は少ないですけど、これからもっと発展するでしょう」
吉備太郎は竹姫の手を握ります。竹姫も吉備太郎の手を握り返します。
「そして新しい命も生まれます」
竹姫は握っていないほうの手で、そっとお腹を撫でました。
「今度来るときは三人で来ます。それでは、また会いましょう」
吉備太郎と竹姫は墓から去ってきました。
その様子を二つの並んだ墓は見守っています。
「よくやったな。流石俺たちの息子だ」
「ええ。本当によく頑張りました」
二人の声が聞こえたような気がしましたが、振り向きませんでした。
吉備太郎は真っ直ぐ前に進みます。
竹姫と共に、真っ直ぐ前へ。
こうして吉備太郎の物語は幕を閉じます。
吉備太郎と竹姫。
二人は共に生き、共に暮らし、共に育んでいきます。
死が二人を分かつまで。
二人は幸せでいましたとさ。
めでたし、めでたし。
残酷御伽草子 吉備太郎と竹姫 橋本洋一 @hashimotoyoichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます