41 ついに蚕家をクビですか!? その2


「すみません、扉を開けてもらっていいですか?」


 両手で大きな盆を持っているせいで、明珠一人では、どうにも扉が開けられない。


 申し訳ないと思いつつ、季白の部屋の前で声をかけると、すぐに張宇が扉を開けてくれた。


「食事を用意してくれたのか。ありがとう、助かる」


 盆の上を見て、口元をほろこばせた張宇が、「重いだろう?」とさりげなく盆を受け取ってくれる。


「すみません。お粥とスープと昨日の残り物の、簡単なものなんですけど……」

「いや、助かるよ。温かいものが食べたいと思っていたんだ」


 英翔達が座っている卓に、張宇と二人で皿を並べていく。


 今、明珠達がいるのは季白の部屋だ。離邸で一番立派な英翔の部屋と違い、季白の部屋にあるのはさほど大きくない正方形の卓と椅子が四脚、寝台と棚や長持ちだけだ。


 堅苦しいほどきっちりと整理整頓された室内は、いかにも季白らしい。明珠も、掃除するたびにうっかり物の位置をずらしたりしないよう、気を遣う。


 英翔の部屋ではなく、季白の部屋に集まっている理由は、襲撃を受けた英翔の部屋は硝子戸が突き破られ、使える状態にないからだろう。


「休んでいてよいと言っただろう? ……だが、ありがとう。おかげで、少し落ち着ける」


 明珠に気遣うような視線を向けた英翔が、次いで卓に並んだ料理を見て、顔をほころばせる。

 英翔も血のついた夜着から着替えて、今は青年の身丈にあった青い生地の衣を着ている。


「わーい、御飯だ~! もー、夜中から働き通しだもん。疲れちゃったよ~っ」

 

子どもみたいに唇をとがらせ、愚痴を吐いた遼淵が、いそいそと匙を持つ。


「明珠の席が足りんな」

 明珠と張宇が皿をすべて並べ終わったところで、英翔が声を上げる。


「わたしの膝にくるか?」

 英翔が椅子を引き、楽しそうに自分のふとももをぽんぽんと叩く。


「何をおっしゃるんですか!? お断りします! そもそも、それじゃあ御飯が食べられないじゃないですか!」


 空の盆を盾に、英翔から距離をとったところで、張宇が自分の部屋から椅子を持ってきてくれた。


「あ、すみません。ありがとうございます」


 英翔と遼淵の間に置かれた椅子に座る。明らかに上座なのだが、張宇がわざわざ運んでくれた椅子を運び直すのも悪い気がする。


 明珠が用意した料理は、卵やネギをいれた粥と、火が通りやすいようにみじん切りにした野菜をたっぷり入れたスープ、昨日の夕食の残りの肉団子の甘酢あんかけや、青菜のおひたしだ。粥とスープはやや薄めの優しい味付けにしておいた。


 五人とも、しばらく無言で食事を腹におさめていく。

 器の中身がほとんど空になった頃。


「明珠。話があります」


 かたり、と匙を置いた季白が、静かに口を開いた。


「は、はいっ!」


 明珠も匙を置き、ぴしりと背筋を伸ばす。

 何を言われるのだろうか。叱責される心当たりがありすぎて、不安しかない。


 季白の切れ長の目には、明珠を値踏みするような冷徹な光が宿っている。


 叱責の最たるものは、おそらく英翔を襲ったことについてだろう。

 英翔は許してくれたものの、季白や張宇までが許してくれるとは思わない。むしろ、あんなにあっさり許してくれた英翔が特殊なのだ。


 たとえ、どんな罰を言い渡されようと、己の罪はちゃんと受け止めようと、明珠は腹に力をこめ、真っ直ぐに季白を見つめ返す。


 感情の読めない冷ややかな目で、季白がゆっくりと口を開く。


「あなたには、蚕家を辞めてもらいます」


「は、い……」


 覚悟はしていた。

 それでも、告げられた内容に声が震える。


「あの、それで罰は……?」


「罰?」

 おずおずと問い返すと、季白が首をかしげる。間髪入れずに口を開いたのは英翔だ。


「お前に罰など与えん。先ほども言っただろう?」

 季白が楽しそうに唇を吊り上げる。


「英翔様のご意思を尊重して、特別に許そうかと思っていましたが……。本人が罰を望むというのでしたら、期待に応えなくてはなりませんね。英翔様を傷つけようとした大罪はもちろんのこと、これまでさんざん、我々を惑わせて、引っかき回した分も……」


