六場 まぐれの終わり


ボクが最強の剣闘士なら、ウロマルドを倒すことで頂点を名乗れただろう。


だけど、いまのボクがウロマルドを倒したとしてもコロシアムの頂点とは呼べない、ただの詐欺師だ。


ほしいのは称号じゃない、ティアンが救われない栄光に興味はない。


ボクはこの鳥籠を破壊したい――。


だから打倒すべきコロシアムの頂点は選手じゃなくて、コロシアムの主催者たる偽りの国王フォメルスだ。


そして、ボクはついに宿敵との対峙を果たした――。



「取りに来た、だと? 世界の頂点に君臨しうる余を指して、たかだか遊戯場の頂点などとは不敬もはなはだしい」


取り逃がしたはずの彼に追いつくことができたのは奇跡でもなんでもない、ジェロイとの戦闘に時間をかけていたからだ。


察するに引き返して逃走しようとしたフォメルスをジェロイが待ち伏せて襲撃した。近衛兵を二人始末することには成功したが、そこで力尽きてしまった。


「ジェロイ! おい、ジェロイ!」


呼びかけても返事はない、血だまりに静かに沈んでいる。


「やはり貴様の差し金か、余の手駒をどうやって懐柔した? 小ネズミだけに留まらぬ、民衆や剣闘士たちをも自在に操る魔性の者よ、貴様はなんだ!

魔物の類か、人の手には負えぬ余を排するがために神がつかわせた刺客とでも言うつもりか!」


軍の頂点にのぼり詰め、謀略によって皇帝の地位すら手中におさめた自分を、さぞや選ばれた人間だと思っていたことだろう。


そんな特別である自分が大切にしてきたコロシアムを台無しにされ、命まで脅かされている。それをした人物がただの小物とは思いたくもないだろうけど、それが現実だ。


王を無視してボクはジェロイの名を呼びつづける。


「ジェロイ! ジェロイ!」


フォメルスがジェロイの背に剣を何度も突き立てる。


「すでにこと切れておるぞ!」


「!!」


亡きがらへの冒涜に無条件の怒りが爆発した。



なぜジェロイはこんなむちゃをしたのか――。


アルフォンスたちと連携を取るなり、ボクと合流するなりしていれば他にやりようがあったかもしれない。


だけど、ジェロイの気持ちはよく理解できた。


ボクに対する裏切りをよほど気に病んでいたんだ。だから顔を見せることができずに、フォメルスを倒して汚名を返上しようとした。


ボクがどんなに気にしてないと言ってもジェロイは男の子だから、ただ許されてヘラヘラしてなんていられなかったんだ。


フォメルスを倒すという目的は達成されなかった。けれど、ティアンの暗殺に成功したと虚偽の報告をすることでボクらの自由を確保し、いまも決定的な時間を稼いでくれた。


ジェロイ、ありがとう……。


気まずい別れ方をしてしまったことが心底心残りだけど、キミが作ったチャンスは無駄にはしない、きっと生かして見せる。



「最終決戦と行こうか――」


ボクはフォメルスにレイピアの切っ先を向けた。


「この程度のことで余を破滅させたなどと思い上がるなよ、貴様を殺したあとは軍に合流し、反乱分子の掃討ついでに観客ごと皆殺しにしてくれるわ」


罪のない観客を虐殺してまで事実を隠蔽し、王の地位を守るつもりだ。


「うまくいくもんかよ!」


「いくさ、これまでと同様にな!」


たとえボクが敗北してもきっとオッサンたちが、今日の観客たちが、ボクの付けた傷跡を押し広げてくれる。


これまでどうりにはいかない。


「すくなくともコロシアムは閉鎖さ、そんな事件のあとに客は入らない。民衆に愛された娯楽王は死んだ、悪王として歴史に汚名を刻め」


「フン、結果をだせば評価は容易にくつがえる」


言い負かしたくて口論をしているわけじゃない。長距離を走ってきた呼吸と、怒りにたかぶった感情を鎮めるための時間稼ぎだ。


――鎮まれ、冷静になれ。


身内を殺されたからといって百メートルを九秒で走れるようになるわけじゃないし、フォメルス王の握力が八十キロなのに対してボクの握力は二十キロしかない事実は変わらない。


