第5話 裏の話
「どうしてわたしがここにいるかって?」
由美子は表情のなくなった真っ白な顔で、そう言った。その声音から由美子の感情を読み取ることは出来なかった。
「それはそれはとっても苦労したの。何せここでもう五十軒目くらい? まさかこんなに高橋という名字が多いとはね」
「……もしかして、一軒一軒回ったって言うのか?」
それは、狂気の沙汰といっても過言ではなかった。
「まあ、二人暮らしだからマンションかアパートに絞ってはいたんだけど。でも、案外見つかるものね」
「言っておくけど、ここ僕の家じゃないからね」
「そうなの?」由美子は無表情のまま小首を傾げた。「まあ、別にそれはどうでもいいんだけど。どうせこの辺にあるってことはわかっているんだから」
「……どうしてこの辺にあるって知ってるんだ?」
父も住所を知らなければ、由美子だって当然知っているはずがないのだ。
「それはね、結構頭使ったんだ」由美子は幾分か得意げな口調で話し始めた。「お母さんの仕事場から考えて、お兄ちゃん達がそう離れていないことはわかっていたの。でも、それだけの見当で人を探すにはやっぱり広すぎた。だから、ある程度範囲を絞るために――少なくとも、市ぐらいは絞るためにお兄ちゃんの性質を利用することにしたの。つまり、わたしは胎児の死を作り出すことにした。そして、それを近隣のコインロッカーにばら撒くよう仕向けた。そうすれば、いつかきっと報道されるはずだからね。『男子高校生がどこどこで不審物を発見』って。だから偽薬もばら撒いた、色んな女に肉体関係を持つように唆した、藁にもすがりたい人達にロッカーを使うよう誘惑した、その努力はちゃんと実ったみたいね」
「……悪意に満ちてる」
「そうよ、キーワードは悪意なの。――わたしは悪意を以て何人かの女の子を騙し、妊娠させた。愛情や友情といったものに目が眩んだ子を騙すのは簡単だった。そしてそういう子に限って、自分が一番可愛いの。『わたしだけこんな目に合うのは理不尽だ。あいつも道連れにしてやる』『自分が不幸な時に、他人が幸福なのが許せない』『一人で不幸になるのは嫌だ。一緒に地獄へ堕ちてこその友情でしょう?』という具合にね。わたしはその悪意を利用させてもらった。後は単純な連鎖」
「ふざけっ――」
怒り狂って飛びかかろうとした鹿島を、僕は手で制した。表情のない相手に感情をぶつけたって仕方ない。
「それで……何をしにここへ来たんだ? 僕を探していたんだろ? 裏切り者だって言いに来たのか?」
「……一つだけ、言いたいことがあったの。聞いて」
由美子はあの時と全く同じ顔で僕に懇願した。その瞳に射すくめられた僕は断れるはずがなかった。
「わかった。聞くよ。」
「……わたしはね、人並みの幸せを掴もうと頑張っていただけなの。よくわからなかったけど人並みに世間話をして、よくわからなかったけど人並みに恋愛をして、そしてよくわからないままに妊娠した。最初はこれも人並みの幸せなのかと思ったけど違った。地獄の始まりだった。それから身体の異変に嫌悪を催す毎日だった。日に日にお腹の中が膨らんでいって、いかにも突き破りそうなほど張っていく。別に目に見えて変化したわけじゃないのに、それが単なる錯覚には思えなくて、不安と恐怖に身悶える日々。でも、どうしたらいいかわからなくて、そのくせ不幸にはなりたくなかった。自分ひとりでどうにかしないといけないのに、どうすることもできなくて。ただただ自分の身体を布団の中に隠してしまうしかなくて。あの小さな部屋で、無意味なことをずっと考え続けたわ。その間にもわたしの身体はどんどんと変化していった。本当にどうしようもなくて、いっその事死んで逃げてしまいって何度も考えた。だから、わたしは自分のお腹を殴ったの。何度も何度も殴った。わたしは笑うことこそ殆どなかったけれど、でもいつだって普通の女の子だった。運命の歯車が、少し噛み違えてしまっただけの、普通の女の子だった。普通の女の子として、必死で生きていただけだったの」
そして由美子は僕の方をキッと見据えた。
「なのに、あの日からお兄ちゃんはそう思ってくれていない。だからわたしはお兄ちゃんに理解してほしかった、それだけなの」
「そんなこと言われても、わからないものはわからないよ。悪いけど」
僕はつい本音を口にしてしまった。由美子は言葉を失って完全に固まった。
一つ言ってしまったら、もう止められなかった。二つ、三つと言いたいことが増えていき、唇から零れおちた。
「――僕は由美子じゃないし、女じゃないし、由美子の言う人並みの幸せだって求めたことないし、何度理解してって言われたところで、やっぱり理解はできない。なんたって僕は普通の人間だから。由美子なりに頑張って生きてきたのかもしれないけど、残念なことに生きてきたことなんて何の言い訳にもならないよ」
それは理解を放棄した、卑怯者の言い訳だった。
由美子の顔がどんどんと歪み始めた。傍目には気がつかない程僅かではあるが、しかし僕の目には明確に歪んでいった。それは由美子の顔に表情が消えてから初めてのことだった。
自然と怖気は薄れていた。代わりにいたたまれない気持ちが沸き起こる。目の前に立っているのは、一人の小さな女の子だということに気付いたのだった。
事情がどうであれ、由美子は僕に救いを求めている。
一つ嘘でも吐いて、手を差し伸べてあげるだけで十分だった。
それでも僕は、目を背けることしかできなかった。
そして、床にへたり込んでいた鹿島と目が合った。鹿島は言葉には出さず、「ありがとう」と唇を動かした。
何に対する感謝かはわからなかった。
「見捨てないで! お願いだから……」
由美子は僕の方へ一歩踏み出して、そう言った。今にもそのまま崩れてしまいそうだった。
だから僕は目を合わせることなく、たった一つの言葉を吐き出した。それはやはり、裏切り者の答えだった。
「僕はお前のことが嫌いだ」
由美子は床に崩れ落ちると、顔を大きく歪めて大粒の涙を綺麗な瞳に浮かべた。
無表情でも可愛い妹は、もうそこに居なかった。
人を嫌う僕もまた、悪意の塊なのかもしれない。ふとそう思った。
人の嫌い方 クロロニー @mefisutoshow
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