天上の花(5)
5
一時期、神殿を出た彼女達と一緒に暮らしましたので、わたしは、《星の子》の夫だと言われております。
そういうことにしております。
家族でない男女が一つ屋根の下で暮らすことは、この地ではあり得ませんから……。本当のことは、わたし達が知っていればよいのです。
《星の子》の御名はますます高くなり、ついにはキイ国の皇帝や、草原の民の族長などもやってこられるようになりました。
あんな目に遭った彼女が、それを、どう受け止めておられたのかは、存じ上げません。しかし、わたしの方は、年々、聖地で暮らすことが嫌になって参りました。
わたしの胸には、あの夜の光景が、くっきり残っていたからです。
彼女を切りつけた女性は、翌年、村を出て行きました。
神官達も老いたので、見習い時代の仲間達が、後を継ぎました。
わたしは神官にはなりませんでした。諸国を旅する商人となる道を選んだのです。
わたしの選択を愚かと言う者も、理解出来ないと嘆く者もおりましたが、この方が、わたしには都合がよろしいのでした。いろいろな国へ出かけ、各地で採れる植物や書物を持ち帰れば、《星の子》が喜びます。
彼女の仲間も、探すことが出来ます。
なにより、何食わぬ顔で『聖地』に暮らす人々や、わたし自身を、見続けなくて済むのです……。
「おとうさま、出かけるの?」
細い声に振り向くと、片目を擦っている娘がいました。
マナは、《星の子》の一人娘です。彼女と同じ黒い髪、黒い瞳をしています。
わたしを、父と呼んでくれています。……わたしの娘です。
わたしは、彼女の頭に手を置いて、微笑みました。
「もう、起きたのかい? まだ早いだろう」
「うん。でも、おとうさまが出かけるのを、見送りたいから」
わたしは、もう一度微笑んで、彼女の頭を撫でました。
二人の眠りを醒まさないよう、そっと出ようと思っていたのです。
わたしは、マナの顔を覗き込んで、囁きました。
「……お母様は、まだお休みかい?」
「うん。起そうか?」
「いや、休ませておあげなさい。疲れていらっしゃるのだから……。わたしも、声を掛けずに行くよ。後で、伝えておくれ」
「はい」
わたしは立ち上がり、奥の部屋に視線を向け、しばし佇みました。
幼い日の約束は、未だ果たせていません。
彼女を故郷へ帰すと、約束したのです。彼女は、彼女自身とおなじ特殊な能力をもつ人々のわざによって、この地へ降臨しました。
ならば、わたしは彼女の仲間を探し出し、天へ帰すと。
星の海へ。
他国へ出かける度に、わたしは彼等の消息を求めましたが、未だに、噂一つ聴くことは出来ませんでした。
今度は、東へ行ってみよう。
わたしは、机の上に置いていた青い花を取り、マナに手渡しました。少女は、ふわりと微笑みました。
わたし達の、約束の花です。
「では。行ってくるよ」
「はい。気をつけて、おとうさま」
その声に送られて、わたしは、聖地を後にしました。
東の空では、明けの明星が、涼やかな光を放っておりました。
メコノプシス・ホリドゥラ。天上に咲く、青いケシの花よ。
わたしの、いとしい者達よ。
神々の為にだけ、ひっそりと咲け……。
『飛鳥』外伝:天上の花
完
天上の花 ―『飛鳥』外伝 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley
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