 季白の背後に、もくもくと雷雲が湧き上がってくる幻覚を見る。


「ひいぃっ」


 唇が笑みの形を刻んでいるのに、目が全然笑っていない。怖い。怖すぎる。


「きっ、期待なんてまったく全然、これっぽちもしてないです! あのっ、どうか家族にるいだけは……っ」


 皇子を害そうとしたのだ。本来なら、一族郎党皆殺しになっても文句は言えない。

 恐怖に泣きそうになりながら震えていると、不意に英翔に強く右手を握られた。


「季白。明珠をいじめるな。可哀想だろう、こんなに震えて」


「仕方がありませんね」

 季白がわざとらしいくらい、深い溜息をつく。


「他ならぬ英翔様が、こうおっしゃっておられるのです。今回だけは、不問に処しましょう。海よりも広い英翔様のお慈悲に深く感謝し――今後は、いっそう忠勤に励みなさい」


「え……?」

 季白が告げた言葉の意味がわからず、きょとんとほうける。


「今後、って……?」


 自分はたった今、季白にクビを宣言されたばかりだが。


 季白がこともなげに言い放つ。


「あなたの身柄は、わたしが個人的に雇うことになりました。今後は、英翔様の従者として仕えてもらいます」


「えっ、ええ~っ!? 聞いてませんっ、そんなこと!」


 英翔に、これからも仕えられる。

 それは嬉しいことこの上ないが、驚きのあまり口走る。


 季白が呆れたように吐息した。


「当り前です、言っていませんから」

 できぱきと季白が説明する。


「我々はこれから、蚕家を出て、乾晶の街へ向かいます。一時的にとはいえ、一応、解呪の方法は一つは判明しましたし、これ以上、蚕家に留まっても、さほど益はなさそうですからね。それより、襲撃を受けた蚕家に龍翔様がいたという噂が広まる方が困ります。龍翔様は乾晶にいることになっているのですから。可能ならば、午前中に発ちたいですから、この後は、すぐに旅支度をするように」


