第105話最終決戦
月の民の覚醒について、竹姫が知ったのはまだ竹の中に居た頃のことです。
当時、まだ生きていた竹姫の姉が語ったのです。それはこんな内容でした。
「かぐや。月の民は『覚醒』と呼ばれる現象を起こすことができるんだ」
「覚醒? 何よそれ?」
「なんていえばいいかな。身体能力の向上、精神力の上昇という恩恵が一時的に与えられるんだ」
「へえ。すごいじゃない。誰でも起こせるわけ? その『覚醒』は」
すると姉は「誰でも起こせるものじゃないよ」と否定しました。
「月の民でも選ばれたものしか『覚醒』できない。それに加えて『覚醒』するには死の淵から甦るくらいのことがなければいけないんだ」
「つまり窮地からの逆転。それができるのが『覚醒』なのね」
そして姉は最後に言いました。
「あたしたちは『覚醒』のことを『月下美人』ともいう。その名の由来は『覚醒』がほんの短い間にしかできない、儚いものだから――」
吉備太郎はゆっくりと温羅に近づきます。その様子を蒼牙と朱猴、八百人の武者、そして鬼たちは見ているだけしかできませんでした。
「くそ! 大親分が殺したはずの人間が生きている? ふざけやがって! あたしが殺してやるよ!」
静まり返る戦場に耐え切れなくなったのか、後鬼が鉄球を振り回して吉備太郎に迫ります。
「待つんだ後鬼! 何か様子がおかしい!」
前鬼の制止する言葉は届きませんでした。
後鬼の鉄球が、吉備太郎へと――
「――遅い」
吉備太郎は後鬼の傍を横切りました。まるで道をすれ違うように。
後鬼は吉備太郎に攻撃が避けられたと感じました。だから後ろを向いて攻撃に転じようと――
ぼとりと何かが落ちました。
後鬼は肉片が自分から分けられていることに気づく間もなく倒れて、何も言い残すことはなく、バラバラになって死んでしまいました。
「な、何が起こったんだ?」
蒼牙の言葉に朱猴は「多分、すれ違った際、後鬼を切り刻んだんだ」とかすれる声で言いました。
「後鬼……? うおおおおおおおお!」
後鬼、つまり自身の妻が殺されたことで前鬼は怒りの余り、吉備太郎に襲い掛かります。
斧を上段に構えて、吉備太郎の頭目がけて――
「――邪魔しないでくれ」
吉備太郎は何をしたのか分からないうちに、前鬼を縦に一刀両断しました。
「――神斬(しんざん)」
吉備太郎が呟いたのは技なのか。それとも彼の様子なのでしょうか。
「……すげえな」
朱猴はそれしか言えませんでした。
「吉備太郎……貴様、わしの家族をまた殺したな!」
温羅は金棒を構えて吉備太郎に向かいます。
「温羅、お前の負けだ」
吉備太郎はあくまでも冷静でした。
「分かるんだ。この先の未来が」
「ふざけたことを言うな。予知でもできるのか?」
「予知というより予測だ。白鶴仙人の修行で予測を学び、この状態になって、ようやく極められた」
吉備太郎と温羅は互いの間合いに入りました。
もうこれで誰も邪魔は入りません。
次の攻防で一切合財の決着が着きます。
「まるで化け物だな、吉備太郎」
温羅は金棒を正眼に構えます。
「人を超えし者。それを貴様ら人は化け物と呼ぶのではないか?」
吉備太郎は「そうかもしれないな」と温羅の言葉を認めました。
「私は化け物なのかもしれない。しかし同時に人間であると確信しているよ」
「それは何故だ?」
吉備太郎は笑って言いました。
「私を愛してくれる人が居るからだ」
「…………」
「父上も母上も、竹姫も蒼牙も朱猴も翠羽も、都や関東の部将、御上を初めとする貴族たち、私の勝利を待ってくれる無辜の民。彼らに愛されてここに居る。だからそれに応えなければならない。報いらなければならない」
吉備太郎は刀を納めました。
「温羅。貴様の憎悪は確かに凄まじい。それは認める。しかし私が受けた愛のほうが素晴らしい。それを今、証明してみせる――貴様を倒すことで!」
温羅は金棒を握り締め、そして彼には珍しくこんなことを言いました。
「人間を羨ましく思ったのは、初めてだ」
温羅は歯をむき出しにして、戦場全体へ聞こえるように吼えました。
「だが勝つのはわしだ! 行くぞぉおおおおおおおおお吉備太郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
吉備太郎はそれを受けて、臆することなく叫びました。
「来い、温羅ぁああああああああああああああああああ!」
先に動いたのはやはり吉備太郎でした。
「最終奥義――」
音を超え、光を超え、神と化した『神速』というべき一撃。
どんな人でも鬼でも見切ることは不可能でしょう。
しかし温羅は違います。
刹那の狂いを許さない軌道を見切り、吉備太郎の攻撃の間に決して折れることがないと自負している金棒で防御したのです。
鈍い音が響きました。
温羅は確信しました。自分の勝ちであると。
しかし次の瞬間、気づきました。
何故、金属音ではなく、鈍い音なんだ?
