第二話「近づく距離」
あれから一ヶ月が経ち、治樹は恵と徐々に仲良くなってきた。だが、治樹は病気のことはあえて、話さないようにしている。原因は心配をさせたくないから。検査をする時と食事をする時二人は一緒にいるが、他の時間は別々だ。
「治樹さん、すみません。この後、授業があるので、また午後ここに来ますね。失礼します」
恵も大学生だ。長年の病を抱えてる治樹とは距離を置いといたほうがいい。病気のことで一時期休学をし、授業がついていかない時は、家庭教師から教えてもらい、なんとかなった。恋人を作る考えなど持っていない。いや、持ってはいけない。誰もいつ死んでも可笑しくない人とは付き合いたくないだろう。
(そうだよな。俺とはあまり関わらないほうがいい。いつ死んでも可笑しくないからな)
治樹と恵とは二歳差。そこまで歳の差を感じないのは、多分彼女の親しさだと思う。
治樹は久々に外へ出かけた。涼しい風に吹かれ、心地良い。
「好きになるわけにはいかない」
ギュと手を握りしめ、青空を見上げた。
「治樹さん?」
「良かったです。治樹さんが病室にいなかったので、心配していました」
「ご迷惑をおかけしました」
「いえ、そんなことありませんよ」
「検査結果…どうでした?」
「回復はしてきましたが、やはり薬を飲む必要があります」
「そうですか…。早く治るといいですね!」
「いつか、こうして自由自在に生活したいです」
治樹の顔はどこか悲しそうだった。その表情を見た恵は、何も言葉が出せなかった。
「加藤先生、治樹さんの症状についてですが…」
「ああ…レントゲン写真を見た所、悪化はしてないが…すっかり体が弱まっているな。香織、点滴はいつもしてるか?」
「はい、安心してください。あの…薬のほうは?」
「ちょっと軽めのに変えてもいいな」
「本当ですか?でも、手術はやっぱり…?」
「必要だ。二度も感染させないように、早めに治療を受けたほうがいい」
(これでも念のためだ。長年の病と闘いながらも、一生懸命生きようとしている人には…)
「辛い思いをさせたくないな」
「加藤先生…」
香織は心配そうに、皺を寄せている直人の顔を見つめながら、そっと自分の手を加藤の肩に置いた。
「大丈夫です。必ず良くなりますから」
「うん、そう信じるよ」
加藤は香織と見つめ合い、そっと心を撫で下ろした。
(はあー、今日も…か)
治樹は診察を受けるのがちょっと嫌だった。
「橋本さん、診察は2時からですよね?」
「あっはい、そうです」
「大変ですね。もしも私なら耐えられません。こんな…」
惠は治樹の資料を見下ろした。
(そうだよな。俺も実際諦めようとしたことがあった。でも、家族の支えがあったからこそ、今日まで生きることができた)
心細く感じながら、治樹は恵と暫しの別れを告げた。
(最近、モヤモヤするな)
「最近、ご機嫌ですね」
担当である加藤先生と話し合っている。
「え?そうですか?」
「ええ、何かいいことでもありましたか?」
「実は…好きな人がいるんです」
「もしかして、惠さんですか?」
「ええ…好きになってはいけないと分かりながら」
「人はいつか恋をします。そんな時はその時を大切にしてください。二度と訪れない幸せを掴むためにも」
「そうですね。加藤先生の言う通りかもしれせん」
「今日は大丈夫ですか?」
「ええ…薬のほうは軽めになったので、体が軽くなりました。それと、咳も少なくなり、炎症もなくなりました」
「そうですか。心境にも変化はありますよね?」
「はい、最近、楽しくて、明るくなりました」
「そうですか。それは何よりです」
「ポジティブ思考になってみると、病気も軽くなるかもしれませんよ」
「努力してみます」
三十分後、会談が終わった。
「終わりましたか?」
惠が聞いてきた。
「ええっ色々と喋りました」
「そうですか。少しは良くなるといいですね」
惠の笑顔を見た治樹は思わず、抱きしめた。
(え?治樹さん?どうしたのかな?)
恵は顔を赤く染めながら、治樹の体温を感じた。
(失いたくない。君だけは)
「治樹さん?」
「すっすみません」
治樹は顔を少し赤く染めながら、両手を離した。
「晩ご飯、一緒に食べませんか?」
「ええっ構いませんよ」
病院からちょっと遠めの小さい和食店で二人は食事をした。
治樹が注文したのは、豚の生姜焼き定食。
恵が注文したのは、和風ハンバーグ定食。
「ここの食べ物、美味しいですね」
満足そうに、恵は治樹に言った。
「ええ、お気に入りの店なんです」
どこか悲しそうに微笑む治樹の顔を見た恵は、そっと自分の手を治樹の手を包んだ。
(恵さんはもしかして…)
「あの…好きな曲ってなんですか?」
「そうですね。Rose・Anniversaryの『笑顔で』ですね」
Rose・Anniversaryとは二名の二十歳の少年少女がコンビになった都会でも有名なグループだ。数々の少年少女の様々な思いを書き上げた曲で、知名度を上げている。
少年の名前は福山一希。少女の名前は相川美波。
二人は恋人同士という説はあるが、良き親友とどちらも主張している。
「へえー俺も好きですよ。そのグループ」
「本当ですか?嬉しいです!まさか、仲間がいるなんて」
「いつから知ってたんですか?」
「中学の時からです。彼らのデビュー作『青春パズル』を聞いて、大好きになりました」
「俺もです。確か…あの二人って高校でデビューしたんですよね?」
「はい、そうですよ。すごいですよね!」
「ええっそうですね!まさかこの日が来るとは思ってもいませんでした」
「なんでですか?」
「普段は病気の治療を受けるだけで、療養生活を過ごしてましたから」
「そうですか。良かったですね」
「ありがとうございます。本当に」
「いえ、そんなお礼を言われるようなことではありません。逆に私のこそ、感謝しています。おかげで、ボランティア活動が長引くようです」
恵と治樹は散歩をしながら、Rose ・Anniversaryについて語り合った。
この日から二人の距離は急激に近くなった。
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