「は、はあ……」


 あまりの急展開に思考がついていかず、あいまいに頷くと、不意に、季白がにこやかに微笑んだ。ぞわりと背中が粟立つ。


「そうそう。これほど短期間で、さらに一身上の都合で辞めるのです。本来なら、蚕家が用意した支度金を、全額、返済してもらうところですが――」


 にっこり。

 季白が満面の笑みを浮かべる。


「心配は不要です。わたしが全額、立て替えておきましたから。……この意味、わかりますね?」


「っ!?」


 どこが、「心配は不要」なのか。むしろ心配しかない。

 が、そんなこと、口を裂けても言えるはずがなく。


「……つまり、私の生殺与奪権は、季白さんが握っている、ということですよね……?」


「察しがいいのは好きですよ」

 好きと言われて、これほど嬉しくないのも初めてだ。


 英翔が明珠の手を握る指先に力を込める。


「明珠。季白が無茶を言ったら、すぐわたしに言えよ? 撤回させるから。本当は、わたしが雇ってやれればよかったんだが……」


「英翔様が直接雇われるなど、明珠が特別な存在であると、喧伝けんでんするようなものです。明珠を危険に遭わせるのは、英翔様の本意ではございませんでしょう?」


「……と言われては、我を通すこともできなくてな」


 英翔が溜息をつく。

 代わって申し訳なさそうに口を開いたのは張宇だ。


「すまん。俺では季白に、口で勝てなかった……」


 手を合わせて明珠に詫びる張宇を、季白が睨みつける。


「当り前です。あなたに任せたら、理由もなく借金を棒引きにしたりするでしょう? ほんと、あなたは女子どもに甘いんですから……。甘いのは英翔様にだけで十分です」


「えっ、いや、その……」

 図星だったらしい。張宇が困ったように視線をさまよわせる。


「明珠」

 手を握っていた英翔の長い指が、するりと明珠の指を絡めとる。


 驚いて振り返った先にあったのは、驚くほど近い英翔の面輪。黒曜石の瞳が、真っ直ぐ明珠の目を射抜き。


「お前が変わらず側にいてくれるのは、何より嬉しい。今後ともよろしく頼む」


「は、はいっ。こちらこそ不束者ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします……っ」


 明珠の言葉に、英翔が見惚れるような笑みを浮かべる。が。


 近い! 近すぎる! たかが挨拶にこの距離は不適切だと思う。


 腰が引け、無意識のうちに上半身をのけぞらせると、不意に英翔の左手が背中に回された。同時に、英翔が持ち上げた明珠の指先に口づける。


「ひゃっ!? 英翔様っ!?」


 瞬時に顔に血が上り、英翔の手を振り払おうとする。

 が、英翔の指は明珠を捕らえたまま、放してくれない。


 背中に回された手のひらに力がこもり、明珠を引き寄せようとする。布越しに英翔の手がふれる背中が、けてしまいそうだ。


「英翔様っ!? 悪戯いたずらが過ぎますよ!」


 あらがおうとすると、楽しげに耳元で囁かれた。


「暴れると、また落ちるぞ?」


「~~っ!」

 息が詰まる。


 助けを求めて、思わず季白を見る。

 いつもなら、そろそろ季白が苛立たしげに英翔を止めてくれるはずだ。が。


 ものっすごく不本意そうな顔をしつつも、季白は英翔を止める気配がない。それどころか。


「明珠」

「はいぃっ!」


 条件反射で背筋を伸ばした瞬間、英翔に引き寄せられ、ぽすん、と胸元に頬がふれた。衣に焚き染められた香の匂いに、くらりと酔いそうになる。


 首をねじり、季白に視線を向けると――季白は、目元を引きつらせながらにこやかに笑うという、荒業を成しとげていた。


「英翔様にお仕えできるという僥倖ぎょうこうを噛みしめ、これからも身を尽くして励みなさい。――働き方いかんによっては、ちゃあんと『特別手当』を支給してあげますから」


 『特別手当』


 その言葉に、蚕家で勤めた怒涛どとうの約十日間が脳裏を駆け抜け――、無駄と知りつつ、明珠は思わず叫んでいた。


「私に選択権なんてないって知ってますけどっ! 『特別手当』なんて要りませんから、ふつうのお仕事をさせてください――っ!」



 第一幕  ~終~



※ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました~!(深々)

 明珠と英翔達の物語は、この後も続きます。

 よろしければ、第二幕「呪われた龍にくちづけを ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~」https://kakuyomu.jp/works/1177354054885652282もお読みいただけましたら嬉しいです!(ぺこり)


 そしてなんとっ! 5月25日に第1巻『呪われた龍にくちづけを1 ~新米侍女、借金返済のためにワケあり主従にお仕えします!~上』がMFブックス様より発売となりました~っ!

 https://mfbooks.jp/product/noroiryu/322210001312.html


 さらには第2巻も7月25日に発売となります~!

 https://mfbooks.jp/product/noroiryu/322210001313.html 

 あれこれ加筆修正しておりますので、書籍版も手に取っていただけましたら嬉しいです~!( *´艸`)


 イラストは春が野かおる先生です! とっても素敵な明珠や英翔達をお描きいただいておりますっ!ヾ(*´∀`*)ノ


 また、書籍化記念のおまけ短編も書いております!

「『呪われた龍にくちづけを』書籍化記念 おまけ短編集」

 https://kakuyomu.jp/works/16817330657698503287


 売上次第では第3巻以降の続刊もあるそうですので、よろしければ応援いただけましたら嬉しいです~っ!(ぺこり)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【12/14コミカライズ1巻発売!】呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~【WEB版】 綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売! @kinoto-ayatsuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画