No.3 あなたなら治ります

 古い外観と裏腹にラブホテルの中は整っていて、クラシックのオルゴール音が控えめに流れていた。そしてその音と重なるようにジイイ…と小さく機械音が響いている。男の手にしっかりと持たれたデジカメが撮影をしている音だ。男は慣れた手つきで入り口側のタッチパネルを操作し、部屋選びに唸っているところだった。私はと言うと、「絶対に何もしないので」、そう言われるがままノコノコと付いてきてしまった自分の危機管理能力を疑っているところだ。

 エントランス奥にあるエレベーターの中に乗り込む。その狭い箱の壁には鏡がはめ殺されていて、床には趣味の悪いエンジ色のカーペットが敷き詰められていた。なんともいえない空気に男と二人、点滅するボタンを見つめていた。

 何をしているんだろう。本当なら今頃本物の不動産屋と安いアパート巡りをしていた筈だった。きっと少しの罪悪感に後ろ髪を引かれながら。チン、と目的の階に到着したエスカレーターは音を上げはっとする。これはもしかして新居など必要ないという神様からのお告げなのかもしれない。

「ちょっとベタですね」

 男の声に現実へ引き戻される。通された部屋は全体に薄紅色の灯がともっていて、中央に置かれたベッドはいやに艶めかしく見えた。隅に置かれた革張りのソファも色味が強く、そのメッセージ性に思わず顔をしかめてしまう。

「今から声出しますけど、あんまり内容は気にしないでください」

 そう言って男は手に持っていたデジカメを内カメラにすると、ソファの前のテーブルに置いた。そしてちょうどそのカメラの前に正座すると、カメラに向かってひとつ深呼吸する。

「八雲先生、石巻洋介です。セッション六回目です。えっと…頑張ります」

セッション?六回目?

 目の前で正座する男の背中を見ながらひたすら言葉の意味を読み取ろうとしたが、何ひとつ分からなかった。そして再び出た「八雲先生」という言葉に、新しい宗教か何かかと若干の胸騒ぎを覚える。その後も男はデジカメに喋りかけ、一通り終わると録画をやめると思いきやそのままにして立ち上がった。

 まさか頑張るってその意味通り頑張るのか。背中に冷たいものが走り思わず後ずさる。

「ご協力ありがとうございます、あの、座っているだけで良いので」

「…は」

 思わず間の抜けた声を出してしまう。立ち尽くしたままの私に首を傾げ、「どうぞ」と男はベッドの方に手を差し出した。言われるがままにベッドへ座り、少し間をおいて男も座る。しばらくの沈黙。

「あの、これって何なんですか?」

 耐えきれずつい話しかける。単刀直入すぎたか、けれど気になるものは気になるのだ。

 男、確かイシマキと名乗ったその人は私の言葉を聞くと困ったように笑って頭を掻いた。少し乱れた髪の隙間から耳に連なったピアスが覗く。やはり若者は若者なのだ。遊びたいお年頃、それなのに見知らぬ女をラブホテルに連れ込んで何もしないと言い張る。どう考えてもおかしかった。

「僕の治療なんです」

 男の口から出たのはまたもや予想外の言葉だった。

「病気なんですか?余生を楽しみたいとか、そういう特殊な治療ですか?」

「特殊といえば特殊なのかもしれないですけど…」

 力なく笑う彼の顔は想像する年齢よりも比してどこか疲れていた。やはりどこか身体の具合が悪いのかもしれない。病気のせいで男性機能が失われたからこうして何もせずラブホテルに来て女の人と話す、とかなのか。我ながら想像力がたくましいとは思うものの不思議でたまらなかった。

 何も言わなくなった男はぼんやりとテレビに流れるプロモーションビデオを眺めている。質問の返事を待ってしばらく彼を見つめていたが、黙られてしまっては目のやり場がないので私もテレビの方を見る。一分ほどでテンポよく切り替えられていくアーティストと、バラードやらアップテンポの曲が中途半端な静寂を震わせた。

 この狭い箱から出てくる情報量はこんなにもうるさいのに、彼のことは何ひとつ分からない。

「性依存なんです、僕」

 突然かけられた男の言葉が鼓膜を波打たせた。すぐには頭に入ってこなくて、数秒かけてようやく噛み砕かれたその意味が脳の中に入ってくる。

「性依存ってあの、セックス依存症って言ったほうがいいのかな…でもセックスしちゃうと死にたくなっちゃうから」

 おかしいでしょ、と男は何かを紛らわすようにへらりと笑う。何もおかしいところなんてない。むしろ謎は深まるばかりだった。

「セックス依存症って、どういうものなんですか」

 興味本位、それも少しあったのだと思う。彼は少し驚いたような顔をした。質問をされたことになのか、質問の内容になのかは分からなかった。それから少し考えるように俯いて、うーんと言葉を濁した。