怒りの力で劇的に強くなったりはしないけど、怒りのあまり判断を誤ることはある。


――息を整えろ、冷静に相手の弱みを探すんだ。



「ハッ! 人の手に負えないから神がつかわしたって?」


相手を怒らせろ、ミスを誘ってその隙を突くんだ。


「――おまえは間違いなく人の手で追い落とされるんだよ、おまえに引導を渡すのは神の意思じゃなくて民衆の気分だ! 民衆が偽王を必要としなくなったんだよ!」


「戯言だな! 余の治世は盤石だ。強国の民であるという誇りを与え、娯楽を提供し続けた余を失脚させるなどと愚の骨頂よ!」


実際、彼は理想的な王だったのかもしれない。不正はあっても失敗はなく、強く豊かな国を築いていたのだから。


民衆にとってはそれで十分だろう。


「――その成果を甘受してきた民に、余を糾弾する権利などない!」


なんでもいい、とにかくやつのペースを乱せ。


「権利もクソもない、失敗したら容易に手のひらを返すのが民衆だ! おまえは前提である王座そのものをイカサマで手に入れたのがバレた、もうおしまいだ!」


フォメルスは世界の敵でもなければ無能な王でもない、それでもボクは破滅を願う。


なぜなら、ティアンの敵だから――。



「戯言には付き合いきれんな」


フォメルスが攻撃体勢をつくり、ボクも迎え撃つ姿勢を整える。


――さあ、いくぞ、やるぞ!