金棒と刃であるならば甲高い金属音であるべきなのに。
温羅の認識が追いついたのは奇跡と言えるでしょう。
吉備太郎の攻撃は、鞘に入ったままの刀によるものでした。
吉備太郎の攻撃が続いていたのです。
鞘に納まった刀を滑らすように――その衝撃で鞘は砕けてしまいましたが――自身を独楽のように回転させて、二度目の攻撃を一呼吸の間に続けて行なう、二段構えの斬撃。
「――天羽々斬、改!」
一度目の鞘での攻撃、そして敗北した戦いでの一撃、そして二度目の刃での攻撃。
三度の攻撃に、温羅の金棒は耐え切ることはなく。
刀の軌道どおりに砕かれてしまいました。
そしてその延長上にあった温羅の首に刃が入り――
「……短い、野望だったな」
温羅の呟きははたして吉備太郎に届いたのでしょうか?
温羅の首は刎ね飛び、戦場の空へ舞いました。数秒遅れて、温羅の身体が倒れます。
誰も何も言えませんでした。人も鬼も声を発しませんでした。
吉備太郎は落ちてきた温羅の首を両手で掴みました。
温羅の表情は意外と安らかなものでした。
やっと人を憎み、殺すことが無くなったと思っているような表情。
吉備太郎は両手で高々と戦場に向けて見せました。
「鬼の総大将、温羅の首、討ち取ったり!」
その瞬間、武者たちは爆発するような歓声を上げました。
「やった……! 吉備太郎殿が、やった!」
「おい、犬っころ。夢じゃねえよな? 現実だよな?」
「当たり前だろう! 偽りのはずがない!」
蒼牙と朱猴は信じられない思いで吉備太郎を見つめました。
吉備太郎はそんな二人に微笑みかけて。
そしてその場に倒れました。
「吉備太郎殿!」
「吉備の旦那!」
二人は吉備太郎の元へ駆け寄りました。
もしや、吉備太郎は温羅の攻撃を受けていたのでしょうか?
「……いや、大丈夫だ。緊張が解けて、気絶したみたいだ」
朱猴の言葉に、蒼牙は尻餅をつきました。
「良かった……本当に、良かった……」
温羅が討ち取られて、鬼たちが呆然としている最中、人間の攻撃が再開されました。
「全軍、鬼を追い詰めよ!」
翠羽の号令に武者の軍勢は従いました。
「はっ。流石翠羽だな」
朱猴は吉備太郎の傍を離れませんでした。
「犬っころ。お前はどうする?」
「加勢しようにも身体に力が入らぬ。あの戦いを見せられたら、なおのことだ」
朱猴も気持ちが分かったので、何も言いませんでした。
こうして血の池平原で行なわれた合戦は終結しました。
戦意のない鬼は次々と討ち取られてしまい、生き残った鬼は鬼ヶ島へ退却しました。
合戦が終わり、眠ったままの吉備太郎に会った竹姫は、彼の頭を撫でながら言いました。
「お疲れ様、吉備太郎。やっとこれで復讐は終わったわね」
吉備太郎の寝顔は安らかで、まるで楽しい夢を見ている子供のようでした。
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