「毎日毎日、大学もそっちのけでいろんな人と寝てました。お金あげないとダメな女性もいるからバイト代全部当てて、足りない分は色んなところから借りて、暇があれば出会い系サイト見て時間の計算して今日は何人とセックスできるんだろうって。本当は全然気持ちよくなんかないのに」

 最後の言葉が尾を引くように宙へ浮いて男の指がそわそわと動く。彼にとっては長い言葉数だった。

「ただ誰かに傍にいてほしかっただけなんですよね、たぶんですけど…」

 付け加えるようにそう呟いて、またへらりと笑った。

 たくさんの女性と身体を重ねても、この男の心は満たされなかったということだろうか。底の無い水瓶を埋めるように、死にもの狂いで生を保っていた。言葉の重みとは裏腹に彼の横顔はどこか気丈を装っていた。

「ホテルに来ても欲望に負けてセックスしないように、そういう練習で…」

「そこまでわかってるのにどうして治療するんですか?」

 喰い気味に遮った私の言葉に、彼の指の動きがふと止まる。何かを言い淀む様に口が開いたり閉じたりする。その口元は先ほどのように緩んではいなかった。

「ちゃんと、自分のこと大事にしたいから」

 少し長く垂れた前髪の隙間から、クマを携えた男の瞳が私を捉える。強く訴えるでもなく誓うような覇気もない声は宙に浮くほどか細いのに、その言葉だけは今までのどの言葉より地に足がついていたように思えた。先ほどまで質問責めにしていた私の舌の根は行き場がなく、ただ静かに口を閉じるしかなかった。

「あ、僕の話ばっかりで…お姉さんはどうしてついてきてくれたんですか?」

 はっとして瞬きをする。そういえば私の話は全くしていなかった。

「私は…分からないですけど…」

 どこか遠くに、行きたかったのかな。自然と言葉に出る手前、きゅっと口をつぐんだ。

「気分転換です」

「ああ…ストレス溜まると、気分転換ほしくなりますもんね」

 お姉さん、優しそうだから。そう付け加えられた備考に先ほどより強く唇を噛む。苦し紛れに出た言葉に自分でも反吐が出そうだった。いつも頭の片隅にはあの部屋と彼の顔が浮かんでいる。

 「逃げられる場所」などいらないのだ。私はこの男とは違う。傍にいてくれる人がいるのだから。



「えーと、終わったので駅、戻ります」

 ホテルから出て車に戻ると男は最後にデジカメに向かってそう呟き、静かに電源を切った。窓の外はまだ明るい。先ほどの清掃員の女とまた目が合って、私はなんとなく顔を背けた。

 車がもときた道を進んでいく。その間私は不動産にもう一度電話をしようかとも思ったが隣にいる男になんだか申し訳なく、緑道の木々を目で追っていた。

「待ち合わせの方は、大丈夫そうですか」

沈黙を破るように男が言う。

「謝れば、なんとか」

そう答えると男は小さくため息をついた。おそらく安堵のものなのだろうが、反射的に心臓が跳ねる。昔からため息は苦手だったが、いつの間にか過敏になってしまっていた。いつからだろう、そう考えるとふとけんちゃんの顔が頭に浮かぶ。そんなんじゃない。私は気付かれない程度に首を横に振った。

 今頃何をしているのか。アルバイトかもしれない。そしたらきっと疲れているだろう、今日の晩御飯は精のつく丼ものにしようか。そう考えると自然と口元が緩んで、そのことにどこか自分自身も安堵する。

 ターミナルに到着した車はゆっくりと停車した。長いようで短い不思議な一時間だった。シートベルトを外し「それじゃあ」と声をかけようとしたとき、男がくたびれたカバンからおもむろに財布を取り出してお金を出そうとするものだから私は慌てて制止した。

「いらないです、大丈夫です」

「え、あ…そうですか、なんだか…今日はすみませんでした」

 相変わらず覇気のない表情だ。なんだかこちらまで申し訳なくなってくる。と、男が何か思い出したように財布の中を探る。お金はいらないって、そう言おうとしたとき一枚の紙きれが差し出された。

「あ、あのこれ」

 電話番号だけが書かれた薄っぺらい紙だ。訝しげに見てしまうと、彼は大げさに跳ねた。

「違います、困った時とかあの…電話してください」

 ご丁寧なナンパだ。とりあえず頷いておき、私も財布を取り出してそこへ紙切れを放る。ガチャリと車の扉を開ければ、湿気を含んだ熱が足に絡みついた。

「イシマキさん」

 ドアに手をかけたまま、ふと声に出す。男は振り返ると、ホテルのときのように首を傾げた。

「あなたなら治ります、きっと」

 それだけ言い残して、私は車のドアを閉めた。男がどんな顔をしているかは分からなかった。元気づけるつもりも納得させられるような根拠もなかった。ただ、そのことだけは伝えたくなったのだ。

 そのまま振り向くこともなく、私は駅の方へ歩いて行った。

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