「いいのか、ボクは王様だからって皆みたいに手加減してやらねーぞ?」


自分より強い人間を怒らせるのは恐怖でしかない、ここには応援してくれる観客もなければ頼もしかった仲間たちもいない。


学んできたことを全部ださなきゃ――。


まずは間合い、遠すぎてはこちらの攻撃が届かないし相手も手を出してこない、ギリギリの距離で間合いを外し、空振りを誘ってその隙に必殺の一撃をたたき込む。


雑魚なりに毎日訓練をしてきたし死線だってくぐってきた。自分より強い相手にだって何度も勝ってきた。


あと一回、あと一回だけ奇跡を起こすんだ。



ボクが待ち構えていると、フォメルスは無造作に剣を振り上げた。その動作があまりにも唐突だったので反射であやうく手を出しそうになった。


振り下ろしてきたら外して一撃、振り下ろしてきたら外して一撃、振り下ろしてきたら――振り下ろされない。


「――!?」


ボクは後ろに飛び退いた。フォメルスは剣をかかげたまま無防備に距離を詰めてくる、けれど一向に手をだしてこない。

フォメルスが前進しボクは後退する、威圧感に対する恐怖で全身から汗が噴き出している。


「さあ、わざわざ胴を空けてやっているのだ、打ち込むが良い」


剣を振り上げたフォメルスは簡易的な鎧をまとってはいるが、万歳ポーズで攻撃をさばくことを放棄し、ベタ足での前進は避けることも放棄している。


なのに、ボクはすでに敗北を確信していた。


筋力の差で相手の方が瞬発力に勝る。それは同時に攻撃をくりだしたとしても相手の攻撃が先にボクに到達するということ。


さらに剣をかかげ振りかぶる動作を省略することで、ボクの予備動作を確認してから攻撃に移っても先手がとれる状態になっている。


ボクが先に手をだしても相手の攻撃が先に当たるということだ。


「試合を観ていたら分かる。相手が想定外の動きをするだけで貴様はもうなにもできない、その引き出しの少なさでよく上から講釈を垂れてくれたものだ」


フォメルスが前進しボクが後退するのくりかえし、威圧感に飲まれて声も出せず反論もできない。


「どうした? 貴様が扇動した者たちが死に絶えるまで続けるか?」


間合いはどんどん詰まり、レイピアの有効射程には近すぎる。


「背後に壁が迫っているぞ?」


壁に詰まってしまえば逃げ場がなくなる。ボクは体を入れ替えようと横に動――。


「くだらん、な!」


それまでゆっくりと歩み寄って来るだけだったフォメルスが、ボクの軸足が交差するのを見計らって敏速に剣を振り下ろした。


それはとっさに体を庇ったボクの右腕をリストガードごと引き裂く。


骨まで断たれたかは分からない、おびただしい血液が飛び散って激痛が走る。


「ぐぅぅ……痛ってえぇぇぇ!!」


おおげさに叫んで発散することで、辛うじて転げ回ったり泣きだしたりするのを堪えた。

切断されなかっただけの腕はすでに死に、ただのおもりと化した。


パニックだ、頭の中で暴れ回る『もう駄目だ』の大合唱を止められない。


「射程が長いのは良かったが正面以外への対応がおろそかだな、だが攻撃を受けてなお切っ先を下げずに後退できたことが好判断であったことは認めよう」


――怖い。


圧倒的な力の差にいまさら恐怖を抑えられなくなっている。


「挑発して余を激昴させる貴様の作戦が功を奏したな、怒りに震えて手元が狂ってしまったぞ」


フォメルスは引き続き無造作に距離を詰めてくる。


今度は剣を構えることすらせず、真っすぐ早足に間合いを詰めてくる。まったく臆す様子がない。


「来い! 突いて来い! どうした? 突けば死ぬぞ! 下がれば死ぬぞ! 振り返れば死ぬぞ! さあ、どうするのだ!」


後退するよりも前進する方が速い、ボクはフォメルスを正面に捉えて足がもつれそうになりながらも必死に逃げ回る。


「……ほう?」


フォメルスが立ち止まった。


ボクとのあいだにジェロイの亡き骸をはさむ位置に移動したからだ。


ジェロイを利用するのは気が引けたけど、フォメルスの足を止めるにはそれ以外に方法がなかった。


障害物を挟んでいる限り、近付くにはそれをまたぐ必要があり、またぐ動作にはわずかながら隙が生じる。


「足掻くものよ、あっぱれだな」


それは感心などではない、失笑を含んだ侮蔑だった。


くそっ、よくしゃべる。こっちは会話どころか呼吸もままならないってのに。


痛みは麻痺しかかっているけど、傷が深いのか具合がひどく悪い。


効果的な攻撃とは全身を連動させた動作だ。左手が動かないことで動作が制限されて、もうベストな一撃は打てない。


気合いでベストに近い攻撃を打ち込むのみだ。


ボクはようやくできた間合いを使って呼吸を整えようと努力する。


「狙いは明白だが、あえてだ、あえてその誘いに乗ってやろう。寛大な余に感謝するが良い」


フォメルスは嫌みな前置きをすると、悠然とジェロイを跨いでこちら側へと踏み入ってくる。

前足を上げ、それを着地させる直前の片足立ちを狙って、ボクは渾身の突きを放った。


これが最後の好機だ。重心が不安定で力の乗らないフォメルスが対応するより速く、貫く!!


次の瞬間、レイピアが宙に弾けた――。


渾身の一撃はフォメルスまで到達せず、ゴミでも払うようにアッサリとたたき落とされた。


「…………あ」


絶望に血の気がひいた。


フォメルスは地面に足をつける重心移動を剣に伝え、レイピアを上からはたいた。ボクの手首はその一撃で捻挫し、握力を失って武器を手放した。


重い一撃を受けたレイピアは手の届かないところまで飛んでいってしまった。


丸腰になったボクのまえにフォメルスが立ちはだかる。


できることがなにもなくなってしまい体をどうしていいか分からない、自分の弱さをいまさらに痛感させられていた。


「いかんともしがたい格の違いよ。自分より優れた者には敬意をしめせ、そしてひれ伏せ、それができぬ者はもはや猿にも劣ると思わんか?」


フォメルス王がなぎ払った刃はボクの体に深く食い込んで、そのまま肉を削り飛ばした。





『さよなら、ボクのお姫様』▶︎

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